17話 手結島の人々
一階の居間には大勢の人たちが集まっていた。その中にはぼくたちを援護するためにクラクションを鳴らしながら軽トラックで去っていった山口さんとその息子さんらしい人もいた。
(よかった! 無事だったんだ!)
ぼくは小さく黙礼をすると山口さんは笑って手を振り返してくれた。
子供たちのほとんどが行事で島外に出ているため、居合わせているのは大人ばかりだった。ただ一人だけ小さな赤ちゃんを抱いた若い女の人がいて、その赤ちゃんは抱っこひもの中でぐっすりと眠っているようだった。
美津亜ちゃんのおばあさんが美津亜ちゃんになにか話しかけていて美津亜ちゃんが頷き返していた。
『聞こえる? どうぞ。こちら土方。どうぞ』
長テーブルの上には黒くて、小さなトランシーバーが置かれていて、そこにつながったスピーカーマイクから土方さんの声がノイズ交じりに聞こえていた。
大人たちの視線がぼくに集まる。
「えっと」
ぼくが戸惑っていると山口さんの息子らしい男の人がトランシーバー本体を手に取り、なにかボタンを押しながら〝ん〟と顎をしゃくってそれを突き出してきた。
どうやら代わりに操作してくれるみたいだ。ぼくは座布団に正座しながら、トランシーバーに口元を近づけ、
「は、はい、石川流時です」
そう言った。美津亜ちゃんが無言でそっとぼくの隣に並ぶ。
「聞こえてます――どうぞ」
これでいいのかな?
確か喋り終わりに〝どうぞ〟って付けるのがルールだったはずだ。
山口さんの息子さんがボタンから指を離す。一秒ほどの間があった後、スピーカーからひび割れた声がまた聞こえてきた。
『流時くんか! すまない。君のお父さんたちを助けに行きたかったけど、谷垣さんの家にいるグループと連絡が取れなくなったんだ。もしかするとなにかトラブルがあったのかもしれない。周囲の安全を確認するまで一度、様子を見させて欲しい。どうぞ』
大人たちがざわつき始めた。
「谷垣さんの家といえばこの地区で一番、舞来寄りの場所だぞ!」
「役場とかも近いしな……なにかあったらまずいな」
ぼくは緊張しながらまた喋った。
「了解しました。そちらは大丈夫なのですか? 真知さんや珠紀ちゃんの具合はどうでしょう? どうぞ」
ガッというノイズ。その後、
『こちらは今のところ問題ないよ。真知さんも珠紀ちゃんも皆、元気だ。ここには……』
少し音が遠くなって聞き取りづらくなってきた。ぼくにはどうしても早めに確認したいことが一つあった。思わず声を張り上げる。
「土方さん! 教えてください! スティーブンはどこにいるのですか?」
今日の午後に会う約束をしていたスティーブンとは完全に連絡が取れなくなっている。あくまで直感に過ぎないけど今回、色々な出来事の鍵をスティーブンが握っているような気がしていた。
それと土方さんが一人で動いている理由も気になった。
この家に集まっている大人たちは辺りの様子を伺ったり、家の戸締まりを再確認するためにすでに動き始めていて、こちらを見守っているのは山口さんとトランシーバーを操作している息子さんだけになっていた。
幸いぼくの質問は向こうに届いていたようだ。
返事がくる。
『スティーブン……西符神社の社務所にオヤジたちと……きみと……コンタクトを取りたがっている。それと僕は』
またノイズ。耳をスピーカーに近づけてみる。
『……僕はスティーブンさん……浅永貴文を探しているんだ』
「あさなが、たかふみ?」
『君たちを見つけたのも……浅永貴文……車で探している最中で……』
「え? なんですか? 誰を探してるんです?」
ざっざっと再びなにかを擦るような音。通信具合がどんどんと悪くなり、〝どうぞ〟を言うタイミングが完全に分からなくなった。
「ちょっともう厳しいかもな」
山口さんが独り言のようにそう呟くと息子さんも答える。
「そうだな。診療所は諦めて、ダメ元で谷垣さんの家の方にも呼びかけてみる」
ぼくはもっと土方さんと話したかったけど仕方がない、と自分に言い聞かせた。山口さんの息子さんが違うチャンネルに切り変えようとしたその時、
『君も会っている……船の中……サングラスをつけた男……もし見かけたら……三十分後に定時……する。くれぐれも……には気をつけて』
もう一度だけ声が聞こえて、ぶつっと通信が完全に途切れる。
「!」
ぼくと美津亜ちゃんは思わず顔を見合わせていた。頭の中でヘッドライトに照らされて立ち尽くしていた男の人の姿を思い出す。
(あのサングラスの男が浅永貴文?)
よくよく考えてみたらあの人を避けるために真知さんは危険な急ハンドルを切ったのだ。そして車が木に激突したのは分かっていたはずなのに救護活動を一切せず、あの場から逃げ出した。
(本当に身勝手で、ひどい人だ。なんでスティーブンはそんな人を探しているんだろう?)
ぼくが眉間にしわを寄せていると、
「――しかし、浅永の子孫が島の外にまだ残っていたとはね」
山口さんが独り言のように呟いた。ぼくは思わず食いつく。
「あの! 浅永貴文ってどなたですか? なにかご存じなんですか?」
山口さんはぼくの勢いに少し戸惑った顔をしたものの、
「ああ。なんか土方くんが探しているヤツだろう? いや、私も昔の出来事だから詳しくは知らないけど、浅永ってのはこの島に元々、四家あった神主の家系のうちの一つなんだよ。かなり前に跡取りがいなくなって神社自体は途絶えていたけど、実は島の外で血筋が続いていて、その親族の浅永貴文っていう男が今、島に来ているらしいんだ」
ぼくは軽い衝撃を受けながら、今、山口さんから聞かされた情報を受け止めていた。
(これはどういうことなんだろう? 土方さんは、スティーブンは一体なにを知っているんだろうか?)
ぼくが考えを巡らせている間、
「オヤジ。やっぱダメだわ。谷垣さんとこにはつながらねえ」
山口さんの息子さんはずっと小さな声で呼びかけを行っていたが、諦めてトランシーバーをテーブルに置いた。
山口さんが頷く。
「まあ、ちょっと今の通信状況では厳しいんだろうな」
その時、居間の外から大きな声が聞こえてきた。
「おい! なんか数人、変なのが近づいてきているぞ! 山口さん! 確認してくれ! あれがあんたの言っていた奴らか?」
山口さんと息子さんが表情を強ばらせ、小走りに部屋を出ていった。なんとなくぼくも追いかける。二人は階段を駆け上がっていく。どうやら二階に人が集まっているようだ。
「まじかよ! あれ、役場の大村さんと田口さんだろ!」
「いやだ! 須磨くんよ、あれ!」
悲鳴と恐怖の声が二階の奥の部屋から聞こえてきた。心がずきりと痛む。ぼくにとっては面識のない人たちでも、島の人たちにとっては身近な顔見知りの誰かなんだ。
山口さんと息子さんは真っ直ぐにそちらへ向かったけど、ぼくはそれ以上ついていかなかった。いまさらぼくが手つなぎ鬼を見ても仕方ない。その代わり自分たちの部屋に戻り、畳の上に座ってタブレットを手に取った。
「……」
もう一度、画面を立ち上げてファイルを見る勇気はどうしても持てない。
自分がなにをすべきかよく分からなかった。
「……おばあちゃん、これから自分の部屋に一人で立てこもるって」
いつのまにか美津亜ちゃんが部屋の入り口に現れ、強ばった声でそう告げてきた。
「なにかあったら流時くんと二人で逃げなさいって。おばあちゃんの部屋は鍵がかかるから大丈夫だよって。お茶もお菓子も沢山、用意したから全然、平気って笑っていた」
ぺたんとぼくの傍らに正座し、潤んだ瞳をこちらに向けてくる。
「流時くん……どうしよう?」
おばあさんは自分に歩行障害があるからいざという時、孫娘の足手まといになることをよく知っているんだ。だから、美津亜ちゃんに負担を感じさせないようそんな振る舞いをしている。
「……それは」
ぼくは眉間が痛くなるくらい眉をぎゅっと寄せ、目をつむった。
今、ぼくにできることはなにか?
「それは」
目を開く。
「考えよう。とにかく。いっしょうけんめい」
頭の中で今まで得た情報を整理しながら呟いていく。指をタクトのように振りながら、
「スティーブン。その師匠である大上雅也の研究。テユイさまのオヤシロの損壊。手つなぎ鬼の出現はこれらときっと因果関係があるんだ。大上雅也によって逆さにされた狛犬。狛犬はなにかを封じる役割を果たしていた? でも、そのなにかが解き放たれた?」
「……」
「それとは別に極端に接しづらいこの島の風習やテユイさまの情報。意図的なコントロールされた、言っても良いくらいそこになにか大きな力が働いている? それはあのタブレットにファイルを送ってきた存在と一緒? 一体なにを伝えたかったんだろう? 〝彷徨える神〟のこと? なら、この島で解き放たれたのは、もしかして」
自分で言いながら少しぞくりとした。
「〝彷徨える神〟?」
美津亜ちゃんはこちらをぽかんと見つめていた。それから感心しているのか、少し茶化しているのか分からない言い方で、
「すごーい。流時くん、なんか名探偵みたい」
ぼくはちょっと気恥ずかしくなってきた。
普段あまり人前で見せないようにしているけど、極端に考え事に耽るとこういう風に指を振りながら独り言を言う癖があるんだ。
でも、気を取り直してまた頭の中を整理していく。両指はまたリズムを取り出す。
部屋の外では大人たちが慌ただしくやりとりをして、激しい足音が行き交っているけどもうあまり気にならない。
「浅永貴文が鍵になっている? スティーブンが探している。四つの神社のウチの絶えてしまった家系の末裔。なんでこの島にこのタイミングで来たの? 偶然? そんな訳ないよね?」
きっと今回の出来事に大きく関係している。
「もう一つの鍵は……」
ごくりと唾を飲み込む。
「きっとあの黒い服の女の人だ」
「……」
ぼくは美津亜ちゃんの目を見て言った。
「あの黒い服の女の人だよ」
たっぷりと三秒くらい経ってから美津亜ちゃんはこてんと首を横に傾げた。
「だれ? それ?」
「え?」
ぼくは戸惑いながら、
「だから、あのサングラスの男と一緒にいた黒いワンピースの女の人だよ。資料館の時も、最初に船で会った時もあの男の人の隣にいたでしょ?」
「……」
また二秒ほど沈黙があってから美津亜ちゃんは答えた。
「資料館ではわたしは最後の方、目をつむっていたから知らない。流時くんが言っていたから〝そうなんだ。二人連れだったんだ〟と思った程度。そして船の中では」
恐れるように言う。
「……あの男の人はずっと一人だった、よ?」
その消え入るような語尾に、こちらに向けられた怯えるような視線に思わずたじろいでしまう。
ふと池崎さんの言葉を思い出した。
〝しかし、あのサングラス、この島に女性の知り合いでもいたんだな。見るからにもてなさそうだったけど〟
あの時は意味が分からなかったけど、もしかして池崎さんやお父さんにも最初から黒い服の女なんて見えていなかったのだろうか?
ぞっと寒気が走った。
「う……」
ぼくは仰け反った。
(あの人はなんなんだ? 人間なのか? 霧雨をまとってこの家の玄関の前にも現れ、消えた。ぼくの幻覚?)
いや。
アレはそういうくくりですらないような気がする。ずきりと前頭部に差し込むような痛みを感じる。
「……だいじょうぶ?」
美津亜ちゃんの心配そうな声が遠くに感じられる。ぼくは座り込み、額に手を当て、脳の奥底に眠った普段はなるべく思い出さないようにしている記憶の欠片を必死でつなげ合わせようと試みる。
「子供の頃……五歳くらいまでの思い出が実はあまりないんだ。元々は都内で暮らしていたんだけど、その頃、頻繁に変な物を見ていたらしい」
「変なもの?」
「ぎりぎり覚えているのだと、自動販売機の上まで首が伸びている顎が異様に尖った女の人とか、自宅のドアの前を行き来する青く細長い腕から先だけの存在とか。逆立ちしているみたいな姿勢で指をちょこちょこさせて移動しているんだ」
「……」
「医療機関にもかかっていたみたいだけど改善しなかった。今、うっすらと思い出したけど、深夜、家から一人で勝手に抜け出した時があったよ。家の前の公園で楽しそうに遊んでいる子供たちの声がしたんだ。みんなで楽しく遊んだよ。ただ全員、犬や猫や鳥の顔をしていた。これ、端から見ると完全に解離性遁走ってやつだよね? そんなぼくを見かねて、お父さんのお父さん、今は亡くなったぼくのおじいさんが自分の田舎で暮らすようすすめてきたんだ。そうしたら環境のおかげか、年齢のせいかだんだんとそういったことも減ってきた」
「流時くん。さっきも言ったけど」
美津亜ちゃんが静かに言葉を差し挟む。
「流時くんはきっと霊感ってモノがあるんだと思う」
ぼくは頷いた。苦笑して、
「そうかも。そうなのかもしれない」
今はもう認められる。美津亜ちゃんは重ねて問いかけてくる。
「だから、民俗学とかに興味持ったの?」
「うん……あれはなんだったんだろうって思いがずっと自分の根っこにある気がする。幻覚なのか、本当に存在するのか。お化けや妖怪ってなんなんだろうって」
「わたし、いつか流時くんとディズニーランドに行きたい」
「え?」
「人混みは嫌いだけど、流時くんとだったら我慢できる気がする」
「ん?」
唐突な話題の変更にぼくは混乱する。でも、こういう時、美津亜ちゃんの中では常に一貫した話の筋が通っているんだ。
家の内も外も騒がしくなり、大人たちが叫んだり、焦った声で廊下を行き来している中、美津亜ちゃんははっきりとぼくの目を見て言ってきた。
「だから、早く当たり前の生活に戻りたい。この変な、気持ち悪い出来事を終わらせて。流時くんが終わらせて」
「え?」
思わずぽかんとしてしまう。
「ぼく、が?」
美津亜ちゃんは頷く。強く。
「流時くんはずっと言っていた。スティーブンさんが、サングラスのあの人が、黒い服の女が、鍵になっているって。でも、わたしはそうは思わない。一番の鍵になっているのはきっと石川流時。あなただと思う」
「……」
「霊感のある流時くんがこの島に来たのもきっと偶然じゃない。そのファイルが流時くんのところに届いたのもきっと必然。誰かからなにかを託されたんだよ」
同世代の女の子に。
いいや、家族以外の人間にここまで真っ直ぐに信頼を表明されたことなんて今まで一度もなかった。もしかしたら今後もないのかもしれない。
ぼくは小刻みに頷いた。震えが走る。怯えの中にほんの少しの高揚があった。
「分かったよ。今、できる精一杯のことをしてみよう」
考えてみた。サングラスの男、浅永貴文を捕まえるのはこの状況では難しい。同じく人間なのかさえ怪しい黒衣の女の人とコンタクトを取るのもどうすれば良いかまるで分からない。
今、確実に居場所が分かるのは――。
「美津亜ちゃん。西符神社ってどこ?」
さっき土方さんとの通信で知ることができた。民俗学者であり、大上雅也の弟子であるスティーブン・ウエイバードならどこにいるか分かる。美津亜ちゃんは張り詰めた声で答えた。
「ここから一番、近い神社。初日にわたしたちが出会ったところ」
あそこか。
ならば、歩いて十分。
走れば五分くらいだ。
美津亜ちゃん自身もぼくが次になにを言うか予測できたのだろう。小さく震えている。
ぼくはそんな美津亜ちゃんに向かって告げた。
「スティーブンにこのタブレット……ファイルを持って行く。それでなにか変わるかもしれない」
それは手つなぎ鬼たちがうろつくこの地区を突っ切っていくことを意味していた。
「いこう」
美津亜ちゃんが言う。
「あ、でも、美津亜ちゃんまで一緒に行く必要は」
ぼくが慌ててそう制止しようとすると美津亜ちゃんは震えながらも、にこっと笑って、
「いく。わたし、絶対、ついていく。流時くんが行くなら、絶対。言ったでしょ? わたしはこの島のあなたの専属ガイド」
ぼくは気圧されるように頷いてしまった。




