大誘拐
叔母が、ブリブリしながら帰ったあとで、私、オババに詰め寄った。
「いったい全体、オババさま」
「なんですか」
「言葉がありません。嘘だったんですか? 優ちゃんを結婚させないと将来的に困るって言ったのに、やっぱり、叔母さんの味方だったんですか」
「アメ、気持ちは変わってませんよ。さあ、ちゃちゃっと、おウドンでも作って腹ごしらえしましょう。今日は長い1日だったわね」
その声には疲れが滲んでいた。
で、オババと私、キッチンに。
ん? どうしてこうなった。
「そういえば、お義父さんは」
「釣りよ。最近は夜釣りが趣味でね。夕刻になる前の4時くらいから出かけることがあって、おいおい帰ってくるでしょう」
ウドン汁のダシを取っている間、私はオババに渡された大根を洗った。
「10億なんて途方もない金額、太郎くん払えるわけないじゃないですか」
オババ、例の得意の笑顔で、片方の唇を皮肉にあげた。
「馬鹿ね。だからいいんじゃないの、なまじ3500万円なんて、可能かもしれない金額じゃ困るんですよ。一人で贅沢もせず生きてきた太郎くんですから、貯金を持ってるかもしれません。農地を売って、自宅を売ったら3500万円。作れるかもしれません」
「だからこそ」
「あなたの頭は、どうも脳みそが全部に行き渡ってないんじゃないかと、ときどき不安になることがあります」
あ、ぴ、ぷ、ぺ、ぼ?
これ、アホの婉曲的表現?
アホって言われた?
チッ。ならアホで逃げる手を使って……。
「豆粒大かと」
「そうですか、そこまでとは、まあ、疑ってましたが」
否定して!
そこ否定するとこ!
ザックリと大まかに大根を切り、それから、包丁を灯に照らしてみた。切れ味の良さそうな刃をしている。
私がニッと笑うと、オババもニッと返してきた。
「可能な金額ってことでは困るんです」
大根、ザックリ!
まな板、木製で切れ音がいい。
包丁で大根を切る音が不気味にいい音だしてくれて。
ザックリ、トン! ザク、トン! ザク、トン!
「面白い切り方で、大根おろしをつくるのね」ってオババ。
「は! これでミキサーを使って大根おろしに」
「なるほどね。問題はウチにはミキサーがないってことです」
「え?」
「じゃ、大根おろしを、どうやって」
「手でおろします」
オババ、大根おろし器を手渡ししてくれた。
早く言わんか。小さく刻みすぎたじゃないか。
オババ、ニッと笑った。私もニッと返した。包丁がキラリと光ってるから。
「もし、勝江が民事裁判所に訴えてもごらんなさい。で、あれはやりかねないんです」
「民事裁判?」
「スマホ」
かなり小さく切った大根をおろしているので、手が大根汁で濡れいる。
「ほら、あれよ、あれ、イビキみたいな名前の会社、グーグーでしたっけ?」
「グーグル」
「そう、それで。親子の民事裁判って調べて」
濡れた手をふきんで拭い、Google検索した。
「親子で民事ですか?」
「あるはずよ、そういう裁判って、きっと」
「た、確かにあります」
「やはりね。だからこそです。3500万円なら、弁護士も相手をするかもしれません。でもね、10億円って言ったら、相手にする弁護士も、もっと言えば裁判所なんてありませんよ。大富豪の話じゃありませんからね。庶民ですから」
「確かに、グーグルでも親が子を訴えるって難しそうです」
「そう、10億円なら間違いなく相手にされません。うすら笑いで終わります。丁寧にお引き取りくださいって狂人扱いですよ」
オババ、ニッと笑った。
私もニッと返した。
「じゃあ、いくらでもよかったですか。35億でも」
「いえいえ、10億がよかったんです」
「10億に戦略でも」
「昔ね、『大誘拐』って映画を見ましたよ。その主人公が豪快なお婆さんで、いつか同じことやってみたくてね。映画で彼女、自分の身代金を100億って言い放ったのよ。で、まあ、大誘拐の真似して。ただ同じ額じゃあね。作品にリスペクトを込めて、10億に下げておいたんです」
そ、それ? 10億の根拠? そこ?
「は、はあ」
「それに、どうせ、これは勝江の考えじゃないでしょうし」
「え?」
「勝江相手なら100戦100勝です。問題はないですが」
「……」
「こういうことを言い出す相手は想像がつきます」
いえ、全く想像がつかない。
叔母以外にも敵がいるっての?
「いいですか」と、オババ
「勝江は直情的で感情的で。なのに太郎くんの家に殴り込みいかなくて、こっちに来るなんて、あの子らしくない。やり方が狡猾というか、戦略的です」
「……?」
「あの男が出てきたんです」
「あの男?」
あの男って言ったとき、オババにちょっと動揺みたいなものを感じた。
あの男。英語なら、「the man」。
このニュアンス、なんか覚えが……。
「優ちゃんの父親ですよ」
「叔父さんって、家に帰ってきてないっていう叔父さんですか」
叔母の夫、叔父には結婚式以来、会っていない。
あまり記憶にないが、確かオババと同じ年齢の洗練された紳士だったような。
自分の結婚式って、周囲の人に構ってられないというか、ほとんど見てなかったんだけど、それでも叔父は印象に残っている。
一瞬で強烈な印象を与える、そんな男だった。
大勢の人がいても、人々が自然に目が行くって、そういう人っているじゃない。
オババの夫であるオジジとは真逆の雰囲気だ。
ごめん! オジジ、いい人だから。穏やかで真面目で。
「出てきたんでしょうよ」
「叔父さんが」
「どうせ、勝江よ、あらゆるところへ泣きついて、夫にも連絡したのよ。あの男、冷たい人間ですが、優ちゃんの父親ではあるわけですから」
なんか、オババの声に棘がある。
あの男って、まるでシャーロックがアイリーンを呼ぶような、そんな特別な響きがあって、密かに私、震えた。
で、あの男って。
いやな予感しかしないんですけど……。
オババ、ニッと笑った。で、私も恐る恐るニッと返した。
(つづく)
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映画『大誘拐』1991年公開
山林王で柳川家当主である柳川とし子、小柄な82歳の老女です。
この老婆を誘拐して5000万円の身代金を要求しようとしたチンピラは、豪快な老女の計画に乗せられ、国家権力とマスコミを手玉に取って100億円を略奪することになってしまいます。
爽快、痛快、大爆笑のストーリーです。
2018年年末にもテレビドラマとして制作されました。




