第三十八話 王女の役割
古来よりの作法に則り「まあまあ頭を上げて」と三度促された後、俺は顔を上げ
一切の言い訳を排除し、ただひたすらフェリスに謝罪を繰り返した。
俺が最低の屑であったという事は疑いようのない事実なので、最早俺に残された言い訳などあるはずがなかった。
「あっ、ご主人様!」
俺がフェリスに土下座を実行していると、墓地側の道からユミナが走ってくるのが見えた。
「ご主人様、もう大丈夫なのですか!?」
「ああ……もう大丈夫だ、久しぶりに会ったのに、こんなのでごめんな」
「何でご主人様が謝ってるの?」
「うむ、主がまた妻を増やしてしもうたようでな……」
フェリスがユミナに簡単に事のあらましを伝える。
ユミナはうんうんとフェリスの話を聞いた後に、俺の近くに来て手を引き、立ち上がらせた。
そして俺の腕に抱きつくと、その腕に頬をスリスリとすり寄せてくる。
「ご主人様、ユミナは気にしません。ご主人様が幸せならユミナも幸せです」
「ユミナ……ごめんな」
「フェリス姉様もご主人様を許してあげて、ご主人様は今までとても苦しい思いをしてきたんです、だから……」
「案ずるでないユミナよ、妾も特に怒ってはおらぬ」
ユミナはそれを聞くと嬉しそうに顔を綻ばせる。
俺はそんな様子を見ていて、情けないやら嬉しいやらで胸がいっぱいになり、ユミナを強く抱きしめた。
ユミナは顔を真っ赤にしつつもされるがままになり。
それを見た周りの人間達、とりわけ少年少女達は、突然出てきた俺の妻やら何やらで混乱気味になりながらも
目の前で繰り広げられるバカップルの宴を、顔を赤く染めながら眺めているのだった。
突然の再会での一通りの混乱が収まった後、俺達はまず家に帰る組と、城に行って国王に謝罪する組に分かれる事となった。
城に行って謝罪するのはもちろん俺だ。
グール討伐の詳細報告は、一緒に来ていたネビル魔導隊副長が行うらしい。
ネビルは魔獣討伐から戻ってきたばかりだと言うのに随分と仕事熱心な事だ。
「グールの発生はマナと密接な関係があるからのう、調査も兼ねて魔導部隊が動員されたようじゃ」
俺とフェリスとユミナは、フィガロ城へ続く坂道を歩いている。
ここに来る途中、スラムの少年達はシエルとアストリアに任せてきた。
先に家に連れて帰り、色々と準備をしてくれることだろう。
あの後スラムから帰る際に、ロジー達にべったりだった少女二人(ナタリアとリリーと言うらしい)から、自分達も連れて行ってくれと頼まれたがそれは断った。
流石にあんな事があった直後に、ロジーの取り巻きだった少女を連れて行く気にはなれない。
少し様子を見て反省しているようだったら、考えてやらないこともないけどな。
そうして俺はマジノ山の長い坂道を登る間に、フェリスから国王と話した内容を聞いていた。
とはいえ、単に墓地でグールが発生しているようなので、護衛として従事してほしいというだけの内容だったようだ。
あとは今回の魔獣討伐の褒章と、アストリアへの分配金について
それとトカゲ型魔獣についての見解を聞かれた程度だったようで、特に難しい内容のものは無かったらしい。
「何から何までありがとうな、フェリス」
「まあ仕方あるまい……王が今回は飲めぬのかと残念がっておったぞ、後で酌でもしてやるがよかろう」
「簡単に言うなぁ」
「どうせそのうち父上と呼ばねばならぬのじゃ、そのくらい簡単に済ませずにどうする」
「それ、本当なのか……なんだか気が重いなんてものじゃないんだけど」
「今更怖気づいても遅いというものじゃ……あとは、クローディア殿が申し訳ないことをしてしまったと気に病んでおったぞ
何か一言声をかけておくと良いじゃろう」
「ああ、それはマリアから聞いたよ」
無礼な事をしてしまったのは俺の方だと言うのに……俺があそこで逃げずにきっちり謝罪していれば、笑い話で済んだのだ。
「主よ、皆、主が思うておるほど気にはしておらぬ、普通に謝罪し、普通に接すればよいのじゃ」
沈痛な面持ちでため息をついた俺を見て、フェリスが苦笑いを浮かべる。
「大丈夫ですよご主人様、ユミナも一緒に謝りますから!」
「それは情けなさ過ぎて俺が持たないから止めてくれ」
「あぅ、はい……」
フェリスとユミナはそれぞれ俺を励ましてくれるが、城に向かう間、俺の胸中はずっと不安でいっぱいだった。
俺達は城へ続く道に設置された幾つかの門を通り抜け、マジノ山の頂上、フィガロ城の前の広場に到達した。
着いたは良いが、どうやって国王と面会しようかと考えていると、フェリスが「話を伝えてくるからここで待つように」と俺達に言い残し、城の方へと一人歩いていった。
ああ見えて国王は多忙だ。
いくら裏事情でそれなりに近い関係になっているとは言え、さすがにアポなし突撃など認められないだろう。
しかもその裏事情はまだ関係者以外には秘密ということになっている。
どこの馬の骨とも分からない中年男に王女を充てがうなどと言い出したら、他の有力貴族が黙っていないからだそうだ。
まあそれは分かる、未だに自分でも「それ本気かよ」って思うもんな。
しかし今の俺はマリアベルに見限られてしまっている。
自分のしたことを考えれば当然なのだが、こういう場合はどうなるんだろう、その話も無かった事になるんだろうか。
ああ、考えれば考えるほど気分が暗くなっていくな……
「おや、そこにいるのはノア様でしょうか?」
フェリスの姿が消えたフィガロ城の正面口を眺めながらどんよりしている俺の後ろから声がかかる。
振り返るとそこには見知った女性と初めて見る男性が立っていた。
確かこの人は、マリアベルに弓術を教えていた……
「お久しぶりです、シャーリーさん」
俺は無事に弓師、シャーリーの名前を思い出して挨拶をする。
隣りにいる男は誰だろう、長身で見事な金髪をホストヘアのようにしている、歳は二〇前後で目は青く顔は相当に整っており、鉄製と思われる軽鎧を着込んでいる。
心なしか俺を見る目が冷たいような気がするが……
「あ、ルークさん、こんにちは」
「やあユミナ、奇遇だね」
俺がその絵に描いたようなイケメン男を見ていると、隣りにいたユミナが挨拶をした。
この場には四人の人間しかいないので、恐らくこのイケメンがルークという名前なのだろう。
そしてそのルークもユミナに対してにこやかに挨拶を返す……どういう関係なんだ?
「ご主人様、ルークさんはユミナの剣の先生なんですよ」
剣の先生か、そういえばユミナは城に通ってマリアベルと一緒に剣術の練習をしているんだったな。
イケメンは苦手だけど、主人として挨拶くらいはしておいたほうがいいだろう。
「はじめまして、ノア・シドーです。うちのユミナがお世話になっております」
「これはご丁寧に、私はエスカリオ家の三男でルーク・エスカリオと申します。
スコルピオ千人長指揮下の部隊で十人長を勤めさせて頂いております、以後お見知りおきを」
そう言ってルークはにこやかな笑顔と共に左手を出してくる。
俺は、おや? と思いつつも、出しかけた右手を引っ込めて左手を出し直した。
「こらルーク、止めなさい」
その様子を見ていたシャーリーがルークに注意を促す。
注意されたルークは、フフと薄く笑うと改めて右手を差し出してきた。
「申し訳ありません、左利きなもので」
左利きだから左手を出してしまったという事だろうか、特に問題ない気はするが……
釈然としないまま、薄い笑みを浮かべながら改めて差し出されたルークの右手と握手を交わす。
大きくて固い武人の手だ、こんな線の細いイケメンでも十人長というくらいなので相当鍛えているのだろう。
そう思った瞬間、ルークの手に力が入りだす。
ルークの右手が万力のような力で俺の右手を締め上げている。
慌てて手を引っ込めようとするが、がっちり掴まれていて俺の手はピクリとも動かない。
痛い、だが皆の手前悲鳴を上げるわけにもいかない。
十人長って普段からこんな握手してるのか?
そう思い、締め上げられる痛みを堪えてルークを見据える。
ルークは笑っていた……先程のにこやかな笑みと見た目は変わらないが、その目は冷たく、俺を見下したような光を放っていた。
俺はたまらくなり、痛む右手に左手を添える為に動かそうとするとルークはタイミングよく俺の手を放し、握手は終了となった。
開放された手には締め上げられた赤い筋が付いており、ジンジンと熱を持ったように痛む。
何で俺がこんな嫌がらせを受けなくちゃいけないんだ、俺が何かしたのか?
訳が分からずルークを睨みつけるが、ルークの顔には先程までの清々しい笑みが戻っていた。
「それでは私は職務に戻りますのでこれで……ユミナ、またね」
ルークは俺が睨んでいるのを無視し、ユミナに手を振ると兵舎の方へ足早に去ってしまった。
ユミナはそんなルークに笑顔で手を降っている。
俺はなんだか無性に腹が立って、ユミナが振っていた手を掴んで降ろさせた。
「あう、ご主人様何をするんですか……」
「ユミナ、あいつは何なんだ? あんなのに剣を教えてもらってるのか? 酷いことされてないか?」
「え? いいえ、とっても優しい方ですよ?」
じゃあ俺への態度は何なんだ、訳がわからない。
「申し訳ございませんノア様、大丈夫でしたか?」
俺がルークに敵意を持たれていることの原因が分からずに憤っていると、シャーリーが不安そうに声をかけてくる。
ここでシャーリーに不満をぶちまけるのはチキンぽくて嫌だが、原因が分からなければ改善のしようもない、とりあえずそれとなく聞いてみよう。
「なんだかルークが俺に対して何かあるようだったけど、何か知ってるか?」
「ええ……多分」
シャーリーは困ったような顔をした後、ユミナから少し離れたところに俺を呼び、その事について放し始めた。
内容をまとめるとこうだ。
マリアベルとユミナが城で武術の稽古をする事となり、マリアベルにシャーリーが付いたので、同じ流れでユミナにはシャーリーと同期のルークが付いた。
千人長からの命令なので初めは渋々引き受けていたルークだったが、訓練を続けるうちにユミナの能力の高さ、そして素直さと純真さにやられてしまったらしい。
そして、ユミナをぜひ妻にという所まで入れ込んでしまったのだが、聞けば何と既に夫がいるというではないか。
その事実の前に一度はその思いを諦めたルークだったが、やはり気になり、ユミナから夫の事を聞き出すが、その夫
毎日仕事もせずにダラダラ食っちゃ寝を繰り返していたり
ユミナを城や町で働かせ、その稼ぎを全て取り上げたりと、聞けば聞くほどダメ人間としか言いようのない人物ではないか。
ユミナとマリアベルが訓練の合間におしゃべりしている内容を盗み聞いても、その夫に関する話題では、マリアベルは変態だのヘタレだのと散々な評価だ。
それらの証拠を以って、ルークは確信する。
ユミナはそのどうしようもないクズ男に何らかの弱みを握られて仕方なしに従っているのだと。
助けることができるのは、今、ユミナと関わっている自分しかいないと。
そういう結論に達してしまったのだという。
「私は何度も、それは違うよって言ったんですけどね」
呆れ顔のシャーリーの隣で、俺は最近ずっと抱えているような気がする頭をまたしても抱え込んでいた。
何で俺には次から次へと厄介事が舞い込んでくるんだ。
まあ直近のは自業自得なんだが、それにしたって俺の平穏を邪魔する意思が働いているとしか思えない。
「ユミナさんは可愛らしいですからね、庇護欲を刺激するといいますか」
「まあそれは分かるけどさ……」
しかしユミナを助けると言っても、ルークは具体的にはどうするつもりなんだろうか。
いくら何でも十人長クラスが人の妻……ましてや訳有り者の俺の関係者をどうこうする事なんて出来るとは思えない。
せいぜい訓練にかこつけてユミナを懐柔するくらいか、しかしユミナが俺を裏切ることなんて無いだろうし、とりあえずは直接顔を合わせないようにしておけば大丈夫か?
「シャーリーさん、あのルークって男はどういう男なんだ? エスカリオ家の三男って言ってたけど、騎士の家系か何か?」
「ああ、ノア様はこちらに来て日が浅いからご存じないのですね、エスカリオ家っていうのはフィガロ三大貴族の一つですよ
エスカリオ家、ネザー家、チェリス家がフィガロで最も力を持っている貴族です。
チェリス家は最も古い貴族で、王家に女子を出していますし政治にも深く食い込んでいます。
ネザー家は武芸に優れた者を多数輩出している武門の家ですね。
エスカリオ家は元々外国の商人だったのですが先代の国王にその才を見出され、今では内務を行っている者達にその家に連なる方が多く居ますね」
「何だか嫌な予感しかしないんだけど」
「そんなに気にしなくても大丈夫だと思いますよ、大貴族と言っても三男ですし、商才が無くて兵士なんてやってるくらいですからね。
それに国王陛下に覚えのあるノア様相手に、貴族達もそんなに強引な真似はできないでしょうし……」
「だといいんだけどね」
とりあえず剣の練習は止めにしようかな、いくら大丈夫と言われてもそんな状態のところに通わせるのは不安だ。
家に帰ったらフェリスとよく相談してみよう。
「そういえば、今あっちの練習場でマリアベル様が弓の練習をされていますよ。少し見て行きますか?」
シャリーが俺に変な気を回す。
しかし俺は今、マリアベルと顔を合わせづらい……あんな醜態を晒してしまったのだ、俺などとっくに軽蔑されているだろう。
「いや、今はいいよ……」
「そうですか? 今マリアベル様に弓を教えているのは、先程お話しましたネザー家の長男、スコルピオ・ネザー千人長なんですよ、どうです、興味ありません?」
「千人長ってコネでなれるもんなのか?」
「何を言ってるんですか、スコルピオ様は正真正銘実力で千人長の座を掴んだ方ですよ、若干三二歳で三人しかいない千人長に抜擢
巷では剣神フラガと並んで天弓スコルピオと呼ばれる弓の名手なんです」
「もう一人の千人長は?」
「もう一人はロレント・バルカルス千人長ですね、こちらは鬼のロレントと呼ばれていて、一騎打ちであれば国内でまともに打ち合えるのはフラガ様くらいでしょう」
あのロレントが千人長だったのか……しかし何でそんなお偉いさんが国境警備なんて……
ああ、そう言えばクロウに会いたいから国境で張ってるんだったか。
「しかし千人長が三人という事は、この国の常備軍って三千人程度なのか?」
「そうですね……各千人長配下の兵以外に、マイア・シュリーク様率いる魔導兵とロジャー・フォート様率いる工兵隊がありますが
全部集めても三六〇〇名といったところでしょうか。非常招集をかければ三倍くらいにはなりますが……」
それは多いのだろうか、少ないのだろうか……他の国の軍の規模が分からないのでなんとも言えないところだが。
「言いたいことは分かりますよ、ラギウス帝国は常備軍が五万名、ロシュフォーンは三万名ですので……でも質では負けてないですよ!」
俺の微妙な顔を、戦力が少ない事への不安だと取ったらしく、シャーリーが拳を握りながら周辺国の兵力を俺に教えてくれるが、周辺国との戦力差は俺が思った以上に絶望的だった。
これは確かに国王の心配も分かるというものだ。
まあ戦争になったら勝てないのは分かりきっているので、国王も正面切って戦うようなことはしないだろう。
それに今俺がそんな事を心配した所で仕方がない、幸い今は平和な時代だし、戦争の火種になりそうな事も特に無いはず。
「そこまで言うならとりあえずスコルピオ千人長だけでも覗いてみようかな……」
「やっぱり興味あるんですね! いいですよ、こちらに来て下さい」
何故かシャーリーは嬉しそうに俺を訓練場の方に手招きしながら誘導する。
俺がシャーリーについて行くと、その後をユミナがくっついてきた。
城から少し離れた場所にある兵舎の隣にある訓練場。
その隅に、木で作った人形や丸い的が並んだ一角がある。
そこにその二人はいた。
一人は金髪の少女、マリアベルだ。
一般の兵士が使うような木製の短弓を持ち、一心不乱に五〇メートルほど先にある的に向かって矢を放っている。
そしてその隣で腕を組みながらその様子を見ている男が一人、長身で筋肉質、赤い髪を後ろでまとめており、その目は鷹のように鋭い
恐らくこの人物が、スコルピオ千人長なのだろう。
マリアベルが放つ矢は三発に一発は的に当たっている感じだ。
俺から見るとなかなか良いコントロールだと思うが、隣に立つスコルピオは不満そうな顔をしていた。
やがてマリアベルが一発だけ大きく狙いを逸らす。
それを見たスコルピオは、マリアベルに訓練の中止を指示していた。
「手を見せてみろ」
威圧感を含んだスコルピオの低い声がこちらまで聞こえてくる。
マリアベルはおずおずと両手をスコルピオの前に出してみせた。
「見ろ、右手の皮が裂けている、自分の手の状態も管理できんようでは弓使いは務まらん。
弓使いは周りの状況は元より、自身の状態も常に完璧に管理する必要がある、命綱である利き手が壊れるまで弓を引き続けるなど以ての外だ」
「はい……ごめんなさい」
「今日の訓練はここまでとする、軟膏を塗って手を休めておけ」
スコルピオはそれだけ言うと、他の兵士達の練習を見に移動してしまう。
王女の訓練を見ているというのに、やけにあっさりしているな、口調もぶっきらぼうだったし……
「なあ、なんかやけに厳しくないか」
「いいえ、あれでも十分配慮されていますよ。
元々スコルピオ様はマリアベル様の訓練の講師を断っていたのですが、マリアベル様が直接頼み込んで、一般の兵士と同じ扱いなら良いという条件で受けていただいた様です。
それでも全然優しいですけどね、私にもあれだけ優しくして頂ければもっと伸びるのに……」
シャーリーはそんな事をブツブツ言いながらぶーたれている。
そんな事俺に言われても困るがな。
それにしてもあのスコルピオという千人長は随分と部下の面倒見が良いようだ。
今は他にいくつかの十人長指揮下のグループが訓練を行っているようだが、その一つ一つのチームの様子を確認し、気づいた点をアドバイスするといったような事を繰り返している。
いくら戦闘を目的とする集団とはいえ、千人長ともなれば机での書類業務などの量も多いはずだ。
それなのに、末端の兵士の訓練にまで顔を出すのは、なかなか出来ることではないように感じる。
「それでは私はマリアベル様のお世話をしてきますね、ノア様もご一緒に行きますか?」
マリアベルが一人で矢の片付けをしている様子を見てシャーリーが手伝いに行くらしい。
俺も一緒にと誘われたが、あの黙々と訓練を続けるマリアベルを見てしまった今、どの面を下げて今の俺がマリアベルに対面できるだろうか。
「いや俺はいい、もうすぐフェリスが戻ってくるだろうし門の前に戻ってるよ、マリアベルによろしくな」
「そうですか、分かりました、それではまた」
シャーリーは小さく手を振ると、マリアベルの方に走っていった。
「ユミナ、マリアベルに会っておきたかったか?」
「ううん、普段はいつも一緒だし、真剣に練習してる時はあまり声をかけない方が喜ぶから」
俺は城門の前に戻りながらユミナと他愛のない話をする。
ユミナもマリアベルも、もうすっかり気の許せる友達と言った感じになっているようだ。
ロシュフォーンの農村出のユミナと王女であるマリアベルが共にいられるのは、恐らく国王であるネルソンの計らいだろう。
考えれば俺は色々な人間に世話に世話になっているが、俺自身はその人達に何も返せていない。
それどころか迷惑ばかりかけている、普通の大人であればやらないような馬鹿げた事でだ。
何で周りの人達はそんなにうまくやれるんだろうか、何で俺はうまくできないんだろうか。
どうやったら俺は大人になれるんだ……
「ご主人様、お姉様が戻ってきてるみたいですよ……ご主人様?」
次第に迫ってくるフィガロ城の門を見ながら、俺は取り留めのない事をぼんやりと考えていたが、ユミナの声で我に返る。
見れば門の手前でフェリスがこちらを見て手招きしていた。
俺はそれを見て急いでフェリスの元に駆け寄る。
「フェリスすまない、ちょっとマリアベルを見に行ってたんだ」
「ふむ、妾も今戻ったところであるので問題はないが……マリアとは何か話したか?」
「……いや、熱心に練習してたみたいだから、遠くから見てただけだ」
「そうであるか」
フェリスは軽く頷くと、そのことに関してそれ以上は何も言わなかった。
「それでじゃ、王に謁見を求めてきたのじゃが、今日はもう日も遅い、夕食後に少しだけ時間があるということで
面会を希望するなら迎賓館にて待つように言われたのじゃがどうする? 主よ」
「是非お願いしたい、今日中に先日の非礼を侘びたいし、話したいこともあるから……」
「うむ、では迎賓館にて待たせてもらうとしよう」
そう言って俺達はフェリスの後について迎賓館へと向かった。
迎賓館は二度目だが、ここは本来俺達みたいなのを入れる場所ではないように思う。
なんでいつも会合時は迎賓館を指定されるのだろうか……
フェリスに聞いた所、俺達との話は特殊で、いつどういった衝撃の内容が飛び出すか分からないので、危なっかしくて人の耳のある場所では話ができないそうだ。
城の中で会うとなれば謁見の間しかない、謁見の間では俺達程度の相手で人払いなどできないし、それ以外の場所だと大臣達がうるさいらしい。
城の中には多くの人間がいるので、どこに誰の耳があるとも限らない、結局、他人に聞かれにくく、人を呼んでもそれほど不自然ではない場所というと迎賓館になるようだ。
俺達は迎賓館に入り、ロビーのソファに座って国王ネルソンを待つ。
メイドが飲み物を勧めてくるが、喉を通りそうにないので遠慮しておく。
ユミナも何故か緊張した面持ちで、俺の隣に座っている。
唯一フェリスだけは、いつも通りに紅茶を片手にソファにゆったり座っていた。
そしてしばらく時間が経ち、日も落ちて辺りが薄暗くなった頃、迎賓館の外に白い馬とそれに乗った女性の姿が見えた。
見覚えのある馬に、俺は迎賓館の入り口まで向かう。
そこにいたのはユニコーンと、それに乗ったクローディアだった。
「ごきげんよう、ノア様」
「あ……クローディア様……」
クローディアはユニコーンから降りると優雅に一礼する、俺はぎこちなくそれに習って礼を返した。
「あ、あの、クローディア様、先日は……申し訳ございませんでした!」
礼が終わると俺は夢中になって先日の非礼を謝罪するが、クローディアは優しく微笑むだけだ。
『レディを入り口で待たせないで、中へエスコートなさい』
上から降ってくるようなユニコーンの声がする。
慌てて右手を出そうとすると『左手よ』とユニコーンからのお叱りの言葉が届いた。
おずおずと左手を出すと、クローディアは軽く会釈をし、俺の左手に右手を重ねる。
細くてきれいな手が俺の手に重なって、ちょっとドキドキしてしまう。
そのまま俺は、迎賓館の中にクローディアをエスコートした。
迎賓館に入ったクローディアは俺から手を放すと、再び俺に対して一礼する。
「ノア様、ありがとうございます」
「い、いえ……」
「緊張なさらずに……このようなものはパズルと同じですわ、少し練習すれば、誰にでも出来てしまうものです」
俺はクローディアが現れた意味も、今の一連の動作を行った意味も見いだせないでいた。
そしてここから、クローディアを座らせるべきなのか、このまま話を聞くべきなのかも判断できずにいた。
「驚かせてしまいましたね、私は今日はノア様に謝罪をしたかったのです。
先日は誠に申し訳ございませんでした。私の浅はかな行動で大変不快な思いをさせてしまい心よりお詫びを申し上げます」
クローディアはそう言うと、両手をお腹に当て、今までよりも深く腰を折り、俺に対して謝罪を行う。
「ちょ、止めて下さいクローディア様、何で……悪いのは俺なんです、俺がその場で謝罪すればいいだけだった、なのにそれが出来なかった俺のいい加減さが全ての元凶なんです」
「いいえ、それが全てではございません……私はあの時、ノア様を見ていた訳ではなかったのですから」
「それは……どういう事ですか?」
「ノア様、どうかお座りになって下さい、お話させて頂きますので」
クローディアに促され、俺は慌てて近くのソファに腰をかける、続いてクローディアも腰を下ろし
この流れに釈然としないものを感じていた俺に、あの時に関する事をぽつぽつと語りだした。
――
フィガロ王国第一王女クローディアには婚約者がいる。
相手はラギウス帝国の現皇帝の次男、ジラート・ヴァレリウスという男だ。
ジラートは現在三六歳で既に四人の妻がいる身だ、クローディアは来年、その男の元に五人目の妻として身を寄せる事になるという。
今まで会ったのはたった三回、ラギウス帝国が主催する祭事の晩餐会での事だ。
一度目、クローディアが一五歳の時に、たまたまその晩餐会に出席していたジラートの目に止まり、その場で求愛された。
求愛と言っても、そんなロマンチックなものではない。
ジラートは、一五歳にしては良く育っていたクローディアの体に舐めるような視線を這わせた後、唐突に腕を掴まれ、自分の妾になれと言ってきたのだという。
二回り近く年上の男に腕を掴まれ、妾になれと言われ、恐怖で固まっていたクローディアだったが、丁度挨拶回りが終わったネルソンが戻ってきたことでその場は事なきを得た。
しかしその後、ラギウス帝国からの使いがフィガロを訪れ、クローディアを正式に第二皇子の妻として迎えたいとの申し入れがあった。
正直な所、この申し出はフィガロにとっては渡りに船であった。
ラギウス帝国の統合政策によって、フィガロの西に隣接していた山岳国家ガゼンティがラギウス帝国に統合されてから約四〇年の月日が流れている。
今では統合後の混乱も殆ど無くなっており、時期的にもそろそろ次の小国を狙ってラギウス帝国が動き始める頃合いだ。
しかしここで帝国と血縁を結んでおけば、統合されず、独立国家としての存続を期待できるかもしれない。
最終的には統合されることになったとしても、血縁があれば有利な条件を引き出すための材料になる。
フィガロ王国として、この話を断るという選択肢は無かったのだ……国としては。
フィガロ国王ネルソンは、答えが決まりきっているこの話に大いに悩んだ。
国としては断って得られるものなど無い、むしろ敵を増やすだけの結果になってしまう。
しかし、ラギウス帝国の第二皇子といえば、良い噂などまるで聞かない。
しかも既に四人も妻がいる身で、クローディアは第五婦人だ、小国とは言え、一国の第一王女を欲していてこれでは舐めているにも程がある。
ネルソンは一人の娘の親として、そんなところへ娘を売りに出さねばならない事を深く嘆き、自分の無力を呪うことしかできなかった。
ネルソンは当初、婚姻の話をクローディアには伝えていなかったが、日に日に憔悴していく父を見ているうちに聡明なクローディアは何が起きているかを察してしまった。
そしてある日、父の寝室を訪れたクローディアは、ラギウス帝国に輿入れする決意をネルソンに伝えた。
ネルソンは驚き、そして「すまない」と何度もクローディアに謝りながら涙を流していたという。
そしてネルソンはラギウス帝国の申し入れを受ける旨の返事を行い、ラギウス帝国の一員として恥ずかしくない教育を施すためという理由を付け
クローディアが一八歳になった春に輿入れを行いたい旨を伝えた所、ラギウス帝国側もこれを承諾し現在に至るという事だ。
――
クローディアは自身の状況を話し終え、一旦息をついた。
いつの間にか手元に用意されていたカップを手に取り、紅茶に口をつける。
気がつけば俺の手元にも同じものが置いてあった。
国の王族同士の婚姻、いわゆる政略結婚……物語などでは読んだことはあったが、実際に聞くと本当にシビアな話だ。
物語として読む分には、王族の義務だから仕方ないねで終わってしまうような事だが、渦中の人が目の前にいるという状態で話を聞くと
とてもそんな言葉は出てこなかった。
「そして先日のお話になるのですが……」
紅茶の入ったカップを音もなく置き、クローディアがこちらを見る。
「ノア様が言われた言葉を聞いた時に、あの方……ジラート様の顔が浮かんできてしまったのです。
なので少し気分が悪くなってしまって……誤解を招くような表情を作ってしまったかと」
あの時の軽蔑の眼差しはそういう事だったのか……しかし、俺の言葉でその男を思い出したってことは、俺もまた同じ穴のムジナなのでは。
そもそもそのジラートってそんなに酷い奴なんだろうか。
「でも自分が気持ち悪い事を言ったのも事実なので、クローディア様に軽蔑されるのは仕方がないことです」
「いいえ、私はノア様を軽蔑などしていません。ノア様は立派な方です、マリアを助けて頂きましたし、魔獣討伐など、この国の為に頑張っておられるではないですか
ジラート様は……何というか、ご自分の事しか考えていらっしゃらないような方ですので、ノア様とは全然違いますよ」
「そんなに駄目な方なんですかそのジラート……様って」
「ええそれはもう、私もまだ三度しかお会いしていませんが、いつも無遠慮に私の体をジロジロ見ますし、それでいて他の奥方とも場所を弁えずにイチャイチャイチャイチャ
まだ婚約しかしていないというのに、既に私をご自分のアクセサリのように扱っておいでですし、すぐに嘘だと分かるような自慢話を延々としだすしで……」
いくつか俺の胸にも刺さる言葉がある……痛い
「それに今年の春にお会いした時は、危うく個室に連れ込まれそうになりましたし、しょ……初夜はどうして欲しいなどと気持ち悪い顔で聞いてきますし
足や腕などももう遠慮なく触ってきますし、む、胸まで……しかも手がやけにベタついてて気持ち悪い、本当にもう……」
クローディアは俺が一つ何か聞くと十も二十も喋り続ける、いつものおしとやかで物静かな印象とは少し違って見える。
きっと、今までずっと溜め込んできたのだろう、周りの人たちに迷惑をかけないよう、不安にさせないよう、自分は全て覚悟ができていると、そういう雰囲気をずっと作り続けていたのだ。
俺は何も言わずに相槌を打ちながらクローディアの話を聞いていた。
クローディアは、ジラートがどれほど嫌な男か、自分がどれほどフィガロが好きなのかを語り続け、いつしか目には大粒の涙が浮かんでいた。
一八歳になった春……つまり、来年の春には、クローディアはラギウス帝国に嫁がなくてはならないのだ……
ここに初めてきた日、結婚の話題を振って妙な空気になった原因が、今になってようやく分かった。
「やあノア君、遅くなってしまったね。おや、クローディアがノア君の相手をしていてくれたんだね、ありがとう」
俺がクローディアの話を聞いていると急に上から声が降ってきた。
驚いて見上げるとそこにはいつのまにかネルソンが立っていた。
「陛下……」
「お、お父様!」
「おや、ノア君だめだよ娘を泣かせてしまっては」
俺とクローディアを交互に見てネルソンは冗談ぽく笑う。
「あ、ち、違いますお父様、これは……」
「クローディア、ノア君のお相手ご苦労様、今日はもう帰って休みなさい」
「は……はい……」
涙を袖口で拭って取り繕うクローディアに、怒ってはいないが有無を言わさぬ声でネルソンがクローディアに退室を促した。
クローディアもそれ以上は反抗することもなく、すっと立ち上がって俺に向かって礼をする。
「ノア様……今日はありがとうございました。とんだお見苦しい姿を晒してしまい申し訳ございません」
クローディアはそれだけ言うと、ユニコーンが待っている迎賓館の外へと出ていく。
俺はその姿を見て反射的に立ち上がり、クローディアを追った。
クローディアは外に出てユニコーンに乗ったところだ、俺が出てきたのを見て少しだけ驚いている。
それはそうか、国王を無視してる状態だし。
でもこれだけは言っておきたかった。
「クローディア様、今日はありがとうございました。
今度皆でピクニックにでも行きましょう、丘の上でぼーっと雲を眺めて過ごすのも、たまにはいいものですよ」
俺の言葉にクローディアはしばしきょとんとした顔をしていたが、言った言葉を理解してくると、なんとも言えない泣いているような笑っているような顔になった。
「ぜひ……是非誘って下さいノア様」
クローディアはもう一度、馬上から俺に向かってお辞儀をする。
「おいユニコーン、ちゃんと送れよ、っていうか何でお前こんなとこウロウロしてるんだ」
『暇だから夜間警護のボランティアをしてるのよ』
「夜間って、大丈夫なのか」
『睡眠は一日二時間取れれば十分よ、厩舎にいたらむさい男どもに触られちゃうでしょ』
「左様で……」
ブレないユニコーンの態度に呆れながら、俺は二人が城の方へ戻っていくのを手を降って見送った。




