第九十五話 逃亡生活
「肉は血抜きをして魔法で水抜きだ、天日で乾かしている時間はない。
皮は捨て置くしかない、この状況で手荷物を増やしても意味がないから」
眼前に倒れている大型の熊を器用に毛先で解体しながら、ティアマトがテキパキと指示を出していく。
ごっそり切り取った肉の固まりをユミナが小さく切断し、フェリスが魔法で次々と乾燥肉にする。
逃亡生活を初めて四日目。
俺達はデラルナ山脈の中腹部でキャンプをしていた。
登山をしたことがある者なら当たり前に分かると思うが、山というのはどこでも歩ける訳ではない。
むしろまともに進める場所のほうが少ない。
人の手が入っていない山ともなれば尚更で、通常、何の準備もしていない人間がそんな場所に入ったら遭難するのが関の山だ。
そして俺達は今まさに、遭難している真っ最中であった。
「どうだフェリス、何か分かったか?」
「……ダメじゃのう、周り一面山だらけじゃ。もう少し上空まで飛べれば良いのじゃが」
フェリスにコウモリを飛ばしてもらって周囲を調べているが、そう高くまで飛べないので確認できる範囲は限定的だ。
「メイアはよく遺跡調査とかするんだろ? 何かこういう場合のいい方法は無いか?」
「地図持って移動してるならまだしも、何もないんじゃ簡単な方角くらいしか分からないよ」
「こういう時にフローワがいれば鼻が利きましたのに、困りましたわね」
ルビーナの中でフローワはどういう人物になっているのだろうか。
「ルビーナだってエルフ族なんだから、山は得意なんじゃないのか?」
「私がそんな泥臭い趣味を持っているはずがないでしょう……でも、そうですわね。
木が邪魔なら焼き払えばまっすぐ進めるのではなくて?」
そう言って何やら腕を振り上げて魔法の準備を始めたルビーナを慌てて止める。
森を焼き払うとか、エルフ族の言葉とは思えんな……
「まあ食料はある、飢えて死ぬことはなかろう。
とにかく方角を決めてまっすぐ進むしかないであろうな」
遭難して気が立っていたルビーナによって一撃で葬り去られた哀れな熊を眺めながらフェリスがため息をつく。
冬の山で遭難中。こんな状況でも悲観的にならないのは、俺の周りにいる女性達がことごとく規格外だからだ。
「マスター、発言よろしいでしょうか」
寝そべった黒王の腹のあたりに転がって先程作った干し肉をかじっていたヘリオトロープが手を挙げる。
「何かなヘリオ」
「私は現在位置が分かります」
「……」
乾燥肉をカジカジと噛みながら当たり前のようにそう言う少女に、俺は絶句するしか無かった。
考えてみればそうだ、この間だってヘリオトロープは古代遺跡から発射されたミサイルの着弾地点を正確に言い当てたではないか。
聞けばヘリオトロープはある地点を基準として、どこへどれだけ移動したかを感知する能力に長けているそうだ。
それを自分の記憶の中にある地図と照らし合わせて現在地を予想しているらしい。
その精度は相当なものらしいのだが、何せヘリオトロープの頭にある地図というのは千年以上も前のものだ。
地形はそれほど変わっていないだろうが、町や村の位置などは当てにならないだろう。
ともあれ、分かってるならもっと早く言ってほしかったよ……
ヘリオトロープの話では、現在地はフィガロからほぼ真っすぐ西に進んだ山中という事だ。
古代人の地下施設があった湖は少し通り過ぎてしまったらしい。
あんな大きな湖ですら近くを通っても気が付かないのだから、つくづく山とは恐ろしい。
俺一人だったら既に十回は死んでるだろうな。
「この山を越えた辺りで北に向かえばベルレッタに向かえると思います」
「そうか、おおよその方角はこれで良かったんだな」
太陽の位置などから簡単な方角は察することが出来るので、そこまでおかしなルートを辿ってきた訳ではなかったようだ。
とにかく今日は休んで明日、目の前の山を越えよう。
――――
翌朝。
切り倒した木を重ねて作った即席のテントから這い出て朝日を拝む。
昨日は横になった黒王の腹の辺りで皆寄り添って暖をとりつつ眠った。
山中泊も四日目ともなるとそれなりに慣れては来るが、やはり寒いし体はバキバキになるし体中が痒い。
文化的な生活に慣れきってしまっていた俺には随分と堪える。
一方の女性陣はまあ逞しいもので、睡眠を殆ど必要としないティアマトを筆頭に
フェリスやユミナやルビーナは様々な仕事をテキパキを片付けていく。
メイアは隅のほうで適当な木をくり抜いて作った器に水を貯めていた。
何もやることのない俺は、黒王の体を払って乗れる準備をしておこうと思っていたら、既にヘリオトロープがやった後だった。
間違いなく俺が最も役に立っていない。
更には水の入った器を皆の所に持っていこうとして落としてしまい、メイアに余計な手間をかけさてしまった。
「主は我らの主人であるから、どんと構えておるが良い」
そんな俺を見かねたのか、フェリスが俺に水と乾燥肉をくれた。
邪魔だから隅でじっとしていろと言われない辺りに限りない優しさを感じる。
そんなこんなで登山を再開した俺達はヘリオトロープの誘導に従い、山頂付近へと足を進めたのだが……
「ここから北に向かって進むと二日ほどでベルレッタです」
そう言ってヘリオトロープが指し示す方向には、小高い山と鬱蒼とした森が広がっていた。
その情報は確かに正しいのだろう。
しかしここから見える景色の中には、もう一つ俺の興味を引くものがあったのだ。
「西の方に見えるあれは何だ?」
山の頂上付近の開けた場所から西の方角を見ると、眼下には森が広がり、そのさらに先の方には、小さく町のようなものが見えた。
山の麓に広がるように建つ建造物が見え、中心には時計塔だろうか、かなり高い塔のようなものも見える。
町の大きさもなかなかのもので、ぐるっと城壁で囲まれたそれは都市と言っても過言ではない。
「町……のようですが、あの位置にある町は私の記録にはありません、申し訳ございません」
「ベルレッタがここから北に二日程度と言うなら、あれは人族の町、バルトリッジではなくて?」
ヘリオトロープの後ろから覗き込むように同じ方向を眺めていたルビーナがそんな事を言う。
バルトリッジと言えば、帝国の北部にある大きな町だ。
ネルソンから聞いた話だが、シャガール・フィレンツェという帝国貴族が領主を務めているらしい。
主にロシュフォーンやフィガロの周辺国に対して軍事的な圧力をかける事を目的とした都市のようで、多くの帝国兵士が詰めているそうだ。
そこで俺の中に一つの考えが浮かぶ。
ベルレッタを目指し北に進めば、また一山超えなくてはならないが、あの町を目指すならこのまま山を降りれば良いだけだ。
今日中くらいには到着するだろう。
大して歩いた訳ではないが、もう五日も野宿で体がベタベタだ。
街に行けば宿くらいあるだろう、あれだけ大きな町の宿なら風呂もあるはずだ。
「なあ、今日はあそこに行って一休みしないか?」
「……帝国の町じゃぞ?」
俺の提案にフェリスはもっともな反論をする。
だがこの時の俺は一刻も早く湯に浸かってベッドで眠りたかったのだ。
ベルレッタへ行った時はまだ耐えられた、目的があったのだから。
しかし目的のない逃避行というのは肉体も精神も大きく消耗する。
そんな時に眼下に広がる町を見てしまったら、もう一つ山を超えて行こうという気力など湧くはずもない。
「私達の情報がここまで広まっているとも思えませんし、下町なら大丈夫ではありませんこと?」
これに援護射撃を出したのが意外なことにルビーナだった。
「正直なところ、この面々であれば馬車など逆に足枷にしかなりませんわ。
それに私はベルレッタに戻るつもりはありませんし……それよりも目先のベッドのほうが魅力的ですわね」
「え、戻らないのか?」
「当たり前でしょう? 私が何の為に貴方達と行動していると思っているんですの?」
そうか、そう言えばルビーナの目的は母親の敵……親善交流はそのついでだったな。
「話がこじれてきてはしまいましたが、まだフェリス……さんが私の目的のキーマンだという事に変わりはありませんわ。
ならば貴方達に付いていくという選択もまた変わりません」
「……うむ、母の仇のヴァンパイア族か。今のところ心当たりはないが、こう忙しくては調べることも出来ぬな」
「私の都合を優先せよとは言いませんわ、ただ監視は続けさせて頂きます」
「ふむ、好きにするが良い」
そう言ってフェリスとルビーナはしばし睨み合う。
敵意を抱いているという訳ではないだろうが、特別仲良くなろうという訳でもない、そんな微妙な空気だ。
ともかくそのルビーナの提案もあり、俺達はベルレッタではなく、眼下に見えるバルトリッジに向かうことになったのだ。
バルトリッジの下町に到着したのは日が暮れようとしている頃だった。
山の上からは近く見えても、実際に山を駆け下りるとなると苦労する。
戦略拠点という事もあり、バルトリッジを囲む城壁は非常に高く、頑丈に出来ていた。
城門前には日没までに何とか中へ入ろうとする商人達の列がまだ百メートルほど連なっているのが見える。
あの状況ではここから入れても半分だろう。
もう半分は下町で一晩過ごすハメになるな。
まあ俺達は危険を犯して帝国領の町中に入るつもりはない。
下町……つまり城壁の外に広がる町で宿を探すため、広そうな道を探している時だった。
「女ばかりの旅人とは珍しいな。だがもう城門も閉まる、宿泊の用意は大丈夫か?」
後方から突然声をかけられ振り向く。
その先には、馬に乗り甲冑を着た騎兵が五名おり、その先頭にいる隊長と思われる女性がこちらに向けて話しかけていたのだった。
騎兵は見れば全員が女性であり、きらびやかな甲冑と手入れの行き届いた馬が目を引く。
しかし、俺が驚いたのはそんなところではなかった。
「……お前、もしかして」
先頭の騎士が訝しげな顔で俺の顔を覗き込む。
美しい切れ長のブルーの瞳が見え、プラチナブロンドの長い髪がサラリと舞った。
「カ……サンドラ……か?」
俺は、この女騎士を知っている。
「やはり……貴様か……」
そこにいたのは、俺がこの世界に来たばかりの頃、ロシュフォーンの城の中で世話になったロシュフォーンの第二王女、カサンドラであった。
あれから俺達はカサンドラに促され、城壁の内側に入り、大きな邸宅へと案内された。
久しぶりに会ったこの世界での数少ない知り合いだが、感動の再開をするような間柄ではない。
何せ、俺はカサンドラの大切な妹を殺した事になっているのだから。
カサンドラは長い間俺を睨みつけるように見た後、皆のボロボロになっている姿を見て思うところがあったのか、彼女が今使っている家に招待してくれた。
断ろうとも思ったが、聞きたいことが色々あったのも事実。
俺は散々悩んだ結果、カサンドラの招待を受ける事にした。
黒王は他の馬と一緒に専用の厩舎に案内されたようだ。
他の馬を怖がらせていなければ良いのだが。
「随分立派な馬を持っているな」
「色々あって知り合ったんだが、今じゃかけがえのない仲間だ」
「……ほう」
俺達はカサンドラに案内されながら広い邸宅の中を進む。
メイドは数人いるようだが、家の中はかなり閑散とした印象を受ける。
「それより、結婚するって言ってたのはバルトリッジの領主とだったのか?」
「ああ、色々あって式典はまだだが、今はこちらで騎士団を率いて国内の警備を担っている」
「そう言えばロシュフォーンでも騎士団に入ってたな」
どうやらここは、結婚までの間借り受けているカサンドラ専用の邸宅のようだ。
さすが王族というだけあって、扱いが違う。
ちなみにこの邸宅のすぐ近くに、バルトリッジ領主が住む城がある。
つまりここはバルトリッジの中枢に近い場所ということだ。
他愛もない話をしながら、館の中を進み
装飾の施された広いリビングに通された。
「着替えてくる、ここで待て」
カサンドラはそれだけ言うと、部屋を出ていってしまった。
最初に再開した時は、剣でも向けられるんじゃないかとヒヤヒヤしたが、ここまでは特に問題は起きてない。
少し堅くなった気はするが、俺の知っているカサンドラで間違いない。
「主よ、あの女は何者じゃ」
「以前少し話しただろ、ロシュフォーンの王女様だよ、俺がこっちに来たばかりの時に世話になった……」
カサンドラがいない間、俺は皆に手短にカサンドラについて話す。
といってもそんなに情報がある訳ではない、ロシュフォーンの第二王女で、騎士団に勤めていて、妹のクラリスが大好きで。
そして……きっと俺がクラリスを殺したと思っている。
「そんな相手の誘いにのって良かったんですの?」
「あの状況で逃げる訳にもいかないだろ」
とにかく相手の出方を見るしか無い。
今のところは対応としては不審な点はないが、クラリスを殺した事になっている俺と昔話をする為にここに連れてきた訳ではないだろう。
「……周囲に兵が配置された」
「うむ」
程なくすると、ティアマトとフェリスが気配を感じ取ったのか、俺にそう告げてくる。
どうやら俺たちを逃がさない為にここに連れてきたという事らしい。
しかし殺すというだけならいささか手が込みすぎているような気がする。
カサンドラはフェリス達がどういう者達かまでは知らないはずだ。
何を企んでいるのか……
「主は我らが守るゆえ、いつも通り、思ったことを思ったようにするが良い」
「……分かった。ティアマトはヘリオやメイアの護衛を頼む」
俺の言葉に頷くティアマトを確認し、俺も覚悟を決める。
ロシュフォーンでの事はずっと心残りではあった。
俺をハメた連中は正直なところどうでも良かったが、カサンドラは俺に良くしてくれていた。
ずっと誤解を解きたいと思っていたのだ。
そして、程なくして現れたカサンドラは正装をしており、手には長剣を携えていた。
「何が言いたいか分かるな?」
カサンドラが剣を抜き、俺の目の前に突き付ける。
フェリスが俺の前に出ようとするが、既の所で手で制した。
怖くないという訳ではない。
だがカサンドラの気持ちは俺自身で受け止めなければいけないと思ったからだ。
「……クラリスの事だろ」
「そうだ、姉上やドロテアはお前がやった事だと言った。
抵抗するクラリスを犯し、助けを呼ばれそうになったから殺したのだと、そう聞かされた。
あの子の遺体も見た……確かに聞いた通りの有様だった」
突きつけられた剣先が僅かに揺れる。
一歩踏み出せば俺の喉を安々と貫くだろう。
「それは本当か?」
怒り……というよりも、苦悩を滲ませた声が響く。
きっとあれからカサンドラはずっと考えていたに違いない。
伝えられた事は本当なのかと。
自分は卑怯な殺人者と幾日もの間笑いあって過ごしていたのかと。
「……そうじゃないと思うから、こんな回りくどい事をしてるんじゃないのか?」
そして俺は考える。
カサンドラはクラリスの死に疑問を持っているのではないかと。
俺が犯人だと思っているなら、あの場で拘束すればいいだけの話だ。
だがそうしなかった。
ここに来るまでの間、あの頃のように俺と話していた。
俺が変わっていないかどうかを確認していたのだ。
それはつまり、カサンドラは真実を知りたがっているということに他ならない。
「俺はやっていない」
ならば話は簡単だ。
俺のこれまでの事を話そう。
クラリスに何があったのか。
俺は今まで何をしていたのか。
そして、クラリスは今、何処にいるのか。
彼女は何者だったのか……




