第七十七話 湖の遺跡
ベルレッタを出発してから三日目の昼前。
全身を襲う筋肉痛に悩まされながらもひたすら山中を進み続け、狼の魔獣に襲撃を受けること一回。
それらの苦難を乗り超え、とうとう俺達は遺跡が眠るという山々に囲まれた湖にたどり着いた。
ちなみに襲ってきた魔獣は、ティアマトが一睨みすると逃げていった。
野生の獣は格の違いというヤツを本能で分かるらしい。
明らかに普通の獣ではない機動で木々を蹴りながら飛びかかってきたその狼は、ティアマトと目が合うと俺達の目の前でディズニーアニメさながらの急ブレーキを披露し、そのまま逃走したのだ。
ティアマトに至っては「戦闘前の話し合いが成功した」と、たいそう上機嫌だった。
しかしそんなものは大した話ではない。
本当の問題は他にある。
先日俺が慌てふためいて不用意に発した一言が切っ掛けで今、俺とフローワの関係がおかしな方向に走り出しているのだ。
「うわぁ……」
「こりゃ凄いな」
山の上から見下ろすその湖は全長約二キロメートル程で、南北に蛇行するように広がっている。
季節が冬であるため、周りの景色は若干殺風景では有るが。
山と山の間に青い水が静かに湛えられている様は、ここまで来た疲れを吹き飛ばしてしまう程にとても静かで、ただ美しかった。
「ベルレッタの湖も綺麗ですけど、こっちはまた違った趣がありますね、神秘的というか何というか……木々の囁きが聞こえてきそう」
「お前の口からそんな感受性あふれる台詞が出るとは思わなかったぞ」
「何を言ってくれちゃうんですか、私ほど感受性に溢れたエルフはいませんよっ」
「だが本当にいい景色だなここは、暖かくなってから皆で来たいよな」
「華麗にスルーされた!?」
俺とアリスでそんな他愛もない話をしながら、ちらと後方を確認する。
そこには何やらおどおどした様子のフローワがおり、時折、俺の方を見ては俯くという動作を繰り返していた。
「えーっと、フローワ……さん? その遺跡ってのはどの辺にあるのかな?」
努めて冷静を装い声をかけると、フローワはびくっと肩を震わせて顔を上げた。
そして慌てたように俺の前に出て、湖の形状と現在位置を説明する。
「い、遺跡はここから北に数百メートル進んた辺り……です。
大きな滝があって、その滝壺の後ろに入り口が……あります」
「あ、ああ、それじゃとりあえずそこまで進もうか。フローワ……さん、案内してくれますか?」
「は、はい! 只今!」
昨日までとは打って変わり、非常にぎこちない態度でギクシャクと俺達の先導をするフローワ。
こうなってしまったのは……まあ俺に原因があるといえばあるのだが。
まさか俺が動揺して放った一言がこういう結果を招くとは、誰も予想などできまい。
「(おい、どうなってるんだよアレ、何とかならないのか)」
「(今更どうにもなりませんよ、お母さん、頭が完全にオーバーヒートしてますから)」
「(キョドりながら可愛いって言っただけで何でこうなるんだよ)」
「(私も驚きましたけど、考えても見て下さい。お母さんは今まで一度も他人から褒められた事なんて無いんですよ。
結婚だって誰もなり手がいなかったから産廃処理みたいな感じでお父さんが引き受けただけですし……)」
「(さらっと酷い事言いやがる……母親だろ)」
「(もちろん母は好きですが、私の感情と事実はまた別です)」
「(お、おう……)」
「(母もそう言った事は気にしていないように見せつつ今まではやってこられたのですが、長年貯まったモノというのは当然あるんです。
考えてみて下さい、ノアさん基準で言うと、皆から役立たずと言われ続けてきた四〇代の引きこもりニートが、初めて他人から褒められたんですよ。
しかも可愛いなんて、普通のエルフ同士でもほぼ口にしませんからね)」
「(すげえなエルフ、どういう世界なのか想像がつかないぞ)」
「(エルフ族は普通、容姿は評価の対象になりません。皆それなりに整ってるというのもありますが、興味が無いんです。
だからエルフの価値観は、自身の研究結果が一番重要なんですが、何事にも例外はある訳でして……とにかく母は他人から持ち上げられる事に慣れていないんです)」
アリスとヒソヒソ話をしながら、昨日の事を思い出す。
確かにテンパっていた俺は、あの後取り繕うようにフローワの良いところを並べ立てていたな。
しかしそれは嘘でも冗談でもない、フローワは知的で信念を持っていて面倒見がよく、良い母親でもある、そう思った事を言っただけなのだが。
それでここまで意識される事になるとは……
「(同じ事を他のエルフに言っても同じようになるのかね)」
「(なりませんよ、他のエルフ族は人族を見下してますし、猿が何か言ってるぜハハハくらいの話にしかならないと思いますよ。
あんな反応するのは母くらいのものです、本当にチョロすぎますね、今世紀最大のチョロインです……あ、ヒロインは私なのでチョロモブ?)」
「(お前も大概いい性格してるよ)」
「(……親子丼とか断固拒否しますからね)」
「(お前は一度自分の頭を治療するべきだと思うんだがどうだろう?)」
フローワの事を話していたはずが、結局いつものやり取りになってしまい、最後尾で俺とアリスが猫パンチ合戦を繰り広げる。
その様子を途中途中でチラチラと振り返りながら、複雑そうな顔でこちらを見るフローワが目に入った。
正直この展開は都合がいい。
アリスは既に俺達の仲間だし、純エルフのフローワにどんな形でも好感を持たれたのはプラスだと言えるだろう。
しかし、なんというか、釈然としない感情が俺の中にある。
一体この先、フローワとどう向き合ったら良いものだろうか……
俺はアリスと顔を合せると、どちらからともなく小さなため息を付いた。
その後俺達は三〇分ほど歩き、湖の北端部分にたどり着いた。
この湖の北端部分は非常に高い崖となっており、湖からあふれた水が轟々と音を立てて眼下へと流れ落ちている。
崖の高さは百メートル以上あるだろうか。
白い水飛沫を撒き散らしながら大量の水が落ちて行くその様はまさに壮観だ。
「すごい……きれい」
ティアマトが崖の端に立って目を輝かせながら流れ落ちる水を眺めている。
他のメンバーも、ルビーナでさえもその眺めに目を奪われていた。
「ふふん、ここは私のお気に入りの場所でもあったのだが。どうだねルビーナ、たまには外に出てみるのも良いものだろう?」
「ふ、ふん、こんなもの、ただ崖から水が流れ落ちているだけでしょう?」
「そうかい? 私はここに立っていると、エルフとか人族とか、そういったものがなんと小さな枠の中での出来事かと思えてくるよ。
我々の存在など、あの落ち行く水の一滴のようなものさ」
「景色が良いのは……認めますけど……」
憎まれ口を叩きつつも、その景色から目を離せないルビーナに、フローワが饒舌に語りかける。
俺との関係は未だ改善していないが、フローワとの距離は少しづつだが縮まっているようにみえる。
しかしここまで来たということは、旅も既に半分だ。
どこでルビーナの件に手を入れたら良いものか……
そんな事を考えながら滝を眺めていると、俺はある違和感に気がついた。
最初はその違和感の正体が何なのか分からなかったが、次第にこの滝の構造がおかしいという事に気付いてくる。
切っ掛けは日光に照らされて透き通って見える、滝の口の部分を見た時だ。
滝口部分の水深が異様に深いのだ。
そしてそこには、陽の光に照らされて水中に浮かび上がる巨大な岩の壁が見えていた。
つまりこの湖は、山と山の間に立つ巨大な石の壁によって川が遮られ、水が溜め込まれているような形になっている。
自然にこのような地形が出来上がるものなのだろうか。
そこではたと思い出す。
ここは未来の地球なのだ、そう考えれば俺はこういうモノに心当たりがある。
長い年月が経ち、土砂が堆積して分かりにくくなっているが、こんな湖に蓋をするような構造は自然に出来上がるものではないと思う。
見れば滝口の部分は微妙にアーチ型を描いてこちらと反対側の岸を繋いでいる。
となれば、恐らく間違いない。
「これはダム湖……か?」
「だむこってなに?」
滝を見終わってこちらに戻ってきたティアマトに、ダムについて簡単に説明する。
俺自身も別に詳しい訳ではないのだが、要するに巨大な壁で川をせき止めて水を貯め、河川に流れる水の量を調節する治水機構だ。
その事を話すと、ティアマトは目を丸くして驚いた。
「壁って、こんな巨大な壁を昔の人族は作れたの? こんなの私達でも作るのは無理。
何よりこんな大量の水を止められる素材なんて無い、いくら頑丈に石を積んでもこれだけの水を抑える事は出来ないはず」
「それは、コンクリートっていう人工的に作った強い石を使ってるんだ、それとあの曲がった形……アーチ構造っていうんだけど、あれで壁にかかる力を分散させているんだよ」
「ほあー……ノア、もしかして凄く頭いい?」
「いや、多分俺が生きていた時代の人なら大抵知ってると思う」
「ふあぁ、古代人ってすごい」
まあ雑学として知っているだけで、原理を説明しろとか作ってみろとか言われても無理なんだけど。
だがティアマトから注がれる尊敬の眼差しがとても心地よいので、そこはあえて言う必要も無いだろう。
「ち、ちょっと待ってくれ! 青年、君はこの場所を知っているのか!?」
そんなちょっとした豆知識をティアマトに披露していると、それを聞いたフローワが血相を抱えてやってくる。
どうやら俺とティアマトの話を一部聞いていたようだ。
「どういう事だ? 何故君がこれが人工物だと知っている?」
「ち、ちょっと待てフローワ、まず近い」
胸倉を掴みかかりそうな勢いで詰め寄るフローワを手で制すると、ようやく自身もそれに気が付いたのか、顔を赤くして離れる。
「す、済まない、その、ちょっと驚いたもので……だが先程の話、君が言った通り、この湖は古代人が人工的に作ったものなのだ。
それを、まだ内部も見ていないというのに、何故君が気付いた?」
「内部?」
「ああ、それがこれから行く遺跡の事だ。
この建造物には地下があり、そこへの入り口を私は見つけたのだよ」
先程までモジモジしていたフローワがいつもの調子で説明をする。
俺への気恥ずかしさよりも、知識欲のほうが上回っているのだろう。
しかしやはり時折、恥ずかしそうに俺の目から視線を逸らす仕草をする。
それが何だかとても新鮮で、可愛らしく見える。
アリスの話ではフローワはもうじき四百歳、人間で言うところのアラフォー世代というやつだ。
しかし人間基準の見た目では二十代前半程度のスリム系美人であるし、俺としては全く気にならないな。
「フローワ、ちょとこっちに来てくれ」
「な、何だ!?」
俺はティアマトに合図すると、滝に見とれているルビーナから距離を取る為、フローワを少し離れた木陰に連れて行く。
「な、なな、何だ青年、こんな所に……わ、私をどうするつもり」
十分距離が取れたことを確認した俺は、状況が良くわからず狼狽えているフローワを宥め、これから必要となるであろう自身の情報を簡単にだが説明した。
とにかくこの状態で遺跡探索など進めてもまた情報不足で無用な混乱が起こらないとも限らない。
現在までに置かれた色々な状況を考えた上で、俺はフローワにある程度以上の信頼を置くことに決めたのだ。
とは言え今は出先で、どちらかと言うとアウェイである。
それに手短に話さないといけない為、とりあえず伝えたことは「自分は天魔戦争以前の時代に生きていた古代人であり、召喚された人間」という事だけだ。
加えて、他のエルフには秘密にしておいて欲しい事も伝えておく。
フローワは目を丸くしながら、それでも何度も俺の言葉に頷いて返事をしてくれた。
とりあえずいきなり敵対される事は無くなったようでホッとする。
昨日良くわからないうちに上がった好感度が役に立ったようだ。
「あと……済まない、なんだか俺の不用意な発言でギクシャクしてるけど、それに関しては今は置いておいてくれないか。
なんて言ったら良いか分からないけど、あとで少し話を整理しよう」
「不用意か……私の方こそ済まない、年甲斐もなくその……少し舞い上がってしまっていたんだ。
研究の為と言って付いてきてもらったというのに、こちらこそ申し訳ない」
「いや、不用意っていうか、別に冗談だったって言う訳じゃなくてな……ああ、そのつまり、これからもよろしくって事で」
ついでに先日の話についても軽く話し、関係を修復しておこうと考えたのだが。
なにぶんこういった事に関してはまだまだ初心者だ、しかも相手も超が付く初心者という事もあり、まるで思春期の中学生のようなたどたどしいやり取りを駆使する事になる。
「これからも? い、良いのか? それはつまり、その……」
「待った待った、そこを突き詰めるとまたややこしくなる、この探索が終わったらゆっくり話そう、な?」
「わ、分かった」
とにかく小手先で言いくるめてもろくな事がない、こういう話はゆっくりと確実にお互いの認識を詰め合うことが大切だ。
何せこちらはフローワとの縁を切りたくはない。
しかし、すぐに直情的になる訳にも行かない。
そういう意味を込めての先送りだったが、フローワはまるで告白の返事を待つ少女のように、期待と不安が入り混じった表情で神妙に頷くのだった。
滝の口付近で少し休憩した俺達は、そこから急斜面を下り、滝の下へと移動する。
見れば見るほど巨大な滝だ、落差はおよそ百メートル程。
実物のダムなど見たのは小学生の時の遠足でくらいしか無いが、今目の前にそびえるこれは、どう見てもただの岩山のようだ。
湖を塞ぐ壁のような不自然な形に気が付かなかったら、とてもこれがかつてダムだったものだとは分かるまい。
枯れ草をかき分け、フローワの先導に従って俺達は滝壺近くへと進んでいく。
やがて、落ちる水の飛沫がかかるほどまで接近したところでフローワが立ち止まり、滝の方を指差した。
「入り口はあの滝の後ろ側にある」
そう言ってさらに進もうとするフローワをティアマトが呼び止める。
フローワは水飛沫の中を突っ切ろうとしたらしいのだが、ここには水のスペリャリストがいるのだ、わざわざ濡れて行く必要はない。
ティアマトは手をかざすと、流れ落ちる滝の中にぽっかりと穴が空いたように空間ができた。
皆感嘆の声を上げながら、そこを通って滝の裏へと進む。
俺もその後に続くのだが、この時点で俺は少しだけ違和感を感じていた。
この建造物がダムだということは分かった。
つまり古代遺跡というのも、ダムに関するものなのだろう。
ダムの内部には色々な設備があるらしいし、もしかしたら水力発電用の施設でもあるのかもしれない。
しかし、本来水が落ちるべき場所に出入り口など作らないはずだ。
この位置はダム施設の出入り口としては不自然過ぎる。
実は出入り口ではなく、排水口の穴なのだろうかとも考えてみたが、水の壁を通り抜けた先にあったものを見た時、俺の違和感はさらに大きくなった。
滝の裏には人が二人並んで歩ける程度の穴がぽっかり開いている。
見た目は天然の岩をくり抜いて作ったような自然洞窟を思わせるようなものだ。
しかしここがダムだと分かっていれば、こんな穴が構造上必要では無い事はすぐに見当がつく。
つまりこの入口は、何か別の目的で作られているものなのだ。
「この穴を進んだ先に扉がある! 目的地はそこだ!」
流れ落ちる滝の音で声が聞き取りにくい為、フローワは怒鳴るようにそう言うと真っ暗な洞窟の中に入って行こうとする。
「ちょっと、何で明かりを付けませんの!?」
暗闇を進もうとするフローワにもっともな疑問を呈し、ルビーナは慌てて手に光を灯そうとする。
「あ、おい、止めたほうがいいぞ」
「え?」
しかし遅かった。
不思議そうな顔をしながらも、ルビーナはいつか見た淡く輝く光を二つ発生させ、自身の頭上に浮遊させる。
照らされたのは二メートル四方の岩の洞窟、一見すると何の変哲もない。
しかし、洞窟光で満たされた時、それは動き出した。
ザワっという音と共に、岩壁で陰が動く。
その動きはどんどん大きくなっていき、ついには細かい陰があちこちで走り出した。
俺は岩肌に向けて目を凝らし、そして理解する。
洞窟の中の岩肌には、小さな昆虫が大量に生息していたのだ。
「っっぎぴゃあああああああああああああああああ!!!」
ルビーナのすぐ後ろに立っていたアリスが面白い悲鳴を上げる。
無理もない、それほど虫は苦手ではない俺だって、これを見れば生理的嫌悪が勝る。
それほど大量の虫虫虫虫虫。
見た目にはフナムシやタガメのような姿をしたものが多かった。
「だから言っただろう、この辺はまだ湿度も高いから虫が多く生息している。
光を仕舞えルビーナ、驚いた昆虫がその光めがけて飛んで来るぞ」
全く動揺も見せずにフローワが注意を促すが、ルビーナは動かない。
「おい、ルビーナどうし……た?」
フローワが振り返り、そしてすぐに何かを悟る。
「とりあえず一旦出よう、青年、ルビーナを頼む」
フローワに促され、後ろからルビーナの肩を叩いたが反応がない。
不思議に思い、前に回り込んで悟る。
ルビーナは立ったまま気絶していた。
見れば足元では虫を何匹か踏み潰しており、太ももには失禁の跡。
そして恐らくこれが止めになったのだろう、彼女の鼻の頭には大きなカマドウマに似た虫が乗っていた。
俺はカマドウマもどきを指で払うと、気絶しているルビーナを抱きかかえて洞窟から出た。
ルビーナの体は思った以上に軽かった。
「無理無理無理無理、無理です! あんなの無理!」
とにかく若エルフ二人が全く動けなくなってしまったので、一旦滝の外に出て休憩を取ることにした。
アリスはガタガタ震えながら俺の腕にしがみついている。
今はいつもの冗談を飛ばす気力は無いようだ。
「全く情けないな今時の若者は、あんな毒性の無いただの昆虫に恐れをなすとは」
「お母さんが異常なんですよ!」
アリスはどうも本気で嫌がっているようだ、目に涙をいっぱいに浮かべて本気で泣いている。
まさかこんなところでアリスの女の子らしい一面を見られるとは。
しかし女の子といえば、今のメンバーは女性ばかりだ、他にも虫嫌いはいるのだろうか?
「他はどうだ? 虫がダメな奴いるか?」
「私は大丈夫、フナムシは友達」
『いるべき場所にいるべき生物がいただけでしょう?』
「非常食にもなるよね」
あら逞しい。
どうやら本格的にダメなのは若いエルフ二人だけのようだ。
俺も全く平気というわけではないが、単に気持ち悪いといった程度なので我慢はできる。
「虫がいるのは入り口付近だけだ、五〇メートルも進めば少なくなる」
「五〇メートルも暗闇の中、虫の回廊進んだら気が狂っちゃいますよ!」
アリスがそう駄々をこねていると、途中から目を覚ましたルビーナがアリスと抱き合いながら全力で洞窟探索を拒否する。
こうしているのを見ると仲の良い姉妹に見えなくもない。
『仕方がないわね……掃除してきてあげるから少し待ちなさい』
そんな様子を見ていたユニコーンが、ため息を付きながら一人洞窟の方へと歩いていく。
『その間にその濡れた下着を何とかしておきなさいな、お嬢さん』
途中ユニコーンが振り返って意地悪そうな声でそう言うと、ルビーナはワナワナと震えだし、顔を真っ赤にして俯いていた。
ユニコーンが帰ってきたのはそれから三〇分ほど経った頃。
丁度ルビーナの下着が乾き終えたところだった。
俺はと言うと、何故か女の子達の集団から外され、一人寂しく川岸で水切りなどをしている。
男がいると着替えができないとルビーナが駄々をこねた結果なのだが、まあ普通はそういうものだろう。
日常的に親しい女性に囲まれて暮らしていたので、その辺りの感覚がおかしくなっていたようだ。
慣れとは怖いものである。
『終わったわよ、さあ行きましょう。 グズグズしていたら日が暮れてしまうわ』
どのように処理をしたのかは分からないが、皆その言葉に従い、再び滝の裏へと入った。
フローワガ光を灯し、洞窟内部を照らしていく。
結果として、洞窟内部の壁にひしめいていた虫は殆ど消えていた。
しかし、問題が完全に解決したのかというと、そうでもなさそうだ。
「ひいい、足の裏がブチブチ言ってますよぅ……」
『死骸だらけなんだから当たり前でしょ、そんなところまでは知らないわよ』
どうやらユニコーンは、洞窟内部に冷気の魔法を連射して虫達を一掃したらしい。
しかし当然と言うか、死んだ虫は地面に落ちる。
元々地面に巣食っていた虫も含め、洞窟内の地面は虫の死骸で埋め尽くされていた。
「の、ノアさん、だっこ、だっこしてくださいぃ、足が、足が……」
「知らん、歩け」
「薄情者です、こんな超絶美少女エルフに虫を踏ませて反応を楽しんでいる変態さんがいます……っていやああ押さないで! 転んじゃう! 転んじゃうぅ!」
半泣きで減らず口を叩くエルフをからかいながら俺達は奥へと移動して行く。
先頭はユニコーン、体が大きいので後方にいると退路を塞いでしまう為だ。
「あ、あれ? ルビーナちゃんは?」
しばらく進んだところで、アリスが辺りを振り返ってルビーナを探す。
しかし目に見える範囲に彼女はいないようだ。
「なんか入り口でもたついてたから先に来たけど、もしかしてまだそこにいるんじゃない?」
最後尾を歩くメイアが振り返りながら言うが、既に数十メートル進んでいる為、入り口は見えない。
「置いてきたのか? それはまずいだろ」
「入れないならいいじゃない留守番で、どうせそんなに長く潜るわけじゃないんだから。この先同じような事でいちいち騒がれても面倒だし」
「分からなくはないけど、一人だけ置いておく訳にもいかないだろ」
未だ和解したとは言えない関係だが、俺の都合で連れてきた手前、そのまま置き去りというのも気が引ける。
それに虫を見て怖がるなんて、案外可愛いところがあるじゃないか。
俺は壁に手をつき、暗い通路を入り口へと向う。
洞窟の入口には、青い顔をしてしゃがみこんでいるルビーナがいた。
特に何をする訳でもなく、光る球体を二つ出して洞窟内を照らしては、それを見て身震いしている。
「ルビーナ何やってるんだ? もう皆先に行ってるぞ」
俺はこれまでルビーナと二人きりでまともに話した事が殆ど無い。
その為こちらから声をかけるのは少し緊張するが、この場合は致し方ない。
「な、何ですの貴方、先に行ったのではなくて?」
「ルビーナが来ないってアリスが言うから探しに来たんだよ」
奥から向かって来る俺が見えたのだろう、急に立ち上がり何でもない風を装うルビーナ。
その様子が何とも微笑ましく、つい顔が緩む。
そんなルビーナを何とか連れて行こうと声をかけるのだが、さっぱり動く様子はない。
この床に散らばる虫を踏むのが嫌のだろうが、それをはっきり言うのも恥ずかしいのだ。
全く困ったお嬢様だ。
ここで行くの行かないのの押し問答をしていても仕方ない。
床を踏むのが嫌なら、足を地面に付けなければいいだけだ。
「背中をどうぞお嬢様」
俺はそう言うと背中を向け、ルビーナに乗るよう促す。
仕方がないが、ここはおんぶして運ぶ以外にあるまい。
「人族の背に乗れなどと……」
「今更だろ、誰が気絶してお漏らししたお前を運んだと思ってるんだよ」
言われてその失態を思い出したのか、ルビーナは恥辱に歪んだ顔を真っ赤に染めた。
少々の押し問答の末、俺はルビーナを背負って皆の後を追うことになった。
ルビーナと話している間に俺の様子を見に来たティアマトと合流し、洞窟の奥を目指す。
ルビーナはエルフというだけあって、肌がとてもスベスベしている。
手に伝わってくる太ももの感触が心地よい。
「変なところを触ったら殺しますわ」
「よく言う、あの夜はそうするつもりで俺を呼び出したんじゃないのか」
暗い洞窟を、ルビーナを背負いながらゆっくりと進む。
今は周りに誰もおらず、色々聞くには丁度いい機会なので、今まで聞けなかった突っ込んだ話を振る。
隣には忠犬のように寄り添うティアマトもおり、何かあったとしても安心だ。
「……そうですわ」
俺を消そうとしていたことをあっさり認められ、若干の緊張が走る。
しかし、ルビーナは俺の背中で気だるげに二つの光源を操っているだけだ、特に何かしてくる様子はない。
「それは、例の赤い目に関係しているのか?」
「……」
「俺は別にルビーナと敵対したい訳じゃない、俺が見たものが何であれ、ルビーナが秘密にしてくれと言うなら俺はその事を誰にも言わない」
「……信じられませんわ」
「本当さ、まあ証明してみせろなんて言われても難しいけど……ティアマトだって、もちろん黙っていてくれるだろ?」
「うん、言わない、約束は守る」
「裏切り者の竜族の約束など……」
そのルビーナの呟きに、ティアマトが悲しげな顔をして下を向く。
エルフ族は竜族をそういう目で見ているという事だ。
それは確かに事実ではあるが、俺は知っている。
事実の中にも、色々な事情があるのだという事を。
「その時そこにいた者にではないと、分からない事情ってのはあるもんだ。
ルビーナはそういう事を知りたいとは思わないか? ティアマトが何故ここにいるのか……
もしルビーナが自身の事情を話してくれるなら、俺達も俺達の事情を話そう……いや、聞いて欲しい」
「……」
「俺にはエルフ族の助けが必要だ。
だから今まではエルフ族とどうやったら分かり合えるかって事を考えてた。
でもやはり、いきなり全部っていうのは無理なんだ。
一人、二人と、根気よく話して、理解し合って、徐々に俺達を知るエルフを増やしていく以外に無いんだ。
だから俺は、ルビーナと知り合いたい。
色々話して、何か困っているなら力になってやりたいと思っている」
「人族とエルフは違いすぎますわ。
たかだか数十年で消えていく種族と分かり合うことなど、絵空事以外の何物でもありません」
「不可能じゃないんだ、本当に不可能なら俺は今ここにいない。
俺はここに来てからずっと……誰かに助け続けられてきた。
人族や、竜族や、魔獣や、エルフや、魔族に……助けられて今ここにいるんだ」
どこまで言ったら良いものか……初めはそんな事ばかり考えていた。
しかし相手の事を知りたいと言う時に、自分のことをぼかしてばかりいたのでは言葉に説得力など出ないだろう。
相手の秘密は知りたいが、自分の秘密は隠しておきたい。
誰でも思う事だ。特に身の安全がかかっているなら尚更。
しかし、それではダメだ。
あの目の秘密はフローワにとって、相手を殺害してでも漏れるのを防ごうというレベルのもの。
それを引き出すためには、俺の身の安全など気にしていたのでは到底不可能だろう。
相手に信じてほしいのは俺の方なのだ。
だから、俺の方から弱みを見せていかない事には、この熱は決して伝わらない。
俺は意を決して、身の回りのことをルビーナに語る。
ティアマトがラギウスから離脱したこと。
魔族の身内がいる事。
俺自身が召喚された人間であること。
恩を受けた国の為に働きたいこと、そして、恩人達が今まずい状況にある事。
その為に、エルフ達の後援が欲しいこと。
「……大罪ですわね」
俺の背中でルビーナがぼそっと呟く。
彼女は俺の話に驚いてはいたものの、それほど取り乱した様子は無かった。
現実味がない内容のせいで、事実として捉えきれないというのもあるだろう。
しかし、隣を歩きながら俺の話を黙って肯定するティアマトの存在が、ただの与太話に説得力を持たせるはずだ。
「その話が本当だとしたら、私はこの事をお父様に伝え、お父様が天族に報告をするでしょう。
そうすれば貴方達は処分されて終わる話です。そんな事を話して一体何のメリットが?」
「他人の秘密を知りたいと言っているのに、自分の秘密を隠したままにしておくのはフェアじゃないと思ったまでだよ」
「バカが付く正直者ですわね……いいえ、そういうのはただの愚か者と言うのではなくて?」
「……そうだな。
でもいいんだ、今まで何度も他人を出し抜こうと考えた事はあるけど、結局俺にはそういうのは無理なんだよ。
つい最近もとある男に言われたよ、相手の首根っこを押さえつけて情報を引き出すのが交渉なんだって。
だから今回も、最初はルビーナの弱みに付け込んでここまで連れ出したけど、考えたら俺の目的はルビーナを騙す事じゃない。
仲良くなる事だ。
だから俺に出来る事と言ったら結局、自分の事を知ってもらって、信用してもらう事以外に無いんだよ……」
どれくらい歩いただろうか。
もう随分長い距離を歩いているように感じるが、暗い洞窟の中なので距離感が掴めない。
まだ先は暗く、終点まではもう少しあるようだ、しかしいつの間にか、足元に散らばっていた虫の死骸は殆どなくなっていた。
「それでも私はエルフ族、魔族と関係がある相手と交友を結ぶ訳にはいきません」
長い沈黙の後、感情が篭っていない声でルビーナはそう話す。
やはりか……という諦めにも似た感情が俺の中で渦巻いた。
「もう良いですわ、下ろしてくださいませ」
虫を潰す音がしなくなった事に気付いたのだろう。
俺はルビーナをそっと下ろすと、彼女は恐る恐る地面に足をつけ、そして安堵したようなため息を吐く。
「ですが、貴方は私が思っていたものとは少し違う人物であったようですわね。
交友を結ぶ訳には行きませんが、貴方がこのままエルフの村を去るのであれば、私は今の話を聞かなかった事にします」
俺の手が当たっていた太ももあたりを擦りながらルビーナはそう提案した。
その言葉に、俺はほんの少しの安堵と、大きな落胆を感じていた。
結局全てさらけ出しても、これ以上踏み込むことは出来ないのか……
「旅は最後まで同行させて頂きますわ、もう貴方をどうこうするつもりはありませんので、ご安心くださいな」
そう言って柔らかい笑顔を向ける様子を見ると、身の上を話した事で若干態度は軟化したようではある。
しかし、恐らく先程の話はもう覆らないだろう。
ルビーナはこちらの弱みを握った事で、全て無かった事にして手打ちにする方法を選択したのだ。
確かにエルフにとって魔族は仇敵とも言える存在。
そこも含めて友好をとは、さすがに無理がある話だったという事だ。
「仕方ない、見逃すというだけでも随分歩み寄ったはず」
俺よりはエルフ族をよく知るティアマトが慰めてくれる。
確かに、人族など視界にも入らないという態度だったルビーナにこの選択を選ばせたというだけでも、ある程度の信頼を得たと言えなくもない。
これ以上突っ込んでも藪蛇なのだろう。
だがしかし、これでエルフ族と友好関係になるという目的が達成される事は無くなった。
自身の身内に魔族がいると分かってしまった以上、ここから先の進展は望めないだろう。
「……分かった、先を急ごう」
ここで四の五の言っても始まらない。
残念な事ではあるが、ならば気持ちを切り替えてフローワとの縁だけでも大切にせねば。
俺は沈む気持ちをなんとか奮い立たせ、暗い洞窟の中を進んだ。




