いい男④ 努力しても届かない刃。それが才能。
翌日。
リオたちは、ティアが普段使っている小さな稽古場に集まっていた。
数日後に控えているのは、ノイマン劇団の新人発掘オーディションである。
ニコスの名門商会、ノイマン商会が運営する劇団で、専用の大劇場を持ち、これまで何人もの名優を世に送り出してきた。
役者を志す者にとって、ここで役を掴むことは大きな足がかりになる。
端役ばかりで鳴かず飛ばずだったティアにとっても、今回のオーディションは大きな勝負だった。
「じゃあ、やってみて」
「簡単に言うわね」
ティアが台本を開く。
今回、彼女が第一志望にしているのは清純な令嬢役だった。
一度目を閉じ、息を整える。
そして顔を上げた。
「――どうか、おやめください。争ったところで、誰も幸せにはなりません」
柔らかな声。
伏せられた目。
胸元で祈るように組まれた両手。
綺麗だった。
声は通る。台詞も淀みない。立ち姿も美しい。
しばらくして、ティアが演技を終えた。
「どう?」
「……」
「……」
リオとマルタが黙った。
「何よ」
「いやぁ……」
リオが首を傾げる。
「上手いとは思うんだけどね」
「ですよね」
マルタも難しい顔をしていた。
「ですが、何か違います」
「またそれ?」
「歌の時と同じです」
「どういうことよ」
マルタは少し考えた。
「シャンテさんは、目の前にいる誰かへ向かって歌っているように感じるんです」
「ティファが?」
「はい」
「こいつは?」
リオがティアを指差す。
マルタは少しだけ言葉を選んだ。
「自分を見てほしい、という感じがします」
「…………」
ティアの眉が動く。
「随分な言い方ね」
「綺麗な私を見て。上手に歌う私を見て。上手に演じる私を見て、と」
「ああ」
リオが頷いた。
「それだ」
「リオまで?」
「全部、自分なんだよね」
「じゃあ、どうしたらいいのよ」
「どうしたら?」
リオが考える。
マルタも考える。
「……」
「……」
「何よ。そこまで分かったなら、直し方も考えてよ」
「じゃあさ」
リオが何かを思いついたように顔を上げた。
「好きな人いる?」
「いるけど」
「お」
「五人くらい」
「…………」
「…………」
リオとマルタが止まった。
少し離れたところにいたロルフまでティアを見る。
「五人ですか?」
「今のところね」
「今のところ?」
「一人に決めなきゃいけないの?」
リオはしばらくティアを見つめた。
「……無理だね」
「ですね」
「何がよ!」
「こいつに人の気持ちを考えろって方が無理」
「失礼ね!」
「五人も好きな男がいる奴が何言ってんのよ!」
「好きになるのは自由でしょ!」
「そこじゃない!」
リオは額を押さえた。
「あんたが知ってる聖女でも天使でも思い浮かべなさいよ」
「聖女?」
「そう。別にエルでもいいわよ。幼なじみでしょ?」
「エルかぁ……」
ティアは少し考えた。
「まあ、あいつは一人しか見てないわね」
「でしょ?」
リオが指を差す。
「だから、あんたみたいに五人も六人もって奴には聖女は無理なのよ」
「五人よ」
「そこ訂正するとこ?」
「六人はいない」
「どうでもいいわ!」
その横で。
「…………」
マルタが、じっとリオを見ていた。
「何よ」
「何も申しておりません」
「顔が喋ってる!」
ティアが吹き出す。
「確かに。お前が言うかって話よね」
「何がよ!」
「街に着くたび男探してる奴に言われたくないわ」
「私は同時に五人好きになってない!」
「候補は何人いるの?」
「……」
リオが黙った。
マルタの視線がさらに冷たくなる。
「何よ!」
「何も申しておりません」
「だから顔が喋ってるって!」
「そもそも」
リオは話を戻すようにティアを見る。
「ティファと双子なのに、善人の部分は全部あっちが持っていったんじゃない?」
「はぁ?」
「あんたなんか、残った闇を全部集めて固めたみたいなもんじゃん」
「言い過ぎでしょ!」
「酒好き、男好き、性格悪い、負けず嫌い」
「お前にだけは言われたくない!」
「確かに、シャンテさんとは同じ顔とは思えないほど中身が違いますね」
「マルタまで!?」
「ですから、一日二日で聖女になれと言われましても……」
「無理だねぇ」
リオがあっさり頷く。
「筋金入りだから。一日二日どうこうして直るっていうか、生まれ変わらないと無理だねぇ」
「そこまで言う!?」
ティアは机を叩いた。
「でも仮に性格の問題で上手くいかないなら、どうすんのよ!」
「どうするって?」
「演技の問題なら練習すれば直せるかもしれない。でも性格なんて、すぐに変えられないでしょ!」
「だから無理だって言ってるじゃん」
「だからどうするって話なのよ!」
三人が黙った。
演技は直せるかもしれない。
だが、本人の性格が役と致命的に噛み合っていないのなら、数日でどうこうできる問題ではない。
そこで。
それまで黙っていたロルフが、おそるおそる手を上げた。
「あの……」
「何?」
「性格を変えるのが難しいのでしたら」
三人の視線が集まる。
「いっそのこと、役を変えるというのはどうでしょう?」
「役?」
「はい」
ロルフは机の上に置かれていた、ノイマン劇団の募集要項を見た。
「今回のオーディションは、清純な令嬢役だけではないのでしょう?」
「あ」
マルタが募集要項を手に取る。
「確かに」
いくつもの役名が並んでいた。
侍女。
商家の娘。
酒場の女。
そして。
「……悪徳令嬢」
「悪徳令嬢?」
リオが横から覗き込む。
「オーディションにそんな役もあるんだ」
「主人公たちの恋路を邪魔する役のようですね」
リオは募集要項を見る。
ティアを見る。
もう一度、募集要項を見る。
「……こいつにはピッタリじゃない?」
「は?」
◇
「一回だけだからね」
「はいはい」
「笑ったら帰るから」
「早くやって」
「本当に腹立つわね……」
結局。
ティアは悪徳令嬢の台本を手にしていた。
嫌そうに一度息を吐く。
台本へ目を落とし。
顔を上げた。
「――身の程を知りなさい」
空気が変わった。
「……」
リオが瞬く。
顎を僅かに上げる。
相手を値踏みするような視線。
口元だけに浮かぶ薄い笑み。
「あなたのような女が、あの方の隣に立てるとでも?」
嫌味。
嘲笑。
傲慢。
何もかもが、妙に自然だった。
「鏡をご覧になったことはなくて?」
綺麗な顔で笑う。
だからこそ腹が立つ。
清純な令嬢を演じていた時とは、まるで別人だった。
やがて。
ティアが台本を閉じる。
「……どうよ」
マルタが少し黙った。
「さっきの聖女とは雲泥ですね」
「そこまで?」
「まるで本物みたいです」
「本物だからね」
「誰が本物よ!」
ティアが台本を投げた。
リオは笑いながら避ける。
「でも絶対こっちの方がいいって」
「嫌よ!」
「なんで?」
「私は聖女とか清純な令嬢とか、そういう役で売れたいの!」
「まあ、聖女じゃ素人が見てもないわ」
「そこまで言う!?」
「一度だけ受けてみればいいじゃん。もう背水なんでしょ?」
「……」
ティアが黙った。
「違うの?」
「違わないけど」
しばらくして。
重いため息を吐く。
「このままじゃ、家に帰るしかないのよ」
「家に?」
「そう。ノイマン劇団まで駄目だったら、さすがにね」
「あー……」
リオが何かを思い出した。
「あんたの部屋って確か……もうないわよ」
「は?」
「ティファの男が居候してるから」
「……は?」
ティアの目が鋭くなる。
「ティファの男?」
「うん」
「何? あいつ、男を家に連れ込んでるの?」
「お嬢様」
マルタが額を押さえた。
「そういう言い方は……」
「でもティファの男でしょ?」
「……それは、まあ、そうですが」
「ほら」
ティアが身を乗り出した。
「何それ。私がいない間に、あのティファが男作ったの?」
「作ったっていうか」
「同じ家に住んでるんでしょ?」
「住んでる」
「じゃあ、どこまでいってるの?」
「お二人が考えているような関係ではありません!」
マルタが珍しく声を荒らげた。
「でも恋人なんでしょ?」
「それはそうです!」
「じゃあ何が違うのよ」
マルタはリオとティアを見比べた。
「……たぶん、お二人のような汚れた心では理解しがたい関係かと」
「誰の心が汚れてるって?」
「少なくとも私ではありません」
「マルタも十分そっち側でしょ」
「一緒にしないでください!」
ティアはまだ気になるらしい。
「で、誰よ、その男」
「ティーエ」
「知らない」
「パドゥーラで働いてる奴。ティファとはかなり仲いいよ」
「へえ……」
「確か、ジウさんが空いている部屋を貸したのでしたね」
マルタが言った。
そこで。
ティアの表情が止まった。
「……空いてる部屋?」
「はい」
「うちに?」
「ええ」
「…………」
三人が黙る。
ティアがゆっくり口を開いた。
「それ……私の部屋じゃない?」
「たぶん」
「親父ぃ!」
机を叩いた。
「何勝手に人の部屋を男に貸してんのよ!」
「何年も帰ってないから、空き部屋扱いされたんじゃない?」
「私の部屋よ!」
「じゃあ帰ったらティーエ追い出す?」
「……」
「ティファ困るかもよ」
「……」
ティアが黙った。
リオはさらに追い打ちをかける。
「部屋がなかったら、バーナードの工房に寝泊まりになるかもよ」
「…………」
ティアの顔が引きつった。
「クソ兄貴の?」
「うん」
ティアの脳裏に、兄の顔が浮かんだ。
『おう、おかえり。世界一の女優様』
『部屋ねぇんだろ? 工房の隅なら貸してやるぞ』
「…………絶対嫌」
「でしょ?」
「親父の小言はまだいい」
ティアが呻く。
「あいつにだけは馬鹿にされたくない」
似た者同士だからこそ、余計に腹が立つのだろう。
ティアは悪徳令嬢の台本を睨んだ。
聖女。
天使。
清純な令嬢。
そんなものに拘っている場合ではない。
このまま失敗すれば、家へ帰るしかない。
しかも自分の部屋にはティファの男が住みつき、下手をすればバーナードの工房暮らし。
何より。
あの兄に笑われる。
「……分かった」
ティアが台本を取った。
「やる」
「お」
「あのクソ兄貴に馬鹿にされるくらいなら――」
ティアは吐き捨てた。
「ちんけなプライドくらい捨ててやる」
◇
オーディション当日。
ノイマン劇団の大劇場には、大勢の観客が集まっていた。
名門劇団による新人発掘オーディションは公開形式で行われ、ニコスでは毎年ちょっとした名物になっている。
演劇好き。
学生。
若手役者。
劇団関係者。
未来の人気役者が生まれる瞬間を見ようと、客席の多くが埋まっていた。
当然。
「すごい人ですね」
マルタも目を輝かせている。
「ノイマン劇団ですから。このオーディションから有名になった役者も多いんですよ」
「へえ」
隣のリオは、今のところさほど興味はなさそうだった。
舞台中央には長机が置かれ、監督と副監督が座っている。
「……次」
監督の声には、明らかな疲れが滲んでいた。
朝から何十人もの演技を見続けている。
今も一人の女優志望が、悪徳令嬢役を演じていた。
「あなたのような方が、あの方の隣に立てるとでも?」
優雅な微笑み。
美しい姿勢。
綺麗な声。
演技が終わる。
客席から、ぱらぱらと拍手が起こった。
「ありがとうございました」
女が舞台袖へ消える。
監督は小さく息を吐いた。
「……つまらん」
「聞こえますよ」
副監督が苦笑する。
「構わん」
「今日だけで二十人以上見ています」
「どいつもこいつも同じだ」
監督が資料を机へ放った。
「悪徳令嬢だぞ。なんで全員、綺麗に演じようとする」
「舞台女優ですから、綺麗に見せたいのでしょう」
「だからつまらん」
監督が頬杖をつく。
「笑い方も綺麗。怒り方も綺麗。人を馬鹿にする時まで綺麗」
「嫌われたくないのでしょうね」
「嫌われる役だろうが」
次。
その次。
また次。
皆、上手い。
だが、似たような演技ばかりだった。
次第に客席にも弛緩した空気が広がり、欠伸をする者まで出始める。
「……今年は外れか?」
「次が最後です」
「誰だ?」
副監督が応募用紙を見る。
「ティア」
「ティア?」
監督が少し考えた。
「ああ。何度か見たことがある」
「どんな役者です?」
「綺麗な役者だ」
「またですか」
「顔もいい。声もいい。演技も整ってる」
「悪くないのでは?」
「全部綺麗すぎるんだよ」
監督はため息を吐いた。
「聖女だの清純な令嬢だの、そういう役ばかり受けていた女だ」
「今回は悪徳令嬢ですね」
「方向転換したか」
監督は椅子へもたれた。
「まあ、見よう」
舞台袖から。
ティアが現れた。
客席のリオが小さく手を振る。
「ティアー」
「お嬢様、静かに」
ティアが一瞬だけ客席を睨んだ。
そして。
演技が始まった。
「――身の程を知りなさい」
その一言で。
空気が変わった。
ざわついていた客席が静かになる。
ティアは僅かに顎を上げた。
目の前にいる相手を、人間としてすら見ていないような目。
「あなたのような女が、あの方の隣に立てるとでも?」
くすりと笑う。
綺麗な笑顔。
なのに。
腹が立つ。
「……」
監督が頬杖をやめた。
副監督も顔を上げる。
「あなたの恋?」
ティアが鼻で笑う。
「そんなもの、私が知ったことではなくてよ」
嘲笑。
嫉妬。
傲慢。
底意地の悪さ。
客席から、小さなどよめきが起きる。
「すご……」
「嫌な女だな」
「本当に性格悪そう」
リオがマルタを見る。
「ほら」
「ええ」
最後。
ティアは相手を見下ろすように笑った。
「夢を見るのは、寝ている時だけになさい」
静寂。
一拍。
そして。
大きな拍手が劇場を包んだ。
「……」
ティア自身が、少し驚いている。
監督が立ち上がった。
「これだ」
副監督が笑う。
「ようやく来ましたね」
「ああ」
監督は舞台へ上がった。
「素晴らしい」
「……ありがとうございます」
「この性格の悪さ」
「……」
「人を人とも思わない目」
「……」
「腹の底から他人を見下しているような態度」
「…………」
「見事だ!」
監督がティアの手を握る。
「こんな演技ができる役者がいたとは!」
「それ……褒めてます?」
「もちろんだ!」
客席。
リオがぼそりと呟いた。
「本物だからね」
「ですね」
ロルフは、何とも言えない顔で舞台を見ていた。
◇
合格。
しかも、かなり大きな役だった。
「受かった……」
劇場を出ても、ティアはまだ信じられない様子だった。
「私、受かった」
「受かったね」
「悪徳令嬢で」
「そこ気にする?」
「気にするわよ!」
ティアが振り返る。
「私、聖女になりたかったんだけど!」
「諦めなさい」
マルタが即答した。
「なんでよ!」
「向いていません」
「ひどい!」
リオが笑う。
「いいじゃん。大きい役なんでしょ?」
「そうだけど」
「世界一の女優になるんでしょ?」
「……」
「だったら悪役でも何でもいいじゃん」
ティアは少し黙った。
やがて。
「まあ……そうね」
口元が上がる。
「見てなさいよ」
「何を?」
「悪役だろうが何だろうが、主役より目立ってやる」
「それでこそじゃん」




