いい男⑧ リオと白い鳥(後)
◇
しばらくして。
「待たせた」
リオが戻ってきた。
その手には。
かなりの額の金があった。
「……」
マルタの顔が引きつる。
「お嬢様」
「何?」
「そんなお金、どこから?」
「作ってきた」
「どうやって?」
「質屋」
「何を入れたんです?」
「宝石」
「宝石?」
マルタが首を傾げる。
そして。
何かに気づいた。
自分の荷物を見る。
開ける。
探す。
「……」
もう一度探す。
「……お嬢様」
「何?」
マルタの声が低くなった。
「私の宝石がないのですが」
「うん」
「……」
「おまえの宝石、質入れしてきた」
「はぁ!?」
カジノ中に響くほどの声だった。
「馬鹿か!?」
「うるさいなぁ」
「あれは私が嫁入りの支度金に用意したもんでしょ!」
「知ってる」
「知ってて質に入れたのか!」
「どうせ使うあてもないから、ここで使う」
「……」
マルタが固まる。
「いま」
「何?」
「いま、なんて言った?」
「だから――」
「言ってみろ。もう一回言ってみろ」
「怖い怖い」
「誰のせいだ!」
マルタがリオへ掴みかかる。
「返せ! 今すぐ返してこい!」
「勝てば増えて戻ってくる!」
「その発想してる奴が勝てるわけねぇだろ!」
「うるさい!」
リオはマルタを振り払い。
クローサを指差した。
「そこのイカサマ野郎!」
「……」
「もう一回勝負だ!」
クローサが少し驚き。
やがて笑った。
「まだやるのかい?」
「当然」
「お嬢様!」
マルタが背中からしがみつく。
「ほんと馬鹿! やめて!」
「離して!」
「嫌だ!」
「ロルフ、こいつ剥がして!」
「今回はマルタさんが正しいと思います!」
「役立たず!」
「酷い!」
リオはマルタを引きずりながらルーレット台へ戻った。
そして。
質屋で作った金を、すべてチップへ換える。
「……」
かなりの量になった。
マルタの顔が青ざめる。
「私の結婚資金が……」
「勝てば増えるから」
「増える前に消えそうなんだよ!」
◇
リオは席についた。
もうセイヤは見ない。
クローサだけを見る。
「さっきの癖は、もう使わないんでしょ?」
「さて」
クローサは笑うだけだった。
「ならいい」
「何が?」
「投げてから決める」
リオはルーレットを見る。
「どこに入るかなんて、あんただって投げるまでは分からない」
「……」
「だったら」
リオはチップに手を置いた。
「最後は勘で勝負する」
「お嬢様……」
ロルフが不安そうに見ている。
マルタはもう頭を抱えていた。
「終わった……私の嫁入り……」
「まだ終わってない!」
「お前が終わらせようとしてんだよ!」
クローサが球を手に取る。
「賭けをどうぞ」
リオは盤面を見る。
赤。
黒。
そして数字。
「……」
どこだ。
どこに落ちる。
根拠などない。
ただの勘。
リオは一つの数字を指差した。
「ここ」
「一つだけ?」
「一つだけ」
そして。
全額。
置いた。
「お嬢様ぁ!」
マルタの悲鳴が上がる。
「うるさい!」
クローサが笑った。
「随分と思い切ったね」
「勝負の女神だからね」
「まだ言うんだ」
「最後に勝った奴が勝者なの」
「なるほど」
クローサは球を投げ入れた。
円盤が回る。
リオは食い入るように見る。
球が高速で周回する。
「……」
もう投げた。
これで。
クローサにだって、どこへ落ちるかは分からない。
あとは。
運。
リオはそう思っていた。
だが。
ルーレット台の内部。
人の目には見えない場所に、小さな仕掛けがあった。
磁石。
そして。
球の内部には、それに反応する金属が仕込まれている。
投げたあとでも。
落ちる位置を、ある程度なら操ることができた。
クローサの手が。
卓の下へ伸びる。
口元がゆっくりと吊り上がった。
「今日も……」
小さく。
誰にも聞こえない声で呟く。
「馬鹿がかかった」
◇
球は勢いを失いながら、円盤の内側を跳ねていく。
「……」
リオは息を止めて見つめた。
狙った場所。
ただ一つ。
そこに全額を置いた。
けれど。
「……あ」
球の軌道は。
明らかに違う。
リオの顔から血の気が引いた。
「ちょ、ちょっと待って……」
マルタも気づく。
球はさらに減速し。
リオが賭けた数字とは違う場所へ近づいていく。
「いやいやいやいや」
リオが立ち上がった。
「そっちじゃない!」
「お嬢様!」
「違うって! そっちじゃない!」
だが。
球は止まらない。
クローサはそれを見ながら笑っていた。
もう。
勝った。
その顔だった。
セイヤも隣で口元を緩めている。
「……」
マルタの視線が。
球から。
賭けられた大量のチップへ向く。
自分の宝石。
自分の嫁入り支度金。
そのすべてが。
今。
消えようとしている。
「私の……」
「マルタ?」
「私の……」
マルタの顔が歪む。
「私の結婚資金ぃぃぃぃぃぃぃ!」
「うるさい!」
「誰のせいだ!」
球が。
一つのポケットへ落ちかける。
リオの賭けた場所ではない。
「……」
リオも。
さすがに言葉を失った。
「……終わった」
クローサの口元がさらに吊り上がる。
今日も。
馬鹿が一人。
綺麗に引っかかった。
そう思った。
その瞬間。
「ぶくしゅっ!!」
轟音。
「っ!?」
「きゃっ!」
「うわ!」
ロルフの大きなくしゃみが、ルーレット台のすぐ横で炸裂した。
大きな体が勢いよく前へ揺れる。
卓が。
ほんのわずかに。
がたん、と震えた。
そして。
まさにポケットへ落ちようとしていた球が。
一度。
跳ねる。
「え?」
ころん。
隣へ。
「……」
誰も動かなかった。
リオが。
ゆっくりと。
盤面を見る。
マルタも。
ロルフも。
セイヤも。
クローサも。
全員が同じ場所を見る。
球が入っていた。
そこは。
リオが。
全額を賭けた数字だった。
「……」
「……」
「……」
数秒。
静寂。
「……当たった?」
リオが呟く。
マルタが目を見開いた。
「当たってる……」
ロルフが鼻をすすった。
「す、すみません……」
次の瞬間。
「やったぁぁぁぁぁぁぁ!」
リオが両手を突き上げた。
「勝った!」
「え?」
「勝った! 勝った! 勝った!」
椅子から立ち上がり、その場で跳ねる。
「私の勝ち!」
「結婚資金ぃぃぃぃ!」
今度はマルタも別の意味で絶叫した。
「戻った! 戻ったぁ!」
「マルタ!」
「何よ!」
「増えた!」
「当たり前だろ! 全額一点賭けしたんだから!」
「じゃあもっと豪華に嫁入りできるね!」
「まず質屋から取り戻してこい!」
リオは笑いながら、払い戻されるはずの大量のチップを見る。
大勝ちだった。
ただ。
一人だけ。
笑っていない男がいた。
「……」
クローサだった。
「そんな……」
目の前の球を見る。
「そんな馬鹿な……磁石は――」
「うん?」
リオがぴたりと動きを止める。
「……磁石?」
「……」
クローサの顔が固まった。
リオの目が細くなる。
「今、磁石って言った?」
「い、いや」
「言ったよね?」
「聞き間違いだ」
「へえ」
リオはにっこり笑った。
「ロルフ」
「はい?」
「ちょっと台を拝見して」
「え?」
「下とか中とか。なんか仕掛けないか見て」
「分かりました」
「ま、待て!」
クローサが慌てて身を乗り出す。
「勝手に触るな!」
「なんで?」
リオが首を傾げた。
「何もないなら困らないでしょ?」
「それは店の設備だ!」
「じゃあ店の人に見てもらおうか」
「……!」
周囲がざわつき始める。
「磁石って言ったよな?」
「俺も聞いたぞ」
「まさかイカサマか?」
「店の奴呼べ!」
騒ぎを聞きつけ。
やがて店の従業員たちが駆けつけた。
問題のルーレット台が調べられる。
そして。
「……ありました」
一人が声を上げた。
「内部に細工があります」
「球の方にも金属が」
ざわっ。
店内の空気が一変した。
「イカサマだ!」
「ふざけやがって!」
「俺たちもやられてたんじゃないのか!」
客たちの怒号が上がる。
クローサの顔は青ざめた。
その横で。
セイヤがそっと後ずさる。
「……」
リオが気づいた。
「どこ行くの?」
「え?」
「年老いたお母さんが待ってるセイヤさん」
「……」
「一緒に説明してもらおうか」
セイヤの顔も引きつった。
◇
騒ぎが収まるまでには、しばらくかかった。
クローサとセイヤは店の者に取り押さえられ、問題のルーレット台も封鎖された。
その後。
リオたちは、カジノの奥にある応接室へ通された。
向かいに座っているのは、テーアィのオーナーだった。
男は深々と頭を下げる。
「このたびは、当店で重大な不正が行われていたことを、心よりお詫びいたします」
「うん」
リオは腕を組んでいる。
「確認したところ、クローサが当店に無断で設備へ細工を施し、外部の人間と組んで客を誘い込んでいたことは間違いありません」
「セイヤのことね」
「はい」
オーナーは再び頭を下げる。
「当然ながら、不正のあった勝負はすべて無効とさせていただきます。お客様がお持ちになった元金は全額返還し、それとは別に当店から多少の慰謝料を――」
「嫌」
リオが即答した。
「……はい?」
「それじゃ嫌」
オーナーの眉がわずかに動く。
「ですが、不正のあった台で行われた勝負です。不正な勝負そのものを成立したものとして扱うことは――」
「最初の負けはそれでいいよ」
「お嬢様?」
マルタが横を見る。
「最初に騙されて取られた分は返してもらう。それは当然」
「はい」
「でも最後の勝負は別」
リオが身を乗り出した。
「あいつ、私を負けさせるためにイカサマしてたんでしょ?」
「……そのようです」
「それでも勝ったのは私」
「ロルフのくしゃみですけど」
「今それ言わなくていいから」
「事実でしょう」
リオはマルタを無視して続ける。
「私が負けてたら、あんたたちはどうしてた?」
「それは……」
「私が何も気づかなかったら?」
オーナーが黙る。
「そのまま金を取られて終わりだったよね」
「……はい」
「あとから私が『怪しいから返して』って言ったって、証拠がなければ返してくれなかったでしょ?」
「当然、調査はいたしますが……」
「でも返すとは言えない」
「……」
「なのに」
リオは卓を指先で軽く叩いた。
「負けた時のリスクは全部こっち。それなのに、イカサマなしで勝った私たちが、勝った途端に『不正があったから無効です』って言われるのは違わない?」
「しかし、不正な設備を使った勝負で――」
「不正したのは私じゃない」
ぴしゃりと言った。
「私は普通に賭けた」
「……」
「相手は私を負けさせようとした」
「はい」
「それでも私が勝った」
リオはにっこり笑う。
「なら、払い戻してよ」
「金額が金額ですので……」
「だから?」
「通常の払い戻しとして認めるには、こちらとしても――」
「勘違いしないで」
リオが遮った。
「私たち、ゆすりたいわけじゃないよ」
「……」
「保証金をもっと寄越せとも言ってない」
マルタが横でリオを見る。
先ほどまで自分の嫁入り用の宝石を勝手に質へ入れていた女とは思えないほど、声は落ち着いていた。
「私が言ってるのは、すごく単純」
リオは指を一本立てた。
「勝った分を払って」
「……」
「それだけ」
「しかし――」
「払ってくれたら、私たちはそれ以上何も求めない」
オーナーの表情が変わった。
「……何も?」
「うん」
リオは椅子の背にもたれた。
「ここ、有名なカジノなんでしょ?」
「……はい」
「セントハイムでも名前が通ってる」
「ありがたいことに」
「そんな有名なカジノに、イカサマ師が入り込んでた」
「……」
「ルーレットには磁石が仕込まれてて、外の男と組んで客を誘い込んでた」
リオは首を傾げる。
「これ、大変じゃない?」
「……」
「もちろん、店ぐるみじゃないのは分かってるよ」
「ありがとうございます」
「でも」
リオの笑顔は崩れない。
「外の人が、そこまで丁寧に考えてくれるかな?」
「……」
「『テーアィではルーレットに磁石を使って客から金を巻き上げていた』」
オーナーの頬がわずかに引きつる。
「そんな話が広まったら、嫌でしょ?」
「……それは」
「もっと嫌なのは」
リオが続ける。
「そのイカサマを見破った客が勝ったのに、店が払い戻しを拒否したって話まで付くことじゃない?」
「……」
部屋が静かになる。
「私たちも、騒ぎを大きくしたいわけじゃないよ」
リオは肩をすくめた。
「それに保証金をもっとくれと言っているわけでもない」
「では……」
「私たちが勝った」
一拍。
「ただ、それだけにしておけば互いにいいことばかりじゃない?」
「……」
「そっちは普通に勝ち分を払う」
「……」
「私たちは今日、運よく大勝ちした客」
「……」
「イカサマなんて見なかった」
リオが笑った。
「それで終わり」
しばらく。
誰も喋らなかった。
やがて。
オーナーが深く息を吐いた。
「……分かりました」
リオの眉が上がる。
「最後の勝負については、正式な勝ちとして扱います」
「ほんと?」
「はい。規定通り、全額を払い戻します」
リオの顔がぱっと明るくなった。
「やった!」
「お嬢様」
マルタが冷めた目を向ける。
「急に戻りましたね」
「何が?」
「さっきまで別人のようにまともだったのに」
「私はいつでもまともだよ」
「それはありません」
◇
しばらくして。
リオたちは正式な払い戻しを受け取った。
「……」
卓の上に並べられた金を見て。
リオの目が輝く。
「すご……」
「最後の一点賭けが大きかったですからね」
ロルフも感心したように眺めている。
マルタだけは腕を組んだまま、じっとその金を見ていた。
「お嬢様」
「何?」
「忘れていませんよね?」
「何を?」
「元本」
「……」
「私の結婚資金です」
「ああ」
「ああ、ではありません」
リオは少し考えたあと。
にっこり笑った。
「倍にして返すよ」
「はい?」
「倍」
指を二本立てる。
「それなら文句ないでしょ?」
「勝手に質へ入れたことについては?」
「増えたんだからいいじゃん」
「よくありません」
「細かいなぁ」
「どこがですか!」
リオは大量の金へ視線を戻した。
そして。
ゆっくり。
口元が緩んでいく。
「……これだけあれば」
「お嬢様?」
「まだまだ遊べるね」
「……」
「……」
マルタとロルフが揃って黙った。
そんな二人をよそに。
リオは満面の笑みを浮かべた。




