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4.同じ春へ

 中学三年生になると、嫌でも将来の話をする機会が増えた。


「進路希望、明日までだからなー」


 担任が教卓から声を張る。


 配られた用紙には、第一志望、第二志望、第三志望。


 少年はそれを眺めながら、ほとんど迷わず一番上の欄に学校名を書いた。


 家から自転車で通える距離にある県立高校。


 特別な進学校というわけでもない。


 かといって、誰でも入れるほど簡単でもない。


 この町の中学生なら、毎年何人かが進学する、ごく普通の高校だった。


「やっぱそこ?」


 隣から覗き込んできたのは、小学生の頃からの親友だった。


「うん」


「もうちょっと上、狙えるんじゃね?」


「通うの面倒」


「出たよ」


 親友が笑う。


「お前、絶対それだけじゃないだろ」


「何が」


「龍神様」


 少年の手が止まった。


「……別に」


「神社から遠くなりたくないんだろ?」


「まあ、それもあるけど」


 否定はしなかった。


 氏神様の神社には、生まれたときから通っている。


 遊び場であり。


 悩み事があれば立ち寄る場所であり。


 そして今では、龍神と話すことのできる場所でもある。


 もちろん、龍神がいつも相手をしてくれるわけではない。


 呼びかけても無視されることのほうが多い。


 それでも。


 遠く離れたいとは思わなかった。


「この町、好きだし」


「はいはい」


「何だよ」


「そういうことにしといてやる」


「殴るぞ」


「受験生が暴力はいけませーん」


 親友は笑いながら自分の進路希望を見た。


「じゃ、俺もそこにしよ」


「軽いな」


「元々候補だったし」


「成績は?」


「……そこはお前に頑張ってもらう」


「俺が頑張ってどうすんだよ」


 その日の放課後。


 二人は図書室へ向かった。


 受験が近づくにつれて、いつもの四人で勉強することが増えていた。


 親友。


 少年が中学二年の頃に初恋をした女子。


 そして、その女子といつも一緒にいる、さっぱりした性格の女子。


 妙な成り行きでできた四人組だった。


「遅い」


 席に着くなり、初恋だった彼女が言った。


「担任に捕まってた」


「進路?」


「うん」


「どこ?」


 少年が学校名を答える。


「あ、私もそこ」


「え?」


「何その反応」


「いや、知らなかった」


「聞かれてないし」


 その隣で、彼女の親友が問題集から顔を上げた。


「私もそこだよ」


「お前も?」


「何。嫌?」


「そうじゃないけど」


 四人の視線が最後の一人へ向く。


 親友は胸を張った。


「俺もそこ」


 女子二人が黙った。


「……何だよ」


 サバサバした女子が口を開く。


「受かるの?」


「お前まで言う!?」


「だって四人の中で一番危ないじゃん」


「まだ半年ある!」


「半年しかないの間違いでしょ」


「くそっ」


 親友は悔しそうに問題集を開いた。


「じゃあ、こいつに教えてもらうからいい」


 少年を指さす。


「自分でやれ」


「お前さあ」


 親友が急に真面目な顔をした。


「その力、勉強には使えないの?」


「またそれかよ」


「だって便利じゃん。四択問題とか」


 親友は問題集を指さした。


「間違った答えに黒いモヤが見えるとかさ」


「不正解は厄じゃない」


「じゃあ不合格には?」


「知らないよ」


「龍神様に聞いてみろよ」


「そんなことに使ったら怒られる」


 初恋だった彼女が笑った。


「私のときは勝手に黒いモヤ消したのに?」


「まだ言う?」


「一生言う」


「あのときは本当に危なかっただろ」


「分かってる。感謝もしてる」


 彼女はそう言ってから、少し意地悪そうに笑った。


「でも、普通に怖かった」


「だから謝ったじゃん」


「『君に黒いものがついてる』だもんね」


 隣の女子が吹き出す。


「今それ言われても怖いわ」


「中二だったんだよ!」


「中二病?」


「違う!」


 親友まで笑っている。


「笑うな。お前は事情知ってただろ」


「知ってるから面白いんだよ」


 少年は机に突っ伏した。


 あの日。


 好きだった彼女に黒いモヤがまとわりついているのを見つけ、必死になって厄を払った。


 結果として彼女は事故を避けられた。


 そして少年の初恋は、見事に終わった。


 けれど。


 それで縁まで切れたわけではなかった。


 彼女はしばらく少年を避けていた。


 その後、少しずつ話すようになり。


 今ではこうして笑い話にされるほどになった。


 恋人にはなれなかった。


 でも、大切な友人にはなれた。


 それなら、それでいい。


「ねえ」


 サバサバした女子が彼女を見る。


「助けてもらったんだから、付き合ってあげればよかったのに」


「は?」


「え?」


 少年まで顔を上げた。


 彼女は即答した。


「それとこれとは別」


「即答!」


 親友が大笑いする。


「お前、振られるの二回目じゃん」


「一回目も告白してないから!」


「じゃあ今すれば?」


「しない!」


「私はしないからね」


「聞いてない!」


 図書委員から、


「静かにしてください」


 と注意された。


 四人そろって頭を下げた。


 それからの日々は、驚くほど普通だった。


 授業を受け。


 模試の結果に一喜一憂し。


 放課後は四人で問題集を広げる。


 少年の力が役に立つ場面など、ほとんどなかった。


 数学の証明問題に黒いモヤは出ない。


 英単語を間違えても水の音は聞こえない。


 歴史の年号を忘れても、龍神は助けてくれない。


「龍神様」


 入試の一週間前。


 少年は一人で神社を訪れていた。


 賽銭を入れ、手を合わせる。


「今度、入試なんだけど」


 ――そうか。


「久しぶりに返事したね」


 ――用があるのであろう。


「御利益とかない?」


 少し間があった。


 ――ある。


「マジで?」


 少年の顔が明るくなる。


 ――厄があれば祓ってやろう。


「そうじゃなくて、合格するようなやつ」


 ――知らぬ。


「神様なのに?」


 ――己で学んだのであろう。


「まあ……」


 ――ならば己で解け。


「厳しいなあ」


 少年はため息をついた。


「不合格は厄じゃないの?」


 ――違う。


「即答だな」


 ――学ばずして落ちるならば、己が招いた結果であろう。


「耳が痛い」


 ――学んだのであれば、あとは為せ。


「はいはい」


 少年は苦笑した。


 でも。


 少しだけ気持ちが軽くなった。


 思えば、自分のカンも。


 黒いモヤも。


 龍神の加護も。


 何でも願いを叶えてくれる力ではない。


 危ないことを避けることはできる。


 誰かの厄を遠ざけることもできる。


 けれど。


 自分がどこへ進むかまで、龍神が決めてくれるわけではない。


「じゃ、頑張ってくる」


 ――うむ。


 それだけで十分だった。


 試験当日。


 四人は別々の教室で問題用紙に向かった。


 当然。


 黒いモヤなど、一つも見えなかった。


 そして春。


「受かったあああ!」


 親友が神社の石段の下で叫んだ。


「うるさい!」


「近所迷惑!」


「俺が一番危なかったんだから喜ばせろよ!」


 結果は四人とも合格。


 卒業式を終えたその足で、四人はいつもの神社へ来ていた。


「結局、高校も四人一緒か」


 少年が言う。


「腐れ縁だね」


 彼女が笑う。


「高校で新しい友達できたら、こいつら捨てよ」


 その親友が平然と言った。


「ひどくない?」


「冗談」


「顔が冗談じゃないんだけど」


 親友が文句を言う。


 境内には、春の柔らかな風が吹いていた。


 小学生の頃。


 ここで走り回った。


 麦茶をもらった。


 転んだ。


 喧嘩した。


 何度も笑った。


 気づけば、もう中学校を卒業する。


「じゃ、帰ろうぜ」


 三人が石段へ向かう。


「先行ってて」


「何?」


「ちょっとお参りしてく」


「また龍神様?」


「普通にお参りだよ」


「はいはい」


 三人は先に石段を下りていった。


 少年は拝殿へ向かう。


 賽銭を入れ。


 二礼二拍手。


 手を合わせた。


 高校でも。


 あいつらと。


 家族と。


 この町のみんなが。


 ――無事でいられますように。


 ――ざあっ。


 小さな水の音がした。


 ――相変わらず。


「ん?」


 ――己のことを願わぬのだな。


 少年は少し考えた。


 そして笑った。


「願ってるよ」


 ――ほう。


「俺も『みんな』に入ってるから」


 しばらく。


 龍神から返事はなかった。


 やがて。


 水が流れるような、小さな笑い声が聞こえた。


 ――そうか。


「うん」


 少年は頭を下げる。


「高校でもよろしく、龍神様」


 ――好きにせよ。


「それ、よろしくってことでいい?」


 返事はなかった。


「また無視かよ」


 少年は笑いながら振り返る。


 石段の下では、三人が待っていた。


「遅い!」


「置いてくぞ!」


「今行く!」


 少年は駆け出した。


 十五歳の春。


 四人はまた。


 同じ場所へ向かって歩き始めた。


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