13話 美津亜ちゃんを探して
本当に変な話なんだ。
ただ島の別地区に女の子一人を車で迎えにいくだけなのに。
本来なら〝気をつけて〟もなにもないはずだ。それなのに真知さんが運転するミニバンの中は重苦しい沈黙に包まれていた。ただフロントガラスを叩く雨音と付着した水滴を拭うワイパーの音だけが規則正しく聞こえてくる。
ハンドルを握る真知さん以外はぼくもお父さんも池崎さんもずっとスマホに目を落としていた。多分、それぞれ他の人と通信を試みようとしているんだ。
だけど、なかなかそれに成功しない。雨のせいか、それともなにか違う要因でもあるのか、電波事情はますます悪くなっていくばかりだった。
一回だけ池崎さんのスマホが島の消防団の一人とつながったけど、それもろくに話ができないまま、五秒くらいで切れてしまった。
ぼくはある段階で諦め、ただずっと美津亜ちゃんのことばかり考えていた。それからしばらく木々が左右に押し迫った細い道を走り、十分くらいで、
「ここが舞来です」
真知さんが言った。開けた傾斜地にちらほらと家が建ち並んでいる。全部で二十軒くらい。その全てに明かりが灯っていた。
(人、いるんだよな?)
ぼくは曇った窓ガラスにおでこを押しつけるようにして、外の薄暗い景色を観察した。
「あ」
ふいに助手席に座っていた池崎さんが声を上げた。どきっとして前を振り向くと、カッパを羽織った男性が二人、道ばたに立っているのがフロントガラス越しに見えた。
黄色いヘッドライトに照らされ、こちらに向かってしきりに手を振っている。
真知さんは車をゆっくりと止め、運転席の窓ガラスを電動で下げながら、
「山口さん!」
声をかけた。頭頂部がきれいにハゲ上がったおじさんが雨の飛沫と外の涼しい空気をまとって顔を覗かせてきた。
「真知ちゃん。あんたも気になってきたのかい?」
にこにこと愛想の良い笑いを浮かべているものの、心の底から困り果てているような感情がはっきりと伝わってきた。真知さんが小刻みに頷き、
「山口さんのところも?」
「娘の一家と連絡取れなくなってね。さっき家に行ったけど誰もいなかった」
その時、もう一人のひげ面の男性が苛立ったように声を上げた。
「オヤジ!」
山口さん、と真知さんから呼ばれた男性は〝分かってるよ〟とでもいうようにその若い男性に片手をあげると、
「ま。というわけだ。俺たちもこれからちょっとそこらを探してみるよ。なんか分かったら教えて」
そして車体から距離を取った。真知さんは電動の窓を閉めながらアクセルを踏み、車をゆっくりと発進させる。
〝娘さん一家が家にいなかった〟
という山口さんの言葉がぼくたちの緊張感を高めていった。車は坂道を登っていく。何回かハンドルを切り返してすぐに目的の場所に着いた。
「ここです」
隣にビニールハウスのある青い屋根の家だった。
「やだ」
真知さんが呻くように言った。その声音にははっきりとした恐怖が入り混じっていた。
ぼくもぞっとしていた。
その家のドアは無防備に開け放たれ、中から煌々とした明かりが薄暗い玄関先に溢れ出てきていた。
その光景は明らかになにか異変が起こったことを意味していた。
真知さんはエンジンを切るともどかしげに運転席のドアを開け、降りしきる雨の中へと飛び出していった。お父さん、池崎さん、ぼくも次々とぬかるんだ地面に降り立つ。
「丸本さん! ごめんくださーい!」
真知さんは呼び鈴を押し、その合間に首だけ家の中に突っ込み、何度も、何度も大きな声で呼びかけた。
室内からはなんの返事もなかった。
「美津亜! いるの? 丸本さん! すいません。美津亜!?」
「真知さん」
そんな真知さんを見かねたかのように池崎さんが軽くその肩に手を置き、首を横に振って言った。
「残念ながらこれはもう非常事態です。礼儀作法としてはまるでなってないですが、とりあえず中に入りましょう」
お父さんが低い声で言い添えた。
「靴、履いたままで、な。泥だらけになるかもだけどしかたねーな。怒られるならあとで全部、俺が引き受けるから」
真知さんは貧血でも起こしたように少しふらついた。池崎さんがそれを後ろから力強く支えて頷く。お父さんは続けて指示を出した。
「駿介、おまえは真知さんと二階を見て来てくれ。俺は一階を見て回る。流時、俺より前には絶対に出るなよ?」
「――はい」
ぼくは額にしたたってきた雨を手で拭いながら、小さく返事をした。声が軽く震えているのが自分でも分かった。お父さんは口元で小さく微笑み、〝だいじょうぶだよ〟というようにぽんぽんと手の平でぼくの頭を叩いた。
「美津亜! どこ!?」
いったん決心がついたらもう躊躇がなくなったのか、真知さんは放たれた矢のように家の中に飛び込み、階段を一気に駆け上がっていく。
「あ、ちょっとまって!」
慌てたように池崎さんがそれを追いかけた。お父さんが確認を取るようにぼくを振り返ってきたので、ぼくもゆっくりと頷き返した。
お父さん、ぼくの順で廊下にあがる。土足のまま、というのがやっぱり少し後ろめたかったけど、お父さんがそう言った理由はよく分かっていた。
いざという時、なにかあった時に動きやすくするためだ。
(美津亜ちゃん……どこだろう?)
一階には台所や洗面所、居間らしき部屋がある。どこも電気がつけっぱなしだった。
「おかしいな」
お父さんが膝をついて確かめていた。ぼくも同じタイミングで気がついていた。
「誰か、先客でもいたのかな?」
廊下のあちらこちらに足跡らしい泥や土の汚れが付着している。お父さんは立ち上がり、強ばった笑いで周囲を見回した。
「しかも相当、お行儀が悪いやつみたいだぞ……あるいはやつらか」
今、立っている位置からだと台所の半分くらいしか見えていないけど、中でテーブルが不自然なほど流しに近い位置に押しつけられ、その上に置かれていたと考えられるポットや新聞紙、お皿が床にぶちまけられているのが分かった。
まるで誰かが激しくテーブルにぶつかったような感じだ。
「さて、どこから探検しようか」
お父さんがそう小さく呟いたその時。
「先輩! 見つかりました! 珠紀ちゃんがいました!」
二階から池崎さんの呼ぶ声が聞こえた。お父さんはぱっと嬉しそうに顔を上げ、
「まじか? 流時、行くぞ!」
ドタドタと駆け出した。ぼくも明るい気分になって追いかけようとしたけど、
「……」
自分でも理由が分からず、二、三歩、歩き出して足を止めてしまう。
知らず知らず、首を横に向けている。そこにはトイレらしい扉があった。
なぜか、その中が気になって仕方がない。
扉の向こうからなにか黒い粒子のようなものが吹き上がっているような錯覚を覚えた。前触れなくさっきまで自分が目の当たりにした光景が次々と頭の中でフラッシュバックしていく。
車の中の不安そうなみんなの顔。大粒の雨。昼寝から目覚めたときの薄暗い景色。
そして。
開け放たれた玄関に現れた黒い服の女の人。
その時は全く聞き取れなかったけど、今、唐突に理解できた。
あの女の人はこう言っていたんだ――。
笑いながら、
〝もう始まっちゃった〟
と。
どん!
ふいに大きな爆音と共にドアが軋むほどの衝撃が目の前で走った。ぼくはびっくりして思わず反対側の壁に張りついていた。
どん!
どん!
どん!
まるで中から拳で叩いているような――いや、違う。まるで中から体当たりでもしているような強烈な振動が何度も、何度も続く。
ぼくが目を見開いて固まっていると、
「だめえ!」
二階から女の子の声が聞こえてきた。
「ぜったい、そこ、開けちゃだめええ!」
多分、この家の珠紀ちゃんという子だ。恐怖に満ちた声でひたすら絶叫している。
ぼくは為す術もないまま、ただじっとそこに立ち尽くしていた。気がつけばいつの間にか二階から降りてきていたお父さんと池崎さんがぼくの周りに立っていた。
「……なんだ、こりゃあ」
お父さんが振動している扉を見ながら口元を右の拳で押さえて呻く。
「……」
池崎さんは絶句していた。そしてぼくらが見守る中でだんだんと中からぶつかる力は弱まっていき、やがて完全に途絶えた。
皆、言葉を失ったままだった。




