第七十一話 エルフの村へ
「それじゃ行ってくるから、留守は頼んだぞ」
「ご主人様……ご主人様……」
「ユミナ……少しだけの辛抱だから」
「ご主人様ぁ……」
俺達がエルフの村へ向け旅立つ朝、玄関先で駄々をこねるユミナを長いこと抱きしめ、宥め、ようやく俺達は馬車に乗り込んだ。
本当なら連れて行ってやりたいが、リスクを避けるためにも必要以上の魔族を連れて行く訳にはいかない。
「それじゃあ、留守の間よろしくお願いします!」
「任せてくだせえ旦那! 旦那と姐さんの家、死んでも守りきってみせまさぁ!」
留守の間の家の警護を任せた、アストリア団の五名に手を振ると、皆揃って教会式の敬礼を返してくれた。
彼らは今日から俺達が帰るまでの間、二四時間体勢で家の警護を引き受けてくれたのだ。
日当は一人一日、銀貨三枚、食事付きだ。
夜間はフェリスやユミナもいることだし、黒王と合わせて仕事してもらえば大抵のトラブルは対応可能だろう。
「お父様、行ってらっしゃいませ。こちらは昼食にとお作りしました、皆さんで召し上がって下さい」
駆け寄ってきたミルフィオリが俺に弁当を手渡してくる。
お父様と呼ばれるのはまだ慣れないが、その心遣いに胸が熱くなる。
「主よ」
「フェリス……行ってくる」
俺はフェリスを抱き寄せると、二度、三度と軽く口吻を交わした。
今までいつも当たり前のように側にいた存在……離れるのが辛い、しかし今回ばかりは連れて行く訳にはいかないのだ。
「こんな肝心な時に役に立たぬ妻で申し訳がない」
「そんな事あるものか、フェリスはフェリスにしか出来ない仕事をしているじゃないか。一刻も早くフィガロで何が起きているのかを掴んでくれ」
「うむ、主が帰った暁には、全てを良きように終わらせようぞ」
最後にもう一度だけきつく抱きしめあった後、後ろ髪をひかれる思いで離れ、馬車に乗り込んだ。
『さあ、もう良いかしら、忘れ物は無い?』
「ああ、大丈夫だ」
旅に必要な物資や、エルフ族に送る手土産品などを確認して頷く。
そして、ユニコーンが馬車を引く馬に号令をかける直前に、離れの小屋から人が飛び出てくるのが見えた。
「待って! 私も行く!」
離れ小屋から何日かぶりに飛び出してきたメイアは、背中にリュックのようなものを背負っていた。
その様子からすると、俺達に同行しようという事だろうか。
「ごめん、本当はもう少し早く言おうとしたんだけど、資料の整理に手間取って」
「いや待て待て、今から行く所はとても安全とは言い難い場所だぞ、シエルもいないのに連れて行ける訳無いだろ」
「そのシエルに言われたの、ノアに私が必要になる時が来るから、その時は力になってくれって」
「……シエルが?」
シエルからそんな事は何も聞いていない。ただ、メイアを頼むとしか。
あの時は何で一緒にグラーナ島へ連れて行かないのだろうと思っていたのだが……
「エルフの領域に行くんでしょ? とりあえず役に立ちそうな資料は揃えておいた。
エルフの儀式用の言葉が出てきたとしても、私なら意味が分かるし」
「しかし、メイアに何かあったらシエルが悲しむだろ……」
「シエルは私に、ノアの助けになれって言った。それって多分今この時の事なんだと思う。
ノアがエルフの村に行くって聞いた時からずっとそっちの文献を漁ってたの。
足手まといにはならないから、連れて行って」
いつもはぬぼーっとしながら本を読んでいるか、部屋に篭って古書の解読をしているだけだったメイアがやる気に満ち溢れている。
確かに危険には違いない、メイアはいまいち実感はないが魔族だ、そのままエルフの村に入れるかどうかは分からない。
しかし確かにエルフに関しては不明な部分も多い、メイアの力が必要にならないとは言い切れない。
そして相手は千年もの寿命を持った種族だ、言った先で古い時代の何かがあるかもしれない。
そういう時にメイアがいれば、何かの手がかりに気付く可能性はある。
それを見越して、シエルはメイアをここに残したのだろうか……
『どうするの? 連れていくの?』
「……エルフとの一次接触がどうなるか分からない、最悪、メイアはずっと馬車の中になるかもしれないがいいか?」
「構わないよ」
「分かった、乗り込め、出るぞ」
メイアが荷台に乗り込んだのを確認した後、俺の号令と同時にユニコーンが馬車を引く馬に指示を出す。
馬車はゆっくりと動き出し、住み慣れた家を後にした。
ここで本当にメイアを連れ出した決断は正しかったのか、それはまだ分からない。
一人増えたところで旅の食料などは問題はないが、わざわざ連れていく魔族を増やしてしまって大丈夫だったのか。
そんな不安はあったが、もし本当にシエルが俺のためにメイアを残して行ったのだとすれば、そこには何か意味があるはずだ。
もっとも、出来れば事前に言っておいて欲しかったのだが……
不安だらけの出発となってしまったが、もう後には引けない。
俺達は馬車に揺られながらアリスの故郷、エルフの村“ベルレッタ”へと馬車を走らせた。
――――
アリスが言うには、ベルレッタへ向う方法は二通りあるそうだ。
一つは、ロフレ村方面からラギウス帝国に入り、その後、山間部を北上する方法。
もう一つが今通っている道、フィガロから北上し、ロシュフォーンとの国境線付近を西に進んで山を超えるルートだ。
旅のし易さで言えば、断然前者のラギウス帝国内を北上する方法になる。
こちらのルートは距離は長いが、険しい山越えがなく、貨物馬車でも無理なく通ることが出来るルートだ。
しかし一旦ラギウス帝国の関所を超えなければならない為、今の面子では少々厳しい。
特にユニコーンの存在はどうあっても騒ぎの元になるだろう。
なので、国境は越えずにフィガロ王国領内だけを通って行く必要がある。
その為のルートが、ロシュフォーンとフィガロの国境線付近を西に進む方法だ。
このルートは、総合的な距離は前者よりも短くなるが、険しい山道を通って山越えを行う必要が出てくるルートだ。
はっきり言って、冬季に選択するようなルートではない。
さらに問題となるのが、国境線付近の治安だ。
国境付近は魔窟……これは以前ガドラスが言っていた言葉であるが、その意味を俺はロシュフォーンで嫌というほど思い知っている。
こんな見た目が豪華な馬車で、中に荷物が満載、そして見目の良い女性を連れているとなれば、まず見つかれば襲われないはずがない。
戦力的に負ける事は無いだろうが、馬車が走行不能にでもなってしまったら厄介だ。
少なくとも山岳地帯に入るまでは警戒を続ける必要があるだろう。
『ほらほら足並みが乱れているわ、それでは余計な体力を使ってしまうでしょう? 疲れたら言いなさい、休憩するからね』
馬車の外からユニコーンの声が聞こえる。
どうやら新米の馬車馬を教育しているようだ。
ユニコーンが二頭の馬を制御してくれているおかげで俺達は御者台に上らなくて済んでいるのだが、いかんせん、搭乗者の中に普通じゃない存在が二名もいるので
新米の馬車引き馬はガチガチに緊張しまくっており、その緊張を解して進ませるのに苦労しているらしい。
これが黒王なら何の問題も無かったんだけどな。
まあ千年生きてる魔獣と竜族が一緒では、普通の生物は気が休まらないのも当然か……
暫くの間はなだらかな平野とある程度整備された道が続く。
途中数度の休憩を繰り返しながらフィガロから北上を続けること一日、ようやく最初の目的地である、ロシュフォーンとの国境線付近まで進むことが出来た。
馬車を引く馬が黒王であったなら、ここまで半日程度で到達していただろうが、今はそれを言っても始まらない。
馬車を引く馬たちもようやくユニコーンやティアマトの気配に慣れだしたようで、本当の勝負はここからなのだ。
国境線沿いにはリコ川という、かつては人工的に作られたと思われる水路が流れており、それを挟んでロシュフォーン側、フィガロ側双方に防壁が作られている。
防壁と言ってもそこまで立派なものではなく、大人が少々頑張れば乗り越えられてしまう程度の高さの、石を積んで作った壁だ。
ここからは西に進路を取り、国境線沿いにデラルナ山脈を目指す。
目的地であるベルレッタは、山一つ越えた先にある山林の中にあるそうだ。
俺達は国境線付近でキャンプを張り、野営をする。
少し戻れば村はあるのだが、この面子で人里をウロウロするのは躊躇われる。
特にユニコーンなどは、フィガロ王都以外では存在自体がそう知られている訳ではないので、下手に人目に触れて魔獣が出たなどと騒ぎになっても困るのだ。
今も念の為ではあるが、馬面のように加工した木製の飾りで角の根元を隠し、あたかも装飾品の角であるかのように誤魔化しながら移動している。
火を焚き簡単な食事を取った後は、馬を少々自由にしてユニコーンに預け、十日くらいなら眠らなくても問題ないというティアマトに火の番を任せ、俺は馬車の中に入った。
先は長い、西に見えるデラルナ山脈はそれほど高い山々ではないが、整備されていない道を馬車で進む事になるのだ、予想以上に困難な道程になる事だろう。
休める時に休んでおくのがこういう旅の鉄則だ……
という事を以前ガドラスが言っていたのを思い出して、他の面々よりも圧倒的に体力の無い俺はその通りにしてみる事にする。
コートを着込んだまま毛布を被り、馬車の隅で体を抱くようにして目を閉じる。
パチパチと微かに聞こえる焚き火の音を聞きながら、俺は昨日の夜の事を思い出していた。
あの晩、しばらく会えなくなるからと、皆で一緒に風呂に入り、一緒に寝ようという話になったのだが、部屋に入ってきたのはユミナだけだった。
その時は別段気にもせず、俺はユミナと最近の事について話していた。
どうやらユミナの剣技は成長留まるところを知らず、遂にカタリナと互角に渡り合うところまで来てしまったらしい。
それ自体は良い事なのだが、そうなると問題になってくるのはカタリナの立場やメンタル面だ。
つい数か月前まで素人同然だった少女に現役の百人長が遅れを取ったなどという事になれば、対外的にも、カタリナ本人としてもあまりよろしくない結果を招きかねない。
例えカタリナ自身はユミナの才能を認め、讃えたとしても、周りはそれだけでは済まないからだ。
フラガなどは「挫折を味わう事も修行の一環だ」と、大して気にもしていなかったようだが、それをネタにカタリナが百人長に相応しくないなどと騒ぎ立てる者が出てくれば面倒な話に発展しかねない。
しかしカタリナ以上の人材ともなると、なかなか手の空いている人間はおらず。
一旦実技訓練は中止し、座学でも教えようかという話になりかけたのだが、そこにたまたま報告のためフィガロに帰ってきていたロレント千人長が通りかかったのだ。
ロレントはユミナとカタリナの訓練を見ると、すぐにユミナに興味を持ち始めた。
そうして事情を理解すると「自分が育てる」とユミナの訓練教官を自ら買って出たのだそうだ。
そんな訳でまずは一ヶ月、年が明けるまでの間、ユミナはロレントから直々に戦闘技術を教えて貰う事となったそうだ。
初日に少しだけ手合わせしたらしいが、全く歯が立たなかったようで、その時の事を楽しそうに俺に話してくれた。
元は流れの傭兵で、先代の頃からフィガロに仕えて数十年。
酒も女も自身から遠ざけ、ただひたすら武の道を究めんとする、フィガロ最強の猛将と名高い人物、それがロレント・バルカルス千人長だ。
フラガとロレント、戦ったらどちらが強い? というのはフィガロ国民定番の議論のネタである。
聞けば聞くほど、とんでもない人物から目をつけられたものだ……
そうしてしばらくは他愛もない話題に花を咲かせていたのだが、いつまで経ってもフェリスが現れる様子がない。
さすがに話題も少なくなり、俺がフェリスを呼びに向かおうとベッドから立ち上がった時だ。
ユミナが俺の手を掴んでいた。
少しうつむき加減のその顔は、トマトのように真っ赤だった。
そういう事かと、俺はその時になってようやく理解した。
抵抗が無かったという訳ではない、今まで考えていた事のような不安もあった。
しかし、縋るように俺を見上げたその両目一杯にたまった涙を見た時、俺はユミナを抱締めずにはいられなかった。
無言でただ俺にしがみ付くユミナからは、一瞬たりとも離れたくないという想いがひしひしと伝わってくる。
俺はユミナの涙を舌で舐め取った後、何度も何度も口吻を交わし、そして……とうとうユミナを抱いたのだ。
「フヒっ」
思い出すと自然と頬が緩む、変な笑い声が出そうになったので慌てて堪えたら、かえってキモい音が漏れてしまった。
ユミナは柔らかかった。ああ、柔らかかったとも。
とても竜族と戦えるような戦士とは思えない、ぷにぷにのフワフワだった。
目に涙をいっぱいに浮かべながら、それでも必死に俺を気遣う様子がいじらしくて仕方がなかった。
一山越えた後は、心地よい疲れを感じながら、ぴったりと二人でくっついたまま朝まで眠った。
起きた後も、一度くっついてしまうと離れたくなくなってしまって、ベッドを降りる決心を付けるまでが非常に苦難の道のりだった。
戻ったら真っ先に抱きしめたい、一晩中抱き締めて可愛がりたい。
事が終わった後も、俺が心配したような事は何も起こらず、本当に幸せな一夜だった。
こんな事ならもっと早くユミナの気持ちに応えてやればよかった。
俺は幸せだった昨夜のことを思い出し、現状を耐え忍ぶ。
馬車の中とは言え真冬の野営だ、毛皮一枚では寒さは完全には防げない。
しかも今日は服を着たまま床にごろ寝。
フィガロに来てからと言うもの、整った環境にどっぷりと浸かっていたので、今の状況では全く眠ることが出来ない。
フェリスと二人で旅をしていた頃は、ろくに洗ってもいない、火で炙っただけの川魚を食ったりもしたものだが、今となってはそれに耐えられる自信がないな。
シエルに貰ったコートをしっかり閉じ、膝を抱えて丸くなる。
それでも寒くて、眠るどころの話ではない。
こんな生活があと何日も続くのかと思うと気が滅入ってくる。
そんなこんなで俺が必死に寒さを耐え忍んでいると、ゴソゴソと何かが動く音の後、俺の方に何かがのしかかって来るような重みを感じた。
「な、何だ?」
まさか敵ではないと思うが、暗くて周囲の様子がよく分からない。
慌ててのしかかって来た物体を手で押すと、何か柔らかいものが手に当たる感触がした。
「ねえノア、寒いでしょ? 寒いよね? ちょっとそっち行っていい?」
「あ? え? メイアか?」
「ちょっとこの寒さ、シャレにならないよ。一人じゃ凍えちゃうんだけど」
近づいてきたのはメイアだったようだ。
メイアは俺の返事を聞く前に、俺の隣まで移動しぴったりと寄り添った。
「お、おい、近すぎるだろって」
「くっつかないと意味ないでしょ」
そう言うとメイアは俺の毛布を剥ぎ取り、その中に滑り込む。
メイアの柔らかくて冷たい肌の感触が、俺の腕から直に伝わってくるのが分かった。
「ちょ、何やってるんですかノアさん、フェリスさんに言いつけますよ」
騒ぎを聞きつけたのだろう、少し離れたところからアリスの声が聞こえる。
暗闇の中では赤い二つの目が光っていた。
「まてよ、これは不可抗力だろ、お前は寒くないのか?」
「寒いに決まってるじゃないですか、凍え死にそうですよ!」
「魔法とかで何とかなんないのかよ」
「そんな都合のいい魔法は知りませんよ」
「うう、寒い……でも外は余計寒いし、ノア、もっとくっついて」
「いやくっつけって言われても……」
「あ、なんだかそっち楽しそうじゃないですか、私も混ぜてくださいよ」
「おい馬鹿押すな、苦しいだろうが!」
結局、寒さに耐えられなくなったアリスも加わり、三人が団子状になって寄り添いながら夜を明かした。
寒い時は人肌で……という話は本当だったらしく、三人が寄り添って暫く経つと、毛布の中に熱が充満してきて凍えるような寒さを紛らわせることが出来ていた。
――――
夜が明け、目が覚めた俺達は旅の続きをするために準備を行う。
座って寝ていたせいか体のあちこちが痛いし、よく眠れたとは言い難い。
これを後数日の間続けなければと思うと、まだフィガロを出てからたった二日目だというのに気が滅入ってくる。
「ノアさんおっはようございまーす。昨日はお楽しみふべっ!」
アリスがいい笑顔でアホな事を口走っていたので脳天に手刀を入れておく。
確かに両脇が柔らかくて心地よかったが、さすがにあんな状況ではスケベ心を抱く余裕もない。
……まあ、ちょっとだけメイアの脇腹をつまんだりはしたが。
そのメイアはと言うと、何やら妙な器具で計測を行い、地図と見比べながらうんうんと唸っていた。
方角の確認でもしているのだろうか。
「ようメイアおはよう、何やってんだ?」
「おはようノア、ちょっと現在地を確認してたの。ここから山に進むと、多分私の調べでは鉱石が取れる場所があるはずなんだけど」
メイアが見ていた地図を覗き込むと、そこには様々な記号がびっしりと記入されていた。
どうやらメイアが独自に調べた遺跡などの場所が載っている地図のようだ。
ぱっと見た限り、なかなか精巧な作りに見える。
「せっかく遠出するんだから、気になる場所は調べておかないとね」
「それはいいが、あまり一人でウロウロしないようにな」
そう言いながら俺は朝食代わりの干し肉とスープをメイアに渡す。
フーフーとカップに入ったスープを吹いているメイアの姿が何だか可愛らしい。
「ところでノア」
「うん?」
メイアがカップから目線を外し、俺を見上げるように上目遣いで言う。
「触りたいなら触ってもいいけど、昨日のあれはくすぐったいだけだから止めてね」
メイアの言葉に、思わず口に含んでいたスープを吹き出しそうになりなんとか堪えたものの、変な所に入って盛大にむせた。
そりゃそうだ。
気付かないはず無いよな。
俺はイタズラがバレた気恥ずかしさを誤魔化しながらも、次の機会には小細工なしでしっかりと触ろうと心に決めるのだった。




