ミザリー
病室に入ってきた叔母。太郎の壁をすり抜け、オババと私の壁もものともせず、優ちゃんのベッド脇にくると。
「優子」と、優しい声で呼びかけた。
娘の無事を確認したって、そんな感動の母を演じて、全員の予想を裏切った。
その瞬間、私、ホラー映画の極致『ミザリー』と叔母を重ねていた。
『ミザリー』って映画、ものすごく怖いから。
並みのホラーじゃ太刀打ちできないから。
『ミザリー』は、ある小説オタクの話。ファン心理が狂気だった。
作家が終えた作品の続きを書かせるために、自分の家に監禁して、逃げようとしたら、ハンマーで両足を叩き潰して、動けなくするって、そういうオタクの熱烈ファンで。
叔母から同じ狂気の匂いがプンプンして、全員がフリーズ状態だったわけ。
「優子」
優ちゃん、その声で目を開けた。
「ママ……、どうしたの?」
「優ちゃん、大変だったわね。誘拐されて、やっと戻って来れたわね」
叔母あぁぁ……。
まだ誘拐路線、捨て切れてなかった。
どうやったら、そこまで自分の世界に浸れるんかい。
「ママ。私ね、太郎くんと結婚するの」
でもって、天然優ちゃん。そんなことお構いなしに急所をさした。
叔母、顔が能面になって、カチって何かのスイッチが入ったみたいに、その言葉を拒否したんである。
「間違ってるの。今の優ちゃんは、ママはわかっているのよ。そういうの、ストックホルム症候群っていうですって。ママがきっと解放してあげるから」
叔母の口から、思わぬ心理分析がでてきた。
「勝江」って、オババ。
その声に重なって、「失礼します」って、男性の声がした。
振り返ると白衣を着た医師が立っていて、その横で看護師が微笑んでいる。
「先生、あの検査は」と、太郎くんが聞くと。
「結果がでましたよ」
医師は冷静な態度で全員を見渡して、少しだけ困ったような表情を、わざと浮かべた。
「ご主人、奥様のことで、お話があるのですが、ここでお話しても……」
その言葉に叔母の顔が引きつった。
「娘は、この、おとこ」という言葉が出ると同時にオババ、叔母をガシっと抑えた。
「狂ってるって思われますよ」
「バカにして!」
「ママ、黙って!」
叔母がキッとした瞬間に、優ちゃん、するどい声で叫ぶと同時に咳き込んだ。医師は相変わらず困ったような表情を浮かべている。
「ご主人、ここで話てもよろしいですか」
「妻の家族です。どうぞ、教えてください。あの」
医師、リラックスした表情を浮かべて、「おめでたです」と言ったんだ。
へ? おめでた?
おめでたって、あのおめでた?
オババも叔母もキョトンとしている。きっと私も同じ顔をしてた。
太郎くんは目を大きく広げて、それから、優ちゃんを見て、もう一度、医師の顔を見た。
「最後の月経はいつだったでしょうか?」
「げっけい?」と、優ちゃん、おっとりした声で応対している。
この場で驚いてないのは、おそらく優ちゃんだけだと思う。
残りは全員が、初妊娠かって、その状況が、よく理解できてなくて、喜ぶべきか、どういう反応していいのか、全く理解できてなくて。
そして、優ちゃんは、おそらく、妊娠の意味を理解してないと、私、感じた。
医師はどう反応していいのか迷っていた。
もしかしたら、望まぬ妊娠なのか、そうだったら嬉しそうな顔を控えるべきかと冷静に専門家としての立ち位置を守ろうとして、もう一度、優ちゃんに聞いた。
「最後の月経は?」
優ちゃん、にっこりした。
そして、次の言葉に全員が呆気にとられた。
「月経ってなんですか?」
ものすごく素直な表情で、例えば、中学校の先生が『素直な子』って通知表に書いておくような様子。
もう、月経ってなんですか、てな破壊力マックスの質問が、39歳の口から出てきたとき、どういう反応したらいい。
医師は、その問われた意味を測りかね、
私とオババは、呆れ果て、叔母はきっとまだ妊娠を受け止められなくて、
そして、太郎くんは大きく口を開けていた。
(つづく)
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*ストックホルム症候群
1973年にストックホルムで立てこもり事件が発生しました。その折に被害者が犯人に好意的になった事件からついた名称で、誘拐事件などで、人質と犯人の間で心理的な結びつきを抱く症状をいいます。
映画『ミザリー』
1991年米国映画。原作スティーブン・キング
恐怖の作家ファンを演じたキャシー・ベイツは、この作品でアカデミー主演女優賞受賞。ま、そんだけ怖かった。
受賞する価値があるほど怖かった。てか、賞もらっていいから、こっち向くなってくらい怪演でした。




