第九十六話 あの人は今
クラリスの母親は竜族の一人、永劫竜アナンタである。
アナンタはクラリスを産み落とし、その生命が尽きる間際、クラリスの身に起きる不幸を察知して幼い我が子に竜の力を与えた。
クラリスはその力の影響で盲目の子として生まれ、途中から目覚めたその不安定な力を使い、一四歳のあの日に起きる惨劇を何とか回避しようと努力した。
その試みは半分は成功し、クラリスがこの世に戻るための鍵となる俺とフェリスは、今ここにいる。
「だから俺はこれからロシュフォーンに行って、クラリスをこの世界に呼び戻す。
その為にこれまで頑張ってきたんだ」
フィガロでの地盤固めも、フェリスやクラリスといった訳ありとなる者達と暮らしていくために必要だったのだ。
この世界に魔族が安心して生活できる人族の町など無い。
だから俺達を容認してくれるフィガロ王の存在は渡りに船だった。
しかしそれも、今、水泡に帰そうとしている。
俺の話を聞き終わったカサンドラは、天を仰ぎ大きく息を吐いた。
「……とても信じられない話だ」
「当然だとは思う、しかし俺とフェリスがここにいて、クラリスが俺の中にいるという事実が全てだ」
カサンドラは首を振ると剣を引き、ソファに腰を下ろす。
「お前と過ごしたのは僅かな期間ではあったが、少なくとも平気で嘘を吐く男ではないと思っていたのだがな」
「どういう事だ?」
「……お前の中にクラリスがいるなど、どう信じろというのだ」
そう言って額に手を添えて項垂れるカサンドラ。
気持ちは分からなくもない。
こんな話は与太話と同義だ、はいそうですかと信じてしまう人間のほうがおかしいのだ。
だが剣を引いたということは、カサンドラ自身も真実を分かり兼ねているという事なのだろう。
シエルがいたら、あの時俺とナーガにやったように、カサンドラをクラリスと会わせる事もできたのだろうが……
「今はその証拠を出す事は出来ない、俺もクラリスとはたまに夢の中で会える程度だからな」
そう言ってから俺はユミナを呼び寄せる。
「この子は俺がこの世界に来てすぐ知り合ったコリーン村の子だ。
この子もフェリスの力で蘇った……記憶は少し失っているが、中身は俺の知っている少女のままだ」
次にティアマトを呼ぶと、カサンドラの前に来て小さな胸を張る。
「蒼海竜ティアマト、故あってノア・シドーの守護者として行動を共にしている。
ノアの伝えた言葉に嘘偽りがない事は私が保証しよう、ロシュフォーンの姫よ」
「蒼海竜……お会いするのは初めてか」
「そうだな、私は他国には殆ど出ていないから、知っている者も少ない」
向かいって二、三言葉を交わした時だ。
カサンドラ左手が動き、懐から出した短剣をティアマトに素早く突き刺す。
「……おい!」
早すぎて俺ではとても追えない動きだったが、ティアマトはカサンドラの腕に髪を巻き付けてその動きを阻止していた。
「次は首を刎ねて見せればよいか?」
「……失礼をした、竜も連れずに竜族だと言われて、はいそうですかと信じる訳にも行かぬのでな」
「分かってもらえたなら良い」
話が終わるとティアマトは何事もなかったように俺の隣に立つ。
俺はティアマトの首筋を少し撫でてやると、嬉しそうに目を細めた。
その様子を見ていたカサンドラはメイドを呼び、何か伝えると下がらせる。
直後、俺達を包囲していた兵たちの気配が消えた事をフェリスから伝えられた。
「分かった、どうやらお前はもう私の知っているノア・シドーとは違うようだな。
ならば聞かせてもらう、お前が知っている事を……全てな」
「知ればお前だって余計な苦労を背負い込む事になるぞ」
「本当にクラリスが助かるのであれば是非もない。
私もあの事件には疑問があって色々調べてはいたのだが、何の情報も得られないまま、厄介払いのようにここに送られた。
姉上達は何かを隠しているのは間違いない、私はそれが何なのか知りたいのだ」
そう話すカサンドラには苦悩の色が濃く現れていた。
あれから約半年、きっと色々な事があったのだろう。
クラリスの話では、クラリス殺害にどのような意志が働いたのかという部分はぼかされていた。
何度もあの時間をやり直した彼女なら、きっとそれが何かを知っている事だろう。
それを俺に伝えなかった理由……それはきっと、それほど難しい話ではない。
「それじゃカサンドラ、話す前に言っておきたい事がある」
「何だ?」
だが今の俺達には、もっと切迫した問題があるのも事実だ。
「もし良かったら風呂とメシを頼む、もう五日もろくに風呂にすら入ってないからな」
何が出るのかと身構えていたカサンドラは、一瞬だけ呆けたような顔をし、そして笑いだした。
「お前という奴は……いや分かった、用意させよう」
「すまないな」
「構わん、どうせ普段は私以外使わない館だ。
しかし……そういうとぼけたところは以前と変わらないな」
そう言って僅かに笑みを見せるその姿は、かつて三人で笑いあっていた頃のカサンドラを思い起こさせた。
――――
次の日。
俺達はもうしばらく味わうことがないだろうと思われていたフカフカのベッドの上で目が覚めた。
僅かな重みを感じて目を開くと、俺の上にはヘリオトロープが乗ってすやすやと寝息を立てていた。
その両隣では俺に腕を絡みつけて眠るユミナとティアマトがいる。
ティアマトが入ってきているなど珍しいと思いつつ、ゆっくりと体を起こした。
「……はっ。ますたー、おはよぅございます」
体を起こされて目が覚めたのか、ヘリオトロープが若干寝ぼけた声で朝の挨拶を行う。
「ああ、おはよう」
軽く小さなヘリオトロープを抱えながら挨拶を返し、辺りを見渡した。
今俺達が寝ていたのは、王族御用達のスーパーサイズのベッドである。
キングサイズなんていうレベルではない。
横幅は優に三メートルはあるだろうか。シングルベッド三つ分くらいである、広い広い。
縦幅も二メートル以上あり、かなりのびのびと使える。
しかも使われているのは全て絹と羽毛だ。
恐らくこのベッドを作ろうと思ったら、ちょっとした一般人が住むような家が買えるくらいの値段になるのではないだろうか。
王族って恐ろしい。
起き上がってそんな事を考えていると、足元でユミナが可愛いくしゃみをするのが聞こえた。
流石に一月ともなれば寒かろうと思い、毛布をかけようとしたところで固まる。
ユミナとティアマトは何故か全裸だった。
この構図は非常にまずい。
ヘリオトロープはバスローブのようなものを羽織っているのでセーフだ。
そこに丁度よいタイミングで、館に務めているメイドが顔を出す。
「おはよございますノア様、カサンドラ様とお連れの方がリビングでお待ちになられております。
ご用意が出来ましたらおいで下さいませ」
「あ、はい」
メイドはそれだけ言うと、深々とお辞儀をして去っていった。
このオヤジがロリと戯れている光景を見ても眉一つ動かさないとは、何と訓練されたメイドだろうか。
しかもそこそこ可愛い感じだったしな。
それから俺は寝ているティアマトとユミナを起こして、三人の服を着替えさせる。
まるで子供の世話をしているようだ。
子供か……
つい最近まで、安定した生活基盤を手に入れる目前だった。
後はナーガと一緒にロシュフォーンへ行ってクラリスを復活させ、皆で楽しく暮らせるはずだった。
そうすれば子供だって……
子供を産める嫁は少ないけど、例えばマリアベルから生まれる子供なら、俺みたいなのが親でもきっとすごく可愛い子が生まれてくるに違いない。
フローワだって、もし産めるならハーフエルフだ、見目が良いのは確定してる。
そう言えばファムも俺の事を好きだと言ってくれていた。
突然の事で驚いたが、もちろん悪い気はしない。
受け入れるかどうかは要相談だろうが、多分反対される事はないんじゃないかな……
「……どうしたノア、辛いのか?」
気が付けば、ティアマトが俺の顔を覗き込んでいた。
その顔がどんどんぼやけていく。
一晩ベッドでゆっくり寝て落ち着いたら、フィガロを逃げ出した日の記憶が蘇ってくる。
すべてうまく行っていたと思っていたのに、最後の最後で全てを捨てて逃げなくてはいけなくなってしまった。
大切なものを沢山残してきてしまった。
大切な人に別れを告げられ、理由すら聞くことが出来ない。
そんな事をふと考えたら、情けないことに涙が止まらなくなってしまった。
「ノア、慰めになるか分からないが、私は常にお前と共にある。そう約束しよう」
そう言ってティアマトは俺の手を握りしめる。
その手の暖かさが、どれほど俺の救いになっただろうか。
「ご主人様、私もずっと一緒にいます」
「マスターが私を必要としている限り、私は永遠にマスターにお仕えします」
ユミナとヘリオトロープも同じように俺を励ましてくれる。
こんな何も持たず、追われる身となったただのオヤジには勿体無いくらいの味方だ。
「……ああ、ありがとうな、もう大丈夫だ。安心して少し気が緩んだかな、はは。」
そうだ、俺は一人ではない。まだまだ挽回できるだけの味方に守られている。
それにここに来てカサンドラに出会えたのも大きい。
全くの偶然ではあるが、狂ってしまったクラリス救出の計画をここから練り直す事も不可能ではないはずだ。
昨日の夜遅くまで、カサンドラとこれまでの事を話し合った。
カサンドラはその突拍子もない話に驚きながらも、俺達に対して一定の理解を示してくれた。
俺達がクラリスの母親であるステラが王宮に来た経緯を知っていたのも、話に信憑性を持たせるのに一役買ったようだ。
ナーガがステラを連れてきたという話は、一般には公開されていない情報だからだ。
そのステラが竜族のアナンタであったという事は、ロシュフォーン王ですら知らなかったようだが……
俺は気を取り直し、カサンドラの待つリビングへと向かった。
「よく眠れたか?」
「ああ、まさか逃亡中の身でベッドでぐっすり寝られるとは思わなかったよ」
「客も来ないからな、好きに使うといい」
そう言ってソファに腰掛けると、メイドがさっと紅茶をテーブルに置く。
見れば先程俺達を起こしに来たメイドだった。
「……王族の輿入れってのは良く分からないが、こんな離れでひっそり暮らすものなのか?」
紅茶を口にしながら取り敢えず思ったことを口にする。
昨日は俺達の事については色々話したが、カサンドラについてはそれほど聞いていなかった。
時間が遅いせいもあったのだが……
「私の場合は少し特殊だからな、まだ正式に結婚はしておらん。
先方の都合であと少し先になるようだ、それまでは警らの仕事をして国民に顔を売りつつ、ここでのんびり過ごしている」
「あの女性の騎士達か、ああいうのを任されるって事は、信頼されてるのか?」
「いや、シャガール殿は王族のお遊び程度の感覚だろう。
こちらで余計なことをされても困るだろうから、騎士団ごっこで満足していてくれればあ奴も手間がかからず安心という訳だ」
「……随分ドライなんだな」
「王族の輿入れなどそんなものだ。
私が期待されている事と言えば、良い男児を産むことくらいだ。
夫となるシャガール殿は、少々名誉欲が強い男だが、良い武人であるからその辺は恐らく問題あるまい。
私は子を二、三人も産んだら好きにさせてもらおう」
そんな事を淡々と話すカサンドラを見ていると、まるで結婚や子作りが義務であるかのような錯覚を覚える。
いや、王族にとってはそういうものなのだろう。
頭では理解しようとするのだが、その感覚を受け入れる事はとうとう出来なかった。
「そんな顔をするな、別に取って食われる訳ではないのだ。
王族に生まれた時から自由な結婚など望んではいない」
どうやら顔に出ていたらしい。
今まで三〇年以上を自由恋愛が当たり前の環境で育った俺にはなかなか馴染めない感覚だ。
「済まないな、なんというか……俺にはそういう世界が想像がつかない、だから何と行ったら良いのか……」
「気遣いは無用だ、そういうものだという事で私は納得している。
まあ……お前の連れていた女性達、主人の為に何かしようとするひたむきな姿に憧れはあるがな」
「言っても始まるまい」と、本当に何でもない事のように話すカサンドラを見て、俺は一抹の寂しさを覚えていた。
それから俺達は先日話し合った内容を改めて確認し合った。
その中で、俺はカサンドラに、ロシュフォーンへ渡る為の協力を依頼する。
これまでの計画では、あと一月後にナーガが俺を訪ねてくる予定だったが、こうなってしまった以上、それを待つのは難しいだろう。
かといってこれ以上クラリスの救出を先延ばしにするのは避けたい。
そこで俺達は、カサンドラにロシュフォーンまでの案内……言ってしまえば国境を超える手伝いをしてほしいと頼んだ。
さらにカサンドラであれば、クラリスの遺体が埋葬されている場所も分かるはず。
土地勘のある者の同行があれば、こんな心強い事はない。
「私に墓荒らしの手伝いをしろと言うのか……」
「仕方ないだろ、復活には少なくともクラリスを構成していた体の一部分が必要なんだから。
だがまあ……城までは来てくれなくても良い、立場があるだろうからな。最悪国境の通行だけ何とかしてもらえれば……」
「すぐに見つかって大騒ぎになるぞ」
「そうなったら最悪、ティラノ山脈を超えるか、ベンガルドの方に逃げるよ」
確かロシュフォーンの西側にはアヴィリア連合国という、ロシュフォーンと対立している小国が集まって出来た地域があったはずだ。
いざとなればそっちに逃げてもいいし、共和主義国のベンガルドに逃げ込むという手もある。
ともかくこちらの持つ戦力があれば、その気になれば大抵の追手は何とかなる。
天族が出てこなければだが……
「騒ぎを起こしては、フィガロに戻る時に不利益があるのではないか?」
「ん、ああ……まあな……でも、正直もうフィガロに戻れる可能性は無いと思ってるよ」
俺の諦めたような笑い顔を見ながら、カサンドラは意外そうな顔をする。
「何故そう思う」
「そりゃもう……フィガロでは俺達が魔族だったって事で事実が固まってるからだよ。
この先どんなやり取りが行われるのか分からないけど、きっとその部分はどうにもならない。
国王だって下手に俺達を擁護できない。魔族っていうのは、一般人にとってはそれほどまでに掛け値なしの悪なんだ。
俺の望みは、残した子供達の疑いだけは晴らして、今まで通りフィガロで生きていけるようにする事だよ。
俺たちに関しては正直なところ、考えれば考えるほどどうにもならないって結論しか出てこない。
誰が考えた策か分からないけど、本当にいいタイミングで事を起こしてくれたよ……」
魔族を擁護すれば、今回の策を張り巡らせた者によって糾弾されるだろう。
そしてこの世界では、魔族に加担したものがほぼ確実に負ける。
王だってそうならないように、俺達は切り捨てざるを得ない。
まさか王家全員の地位や命を賭けてまで、俺達を守るなんて選択はするはずがないからだ。
「だから俺達はクラリスを助けたら、どこか別の国でまた一からやり直す。
なに、ここまで半年で来られたんだ、きっとまた、何とかなるさ」
やもすればいつでも涙が流れ落ちそうになるのを必死で堪え、俺は笑顔を作ってカサンドラと向き合った。
「……分かった、国境の件は任せろ。
それと、私もロシュフォーンに付いていく」
「え?」
驚く俺をよそに、カサンドラは立ち上がり先程のメイドを呼んだ。
「明日出発する。それまでに準備を整えておけ」
「だけど、それだとカサンドラが俺達に協力してるってバレるんじゃないか?」
「私はまだお前の言ったことを完全に信用した訳ではない。
最後までお前の有り様を確認し、真実を見極める義務がある。
それに……」
そこまで言うとカサンドラは俺に背を向け、口早に続けた。
「クラリスが死んだのは私の怠慢だ、お前だけに責任を押し付けるつもりはない」
「カサンドラ……ありがとう」
肩を僅かに震わせ、天井を仰ぎ見るように立ち尽くすカサンドラを見て、俺は短く礼を言うと部屋を出た。




