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第153話:満月まで その3

 バジーリャ少佐は、皇太后の馬車が厩舎に入ったまま動く気配がないことを見届け、昼過ぎに監獄周囲の穴埋め現場に戻った。何か目印があるわけでもなく、地下に広がる監獄の「上部らしい」というだけの、岩肌が剥き出しの凸凹だらけの大地。そこへ、周辺の村人を総動員し、300を超える老若男女を集めた。彼らは目的を尋ねることも許されず、軍人に命ぜられるまま手押し車で土を運び、少しの凹みでも見つければ小石を敷き詰め土をかぶせ均した。

(そうだ、これでいい。これで皇太后が何を言おうと、大勢の村人が力を尽くしたと証言できる。)

 傍から見れば異様な光景だが、その喧騒は明らかに大がかりな「何か」の前触れであることを表していた。


 アンドリューは、皇太后が王宮に戻ったことに安堵していた。

 目論見どおりだ。

 皇太后がモラガス城に籠っている限り、その動きが掴めないことがネックだった。いつ誰と会っているのか、寝ているのか起きているのか、誰かに指示したり報告させたりしているのか。それがわからずに迂闊にリディのいるコン・クエバ監獄に近づくことはできない。しかし、王宮にいれば、皇太后の動向は逐一把握することができる。

 ヴェルデマールの高熱は真実だし、その容態を案じているものの、隔離したことで皇太后の不安をさらに煽ることに成功した。

 皇太后が部屋に戻って休んでいると聞いたアンドリューは、すぐに側近全員をプライベートルームに呼び寄せた。

 各々から一通り報告を受けると、ため込んでいた指示を一気に伝える。

 レオンもハロルドもネイチェルもいない、前代未聞の状況ではあるが、それでもやることは一つとして妥協できない。

 側近達が次々に部屋を出て行き、最後に残ったのはアラン一人だった。

 アンドリューは、アランに数枚の紙を渡した。

「これを清書してくれ。3時間で、できるか?」

 アランはその文面の書き出しを見るなり顔を上げた。

「これは、恩赦の通達ですね?」

「そうだ。明日の夜、大聖堂で宣言する。」

「恩赦の件は、リディの無条件釈放を巡って大臣達の同意を得られていなかったはずです。」

 そう言いながら、アランはアンドリューが顔を背けたのを見てすぐに口を噤んだ。

「―――失礼しました。3時間以内に、仕上げます。」

「・・頼む。」

 扉の閉まる音を聞いて、アランは軽く唇を噛んだ。

 こんな大変な時に、レオンがいないなんて。ネイチェルが危篤だなんて。それをカバーできない自分を、情けなく思う。不自由な足を引きずっていては、アンドリューを守る盾にさえならない。そんな自分ができることは、アンドリューの要求に期待以上の成果で応える事だけだ。

 一方、セラーノスは、アンドリューの指示で王立病院を訪れていた。

 看護師長と副院長が、ネイチェルの病室と隣の院長の病室を代わる代わる行き来している。

 ネイチェルを看病しているのは、ハロルド伯爵の妻シンシアだった。ネイチェルは長時間の手術後、依然として意識が戻る兆しはないという。

 ネイチェルが眠るベッド脇に立つと、セラーノスは苦しい眉を顰めた。

 もともと頬の肉付きが薄い顔が、青白いことで「重体」であることを強く印象づける。顔に傷はないが、首に包帯が巻かれている。掛け布団の下から、幾つも出ている管が、それらが無ければ命が途絶えてしまうことを証明しているようで、ぞっとした。

 ネイチェルの汗を清潔な布で吸い取るシンシアに、セラーノスは尋ねた。

「ソフィアは、―――どうしてますか?」

「少し離れた病室で眠っています。手術後の痛みが激しく、お薬で眠らせているのです。」

「手術は成功したのですか?」

「一応は。ですがまだ、術後の経過をみている状態です。しばらくはここで治療に専念していただかないと。」

「・・・。」

 セラーノスは、ゆっくりとシンシアの傍らに近づくと腰を屈めた。

「伯爵夫人、お願いがあります。」

 シンシアは、その声色にハッと頬を硬直させた。

 思わずセラーノスを凝視する。

 セラーノスは、シンシアの瞳を見つめ返した。

「できるかどうかではなく、やっていただかねばなりません。」

 国王の側近のその言葉を、シンシアはずっと待っていた。

 リディのことを気にかけながら、でも自分にはどうすることもできないもどかしさを抱えていた。

 それがついに、「その時」を迎えたのだ。

 シンシアは固唾を呑み、セラーノスの言うことを一言も聞き漏らすまいと、唇をひきしめた。

 

 日が沈む頃、セラーノスはアンドリューへ一通の封筒を届けた。

 自ら封を開け、手紙に素早く目を通すと、アンドリューは口早に指示した。

「すぐに神使達を呼んでくれ。それから、マチオと話をしたい。2時間後に『霧の部屋』だ。」

「はっ。」

「それから――――」

 アンドリューの指示は、容赦なく続く。セラーノスには、水1杯飲む間さえなかった。しかしアンドリュー自身、まったく休まずに動き、報告を受け判断し、書き物をし、会議を開き、指示し、そしてまた動いている。これを見ている側近が弱音を吐くわけにはいかない。レオンの分も、ハロルドの分も、ネイチェルの分も、今は自分の肩にかかっているのだという自負がセラーノスの自信となり、エネルギーとなっていた。


 マチオは隔離区域の中にいるが、表向きの「隔離」の目をかいくぐって地下道を通り、『霧の部屋』へやってきた。石の壁に囲まれた、3m四方程度の食料貯蔵部屋――― 通称『霧の部屋』は、常にひんやりした空気とカビの匂いがする。

 アンドリューが扉を開けるや否や、「そこでお止まりを!」と、マチオの抑えた声が聞こえた。

 アンドリューは素早く、しかし慎重に扉を閉めた。

 灯りがないこの部屋では、互いの顔も、位置もわからない。

「マチオ、どういうことだ?」

「ヴェルデマール様の高熱は続いとります。伝染病かもしれないという体裁は作戦の一つではありますが、万一事実の可能性もございます。私は何重にもマスクをしてここへ参っとります。陛下に何かあっては元も子もございませんから。」

「ヴェルデマールは、そんなに悪いのか?」

「泣き叫びすぎて、喉が腫れて声が出ぬようになりました。水分さえ呑み込むのを嫌がり、体力の消耗が激しい。さりとて赤子に与えられる薬など限られとります。」

「ハロルドは、何と言っている?」

「伯爵もお手上げです。身体のどこを調べても、悪いところが見つからんのです。」

「・・・赤ん坊はよく熱を出すものだと、言っていたそうだな?」

「はい。それで免疫をつけていくのです。今回もそうだと思っとりましたが、これほど何日も続くのは初めてです。」

「どうすればよいのだ?王立病院の副院長を召喚するか?セラーノスの報告では、院長とネイチェルが危篤で、寝る間もない忙しさと聞いたが。」

「そうでしょう。それに表向き隔離されているところにおいでいただくには、相応の手筈が必要でしょうし。」

「だが、ヴェルデマールはジェードの正統な跡継ぎだ。何としても救わねば。」

「・・・実は一つ思い当たることがあるのです・・・、いえ、偶然だとは思うのですが。」

「何だ?」

「ヴェルデマール様が発熱されるときは、いつも、リディ様が怪我や体調不良で臥せっている時なのです。」

「・・・それは、単なる偶然だな。」

「さよう。しかし、こうまで重なっとると、ヴェルデマール様がリディ様の危機に呼応しているのでは、などと思えて―――」

「では、リディが助かれば、ヴェルデマールの熱も下がると?」

「これまでは、そうでした。」

 アンドリューは、首を振った。

「ヴェルデマールの命を、そんな不確かな根拠を信じて頼るわけにはいかぬ。」

「わかっとります。・・・申し訳ございません。」

「・・・・それで、頼んだものはできているか?」

「はい。扉の脇の袋に入っとりますので、お持ちください。よく消毒してあります。それから、ハロルド伯爵から言伝が。」

「ハロルドには明日の未明に、ヴェルデマールの下を離れる様に手紙で伝えてある。」

「それについては承知しとりますが、陛下の示された計画は実行不可能であると。」

「不可能?」

「はい。」

「不可能でも、やってもらわねばならぬ。」

「陛下。陛下の御命令は絶対でございます。御命令に従えるよう、我々は考えられる限りの事態を想定し、解決策を探りました。しかし、」

「マチオ、無謀であることは百も承知だ。だが、他に手立てが思いつかない。」

「せめて半日、留め置くことは叶いませぬか?」

「駄目だ。これは時間との勝負だ。正直、皇太后がいつ動き出すかわからぬ。だから早ければ早い程よい。」

 アンドリューはマチオが用意した大きな袋を肩に担ぐと、言った。

「ハロルドの代わりとなる医師を明朝、隔離区域に入らせ、同時に隔離を強化する。俺が許可するまで、決して隔離を解いてはならぬ。よいな。」

 扉が開き、表の僅かな明かりで照らされたアンドリューの背中は、痩せて尖って見えた。

 マチオからアンドリューとのやり取りを聞いたハロルドは、何度も頷きながら、その覚悟を決めた。常識を超えて知恵を絞ったつもりだったが、まだ足りなかった。アンドリューの意思は固い。つまり、非常識の枠さえ超えてでも、やり遂げねばならないということだ。

 ハロルドはヴェルデマールの看病をマチオに委ねると、机に向かって策を練り直し始めた。

 アンドリューは、誰に対してもリディ救出作戦の全貌を明かしていない。側近達は、各自が与えられた使命を、指示されたとおりに果たす。その点と点が一つずつ線となり、やがて大きな螺旋を描き、最後に大きな輪となる。そのためには、点の一つも欠けることは許されない。アンドリューの計画はいつも緻密で、それ故に修正がききにくい。そのことを見越して先手を打っていたのがレオンだった。レオンはアンドリューの指示をすべて聞き、アンドリューが言わずとも全貌を予測できる唯一の存在だった。今回、その位置にいたのはアランだったであろうが、アランは全貌を把握しそれが失敗した時のことまで予測できても、自ら先んじて動き調整しておくことはできないし、仲間へ指示したり言い含める度量もまだ無い。ハロルドはアンドリューから相談を受けてはきたが、今回はその途中でヴェルデマールの看病のためアンドリューの下から離れ、最後の詰めまで至らなかった。その中でアンドリューが下した苦渋の決断。

(陛下は、私ならできると信じて踏み切ったのだ。私は側近として、それに応えなければ。)

 もう間もなく、日付が変わる。

 いよいよ満月の日だ。

 この大陸の運命は、常に満月の夜に動いてきた。

 そして、今日となるこの日、今宵に、アンドリューの計画は実行される。

 もう、成功する確率がどれ程低くとも、突き進むしかない。


 朝が訪れた。

 オレンジ色の太陽が東の空を突き刺すような光線を放つ。

 バジーリャ少佐はコン・クエバ監獄の裏口に馬車を停めて待機していた。

 何時になるかわからないが、皇太后が訪れるのを出迎えるよう命じられていたのである。

(まったく、どれだけ待てばいいってんだ?皇太后の気紛れもいい加減にしてほしいぜ。)

 監獄上の大地のひび割れや穴を埋める作業は、夜通し続け、今も継続されている。その様子こそ、皇太后に見てもらいたいものだ。

 木々が風に揺れる音。

 遠い鳥達のさえずり。

 馬車のカーテンの隙間から空を見上げれば、厚い雲の奥に白い太陽の光が透けて見える。

 ―――静かすぎる。

 大事を控えた静けさは、少佐の心をざわめかせた。

 (皇太后が来る前に、王女の様子を確認しておくか。)

 そう思い立った少佐が馬車から降りた、その時だった。

 部下の男が、転がる様にこちらへ走ってくる。

 男は小間使いの身なりを汗だくにして、足をもつれさせ、ついには少佐の足元に倒れこんだ。

「どうした?」

 あまりの異常な様子に、少佐は部下の襟元を掴んで立たせる。

 部下は、肩で息をしながら、切れ切れに言った。

「死ん―――、死んで、死んでいる、のです。」

「え?」

 少佐は、部下の顔を覗き込んだ。若い部下の男は、血の気をなくしてる。

「王女が・・・、先程、吊るされていた王女を番兵が地面に降ろしたら、既に死んでいたのです・・・!」

 少佐は、目を見開いた。

「それは誠か?」

 部下は、何度も頷く。

「本当か?本当に、死んでいたのか?」

「本当です。番兵が慌てて上官へ知らせに来たのです。それで、私も急いで少佐へお伝えせねば、と。」

 バジーリャ少佐は、部下の男を乱暴に突き放すと、監獄の中に向かって大股で歩き出した。

「少佐!?」

 部下が思わずバジーリャを呼び止める。

 バジーリャは、言った。

「あの図太い王女が、そう簡単にくたばるはずがねぇ。俺が行って、直接確かめる!!」

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