第四十五話 嵐の予感
色々あったが、ともかく主賓が来たとあっては時間が早かろうと行動しない訳にはいかないだろう。
俺達は荷物を馬車に積み込むと、早速予定の場所に出発した。
警護上の理由から、クローディアとマリアベルには俺の馬車に乗ってもらい
その周りを護衛の人員で固めるという事になった。
今は丘を降り西の方向、マジノ川がある方向に向かっている。
「ノア様、本日はどちらへ?」
馬車の中に座っているクローディアがワクワクした様子で俺に声をかけてくる。
本当に今日という日を楽しみにしていた様子だ。
「西にちょっと行ったところにあるマジノ川に向かってます。
以前、黒王に乗って散策した時に丁度いい砂地を見つけたんですよ、今日はそこへ行きます」
ピクニックというからには丘の上、つまり俺の家の周辺が最も適しているのだが、さすがに自分の家が見える範囲で弁当を食うのは締まらない。
どこか近場で適当な場所はないかと考えていた所、以前遠乗りをした際に見つけた、家から西に二キロメートル程の場所にある、川の畔に広がる砂地を思い出したのだ。
そこなら見晴らしもいいし、川もすぐ側にあるし色々と都合がいい。
家からも適度に離れているしな。
そんなわけで、今俺はトコトコとのんびり移動する馬車の御者台に座っている。
当初クローディアが御者席に座りたがったのだが、警備上の理由もあり、さすがに王女を御者席に乗せて歩くのはどうかということで
王女二人組には荷台に敷物を敷いて座ってもらっている。
例によってマリアベルの手により、荷物番という名目でユミナが拐われ、荷台で二人の王女に愛でられていた。
「久しぶりに郊外に出たが、相変わらずうちの馬車は乗り心地が最悪だな」
「仕方がないのう、盗賊が使っておった安物の貨物車であるからな」
今通っている道は、主要な街道からは外れている為ほとんどあぜ道のようなものだ、馬車がやっと一台通れる程度の道幅しか無い。
向かう場所が家から大して離れていないとは言え、高貴なゲストを連れた状態で悪路を爆走などできるはずもないので
なるべく速度を落し、揺れを押さえながら進んでいる。
「でもなんだか懐かしいわ。あれからまだ少ししか経ってないのに、もう随分昔のことみたいに感じるわね」
マリアベルが貨物台から顔を出して眩しそうに景色を眺めながらそんな事を呟いた。
あれとは、俺達がロシュフォーンでマリアベルと出会ってからの逃避行の事だろう。
まだほんの数ヶ月前の出来事だが、もう随分と昔の事のように感じる。
たった一週間程度の旅だったが、間違いなく俺の人生で最も濃密な時間だった。
それに比べたら今の何と平和な事か。
「……ところでアンタ達、イチャつくのはいいんだけど時と場所を考えてもらえない?」
マリアベルは空を見上げながらしばし物思いに耽った後、俺とフェリスを忌々しそうに睨みながら半眼になる。
とは言われても特別イチャイチャしているつもりはない。
いつも通り手を繋いで寄り添っているだけなのだから。
「手を繋いでいるだけだが……」
「それをイチャイチャっていうのよ! フェリスも、今日は皆で来てるんだから二人の世界に入るの禁止ね!」
「夫婦が寄り添うのは当然の事であるしのう」
「何でムキになってるんだ」
「なってないわよ!」
さっきまで黄昏れていたと思えば急に怒り出すし、相変わらず感情の起伏が激しい娘だ。
こういう時はユミナを充てがって大人しくさせるに限ると思い、馬車の中を覗き込むと
中ではクローディア、アリス、ユミナの三人でトランプゲームを始めていた。
「遊びを極めた私に勝てるとお思いですか!」というアリスの威勢のいい声が聞こえてくる。
何だかアリスを見てると俺の中のエルフ像が音を立てて崩れていくのだが……あまり考えないようにしよう。
「混ざってきたらどうだ?」
「いい、今はこうしていたい気分なの」
まだ馬車の中から首を出してこっちを見ているマリアベルに遠回しに引っ込めと促すが、どうやら引っ込む気はないらしい。
アランとやり合っていた時はあんなにカッコよかったのに、今日は年相応のワガママ娘に見える。
かといって無視するわけにもいかないし、困ったものだ。
「マリアよ、そのような半端な場所ではなくこちらに来ると良い、主の左隣が空いておるぞ」
マリアの扱いに苦慮していると、俺の胸に頭を預けているフェリスがそう言ってマリアベルを呼び寄せる。
「ばっかじゃないの!」といつもの罵声が飛んでくる事を予測し、耐ショック姿勢を取っていたが、意外にもマリアベルは何も言わずに御者席まで移動し
俺の左隣にちょこんと座り込んだ。
どんな風の吹き回しだと、ちらとマリアベルの様子を伺うと、タイミングよくマリアベルと目があってしまう。
「何よ」
「え、いや……尻痛くないか?」
「……平気よ」
「何だかいつもと違わないか?」という言葉を飲み込み、無難な方向に舵を切る。
それ以降は何となく微妙な空気が流れてしまい、目も合わせづらいので特に何をするでもなく前ばかり見ていた。
長く続くあぜ道の向こうに、なだらかな下り坂が見えてくる。それを下ればマジノ川だ、このペースなら後三〇分といったところだろう。
荷台から聞こえてくるアリスの叫びと他の面子の笑い声を聞きながら、俺は何となく気まずい空気を味わっていた。
「主よ、手を握ってやるのじゃ」
フェリスがもそもそと動き、俺の耳元で囁く。
誰のをとは聞くまでもないだろうが、そんな事をしたらまたビンタが飛んで来るのではないか。
自分から進んで地雷を踏み抜く必要はないだろう。
「大丈夫じゃ、見てみるが良い」
俺の心中を察したのか、フェリスはマリアベルのお尻の辺りを見ろと目で誘導する。
つられてそちらを確認すると、そっぽを向いているマリアベルの右手が、掌を上にした状態で投げ出されているのが見えた。
その手の配置には違和感しか感じないが、つまりそれは、そういう事なんだろう……
「鈍感も過ぎれば不興を買うと言うものよ」
再び小声でマリアベルが求めるものを示唆する。
なるほど、確かにコメディ漫画などで良くある、記憶が抜け落ちたかのように重要な部分を尽くスルーしていくレベルの鈍感ならそうかもしれない。
でも俺とマリアベルの関係はそういうんじゃないだろ。少なくとも、こういう事をマリアベルが望んでいるとは本当に全く考えていなかった。
だってそうだろ、ガチレズカミングアウトされてるんだから、こっちとしては友達から先へ踏み込んじゃいけないって思うだろ普通。
大丈夫なのかこれ、新種のトラップとかじゃないだろうな……
フェリスに促され、俺はゆっくりマリアベルの手に自分の手を重ねる。
指先が触れると、マリアベルは一瞬ビクッと体を震わせたが、相変わらず顔はそっぽを向いたままだ。
俺はそのまま指を絡め、フェリスと同じようにマリアベルの手を握った。
顔は俺の正反対の方向を向いているが、徐々にその頬が赤みを帯びてくるのが見える。
「こ、これ……思ったより恥ずかしいわね」
しばらくそうして手を繋いでいると、徐々に目線を俺の方向に戻しつつ、しかし向き合わない角度を維持したマリアベルがそうつぶやいた。
思えばマリアベルの体に意識して触れた事なんて殆ど無かったように思う。
手から伝わってくる感覚はとても柔らかく、ずっと触っていたい気分になる。さすがお姫様の手と言った所だろう。
弓の訓練をしているせいか、若干硬みを帯びている部分もあるが気になるものではない。
ふとマリアベルの方に目をやると、彼女は相変わらずそっぽを向いている。
しかし時折、目だけでこちらを向き、俺と目が合いそうになるとまた視線をあさっての方向に戻すという不審な行動を繰り返している。
頬は赤みがさし、その表情は怒っているようでもあり笑っているようでもあり、何とも言えない顔をしていた。
正直なところ、この行動は何なのだろうとは思う。
マリアベルは女性が好きないわゆるレズビアンなのだと、本人はそう言っていた。
なので、俺に対して色々と気を回してくれるのは、あくまで友人として、または国の為、そういう方向なのだと思っていた。
でもこれは……うまく言えないが何かそれとは違うような気がする。違うような気はするのだが、その事に対して何か説明を求めるつもりはない。
これはきっと、曖昧にしておいたほうが良い事だ、その程度の事は俺にでも想像がつく。
間違いないのは、マリアベルは俺の事を悪く思っていないと言う事。それが一番重要な事だし、それだけ分かっていれば十分なのだから。
両脇の女性と手を繋いだまま馬車に揺られる不思議な時間が続く。
馬車の中からは楽しそうな声が聞こえ、馬車の外側ではガドラスとカーナが何やら話しながら歩いている。
その様子を反対側から忌々しそうにチラ見しながら、時折私語を注意しつつカーナを牽制してるカタリナ様子が見えた……いつの間に“そういう事”になったのかは分からないが、あっちはあっちで大変そうだ。
他人の様子は一目見ればおおよその見当は付いてしまうというのに、自分の事となると本当に分からないものなんだな。
それから俺達は互いに一言も話さず、周りから聞こえてくる音に耳を傾けながら暫くの間、馬車に揺られていたのだった。
「さあ付きました、ここが今日のキャンプポイントです!」
ゆるい下り坂を下っていった先にあるマジノ川、その手前に広がる砂地前で馬車を止め、クローディアの手を取り馬車から降ろした。
これ以上先に馬車で踏み込むと、車輪が埋まって動かなくなるのでここからは徒歩だ、といってもあと一〇〇メートルも無いが。
「素敵……とても素敵な場所です、ノア様」
クローディアが子供のように目をキラキラさせている。
確かに見晴らしも良いし、自分で言うのも何だが絶好のレジャーポイントだとは思うが、城から大して離れてない場所だし、そこまで感動するものなのだろうか。
王族ともなれば、外国の絶景ポイントに別荘なんか持ってたりするんじゃないか?
「ご公務であちこち行かれているクローディア様には物足りないかもしれませんが……」
「……いいえ、公務でどこへ言ったとしても、共に喜び合える方がいなければ虚しいものですわ。
それに、私はフィガロを囲む壁の外に出たことは、公務以外では殆ど無いのです。
だから王女のくせに、自分の国のどこに何があるかもよく知らないのですよ」
「そう言えば私も、いいとこ下町くらいまでしか出たこと無いわね。
本当に最近よ、ノアの家に行くようになって行動範囲が広がったのは」
クローディアと話していると、マリアベルが割り込んできてうんうんと頷く。
王女と言うだけあって、基本的に城から出ることすらあまりないようだ。
行動的だと思われるマリアベルですら、俺に会うまではやはり城下町をうろつく程度だったらしい。
「外に行きたいなんて言ったら、今までなら護衛三〇人くらい付けられたんじゃないかしらね」
「そんなんでよく今日は許可が出たな……」
「今日は特別よ、お父様ってあれでもフェリスの事すごくアテにしてるから、そこにきてフラガも付いてきてるんだもん、もう完璧よね」
どうやらネルソンの中ではフェリスは自由行動が可能な必殺仕事人みたいな位置付けになっているようだ。
まあ、今までのフェリスの戦果を知っていればそうなるのも頷ける。
せっかくリスクを犯して魔族を囲い込むのだから、有効に活用しようと言う事だろう。
何にせよ、こんな近場でクローディアが喜んでくれるならそれに越したことはない。
「それじゃ場所取りしましょう」
俺は早速、馬車から敷物を取り出し、川辺りに敷いて行く。
すると俺の後から、ユミナ達が他の荷物を持って来るのが見えた。
その中に、重そうに木製の籠を持ってくるクローディアを確認し、さすがに王女に荷物持ちさせるのはまずいだろうと慌てて荷物を受け取りに走る。
「クローディア様、俺がやりますからあちらでお待ち下さい」
「いいえノア様、これは私の持ち物ですので大丈夫です」
俺が手を差し出すと、ニコリと微笑みながら敷物の上に荷物を並べていく。
その後もユミナ達だけで殆どの荷物を運び出していた。
「ちょっと、何で私には何もないのよ」
最後に日傘のようなものを運んでいたマリアベルが俺に文句を言ってくる。
「え、だってマリアは大丈夫だろ」
「どういう意味よ!」
分かってはいるのだがついついからかってしまう。
そしていつものビンタが飛んでくるのだが……この時はいつまでたってもそれが飛んでこなかった。
不思議に思ってマリアベルを見ると、いつもと違う少し怒ったような顔をして手をニギニギしていたが「フン」と鼻をならすとそのまま傘を置きに行ってしまった。
一体何なのだろう、今日のマリアベルは普段とちょっと違うような気がする。
そうしている内に荷物の設置が終わり、一息ついた所でふと気がついたことがあった。
そういえば護衛隊は何をしているんだろう、あとアリスも見当たらない。
俺は周囲を見回して現在の状況を確認する。
黒王は少し離れた場所で馬車から外されて草を食っており、その近くには付いてきたユニコーンが佇んでいる。
アリスはいつの間にか敷物の上に陣取って、串焼きのようなものを頬張っていた。あいつ、いつの間に移動したんだ……
護衛はと言うと、ガドラスが少し離れた辺りで砂を掘って石を積んでいるのが見えた。
その近くにカーナがいてその様子を見守っている。
それを見て、久しぶりに会ったと言うのにろくに挨拶もしていなかった事を思い出し、ガドラスの居る方に向かってみた。
「やあガドラスしばらくぶり、何やってんだ?」
後ろから声をかけると、ガドラスが石を積む作業を止めて振り返る。
「ああノアか久しぶりだな、いやなに護衛任務って事なんで、襲撃された時用に防御陣地を作ってんだよ」
防御陣地……こんな近場の河原でそんなもん必要なんだろうか……
「この前みてえに変な奴が来ることもあるかもしれねえだろ、まあ大したものは作れねえが、矢から身を隠せる程度のモノは作っとかねえとな、念のため」
「仕事熱心な事で……」
「千人長とフェリスがいるならまあ大丈夫だとは思うがな、何せ王女の護衛だからよ、やり過ぎってことはねえよ。
それにしたっていきなりカタリナ百人長からこの話を聞いた時はびびったぞ、お前いつの間にもう一人の王女様と親しくなってるんだよ」
「ま、まあ……色々あったんだよ」
ちょっと前までこちらの言葉もうまく使えなかった貧弱オヤジが、王女様をこんなところに引っ張り出せるようになった事に驚いているようだ。
もっとも、この経緯を詳しく話すと「ノアらしいや」といって大笑いされるのが目に見えているのでぼかしておこう。
俺は話題を変えるために、今日の護衛の一人である、何かと噂の剣神について聞いてみる事にする。
「あのフラガって人、強いのか?」
「ああ、強いなんてもんじゃねえ、もしかしたら近接戦闘ならフェリスとだってマトモに戦えるんじゃねえかな。俺は何度か訓練で千人長と打ち合ったが俺の剣は掠ったことすらないぜ」
フェリスとも戦える、その評価が正しいとすれば確かに普通の人間では歯が立たないレベルなのだろう。
ガドラスはどちらかと言えばパワーファイターだ、対してフラガの武器は刀に似た細身の剣。
相性もあるのだろうが、ガドラスだって弱い訳ではない、それが掠りもしないとなると、最早戦闘素人の俺には予想できる範疇を超えている。
俺はちらとフラガのいる方を見る。
今は腰のあたりにぶら下げていた竹筒のようなものをカタリナに取り上げられて凹んでいる様子が見えた。
その様子を見ると、どうにもそこまで強そうには見えないのだが……とにかく打ち合った本人が言うんだから強いんだろうな。
それよりも……俺はもう一つ気になった事をガドラスに聞いてみることにした。
「ところで今日の人選ってどうなってるんだ、カタリナとガドラスはまあ分からなくもないけど、何でカーナが?」
「……ああ、いや、何というかな」
俺の質問に急に困ったような顔になり、言い難そうにするガドラス。
ここに来るまでの様子から、ガドラスとカタリナ、カーナの間で何かあったような気がするのはまあ間違いではないだろう。
だが今日の仕事は王族の護衛だ、そんな中に部外者である他国の人間をわざわざ入れるとは思えない。
一体この数週間で何があったというのだろうか。
「私は護衛の仕事に来たわけでは無いですよ、“たまたま”ガドラス様達と同じ方向に用事があっただけです」
質問に答えにくそうにしているガドラスに代わり、隣りにいたカーナが俺に答える。
「たまたま?」
「はい、たまたま、川の方に遊びにいこうかなーと思いましたら、偶然ガドラス様達と会いまして、ガドラス様達も同じ方向に向かうという事でしたので……」
「そうなんだ?」
「あ、ああ、そう……らしいな」
どう考えても嘘くさいカーナの説明を聞いた後で改めてガドラスに聞き返すと、彼は大きな背中を丸めながらバツの悪そうな表情で再び石を積み上げ始めた。
これ以上聞かないほうがいいんだろうか、ガドラスも何となく言いたく無さそうだし……
聞いてほしくない話題をこれ以上引っ張る必要もないだろうと、手を上げてそこを去ろうとした時、ガドラスが俺に手招きして耳元で小さく囁いた。
「(なあノア、ちょっと後で顔貸してくれねえか)」
ガドラスは困った顔のまま俺を少しだけ見つめ、またすぐに石壁作りに戻った。
あまり見たことのないガドラスの困り顔に、何となく内容の予想は付いてしまったが、それでもこの男の頼みとあれば聞かない訳にもいかない。
俺は「じゃあ夜にでもウチで」と短く返すと、ガドラスは後ろを向いたまま手を振って返事を返した。
「ノア殿」
「カタリナ百人長殿、どうしたんですか?」
ガドラスのいた場所からクローディア達の居るキャンプに戻る途中、カタリナが俺に声をかけてくる。
カタリナは先程から川の周囲の状況を確認していたはずだ。
「ご苦労様です、周囲の状況はどうでしたか……といってもこんな近場じゃ特に何も無いと思いますが」
「そ、そうだな、特に怪しいものは見つからなかった、大丈夫だろう」
一言二言挨拶を交わすが、どうもカタリナの様子がおかしい。
先程から俺に何かを言いたいのだが言い出せないと言った様子をチラチラ見せている。
「どうしたんですか百人長殿、何か気になることでも?」
「あ、ああ……いや、特には」
「そうですか、ガドラスはあっちですよ」
「ふえっ!?」
何となく察しがついた俺は試しにガドラスの名前を出してみると、カタリナの顔がみるみる赤くなってあたふたし始める。
何て分かりやすいんだこの人……
クールビューティーのカタリナが顔を赤らめて慌てている様はなかなか可愛らしかったが、今この場でそれを堪能している訳にもいかない。
わざわざ俺に話しかけてきたという事は、何か聞きたいことがあるということだ。
しかしこのままカタリナの自主性に任せていると、いつまでたっても話が進まなそうなので、適当に当たりを付けてみる事にする。
「違うんですか?」
「い、いや、違わないのだが……」
特にそれほど親しいという間柄でもない男に対しどのように話を切り出そうかと様子を伺っていたのだろう、いきなり核心を突かれたカタリナが動揺しつつも肯定する。
こういう場合はさっさと本題に入ってもらわないと、ひたすら分かりにくい遠回しな話を延々と聞く羽目になりがちだ。
そういった話をしに来ている状況ならまだしも、今この場でそれは御免被りたい。
「それでは今日はよろしくお願いします」
「ああ、待て、待ってくれノア殿」
当たり障りのない挨拶を投げてその場を後にしようとしたのだが、なおも呼び止められてしまう。
正直な所まどろっこしくはあるのだが、相手は百人長なので無下に扱う訳にもいかず、短い返事と共にカタリナの方に振り返った。
「その……ガドラスとは何を話したのだろうか」
「はい?」
俺はそのやっと出てきたカタリナの質問を理解するのに数秒を要した。
まず、何を話したとは何の事だろう。
次に、先程石を積みながら話していた事だろうか。
最後に、何でそんな事を一々聞くんだろう。
言ってしまえばどうでもいい話だ、そんな事を聞きたいが為に先程からもじもじしていたのだろうか。
しかし聞かれたのだから答えておこう、本当にどうでもいい内容だが……
「最近会っていなかったので、挨拶をしてきただけですよ」
「そ、そうなのか」
「ああ、そういえば後で話があると言ってましたね」
そこまで言ってしまってから、ふと言い過ぎた事に気付く。
あまりにもこちらから出力する情報が無さ過ぎたので、ついうっかり言わなくても良い事まで話してしまった。
「話し……そうか! わ、私もだ、私もノア殿に話があるのだ。どこかで時間を作ってもらえないだろうか!?」
俺の失言を聞き、何かを考えるように唸っていたカタリナは突然俺にそんな突拍子もない事を言い始めた。
「え、俺にですか? 何の話です?」
「それはこの場では……言えぬ。だがとても大切な話なのだ、私だけではどうにもならん、頼む! ノア殿に迷惑はかけない!」
「ええ……俺じゃないとダメなんですか? フラガ様とかの方がいいんじゃ」
「この件に関して言えば、父上は最も頼りにならん」
「はあ……」
大して親しくもない女性からの頼みなんて地雷臭しかしない。
断るべきだ……頭ではそう考えているのだが、カタリナの真剣でかつ、どこかか哀れみを誘う表情を見ていると非常に断りづらい。
さらに言うと、俺は女性からのお願い耐性が全くと言っていいほど無かった。
「分かりました、では百人長殿の都合がいい日にでも」
「そ、そうか! 引き受けてくれて感謝する! 休暇が取れたら文を送るのでな!」
カタリナの申し出を受けると、彼女はぱっと明るい顔に戻り、二、三度俺に向かって頭を下げると、話は終わったとばかりにガドラスのほうへと飛んでいった。
行った先でカーナと何やら言い合っている様子が見える。
この様子だと、話というのも大体予想がつくというものだ。
ふと、中高生の頃そういった話をよく友人からされて、自分には全く縁の無い話だと言うのに散々付き合わされた事を思い出した。
まさかここに来てまたそれをやる羽目になるとは思わなかった。
しかもカタリナは確か二〇歳、立派な大人だと言うのに……
少し離れた川岸で、牽制し合うカタリナとカーナを困ったように見ているガドラスが見える。
何とも微笑ましい光景だ。
しかしこの世界では、女性の結婚相手は親が決めるのではなかったのだろうか。
カタリナには父親がいるし、カーナにも当然居るだろう。その辺りはどうなってるんだろう、特にカーナはラギウスの人間だ、一緒になるとなれば色々と面倒くさい問題が発生しそうな気がしないでもない。
「やあノア君、ぼーっとしてどうしたんだい」
その声で俺は我に返った。
目の前には竹筒を持ったフラガが立っている。
「あ、フラガ様……」
「いやいや、様とかいらないよ、そんな偉くないんだからさ」
いや十分偉いだろと心の中で突っ込んだ後、今の登場の仕方の不自然さに気付いて戦慄する。
さっきフラガは瞬きをしたら既に目の前にいた。
俺には気配を読むとかそんな芸当は出来ないが、少なくとも何も物音はしなかったし、人が近づいて来ているという感覚は全くなかったのだ。
「ごめんねえ、陛下に色々聞いてたからちょっとイタズラしてみたんだけど、あれだね、思った以上に普通の人だね」
「そりゃそうですよ、陛下だって俺が強いなんて言わないと思いますよ」
「まあそうなんだけどさ、もしかしてって事もあるかなーって」
「ないない、無いです」
きっとこの人は俺の後ろから忍び寄って、俺の実力を試していたのだろう。
しかし俺はただの一般人なのだ、そんな達人のご期待に応える事などできない。
「それよりもアレなんですけど……」
せっかくフラガが来たということで、俺はカタリナ達が戯れる川岸に目をやる。
この事をフラガは知っているのだろうか。
「ああ、うん、アレね、若いっていいよね」
「いいんですか?」
「いいんじゃない? むしろ僕は娘を応援したいね」
どうやらフラガは既に色々と分かっているようだ。
しかも最近流れてきた、カタリナより十も年上の部下相手に頑張れと来た、なんという度量だろうか。
「千人長の家系ともなれば、もっと出自の良い人と――みたいな話になるのかと思ってました」
「ははは、家系なんてそんな大層なものは無いさ、僕は元々流れ者だし、貴族でもないしね」
「フィガロの生まれではないんですか?」
「そうだよ、今から二〇年以上前かな、僕はベンガルドのもっと東の方から渡ってきた流れの傭兵だったんだ。
その頃まだこの辺りには元ガゼンティのパルチザン達が活動していてね……知ってるかなガゼンティ、昔、この国の西側にあった小国だよ」
ガゼンティ、その名前はネルソンやクローディアからちらっと聞いたことがある、四〇年前にラギウス帝国に併合された小国だったはずだ。
俺が頷いたのを確認すると、フラガは続きを話し始める。
「小規模な戦闘があちこちでたまに起きていたんだよ、まあ併合から一〇年以上経ってたから、パルチザン達ももう末期で、金も武器も無いボロボロの状態だったんだね。
でね、そうなってくると、活動資金を集めるためにあちこちの村や商人達を襲い始めるんだよ。
僕がフィガロに流れ着いた時は正にそういう時期でね、やっこさんも、もうなりふり構っていられなかったんだろうね、フィガロ国内でもパルチザンによる略奪被害が出始まっていたんだ。
その時のフィガロ王は先代だったんだけど、当然ながらパルチザン達の討伐を決定した。
昔の同盟国の兵士を討伐対象にするのは心苦しかったと思うけど仕方ないよね。
討伐しないとそれを口実にラギウス帝国に越境されちゃうし、あまり裕福じゃないフィガロで略奪とか勘弁してほしいからね。
そこで先王は討伐隊を今のロフレ村付近に出したんだけど、これが手痛い反撃を受けちゃって予想以上の被害を出しちゃったんだ。
それっていうのも、ガゼンティのパルチザンって元兵士が殆どだったからね。
併合の際に抵抗して戦って、それから一〇年以上ずっと戦い通しだから、数は少ないけど兵士としての能力は凄く高かった。
そこで困った先王は、少数戦闘に長けた傭兵を募集したんだ。
そこに僕も参加したって訳。
その戦いの中で、シャリドと意気投合しちゃってね……あ、シャリドって今のエスカリオ家の当主ね。
戦いが終わった後に、当時兵士だったシャリドの推薦でフィガロ軍に入れてもらったって話さ。」
昔を思い出すようにうんうんと頷きながら己の成り立ちを説明するフラガ。
人間、年をとると過去の武勇伝を話したくなるものだとは言うが、話している人が人なのでつい聞き入ってしまった。
そしてその話の中には、俺と無関係とも言い切れない情報もそれなりにあった。
特にエスカリオ家の現当主と懇意だという話が聞けたのは大きい。
現在俺はエスカリオ家の次男と協力関係にあるが、ゆくゆくは当主にも挨拶に伺わないといけないだろう。
その際の話題が出来たことは、コミュ力がミニマムな俺にとっては良い収穫だった。
「あ、ごめんねつまんない話しちゃって、テキトーに流しといて」
「とんでもないです、とても興味深いお話でした」
「そう? なら良かったよ。
ともかくそういう訳なんで、ウチの娘は好きなようにやってもらっていいんだ……
むしろそろそろ嫁に行くか婿でも取ってもらわないと将来が微妙な時期になって来てて、そっちの方が心配だよ」
「剣神の娘なんて引く手数多なんじゃないんですか?」
「現実は剣神の娘だからこそ誰も寄って来ないんだよね。それにあの娘は僕が言うのも何だけど、そこそこ出来る上に生真面目で頑固なところがあるから
男としては扱いづらいんじゃないかな」
大きくため息をつき、やれやれと言ったように首を振るフラガ。
それだけ見ると、娘の行く先を心配する普通の親父にしか見えない。
「いい娘なんだけどねぇ」
「俺は好きですよ、美人だし」
「じゃあノア君が貰ってくれよ」
「俺は既に三人もいますので……」
「話には聞いてたけどすごいね、何か秘訣とかあるのかい?」
「俺が教えて欲しいくらいです……」
「大変だねぇ」
俺のナリを見れば、女にモテるかどうかなど言うまでもない事だ、そこにきて三人の妻がいるという状況から何かを感じたのか
フラガは俺を若干気の毒そうな目で見ながら笑っていた。
そうしてしばし二人並んで、少し先のカタリナとカーナのやり取りを眺めている。
「娘がああなるなんて初めての事だよ、何とかなって欲しいけど、相手がちょっと悪いかな」
「相手が悪いって、ガドラスがですか?」
「いやいや、もう一人のお嬢さんだよ、美人だし物腰は柔らかいし、なんかこう守ってあげたい雰囲気が出てるからちょっとウチの娘は不利かな」
「じゃあガドラスはいいんですか?」
「ああ、彼はいい男だね、部下を纏めるのも上手いし、上に対しても物怖じしない。
良い事も悪い事もひっくるめて飲み込める奴だ、そういう人材はなかなかいないと思うよ」
ガドラスに対するフラガの評価は上々のようだ。
この調子で行くと、ガドラス百人長になるのも時間の問題なのではないだろうか。
「青春だねぇ」
フラガは眼前で繰り広げられている女の戦いを眺めながらそう呟くと、腰に下げていた竹筒をぐいっとあおった。
確かそれはさっきカタリナに取り上げられていたような……
「それ何ですか? さっきカタリナさんに取り上げられてましたけど」
「命の水だよ」
酒かよ。
勤務中でしかも王女の前だと言うのにこの人は……本当にフィガロ最強の男なんだろうか。
「ご主人様ー」
後ろから呼ばれて振り向くと、キャンプしている場所でユミナが手を振っている。
クローディアの為のピクニックだと言うのに、主役達をちょっと放置しすぎていたようだ。
俺は手を振り返し、フラガに向き直って一礼した。
「色々お話楽しかったです、こかれらもよろしくお願いしますフラガさん」
様はいらないという事なので、無礼にならず、さりとて固くならずの方向で呼んで見る。
それに対しフラガはにっこりと笑みを作り一言。
「お義父さんの方がいいんだけどなぁ」
「無理です」
多分そう来るだろうと思っていたままの返答が返って来たので有無を言わさず迎撃する。
ただそれだけのやり取りだったのに、フラガはとても楽しそうに笑った。




