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アーネム戦記外伝 目指せ!世界一の歓楽街  作者: Tanu1016


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5/9

いい男⑤ 恋の女神からまともな姿を奪われた女たち

◇


 その夜。


 いつもの酒場。


 卓上には、パン、腸詰め、豆の煮込み、チーズ。


 そして酒が並んでいた。


「で」


 席につくなり、リオが身を乗り出した。


「約束」


「はいはい」


 ティアが呆れたように杯を持つ。


「あんたが言ってた役者、ロナルドでしょ?」


「そう!」


「任せときなさいって」


「本当に?」


「知り合いだから。今度紹介してあげる」


 リオの顔が一気に明るくなる。


「ティア、大好き!」


「安いわねぇ」


 その横で。


「……私の方も」


 マルタが静かに口を開いた。


「忘れてないわよ」


 ティアが笑う。


「そっちも若手を三、四人連れてくる」


「三、四人……」


 マルタの目が輝いた。


「若い?」


「若い」


「役者?」


「役者」


「独身?」


「たぶん」


「……」


 マルタが口元を押さえる。


 ずるっ。


「今、涎すすった?」


「すすってません」


「出てたよ」


「気のせいです」


「二十八年彼氏なしは伊達じゃないわね」


「余計なお世話です!」


 リオが杯を掲げる。


「じゃあ!」


 三人の杯が上がった。


「ティアの合格と!」


「私の未来と!」


「私たちの男に!」


「最後だけ最低ですね!」


「乾杯!」


「乾杯!」


「……乾杯!」


 三つの杯が勢いよくぶつかった。


     ◇


 酒盛りは続いた。


 一杯。


 二杯。


 三杯。


 オーディションの話。


 芝居の話。


 男の話。


 ティアがこれまで落ちてきた劇団への悪口。


 マルタが好きな恋愛劇の話。


 リオは途中から、ほとんど男の話しかしていなかった。


 気がつけば。


「あ」


 ティアが時計を見る。


「やば。もう十時じゃん」


「まだ十時じゃん」


「明日早いのよ」


 ティアは残っていた酒を飲み干した。


「帰る」


「えー」


「もうですか?」


「明日から稽古なの」


 上着を手に取る。


「この役だけは絶対成功させたい」


 さっきまで酒を飲んで笑っていた顔が、少しだけ真面目になる。


「せっかくノイマン劇団で掴んだ役なんだから。絶対に成功させて、ここを足がかりにする」


「頑張ってね」


 リオが笑う。


「頑張ってください」


 マルタも頷いた。


「男の紹介、忘れないでくださいね」


「マルタ」


「大事です」


「ロナルドも!」


「分かってるって」


 ティアが笑いながら手を振る。


「じゃあね」


「またねー」


「おやすみなさい」


 酒場の扉が閉まる。


 リオとマルタは、しばらくそちらを見ていた。


「……」


「……」


「飲む?」


「飲みましょう」


「追加ー!」


挿絵(By みてみん)


 ロルフが小さくため息を吐いた。


     ◇


 それから、しばらくして。


 数人の若い男たちが酒場へ入ってきた。


 二十歳前後。


 身なりも悪くない。


 顔立ちも整っている。


 彼らは、ちょうどリオたちの隣の卓へ座った。


「……」


 リオの目が細くなる。


「お嬢様」


「何?」


「今、目が変わりましたね」


「変わってないけど?」


 リオは髪を整えた。


 そして少ししてから、何食わぬ顔で男たちへ近づいていく。


「あのぉ……」


 声が変わった。


 首を僅かに傾げる。


 上目遣い。


「ここ、座ってもいいですかぁ?」


「え?」


「私ぃ、旅の途中なんですけどぉ……」


 男たちを見回す。


「知らない街って、ちょっと寂しくてぇ」


「もちろん」


 一人の男が椅子を引いた。


「どうぞ」


「ありがとうございますぅ」


 完全に。


 化け猫の皮を被った。


     ◇


 しばらくして。


 リオはすっかり男たちの卓へ馴染んでいた。


「へえ、じゃあ皆さんニコスの人なんですかぁ?」


「そうだよ」


「俺たちは昔からの知り合いでね」


「素敵ですねぇ」


 柔らかく笑い。


 時折、相手の腕へ軽く触れる。


「リオさんはどこから?」


「遠いところですぅ」


「旅してるんだ?」


「そうなんです。怖いこともいっぱいあってぇ」


「大変だね」


「でも」


 リオが男の顔を見上げる。


「こうして優しい人に会えると、旅しててよかったって思いますぅ」


「…………」


 男の頬が少し赤くなった。


 男たちも、満更ではない様子だった。


 一人がふと、少し離れた卓を見る。


「あの……」


「はい?」


「お連れの方、大丈夫ですか?」


「連れ?」


 リオが振り返る。


 マルタは一人で酒を飲んでいた。


 かなり酒が入っているらしい。


 頬も赤い。


「ああ」


 リオがにっこり笑った。


「おばさんにも優しいなんて素敵」


「いや、そんなことは……」


「…………」


 マルタの動きが止まった。


「おばさん?」


 リオは気づいた。


 気づいた上で。


 調子に乗った。


「きっと年だから疲れたんですよぉ」


「お嬢様」


 ロルフが小声で止める。


「やめた方が……」


「二十八ですからぁ」


「聞こえてますよ」


「耳はまだ大丈夫みたいですぅ」


 男たちが困ったように笑う。


 ごとん。


 マルタが杯を置いた。


「……おい」


 リオが振り返る。


「なぁに?」


「リオ」


 マルタがゆっくり立ち上がった。


「化け猫の皮被ってんじゃねえぞ」


「…………」


 男たちが止まる。


 リオは一瞬だけ真顔になった。


 だが、すぐに男の腕へ身を寄せる。


「きゃー」


 わざとらしく肩をすくめた。


「おばさん怖ぁい」


 マルタの額に青筋が浮かぶ。


「洗濯板のクソビッチ、表出ろ」


「……」


 リオの笑顔が消えた。


「はぁ?」


 声も元に戻る。


「お前、今なんて言った?」


「聞こえなかったか?」


 マルタが鼻で笑う。


「洗濯板のクソビッチ」


「……」


「事実だろうが、この絶壁」


「てめぇ……!」


 リオが立ち上がった。


「お前、主人に向かって言う言葉か?」


「はぁ?」


「少々胸に脂ついてるからって調子に乗んな!」


「なんだと!」


「主人らしいこと何にもしてねぇじゃねえか!」


 マルタがリオを指差す。


「だいたい、お前が遊び惚けるから私は男もできねぇ! 結婚もできねぇ!」


「性格の問題を私のせいにすんな!」


「なんだと、この絶壁!」


「てめぇ!」


「まあまあ!」


 若い男たちが慌てて立ち上がった。


「その辺にしましょうよ」


「そうですよ。せっかく楽しく飲んでたんですから」


 一人がマルタを宥めようと近づく。


「ほら、お連れの方も酔って――」


「黙れ、小僧」


「え?」


 マルタが据わった目で男を見る。


「誰がおばさんだ」


「いや、俺は一言も――」


「うるせぇ!」


 ばしゃっ。


「……」


 杯の中の酒が。


 男の顔面へ、見事にぶちまけられた。


「…………」


 酒場が静まり返った。


 男の髪から、ぽたぽたと酒が落ちる。


「マ、マルタさん……」


 ロルフが青ざめた。


「何すんだ、この人!」


「そいつが余計なこと言うからだろうが!」


「言ってないだろ!」


「マルタ!」


 リオがマルタの肩を掴む。


「関係ない奴に何してんだ!」


「あ?」


 マルタが振り返った。


「元はといえば、お前が――」


「こっち見んな、酔っ払い!」


「誰が酔っ払いだ!」


「お前だよ!」


「お前もだろうが、クソビッチ!」


「また言ったな!」


 リオがマルタの胸倉を掴む。


「上等だ!」


 マルタも掴み返した。


「お二人とも!」


 ロルフが慌てて止めに入る。


 だが。


 椅子が倒れた。


「このっ!」


「痛っ! 髪引っ張んな!」


「先に離せ!」


「お前が離せ!」


「表出ろ!」


「ここでやってやる!」


「やめてくださぁぁぁい!」


 二人はそのまま床へ転がった。


 取っ組み合いの大喧嘩。


 若い男たちも。


 店員も。


 周囲の客も。


 総出で二人を止める騒ぎになった。


 その夜。


 ニコスの片隅にある酒場は、大いに荒れた。


     ◇


 翌朝。


「……頭痛い」


 リオが寝台の上で目を覚ました。


 口の中が乾いている。


 頭の中では鐘でも鳴っているようだった。


「……水」


 隣の寝台から、マルタの声がした。


「気持ち悪いです……」


 二人とも酷い二日酔いだった。


 昨夜の記憶も曖昧だ。


 ティアが帰った。


 そのあとも飲んだ。


 隣に若い男たちが来た。


 リオが近づいて話しかけた。


 そこまでは覚えている。


 だが。


「……」


「……」


 二人が顔を見合わせる。


「そのあと覚えてる?」


「ほとんど……」


「私も」


 何か騒いだような気はする。


 言い争ったような気もする。


 それ以上は、霞がかかったように思い出せなかった。


 ただ。


「……なんか」


「はい」


「やらかした気がする」


「奇遇ですね。私もです」


「おはようございます」


 声がして、二人が振り向いた。


 ロルフが椅子に座っていた。


「……」


「……」


 リオが目を細める。


「ロルフ」


「はい」


「顔どうしたの?」


 頬には青い痣。


 額にも赤く腫れた跡がある。


 口元にも小さな傷までできていた。


「誰かに殴られた?」


「お二人です」


「……え?」


「はい?」


 ロルフは無表情だった。


「昨夜、お二人を酒場から宿まで連れて帰りました」


「連れて?」


「お二人とも、まともに歩けませんでしたので」


 ロルフは両腕を広げる。


「両脇に抱えて帰りました」


「……ご苦労様」


「申し訳ありません……」


「ですが、帰る途中もずっと暴れておりまして」


「…………」


「リオ様の肘が頬に」


「……」


「マルタさんの頭が額に」


「……」


「最後は、どちらかの拳まで飛んできました」


「どっち?」


「分かりません」


 二人がそっと視線を逸らした。


「……ごめん」


「申し訳ありません」


 ロルフは深く息を吐いた。


「それで」


「まだあるの?」


「はい」


 二人の顔が引きつる。


「まず、昨夜の酒場は出入り禁止になりました」


「…………」


「…………」


「やっぱり」


「嫌な予感は当たりましたね……」


「それから」


 ロルフが続ける。


「隣に座っていた男性たちですが」


「ああ……」


 リオが額を押さえた。


「なんか若い男たちがいたのは覚えてる」


「私も、その辺りまでは」


「あの方たち」


 ロルフは言いにくそうに口を開いた。


「若手の俳優さんたちだったようです」


「……」


「……」


 二人の動きが止まった。


「俳優?」


「はい」


「ニコスの?」


「はい」


「有名?」


「若手では、かなり有力な方々だそうです」


「…………」


 マルタがゆっくり尋ねた。


「ちなみに」


「はい」


「私は、その方々に何を?」


「一人の方の顔に酒をかけました」


「…………」


「『誰がおばさんだ』と」


「…………」


「その方は、おばさんとは一言も仰っていませんでしたが」


「…………」


 マルタがゆっくり毛布を頭まで被った。


「死にたい……」


「昨日まで若手俳優を紹介してもらうって涎垂らしてたのに」


「言わないでください……」


「私だってロナルド紹介してもらう予定だったのに」


「お二人とも、それどころではないと思います」


「まだあるの?」


「昨夜の騒ぎは、かなり広まっています」


「……どのくらい?」


「若手の有力俳優に酒を浴びせ、旅人の女二人が酒場で取っ組み合いの大喧嘩をした、と」


「…………」


「…………」


「リオ様が、その前に男性たちへかなり馴れ馴れしくされていたことも含めて」


「もういい」


 リオが手を上げた。


「それ以上聞きたくない」


「私もです……」


 長い沈黙。


 やがて。


 リオがマルタを見る。


「マルタ」


「はい」


「ニコス出ようか」


「賛成です」


「今日?」


「今すぐに」


「だよね」


 ロルフが呆然と二人を見る。


「逃げるのですか?」


「戦略的撤退」


「逃亡です」


「どっちでもいいから荷物まとめよ」


     ◇


 出発前。


 リオは宿の机に座り、ティアへ手紙を書いた。


『ティアへ。


 ノイマン劇団での成功を心から願っています。


 あなたには、これから大切な稽古があります。


 私たちがいつまでもニコスに滞在していては、あなたの集中を妨げてしまうかもしれません。


 よって、私たちは次の街へ向かうことにしました。


 ロナルドの件は、また機会があれば。


                リオ』


 マルタが横から覗き込む。


「立派な文章ですね」


「でしょ?」


「一言も嘘は書いていません」


「そうでしょ?」


「肝心なことも一言も書いていません」


「文章って便利だね」


「ですね」


 ロルフが荷物を背負う。


「本当に、ティアさんに会わずに出るのですか?」


「会えるわけないでしょ!」


 リオが即答した。


「昨日、若手俳優に酒ぶっかけたって聞かれたらどうすんのよ!」


「ぶっかけたのはマルタさんですが」


「同罪みたいなもんでしょ!」


「私まで巻き込まないでください!」


「取っ組み合ったのは一緒でしょ!」


「……」


「……」


「行こう」


「行きましょう」


 二人の意見が一致した。


 こうして。


 三人は逃げるようにニコスを後にした。


     ◇


 同じ頃。


 初稽古を終えたティアのもとへ、一通の手紙が届けられた。


「……何これ」


 開く。


 読む。


「……」


 最後まで読んだ。


「……逃げたな、あいつら」


 昨夜の騒動は、すでにティアの耳にも入っていた。


 旅人らしい女二人。


 若手俳優へ酒を浴びせ。


 酒場で大喧嘩。


 店から出入り禁止。


 そして今朝。


 宿から三人組が慌ただしく出ていったという。


「何が『集中を妨げてしまうかもしれません』よ」


 ティアは手紙を折った。


 少しだけ笑う。


「まあ、いいか」


 今日から本格的な稽古が始まった。


 ようやく掴んだ、ノイマン劇団での大きな役。


 聖女ではない。


 天使でもない。


 悪徳令嬢だった。


「……絶対、成功させてやる」


 ティアは胸を張って、稽古場へ戻っていった。


     ◇


 一方。


 ニコスから続く街道では。


「ロナルドぉ……」


「私の若手俳優が……」


「全部マルタのせいだからね」


「お嬢様が煽ったからでしょう!」


「酒ぶっかけたのはマルタ!」


「最初におばさんと言ったのはお嬢様です!」


「性格の問題を私のせいにすんな!」


「またそれを言いますか!」


「お二人とも!」


 顔に痣を残したロルフの悲鳴が、朝の街道へ響いた。


 リオたちの旅は、まだ続く。


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