第七十八話 トビラノムコウ
滝の裏から入った洞窟は、二〇〇メートルほど進んだところで唐突に終わっていた。
幅三メートル程度の狭い通路を抜けた先にあったものは、少し開けた空間。
そして、目の前には幅六メートルはあろうかという、巨大な鉄の壁が俺達の行く手を遮っていた。
「これだ、この壁の向こうにどうしても行けないのだ」
鉄の壁をバンバン叩きながら忌々しそうに憤るフローワ。
俺達はルビーナに光を当ててもらいながら慎重に壁を調べる。
材質は見たとおり鉄のような気がする、作られてから相当長い時間が経っているのだろう、表面はサビで完全に変色してしまっている。
当然のことながら叩いてもビクともしない。
恐らく相当な厚みがあるのだろう、振動が伝わって行く感じが全くしない。
「ダメ、私でも破れない」
ティアマトが自身の髪を使って押してみたり叩いてみたり、少しだけ本気を出してラッシュを浴びせてみたりもしていたが
そびえ立つ鉄の壁は、表面のサビが僅かに剥がれるだけに留まっていた。
「ティアマトでもダメなら……」
『私なら貴方達が来る前に色々やったけどダメだったわ』
「そうか……メイアは何か分からないか?」
「確かにこれは古代人が作ったものなんだろうけど、ただの鉄の壁だしね……考古学でどうこうなるものじゃないかな」
ユニコーンもメイアもお手上げらしい、フローワの顔が曇っているのはそういう事か。
確かにティアマトでもどうにもならないなら、この場でこれを何とか出来る者はいそうにない。
「大丈夫です、いけますよ!」
皆が首をひねっているその中で、アリスが大きな声を上げた。
まさかアリスがこれを何とかできるというのか!?
「ノアさんの必殺剣でズバーっとやっちゃえばオッケィ!」
「オッケィ! じゃねえ!」
無駄に可愛いポーズでウィンクしながら親指を立てるアリスの額に突っ込みを入れておく。
確かに、それは一瞬だけ考えた。
だがあれは俺に使える最後の切り札だ、そう安々と使って良いものではない。
それに、あの剣は俺の中にあるマナを大量に消費する。
シエルがいない今、俺の中にどれだけマナが残っているかなど分からないのだ。
もしかしたら後一度しか使えないのかもしれない、あるいはもう使えないのかもしれない。
何と言ってもシエルがいないとあの技は制御が効かない。
こんな周囲を固められた場所で使ったら、下手をすれば全員仲良く生き埋めだ。
それに……もっと気になる事もある。
この壁の向こうには何があるのかという事だ。
もしかしたらこの先は、ダム湖に繋がっているのではないか?
ここはもしかしたら、湖の水を排出する為の排水口なのではないだろうか?
排水口にしてはここまでの道が長く、やや曲がりくねっているのが気になったが、水が通るなら大した問題ではないのかもしれない。
ダムの構造の事など分からないが、ダムの下部に穴が空いていて、その先には巨大な鉄の壁となれば、これはもう排水口と考えるのが妥当ではないだろうか。
だって、仮にこの先に何かの施設があるのだとしたら、この場所にこの壁を開閉するための何かがあっても良さそうではないか。
だがこの空間には、この壁以外には何もない。
この事から本来であれば、どこか別の場所から操作することで壁を開く仕組みだと考えられる。
そうなれば、ますます排水口だという疑いが強くなるというものだ。
開けた途端に大量の水が吹き出て来たなんて事になったら目も当てられない。
「……私がやりますわ」
俺が自分の考えをフローワに伝えようとしていた時だ。
それまでその様子を見ているだけだったルビーナが壁の前へと歩み寄る。
「ルビーナ、できるのか? いやそれよりもその先は……」
慌てて自分の考えを伝えるが、ルビーナは鉄の壁に触れ、何やら細かい魔法を何度も使用しているようだった。
時折、理解できない言葉が紡がれては、うんうんと頷きながら壁の前を右へ左へと移動する。
「大丈夫ですわ、この先は空洞のようです。
壁の厚さは約三〇センチといったところでしょうか。
ですが所詮はただの鉄、人が通るだけなら何とでもなりますわ、そこで少々お待ちなさいな」
ルビーナはそれだけ言うと、再び鉄の壁に向き直り、何やら呪文のようなものを時折口にしながら何かを調べているようだった。
フローワも何も言わずにその様子を見ている。
そうして二〇分ほど経っただろうか。
ルビーナは鉄の壁に掌を添えると、本格的に呪文のようなものを唱え始めた。
人族がよく使う短い呪文ではない、まるで詩を朗読しているかのような長く抑揚のある美しい音色がその口から紡ぎ出される。
そんな状態が一〇分程も続いただろうか。
「出来ましたわ」
おもむろにルビーナは詠唱を止め、壁の中央位部分を指差す。
その様子に変わった所は見られず、一体何が出来たのかはさっぱり分からない。
「ティアマト様、この辺りを思いっきり突いて頂いてよろしいかしら。
恐らく竜族の力であれば撃ち抜けるはずですわ」
「分かった」
言われたとおりにティアマトは前に出て、髪の毛を一点にまとめて鉄の壁に打ち込む。
空気を押しのける音が響き、続いて何かが弾けるような凄まじい音が響いた。
あまりの音量に耳が痛くなり顔をしかめる。
今まで聞いた事の無い、何かガラスのようなものが破裂したような甲高い音だ。
そして一呼吸置いて、ゴウンという重苦しい音が響き渡った。
「開いた」
ティアマトの声で我に返り扉鉄の壁を見ると、その中央には一メートル四方程度の大穴がぽっかり開いているではないか。
穴の先に光はないようで、真っ暗な闇が広がっているが、少なくとも水が吹き出てくる様子はない。
ルビーナの言った事は正しかったという訳だ。
「お、お、おおおおおおおお!」
フローワが声にならない声を上げ、目を輝かせる。
扉の切断面を見ると、とても鋭利な刃物で切り取られたようになっているが、ルビーナが何を行ったのかは全く分からない。
厚さはやはり三〇センチ程もあり、例え俺の知っている工業機械を使ったところでそう簡単に切り裂けるような代物ではないはずだ。
「すごいなルビーナ!」
「ふ、ふん、流れで付き合わされているだけとは言え、役立たずのまま終わったとあっては私のプライドが許しませんわ」
「どうやって切ったんだ?」
「部分振動を与えて原子結合を破壊しただけですわ、と言っても貴方には理解できないでしょうけど……」
「……お、おう」
若干得意げに髪を掻き上げて満足げな顔をするルビーナに、俺は曖昧な返事をしておく。
確かにルビーナの言った事を詳しく説明できるほど深く理解している訳ではない。
しかし、彼女が語ったそれは、今まで俺がこの世界で見聞きした知識とは一線を画すものであった。
「な、なあ、エルフは皆、そんな事が出来るのか?」
「いいえ、こんな事が出来るのは私くらいのものでしょう。良かったですわね私がここにいて」
高い自尊心を隠そうともせずそう言うと再び髪を掻き上げ、満足そうに頷く。
だがその言葉を聞いた俺は幾分安堵する事ができた。
ルビーナの魔法知識は計り知れない。
それは恐らく、魔族にすら匹敵する程のものなのだろう。
少なくともさっきの説明を聞く限り、同じような事を言い出しそうな人物といえばシエルくらいしか思い浮かばない。
人族では全く相手にならないレベルなのだという事は容易に想像がつく。
改めてエルフ族の実力を垣間見た。
せめてもの救いは、その中でもルビーナは特別なのだという事実があったという事くらいだ。
「ま、まあいい、とにかくこれで先に進めるな」
内心を悟られないよう平静を装いながら皆を鉄の壁の向こうへと移動させる。
しかし、その途中で大変な事実に気が付いてしまった。
『ねえ、通れないのだけれど』
一メートル四方の穴では、ユニコーンが通れないのだ。
『通れないのだけれど』
恨みがましそうな声で同じ言葉を繰り返しながらユニコーンが俺に詰め寄る。
そもそもユニコーンは馬型の魔獣なので、狭い場所での活動は制限がかかる。
今からルビーナに穴を広げてもらっても良いのだが、この先さらに通路が狭くなる場所があればその度に拡張工事が必要となるだろう。
「……ごめん、待っててもらっていいか? 簡単に調査したらすぐ戻って来るから」
『はぁ、分かったわ、ここまでの道もだいぶ窮屈だったし、嫌な予感はしていたのよね』
ゴネるかと思いきや、意外にもユニコーンはあっさりと留守番を引き受けてくれた。
どうやら本人としても、狭い通路が多い場所は苦手なようだ。
「ごめんな、先に外に出ていていいから」
『分かったわ、足手まといになるのは御免だし、面白い土産話を期待しているわね』
そう言うとユニコーンはその場に座り込む。
どうやら待っていてはくれるようだ。
俺はユニコーンに礼を言うと、穴を抜けて分厚い鉄の壁の向こうへと渡った。
巨大な鉄の壁を通過した先は長い下り坂になっていた。
幅一〇メートル、高さ五メートル程の空間が地下に向かって斜めに続いている。
驚いたのは、通路の中央部分には巨大な昇降リフトが設置されていた事だ。
かなり錆びついており動く様子は無いが、この施設がただのダムなどではないと言う事を予想させるには十分だった。
「どうだね古代人君、何か思い当たることがあるかい?」
リフトにかじりついて動こうとしなかったフローワを引き剥がし、俺達は通路の両脇に設置された階段を使って地下へと降りていく。
フローワの目は宝物を見つけた少女そのものだ、今までになくキラキラと輝いている。
他のメンバーもフローワ程ではないにしろ、初めて見る本格的な古代遺跡を前に圧倒されていた。
「俺が知ってるダムにこんな地下施設は……無いような気がする。正直この先に何があるのかさっぱり分からん。
あのリフトを見る限り、かなり大規模な施設のようにも思えるけど」
「そうか、古代人君にも分からないか、いいぞいいぞ、燃えてきたな! うわっ!」
興奮してはしゃぎすぎたのか、フローワがバランスを崩し転倒しそうになったところを間一髪で支える。
階段はまだ下に続いている、こんなところを転げ落ちたら怪我では済むまい。
「おい、興奮するのは分かるが安全って決まった訳じゃないんだ、気を付けろよ」
「あ、ああ……す、すまない」
「皆も手すりに寄りかかったりしないようにな、どこが脆くなっているか分からないから」
同じように皆に注意を呼びかける。
鉄で作られた部分は皆一様に錆びついている。
しかし数千年経っているのかと言われると、それ程でもないような気もする。
数千年放置された鉄を見たことがないから何とも言えないのだが……
フローワと目が合うと、彼女は顔を赤く染めながら俺の手を振り払い、明後日の方向を向いた後にぼそっと呟いた。
「と、特殊な状況下で結ばれた男女は……長続きしないという話を聞いた事が有る」
「いや結ばれてないから。アホな事言ってないで行くぞ」
こういう所はやはり親子なのだなと思う瞬間だ。
長い階段を下った先には、またしても大きな扉が待ち構えていた。
先程と違うのは、扉の前に様々な設備が置いてあるというところだ。
何に使うためのものなのかは良く分からないものも多かったが、リフトなどを操作するための操作盤のようなものも見える。
動力は通っておらず、どのスイッチを入れても何の反応も無かった。
しかし目を引いたのはその操作盤に書かれていた文字。
それはまさしく、俺の知る英語そのものだったのだ。
つまりここは、間違いなく古代人の為の施設だという事が確定したという事になる。
俺は自身の持つ知識を元に、フローワやメイアと話し合い、周辺を調査して行く。
しかし扉を開ける方法は見つからず、止む無く再度ルビーナの魔法に頼ろうかと考えていた時、メイアが不思議なものを見つけたのだ。
それは扉の右隣の壁に埋め込まれていた。
錆びついて分かりにくかったが、三〇センチ四方程度のスライド式の開閉部が付いており、それを開くと中には液晶パネルのようなものと幾つかの入力装置のようなものが出てくる。
取り付けられた位置といい、コンソールの形といい、恐らく扉を開閉させるための認証機器なのだと予想がついたが、異様なのはその状態。
まるで今さっきまで動作していたかのように、汚れもサビもなく、真新しい機械そのままの姿でそこに収まっていたのだ。
「これは……何だ? 随分新しいように思えるが」
「多分扉の開閉装置だと思う、でもなんでこんなに綺麗なんだ? 他はサビサビなのに」
メイアが手を伸ばし、モニタ部分やスイッチなどに触れるが何の反応もない。
見た目は新しそうに見えるが、やはり動力は通っていないようだ。
「……マナの流れを少し感じる、これ、もしかしたら純粋な古代遺跡じゃないのかも」
メイアが周囲を確認しながらそんな事を言う。
古代遺跡にも色々種類はあるのだが、天魔戦争以前の純粋な古代遺跡……つまりマナが無かった時代の遺跡内部には、マナが全く存在しない事が多いそうだ。
「どういう事だ? 古代人君、何か分からないか?」
俺の呼び名がコロコロ変わるフローワに急かされ、俺はコンソールの前に立ってみた。
見た目は液晶モニタとテンキーと変なカメラのようなものが付いた、ちょっと気取った認証装置といったところだ。
しかしいくら新しく見えても、動力が通っていないのではどうにもならない。
「ダメだな、古い遺跡だし電気も何も通ってないんだろう。仕方ないからまたルビーナに……」
そう言いながらコンソールに手をついて後ろを振り返った時だった。
ピピッというビープ音のようなものが一瞬鳴り響き、俺は慌ててそこから飛び退く。
「な、何だ!?」
再度コンソールに目をやると、そこには装置の各部分に光が灯り、俺の顔を映し出しているモニタが浮かび上がっていた。
「こ、これは!?」
「すっごい! こんなの初めて見た!」
「な、何かの魔法ですか!?」
光り輝く液晶っぽいモニタを見ながら、皆一様に興奮した様子だ。
その間にも、コンソールからは何やら女性を模した電子音のような音声が響いてくる。
突然響いてきた声に慌てる皆を宥めながら、俺はその音声案内に耳を傾けた。
どうやら様々な言語で何か同じ事を繰り返しているようだ。
意味は分からないが、聞いたことのあるイントネーションがいくつか混ざっている。
そしてそれは唐突に来た。
『生体認証を行います、視線をカメラに合わせて下さい』
それは間違いなく日本語。
久しぶりに聞く、故郷の言葉だった。
メイアなどはある程度古代の文字は読めるのだが、発音に関しては全く分からない。
それはそうだ、文字は残っていても、古代言語の音などこの世界のどこにも存在していないのだから。
だからこの声の意味をこの場で理解できるのは、俺だけという事になる。
「扉開けられるかもしれない、ちょっと離れててくれないか?」
「大丈夫なの?」
「多分害はない……はず」
心配そうに俺を見るティアマトを少し下げ、モニタの前に立った。
液晶のような画面に俺の顔が映る。
これがもし普通の生体認証なら、こんな施設に来たことの無い俺がパスするはずがない。
しかし先程の音声案内は、わざわざ多言語に対応していた。
その事から俺は、もしかしたら部外者であっても何らかのアクションがあるのではないかと考えたのだ。
そして、その予想は見事に的中した。
『日本人、該当データなし。職員の案内に従い、審査室へ進んで下さい』
アナウンスが流れると、ゴウンという低い音と共に正面の巨大な扉の右側面に設置されていた小さな扉が開いてゆく。
「おお!」
「す、凄いぞ古代人君!」
興奮して囃し立てる皆に、先程の言葉の意味を簡単に説明する。
どうやらここは新規の人間であっても、何らかの審査を受ければ入れる施設だったようだ。
古い施設なのに動力が残っているのが驚きだったが、これでさらに奥を調べることが出来るというものだ。
何と言っても俺がいた時代の施設かもしれない、そう思えば多少なりとも興奮はする。
開いた扉を入った先には信じられない光景が広がっていた。
そこにあったのは、応接室のような間取りの部屋。
特に何の変哲もない。
しかし異様なのだ。
その部屋はまるで、さっきまで人がいたかのように綺麗に掃除され、チリひとつ無かったからだ。
しかも、サビだらけだった外とは違い、全く古さを感じさせない、青と白を基調とした清々しい空間が広がっていた。
「これは……どういう事だ?」
「分からない……でも、この場所、かなり濃いマナが溜まっているみたい」
「古代人の地下施設にマナが? 魔法を使えなかったはずの彼らの施設に何故……」
フローワとメイアが互いに話し合いながらあちこちを調べる。
俺もその辺りの本棚に置いてあった本を手にとって見たが、英語で書かれているのでさっぱり読めなかった。
しかも紙がパリパリに固まっており、ページをめくるとボロボロと崩れていく。
どうやら単純に昔の状態で保存されているという訳ではないらしい。
「ノアさん、これ、血の跡じゃないですか?」
そう言ってアリスが指差した先には、茶色に変色したシミの付いた木製の机があった。
よく見ればあちこちに似たような跡があることが分かる。
嫌な予感がする。
「見ろ、こっちの方から別の通路に出られるぞ」
「ちょっと、勝手に先に進まないで下さらない?」
薄暗い部屋の中、あちこちに光源を放って照らし出すルビーナ。
しかしさすがのルビーナも、このほぼ完全な形で残っている古代遺跡には興味の色を隠しきれない様子だ。
光を掲げながらフローワの後を追って行く。
「おい、あまり離れるな! 何だか嫌な予感がする!」
今のところ特にこれと言ったものは見つかっていない。
しかしダム湖の地下に用途の分からない施設、厳重なセキュリティ付きで、未だに動作しているとなれば慎重になったほうが良い。
しかも扉の中に入った途端に、サビだらけの場所から、最近まで誰かが住んでいたかのような整った環境が現れる。
十分異常な状況だ。
退路を確保しながら全員で少しずつ進むべきだ。
そう考え、フローワ達を呼び戻そうと彼女たちの向かった方へ進みだした時だった。
突如、眩しい閃光が目に入ってくる。
それが、施設に備え付けられた照明機器が一斉に作動したのだと理解するのにしばらくの時間を要した。
あちこちで一斉に悲鳴が上がる。
早く状況を確認しなくては。
急に照らされた光に痛む目を手で覆いながら周囲を確認する。
次第に白で覆われた視界がクリアになり、俺がようやく光に慣れた目で自分の周りを確認した時。
長い通路の隅に、山のように積まれている人骨が目に入った。




