第四十六話 水龍
フラガと別れた俺は、キャンプ地に戻り皆と思いっきり遊んだ。
特に今日の主賓はクローディアという事なので、あらゆる事にクローディアを巻き込みつつ遊んだ。
王女二人は野外活動ということで、いつものドレスではなく、ややピッタリとしたチュニックにレギンスと言った比較的動きやすい格好になっている。
こちらに来る際はローブを羽織っていたので分からなかったが、ローブを脱ぐと肌にぴったりと吸い付いたレギンスが露わになり、健康的な曲線美を見ることが出来てとても眼福だ。
なのでこちらも自然と、そう言った部分がこれでもかと言うほど躍動する遊び。
すなわちビーチフラッグのような激しく動く遊びを積極的に開催することになるのだ。
マリアベルは服が汚れるのもお構い無しで持ち前の反射神経を利用して好成績を収めている。
対する俺はいつもドベだ、仕方ない、この中で一番トロいのが俺だからだ。
だがドベにはドベなりの役得というものがある。
旗を取りに滑り込む様を後ろから眺めると、もれなくプリプリ弾ける桃を堪能できる、まさに夢のような環境なのだ、運動音痴万歳。
「クローディア様、やってみますか?」
「わ、私に出来るでしょうか」
「大丈夫ですよ、別にマリアみたいに旗に向かって飛び込む必要は無いんです、走りながら旗を取ってもいいんですよ」
「それなら……」
こうして口八丁手八丁で、俺と同じくらい運動に縁が無さそうなクローディアを引っ張り出すことにも成功した。
別にクローディアに旗に向かってダイブしてもらおうなんて考えていない、何故ならクローディアは走っているだけで十分俺の目的は達成できるのだから。
そして幾度かの競技の後……額に汗を流し、息も荒く顔を上気させているクローディアがそこに居た。
「ふぁ……こんなに走ったのは久しぶりです」
「なかなかのご健脚ですね」
「そんな事ありません、ノア様に手心を加えていただいているだけです」
ハアハアと荒い息をついているクローディアに水筒を渡す。
クローディアはああ言っているが、実は俺もそこまで余裕があるわけではない。
さすが若さ溢れる一八歳と言うべきか、食らいついてプルプル震える二つのメロンを目に収めるのも一苦労なのだ。
「随分と張り切っておるではないか主よ」
健康的な唇から喉へと水が流れ込む様子を観察していた俺の背後から声がかかる。
この声は考えるまでもなく、我が愛する丘なし娘だろう。
「おお、フェリスもやるかい」
俺式爽やか笑顔を向けつつ振り返ると、そこには若干機嫌の悪そうにしているフェリスの顔がある。
あ……これヤバイやつだ。
「おお良いぞ、では主と勝負して妾が勝ったら主の新鮮なものをコップ一杯程度頂くとしよう」
どうやら俺が先程からクローディアに引っ付いて、ひたすらラッキースケベを狙っていた様子をしっかりと見ておられたようだ。
お顔がお仕置きモードになっている。
「やだなあ、ぼくがフェリスさんに勝てる訳ないじゃないですかははは」
「ほほう、他の女の尻は追えても妾の尻は追えぬと申すか」
思った通り、今までの行いを余すところなく見られておられる……
こうなってしまった以上は上手に宥めないと残り時間を貧血状態で過ごすことになってしまう事になるだろう、何とか回避せねば。
「じゃ、じゃあ一回だけ」
「これは異な事を、クローディア殿とは先程から何度も何度もやっていたではないか、妾も同じ数だけ付き合おうぞ」
「死んじゃう、死んじゃうから……」
薄い笑みを浮かべてにじり寄るフェリス、どうあっても逃してもらえないらしい。
俺は助け舟を求めて周りを確認するが、一番いい勝負をしそうなユミナは向こうの原っぱでマリアベルと戯れている、こちらはアテにできそうもない。
まずいぞ、フェリスとビーチフラッグなんて勝てる要素がまるでない、このままでは俺の血液は全てフェリスに差し押さえられてしまう。
単に素直に謝ればいいだけなのだが、いつもいつも謝ってばかりというのも芸がない。
ここでフェリスを打ち負かしてギャフンと言わせることが出来れば、主人としての威厳も保てるというものだ。
クローディアが見ている前と言うこともあり、そんなどうでもいい見栄から、俺はフェリスに勝つ為の方法を模索し始めた。
とは言っても考えている時間はあまり無い、何か、何か無いか……
焦る俺の視界の端に、先程使っていたビーチフラッグ用の旗が付いた棒が見える。
旗と棒……棒倒し……山崩し……あっ
その時、俺の脳裏に天啓のごとく、次に行うべき勝負が閃いた。
「よし分かったフェリス、だが勝負方法は別のものに変更させてもらうぞ」
「む……観念しおったか、良いぞ、何でも受けて立とう」
こうして俺とフェリスの戦いが始まった。
――――
「……納得が行かぬ」
新たなゲームでフェリスに戦いを挑み、終わってみれば俺の全勝という結果となった。
それもそのはず、俺の仕掛けた勝負はいわゆる“棒取りゲーム”と呼ばれるものだ。
任意の数のコインなどを、決められた範囲の数づつ交互に取っていき、最後に全て取りきったプレイヤーの勝ちとなるゲーム。
実はこれには必勝法なるものが存在し、その存在を知らない人間が相手であれば負ける事はほぼ無い。
ぶっちゃけてしまうとイカサマを使ったようなものだが、フェリスに勝つにはそうするしか無かったのだ。
唯一の懸念は、フェリスがこの必勝法に気付いてしまう事だったが、現在フェリスは棒の代わりに置いた二〇個の石を見ながらうんうん唸っている。
どうやら必勝法の存在にはまだ気付いていないようだ。
「どうだフェリス、少しは見直しただろ」
「ぐぬぬ……解せぬ、じゃが負けは負けじゃ、ぐぅぅ」
全敗という結果がショックだったのか、フェリスは石を並べてあれこれと動かし、シミュレーションを行っている。
あまりやらせておくと、カンのいいフェリスの事だから何かに気付いてしまうかもしれない、さっさとゲームから引き離す為に、そろそろ昼飯の時間にしよう。
そんなこんなで若干危ない場面もあったが、ピクニックは順調に進み、日は高く登った頃
皆遊び疲れて腹が減り始めたところで、お昼を食べる事になった。
川辺りに敷いたキャンプシートの周りに皆が集まり、めいめいが弁当を開いている。
せっかくの野外活動なのだからと、川魚を焼いて食べようとも思ったのだが
考えてみたらこの辺りの川にはそのまま焼いて美味しい魚などいない事を思い出したので止めた。
あの放浪生活の中で川魚はだいぶ食べたが、この辺りの川にいる魚は総じて大きく、種類が良く分からない魚ばかりだ。
日本で慣れ親しんだイワナやヤマメなどといった川魚はおらず、ナマズや鯉やうなぎのような魚が多い。
たまにサケに似た魚がいて、主に食っていたのがこいつだ。しかし総じて泥臭く、最初の頃は食うのに難儀したものだ。
川魚がまずいのは俺の味覚が化学調味料に慣れていたせいかとも思ったが、一般の人々も川で取れたばかりの魚にかぶり付くことは殆どしないらしい。
うなぎもあまり食されていないようだ。
以前、焼きうなぎを食堂で頼んだ時に、ぶつ切りになったうなぎがそのまま出てきた時は驚いた。
泥は抜いてあったのでそこまで食えない訳ではなかったが、蒲焼きのようなものを期待していた俺は大変がっかりした。
あれではあまり人気がないのも頷ける。
それからというもの、うなぎが川の隅でうねっているのを見る度に、いつか捌いて食ってやろうと心に誓ったのだ。
……話が逸れてしまったが、とにかくそんな訳で川魚を焚き火で炙って食うという、川遊びの醍醐味とも言うべき昼食は見送りとなった。
弁当を持ってきているのは俺とマリアベルとクローディアだ。
俺がシエルから預かった一際大きなバスケットにかかった布を取り除くと、その中には様々な種類のサンドイッチと角切りにしたフルーツの砂糖漬けが入っている。
外で食べることを意識した食器要らずの弁当、さすがシエルだ。
「素晴らしいお弁当ですね、これはシエル様が?」
「そうなんですよ、朝から作ってくれていたようで」
「シエル様は本当に何でもできてしまうのですね」
隣に座っているクローディアが俺のバスケットを覗き込んで感嘆の声を上げる。
確かにうちのメイド嫁のスペックは規格外だ、正体が正体なので能力的には最上級なのだろうが、何でも先読みして必要なものを必要なタイミングで提供する能力は最早未来予知と言って良い程ではないか。
「全くですね、これは美味しいです、ノアさんいいお嫁さんばかりで羨ましいですね」
その声に振り向くと、いつの間にかアリスが俺のバスケットに取り付いており、サンドイッチを両手に持ってムシャムシャと頬張っっている。
「……全く遠慮する気配が無いなお前」
「ふみゃへほんはひひっはいはふんははらひーははいへふあ」
「食うか喋るかどちらかにしろ」
食いながらふみゃふみゃ言っているエルフはそれを聞くと黙々とサンドイッチを咀嚼し始めた。
どうやら会話よりも飯を選んだらしい、潔いことだ。
俺の中に描かれていたエルフという像が崩れているのを実感しながら幸せそうにサンドイッチを食べるアリスを眺める。
食いながら耳がピコピコしていて面白い、犬みたいだ。
「そういえばこいつ、いつエルフの村に帰すんですか? まだ何かやる事が?」
アリスがフィガロ城に居候を初めてもう随分になる、魔獣の事もさすがに片付いただろう。
そもそもあの件でアリスに聞くことなどあまりないはずだ、簡単な事情聴取だけで終了するのだとばかり思っていたが……
とりあえず話題の一つとしてクローディアにその辺を聞いてみる。
「そうですね、当初の懸念も無くなりましたので、本来であればそろそろ村にお送りしなければいけないのですが
マリアと仲が良くて、アリスさんももう少し滞在したいという事でしたので、今しばらくは城の方に居て頂く事になっています」
「そんな簡単に滞在できちゃうんですか……」
「なにぶん、エルフ族とは殆ど交流がありませんから、勝手が分からないという事情もありまして……
それにアリスさんの治癒魔法はとても評判で、城の魔術師達もこぞって彼女に教えを受けているので、居て頂けて助かっているという面も大きいのです」
俺は隣で遠慮なくサンドイッチを食い荒らしている駄目エルフを見る。
出会った当初は小動物のようにおどおどしていたというのに、話が出来ると分かってからは遠慮無しだ。
好奇心旺盛と言うか何というか、まあ種族が違えば常識も違うという事だろうか。
まあ、自分で稼いで滞在できてるならいいか。
「おいアリス、本当に帰らなくて大丈夫なのか?」
「らいりょうふれふよぉ、いひへんやひへん……」
「ああもういい、黙って食ってろ」
「ふやぁい」
あくまで飯を放さないアリスは放っておこう。
ユミナは相変わらずマリアベルと一緒だ、二人で仲良く弁当を食べている、微笑ましい事だ。
「ん、ノア、はいこれ」
楽しそうに弁当を食べているユミナ達を眺めていると、マリアベルがこちらに白い塊を差し出してきた。
これは……
「塩ライスボールよ、アンタ前に食べたいって言ってたでしょ」
それは確かに“おにぎり”だった。
形はまん丸でちょっと固めすぎのような気がしないでもないが、紛うことなきおにぎりだ。
「これ……マリアが作ったのか?」
「そうよ、早起きしてお姉様と作ったの、そんなもの作るの初めてだったから、それで良いのかどうかは分からないけど」
そうだ、以前マリアベルと雑談した際に、おにぎりが食べたいなどと口走った記憶がある。
あの時の事を覚えていてくれたのか。
一口かじってみる。
既に冷えてしまっており、中身はこの地方で取れるボソボソした水分の少ない硬めの米だ。
塩も少々効きすぎていているのか随分塩辛い、正直な所、作って二日放置したおにぎりのような感じだったが、マリアベルの気持ちが嬉しくて一気に食べ終えた。
「おいしいよ、ありがとうマリア」
「そ、そう、少し塩が多かったような気がするけど……次はもっと上手くやるわ」
その様子を見てクローディアが俺に微笑みかける。
「ふふ、マリアったら、自分でお料理なんてしたこと無いのに」
「ちょ! 姉様!」
「ふふふ、さあ、ノア様、私も作って参りましたのでよろしければ……」
どうぞと言ってクローディアが差し出したそれは、薄いパン生地で肉や野菜を包んだ……ケバブのような食べ物だった。
両手で持って差し出されたそれに、そのままかぶり付く。
こちらは料理としても非常に良い出来で、シエルのサンドイッチにも負けないしっかりとした味わいが広がっていく。
味付けも丁度いい。
「美味しい! 美味しいですよクローディア様!」
「ありがとうございます、作ってきて良かった……」
そう言ってクローディアはとてもうれしそうに微笑んだ。
何という満ち足りた時間だろうか。
皆でキャッキャウフフしながら仲良くお弁当。
しかもよく見れば男は俺一人、女性陣はそうそうたるメンバー、まさにロイヤルハーレム状態ではないか。
こんな至福の時間が俺の人生の中に今まであっただろうか、いや無い、無かったんだ。
俺はようやくここまで来た、俺の人生はここからなんだ……
今までの人生を三〇秒で振り返り、この多大なる幸運を噛みしめる。
「ぐぬぬ……」
俺が幸せに浸っていると、隣からフェリスが歯噛みする音が聞こえた。
まだやってたのか、あれでフェリスは負けず嫌いなところがあるからな……
これでイカサマがばれたらと思うと少々恐ろしくはあるが、幸運にもまだ切掛が掴めていない様子なので
クローディアからケバブもどきを貰ってフェリスの側へと向かう。
「フェリス、まだ悩んでるのか?」
「主に負けたのは良いとしても、全敗というのが納得行かぬ」
「たかがゲームなんだから、それより飯食ったらあっちの草の上で日向ぼっこでもしよう」
「うむぅ……仕方あるまい、認めよう、妾の負けじゃ」
フェリスが俺の手からケバブもどきを取って食べ始まる。
イカサマの件はどうやら隠し切る事ができたようだ、良かった。
あとは草原の上で少し撫で上げて機嫌を取れば完璧だ。
俺は早速、昼食が済んだ後に寝転がる場所を探して、黒王がウロウロしている草原の辺りに目をやった。
そこは緩やかな斜面になっており、東を向けば遠くに俺の家がある丘が見える。
空は雲一つなく晴れ渡っており、どこまでも青い空が広がっている。
だからだろうか、俺は偶然にもその存在に気が付いた。
空に何やら細長い紐のような物体が見える。
それは恐らくとても遠くにあり、目を凝らして見ていると、北から南へ向かって徐々に移動しているようだった。
それと似たようなものをかつて見たことがある、大型旅客機だ。
しかし飛行機雲などは出ていないし、この世界に飛行機の類があるとも思えない。
俺はそれを見ながら、以前フェリスに聞いた事を思い出していた。
この世界では、魔法という力を使ってすらも、人や大型の物体を飛行させるというのは非常に困難なのだそうだ。
シエルなども、魔法を使って自由に飛行できる人間は恐らくいないと言っていたし、魔族でもごく少数はそう言った分野を研究しているが
自由自在に空を飛べるような魔法は開発されていないとも言っていた。
なのでこの世界で空を飛べるのは、最初から空を飛ぶ為の体を持って生まれてきた鳥や虫くらいのものなのだ。
だとしたらあれは何なんだろう……
しばらく眺めていると、紐のようなものは微妙に蛇行しながら飛行しているようだ。
物珍しさも手伝って、俺は馬鹿みたいに上を向いてその物体を見ていた。
「どうしたのじゃ、上なんぞ向いておって」
「いやあれ、何だろうな」
フェリスが隣に来て俺と同じ方向を見る。
「あれは……まさか」
「ナーガ様よ!」
フェリスが呟くのと同時に、少し離れた所でカーナが興奮気味に叫ぶ声が聞こえた。
カーナはガドラス、カタリナと一緒に昼食を取っていたらしい。
あくまでも今日はここに張り付くつもりのようだ。
「カーナ、今言ってたのってアレのことか?」
空を指差しながらガドラスに説明をしていたカーナが俺の方を向く。
その顔は、まるで幸運を掴んだ少女のように輝いていた。
「アレなんて言わないで下さい、ナーガ様ですよ、あそこにいらっしゃるのがナーガ様です。ああ、お姿を拝見するのなんて三年ぶり……」
「見たらラッキー的な?」
「ナーガ様をおみくじみたいに言わないで下さい」
さすがラギウス教徒と言うべきか、カーナはナーガを崇拝しているようだ。
名前が似ているせいもあるのだろうか……
ナーガと言えば、竜王セシルの部下の一人だったはず。確か一番あちこち走り回ってる苦労人だとアストリアは言っていたな。
「俺は初めて見たぜ、まあこの距離じゃ姿なんて良く分からないけどな」
そう言ってガドラスは物珍しそうに空の物体……ナーガに目をやる。
なんだか飛んでいる旅客機を眺めていた子供の頃のように、皆はしばし空を見上げ、そのナーガであろう物体を眺めていた。
まあこの世界では、鳥以外で空を飛ぶものは珍しいのだろうし、これも娯楽のうちなんだろうか。
そうしてもう一度空に目をやると、心なしか、先程よりもはっきりと姿が見えるような気がする。
龍と言えばそうなのだろう、長いヘビのような形をし、手足のようなモノが四本見える。
しかしどうやって飛んでいるんだろう、羽などは見当たらないので、何か魔法的な力で飛んでいるのだろうか。
「……なあ、あれ、こっちに向かって来てないか?」
まさかと言ったようなガドラスの声が聞こえる。
だが多分それは間違いじゃない、何故ならさっきは何だか良くわからなかったシルエットが、今ははっきりと見えるからだ。
単に上空を横切るだけというならそれほど騒ぐ必要もないが、先程と比べると明らかに高度が下がっている。
青空をバックに飛んで来るため現在位置が掴みにくいが、このままのコースで降下するとなれば、フィガロ近郊に着地するのではないかと予想できる。
皆がそれを認識すると、不意にその場は騒然となった。
ナーガと言えば竜王の部下で、ラギウス帝国の強力な戦力だ。
それがどうやらこちらに向かって来ているというのだから、これはもう異常事態だろう。
ただ気まぐれで高度を落としたという事なら問題ないが、ここには今、フィガロの王女が二人もいる、どんな些細な事でも万一を考えなくてはならない。
相手が相手なのでこのまま突っ込んで来るとは考えにくいが、それにしたって何故こちらに向かってくるのか理由が全く分からない。
ネルソンと会談する予定でもあるのだろうか。
「王女様方、こちらへ!」
フラガが王女二人とユミナ、アリスをまとめて、ほんの少しだが身を隠せる場所に誘導する。
「カーナ、お前ここにいて大丈夫なのか?」
「私は……国外での活動も許可されているので問題ない……はずです」
ラギウス帝国のお偉いさんが突っ込んでくるという状況に、先程まではしゃいでいたカーナの顔が徐々に不安の色に染まっていく。
ナーガと思われる龍の姿は既に細部まで目視出来るほどまで接近しており、ここまで来るとどの辺に着地するのかも予想はついた。
僅かに蛇行しながら飛んではいるが、龍の頭部はずっとこちらを見ているのだから。
「フェリス、どうする?」
「やむを得ぬ状況になれば戦うまでじゃ。だが目的が分からぬ、まさかあの距離から妾の存在に気付いたという訳でもあるまい」
今この場に天族の戦士が来る理由と言って一番初めに思いつくのがフェリスの存在だろう。
フィガロの関係者に用事があるなら、わざわざここを目指す必要はない。
しかしそれもしっくり来ないとフェリスは言う。
次に理由があるとしたらカーナだ、国外で遊んでいるので叱りに来た……無くはないと思うが、ナーガとカーナの位の差を考えると、そんな事のためにわざわざ手間をかけるだろうか。
それに叱るならまずはリーダーのアストリアだろう。
要するに何も分からない、分からないのだが、万一には備えなくてはいけない。
俺は黒王とユニコーンを呼び、王女達の護衛に付けと指示を出す。
ユミナにはマリアベルを専属で守るように言った。
俺の隣ではフェリスが静かに寄り添い、迫り来る龍を睨んでいる。
その様子を確認することで、俺も少しだけ落ち着くことが出来た。
何せ二〇メートルを超えるであろう巨体を持つ龍がこちらに迫っているのだ、俺一人だけだったらとっくにパニックに陥っている。
周りを見ると護衛の皆は既に配置に付いているようだ。
フラガは先程キャンプしていた場所で焚き火の後始末をしている。
こんな時だと言うのに余裕のある事だ。
巨大な龍はもう細部が確認できるほど降下しており、停めてある馬車の上空を舞い、辺りに一陣の風が舞う。
そして皆が見守る中、その龍は俺達の五〇メートル程手前に、その大きさからは考えられないほど静かに着地した。
着地した龍は、唸るでも無くその青い水晶のような目でこちらを見据えている。
顔は物語などによく出てくる蛇型のドラゴンそのもの。瞳と同じで体も青く、二本の長い髭をたたえ、頭の後ろから大きな四本の角が生えている。
体は細長く、短めの足が四本付いており、爪の数は四つだ。
一言で言ってしまえば、ボールを八個集めると出て来るあの龍に似ている。
「ノア・シドーはどこか」
「あ、はい!」
初めて見る龍を観察していると、突然透明感のある声が響き渡る。
その声が俺の名前を呼んでいたので、反射的に返事をしてしまった。
目の前の龍が喋ったにしてはとても細い、女性のような声だった。
返事をしてしまった後で、俺の頭の中に疑問符が点灯する。
つまり、何で俺が呼ばれてるんだ? という事だ。
「貴様か……やっと見つけた……」
また声が響くが、龍の口は特に動いていない。
ユニコーンと同じ念話だろうか……そう思った次の瞬間、龍の角の後ろから人影が飛び出し、音もなく地面に降り立った。
女性だ。
絹糸のような淡い金色の髪を地面スレスレまでなびかせ、薄い青と金色を基調としたローブを纏っている。
肌は白く、切れ長の目は背後の龍と同じ水晶のような青、まるで物語の中から飛び出てきたような美女がそこにいた。
その女性は龍の頭から降りた後、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
事態に頭が追いついていないのか、または伝説にもなっている龍の戦士の前でどう動いたら良いか判断しかねているのか、誰も言葉を発することが出来ずにいる。
「あー、どなたかは存じませんが」
そんな中で緊張感の無い声とともに、俺を庇うように進み出る影があった。
フラガだ。
その声とともに女性の歩みが止まる。
「このようなところにどういった御用でしょうかね、こちらは女子供で楽しくピクニック中なもので、できればそのでっかいのを仕舞って頂けると助かるんですが」
先程の俺とのやり取りなど聞いていないといった風で、まるで道行く旅人に挨拶するかのように話しかけるフラガ
その女性はそんな様子をちらりと目だけで確認し、再び俺に目線を合わせる。
俺はと言うと、その殺気のこもった視線に耐えきれず、思わず数歩下がってしまった。
結果的にフェリスの後ろに隠れるような形になって何とも情けない事だがそれも仕方ない。
女性の後方に鎮座している龍の存在感と、女性から放たれる威圧感は今まで味わったことのないものなのだ。
ヘビに睨まれたカエルとは、恐らくこういう気持ちの事を言うのだろう。
そして次に彼女の口から驚愕の内容が放たれる事となる。
「我が名は水龍ナーガ、そこにいるノア・シドーが奪った我が姉の魂を返してもらいに来た」
女性の口から名前が出たことで、この人物は事前にカーナが言っていたように、ナーガ本人である事が確認された。
しかしその後に続いた言葉に、俺の思考はしばし固まる。
姉? 魂? 奪った? 何の事か分からない……そもそも竜族なんてモノに会うのはこれが初めてだ。
竜族から何か奪った事など無いし、そもそもナーガの姉なんて知らない。
気がつくと前に出ていたフラガがなんとも言えない顔で俺を見ている。
フラガだけではない、避難していた他の連中も、何とも言えない目で俺に注目しているではないか。
「アンタ……今度は何をやったのよ」
マリアベルの呆れ声が響いた。
「な、何もしてないぞ! だいたい俺に竜族の知り合いなんているわけ無いだろう!」
『話が読めないわね』
「おいノア、何だか知らねえが謝っちまえよ」
「ノアさん外っ道ー」
後方から緊張感の無い野次が飛んでくる。こんな時だと言うのにこいつらは……
というか何で俺が悪い事が前提みたいになってるんだ。
「お待ち下さい!」
構わず距離を詰めてくるナーガの前に対応を決め兼ねていると、後方に避難していたはずのクローディアが俺とナーガの間に割って入った。
「姫様、下がって下さいな」
若干の焦りを滲ませた声でフラガが窘めるが、そこ声にクローディアは首を振って答える。
「いいえ、ナーガ様と言えばラギウス帝国の守護者である竜王様直属の部下に当たるお方、そのような方に武器を持って迎えてはなりません」
クローディアは毅然とそう言い放つと、フラガに下がるよう手で合図する。
それを見たフラガは短い息を一つ吐くと、いつでも抜刀できるように備えていた体勢を解き、数歩下がって俺の隣に並んだ。
「どうなってるのかな君の交友関係は」
「何度も言いますが俺だって初対面ですからね」
「分らん事ばかりで困ったね、流石に竜族と斬り合った事は無いからなぁ……ともかくヤバくなったら僕は姫様を何とかするから、最悪君は庇ってやれない、すまないがね」
「いえ、それでいいです、クローディア様をお願いします」
横に来たフラガと短くやり取りをして先の対応を確認する。
フラガの立場で最優先となるのは何を置いても王女の安全だ。なのでその判断に異を唱えるつもりはない。
竜族がどの程度強いのかは分からないが、恐らくこの場の全員でかかっても勝てる見込みは薄いだろう。
何せたった五名が天族側に寝返っただけで魔族と天族の戦力の均衡が崩れる程だ、となれば恐らくデーモンロードと同程度の力はあると見るのが妥当ではないか。
戦いになるような事態は避けたい、それならば話し合いをするしかない。
今のところ相手が言っている事は俺には全く心当たりが無い、何か誤解があるはずだ。
「野外活動中でありましたので、このようなお姿で失礼致します。フィガロ王国第一王女、クローディアにございます。」
「……ふむ、晩餐会で見た事はあるな、王女がこのような場所で何をとは思うがまあ良い。何故に私の征く道を阻むか?」
そんな事を考えていると、前に出たクローディアがナーガに向けて優雅に一礼を行い、挨拶を行った後に訪問の理由を尋ね始める。
ナーガはその様子を確認すると一旦足を止め、クローディアの話を聞く体制に入った。さすがに一国の王女を無視はしないようだ。
俺といえば最初に名指しされてしまった為、今から後方に引っ込むわけにも行かず、仕方なくその場で待機している。
「此度の突然のご訪問、どのような意図によるものでしょうか。恐れながらフィガロに御用件が御座いましたら私共の城の方まで……」
「その方には関わり無き事だ、私の目的は先程申したようにそこの下郎のみ。用が済んだらすぐに立ち去る」
話は終わったとばかりに再び歩み始めるナーガ。
しかしクローディアは道を譲らず、なおも話を続けるつもりのようだ。
「お待ち下さいナーガ様、ノア様が一体どのようなご無礼をされたのでしょうか?」
「貴様に話す事ではない、道を開けよ」
「いいえなりません、ノア様は我が妹の恩人であり、フィガロにとっても大切なお方。何かしかの咎があると申されるのであれば、その理由をお聞かせ下さい」
「くどいぞ……貴様、皇子の婚約者であるから手は出せぬとでも思っているのか」
「そのような打算はありません、ナーガ様のお心をお聞かせ願いたいという一心にございます」
ナーガはクローディアにあと一歩という所まで迫り、それでも退かないクローディアを見て忌々しそうに目を細めた。
この強大な相手からクローディアが俺を庇ってくれている。
その光景を前にして、こんな時だと言うのに俺の中が温かいもので満たされていくのを実感していた。
それと同時に、魂喰いにそっと手を触れる。
剣を抜くと思われない程度に、手の甲で軽く触れるだけ。
それを見たフェリスは、次に俺の目を見て、そして軽く頷いた。
このまま戦闘になったら、相手からの攻撃の予測が出た時点でフェリスに全力で突撃してもらい不意をつく、その間にクローディアを助け出す。
いつも通りフェリス任せの情けない作戦ではあるが、俺が突撃した所で時間稼ぎにすらならない。
だが俺も覚悟は決めた、恐らく格上であろう相手に特攻する事を何の躊躇いもなく了承してくれるフェリスに報いる為にも、俺もこの場でフェリスのサポートしよう。
「……いいだろう」
ナーガの怒りを押し殺したような低い声を聞き、足に力を入れる。
「話してやる、そこの下郎が何をしたかをな」
戦闘開始か……と意気込んでいた俺は、次に出たナーガのその言葉に肩透かしを食らってしまった。
魂喰いを握り直した手を慌てて放し、あたふたと姿勢を正す。
「何をしておるのじゃ」
「い、いや、ちょっと緊張して」
何とも締まりがないが、それでもこのまま訳も分からず戦闘になだれ込む流れは無くなったようだ。
俺としても、ナーガがなぜ俺を名指しで来たのかは知りたいところではある。
「だが、話せば貴様らは知らなくて良い事を知る事になる……後悔する事になるぞ」
「……是非に」
その脅しとも取れる物言いに、クローディアは小さく息を呑み、それでも気丈にナーガを見つめ返してそう答えた。
見ればクローディアの肩は小刻みに震えている。
いくら王女という立場があり、問答無用で殺される可能性は少ないとは言え、伝説的な存在と面と向かって話すのはとても勇気のいる事だろう。
きっと、恐ろしくて、ともすればへたり込んでしまうような体を気力で奮い立たせているのだ。
いつもはおっとりと柔らかな物腰で、常に一歩下がり他人を立てる、そんな女性の中の女性と言っても過言ではないクローディアが俺の為に体を張ってくれている。
その思いに報いよう、せめてクローディアが無事に帰れるように、俺も出来ることを全てやろう。
俺は再び魂喰いに手を当て、どんな些細な変化も見逃さぬように目を見開いた。




