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12/16

番外編.龍神の記憶

 神というものにも、時折、縁ができる。


 人が知らぬだけで。


 長く在り。


 人から信を寄せられ。


 それまでより強く、大きな存在となれば。


 今まで届かなかった場所の気配が、ふと届くことがある。


 白い龍も。


 いつしか、そうなっていた。


 かつては。


 一つの町に根づいた。


 小さな氏神だった。


 厄除けに御利益があると。


 地元の者には、それなりに信仰されていた。


 けれど。


 遠方から人が訪れるような神ではない。


 それが。


 ここ十年ほどで。


 随分と変わった。


 参る者が増え。


 願う者が増え。


 礼を告げる者が増えた。


 そして。


 いつしか。


 白い龍自身も。


 以前とは比べものにならぬほど、大きな神格を持つようになった。


 そんな折だった。


『随分と力を増したな、龍よ』


 声に。


 白い龍が目を向ける。


 そこに。


 一頭の黒い狼がいた。


 ただの獣ではない。


 山の風。


 土の匂い。


 木々と獣の気配。


 それらをまとった。


 一柱の神。


『狼神か』


『そう呼ばれることにも、ようやく慣れたところだ』


『元から神ではなかったのか』


『さてな』


 黒い狼は。


 それ以上は語らなかった。


 白い龍も。


 聞かなかった。


 ただ。


 その身に宿るものが。


 生まれながらの神格とは少し違うことくらいは分かった。


『そなたも』


 黒い狼が言う。


『人から多くの信を得たらしいな』


『分かるか』


『我も似たようなものゆえな』


『ほう』


『人の子というものは、不思議なものだ』


 黒い狼は。


 遠くを眺めるように目を細めた。


『こちらが守ったつもりでいても』


 少し。


 間を置く。


『いつの間にか、こちらが何かを貰っている』


 白い龍は。


 その言葉を聞きながら。


 己が見守ってきた。


 一人の人の子との歳月を。


 静かに。


 辿っていった。


      ◇


 初めて。


 その子の力に気づいたのは。


 まだ。


 母の腹の中にいた頃だった。


 戌の日。


 若い夫婦が。


 我が社へ参った。


 母子ともに。


 無事でありますように。


 どこにでもある願い。


 長い年月。


 何度も聞いてきた願いだった。


 だから。


 最初は。


 いつもの参拝者。


 それだけだった。


 だが。


 女の腹へ目を向け。


 白い龍は。


 僅かに興味を持った。


 まだ。


 人の形すら定かではない小さな魂。


 それが。


 近くを流れる厄の気配へ。


 僅かに。


 反応していた。


 災いから。


 身を離すように。


 ――ほう。


 珍しい。


 そう思った。


 ただ。


 それだけだった。


 人の中にも。


 時折。


 妙な力を持つ者は生まれる。


 その先。


 どう育つかまでは。


 神にも分からない。


      ◇


 三歳。


 子どもは。


 妙に勘の良い幼児になっていた。


『そっち、やだ』


 母の手を引き。


 道を変える。


 その少し後。


 元の道で事故が起きる。


『今日は公園いかない』


 その日。


 公園の木から大きな枝が落ちた。


 何が起きるのか。


 子ども自身には分からない。


 ただ。


 嫌だ。


 怖い。


 行かないほうがいい。


 それだけを感じ取る。


 ――やはり。


 持っておる。


 白い龍は。


 まだ。


 遠くから見ているだけだった。


      ◇


 六歳。


 小学一年生。


 子どもにとって。


 我が社は。


 神聖な場所である前に。


 遊び場だった。


 学校が終われば。


 友とやって来る。


 石段を駆け上がり。


 虫を捕り。


 時には転び。


 神主から麦茶をもらう。


 白い龍は。


 そんな光景を。


 いつしか。


 当たり前のものとして眺めていた。


 ある夏の日。


 神主が。


 車の鍵を手に取った。


『買い物に行ってくる』


 子どもが。


 ふと。


 顔を上げる。


『神主さん』


『ん?』


『今日は歩いて行ったほうがいいよ』


『どうしてだ?』


『なんとなく』


 白い龍には。


 見えていた。


 いつもの道。


 積み荷。


 鉄骨。


 落下。


 時間が重なれば。


 神主の命にすら届きかねない厄。


 だが。


 白い龍は。


 何もしなかった。


 神主は。


 これまでにも。


 あの子の「なんとなく」を見てきた。


『……じゃあ、今日は歩くかな』


 車の鍵を置いた。


 その後。


 鉄骨は。


 誰もいない道路へ落ちた。


 神主は助かった。


 子どもは。


 そんなことも知らず。


 友と走り回っていた。


 ――面白い童よ。


 それまでより。


 ほんの少しだけ。


 白い龍は。


 その子を見るようになった。


      ◇


『その頃には、もう気に入っていたのではないか』


 黒い狼の声が。


 静かに割り込んだ。


 白い龍は。


 長い記憶から意識を戻す。


『ただ見ていただけだ』


『そういうことにしておこう』


『……そなた、随分と馴れ馴れしいな』


『続けよ』


『勝手な狼よ』


 そう言いながら。


 白い龍は。


 再び。


 あの歳月を辿る。


      ◇


 七歳。


 七五三。


 普段とは違う服を着せられ。


 少し窮屈そうに。


 子どもは。


 我が前へ座った。


 祝詞の意味など。


 ろくに分かっていない。


 退屈そうですらあった。


 やがて。


 両親とともに。


 手を合わせる。


 近所の者から。


 元気でいられますように。


 そう願えとでも言われていたのだろう。


 だが。


 あの子が願ったのは。


 自分のことではなかった。


 ――みんなが。


 ――ひどい目にあいませんように。


 父。


 母。


 友。


 神主。


 近所の者。


 知っている誰か。


 知らない誰か。


 痛かったり。


 怖かったり。


 悲しかったり。


 そんなことが。


 なるべく。


 ありませんように。


 白い龍は。


 初めて。


 はっきりと。


 その童へ興味を持った。


 力を持つ者が。


 己の幸福を願う。


 当然のこと。


 むしろ。


 それが人だ。


 なのに。


 この子は。


 他人の厄がなくなることを願った。


 ――仕方ない。


 白い龍は。


 力を伸ばした。


 この子の力は。


 この先。


 さらに育つ。


 やがて。


 厄を見るだけでなく。


 それへ触れるようになる。


 七歳には。


 早すぎる。


 だから。


 守ることにした。


 人の世で。


 大人となる歳。


 十八まで。


 その程度の。


 つもりだった。


『……りゅう?』


 子どもが。


 目を開けた。


 白い龍は。


 僅かに驚いた。


 見えたらしい。


 白い鱗。


 角。


 金の目。


『龍神様、お願い聞いてくれたのかもね』


 母親が。


 笑って言った。


 ――聞いたとも。


 まだ。


 誰にも届かぬ声で。


 白い龍は答えた。


      ◇


 翌朝。


 母親の肩。


 黒い厄。


 子どもには。


 それが。


 初めて。


 見えた。


『お母さん、それなに?』


『何?』


『黒いの』


 母には見えない。


『肩、痛い?』


『ちょっとね』


 子どもは。


 手を伸ばす。


『よくなりますように』


 ならば。


 手を貸そう。


 ――ざあっ。


 白い龍の力が。


 幼い力へ重なる。


 黒い厄が。


 水に流されるように消えた。


『なんか肩、軽くなったかも』


 母が笑う。


 子どもも。


 嬉しそうに笑った。


 それが。


 始まりだった。


 父。


 ――ざあっ。


 友。


 ――ざあっ。


 近所の者。


 ――ざあっ。


 自転車。


 ――ざあっ。


 家。


 ――ざあっ。


 道路。


 ――ざあっ。


『いなくなれ』


 ――ざあっ。


『悪いこと起きませんように』


 ――ざあっ。


『よくなりますように』


 ――ざあっ。


 十歳。


 ――またか。


 十一歳。


 ――またか。


 十二歳。


 ――……またか。


 黒いものを見つけるたび。


 あの子は。


 払おうとした。


 見なかったことにすればよい。


 己には関係ないと。


 通り過ぎてもよい。


 だが。


 一度も。


 そうしなかった。


      ◇


『随分と働かされたものだな』


 黒い狼が言った。


『まったくだ』


『嫌だったか』


『……』


 白い龍は。


 少し考えた。


『悪くはなかった』


『そうであろうな』


『分かったような顔をするな』


 黒い狼が。


 喉の奥で笑った。


      ◇


 十三歳。


 十三参り。


 少年となったあの子は。


 また。


 皆の無事を願った。


 ――よく飽きぬものだ。


 白い龍は。


 思わず。


 声に出した。


『……え?』


 少年が。


 顔を上げる。


『誰?』


 ――ようやくか。


『龍神様?』


 ――いかにも。


『しゃべれるの!?』


 声が大きい。


 父親が。


 こちらを見ていた。


 白い龍は。


 少し笑った。


『俺、ずっと水の音聞こえてたんだけど』


 ――知っておる。


『黒いの消すと鳴るやつ』


 ――知っておる。


『あれ、龍神様なの?』


 ――そうだ。


 正確には。


 もう。


 少年自身の力も。


 僅かに混じり始めていた。


 だが。


 まだ。


 教える必要はない。


 代わりに。


 一つだけ。


 伝えた。


 ――己がために、我が力を求めるな。


 富。


 名。


 欲。


 人の心。


 力があると知れば。


 欲しくなるものはいくらでもある。


 少年は。


 少し考えた。


『よく分かんないけど』


 そして。


 言った。


『黒いの消すのに、そんなの関係なくない?』


 白い龍は。


 少し。


 返す言葉に困った。


 本当に。


 その発想が。


 ないらしい。


 ――ならば。


 ――それでよい。


『今までありがとう』


 不意に。


 少年が言った。


『俺だけじゃなくて、みんなのも消してくれてたんでしょ?』


 ――……うむ。


 礼を言われるとは。


 思っていなかった。


 誰も見ていない社殿の奥で。


 白い龍は。


 少しだけ。


 機嫌を良くした。


      ◇


 十四歳。


 少年は。


 人を助けることが。


 必ずしも。


 喜ばれるとは限らないと知った。


 好いた娘。


 その身に。


 濃い厄がついた。


 少年は。


 何もかも。


 正直に話した。


『黒いものがついてる』


『俺には見える』


『消せるから』


 娘は。


 怯えた。


 それでも。


 少年は。


 厄を払った。


 娘は。


 事故を避けた。


 そして。


 少年の初恋は。


 実らなかった。


 友に言われる。


『でもお前、避けられてるじゃん』


『へこむけど』


 少年は。


 少しだけ。


 笑った。


『事故に遭うよりいいだろ』


 白い龍は。


 その言葉を聞いていた。


 その夜。


 少年が。


 我が社へやって来た。


『失恋した』


 ――そうか。


『慰めてくれないの?』


 ――我は厄除けの神だ。


『縁結びじゃないもんな』


 ――そういうことだ。


『俺、間違ってた?』


 白い龍は。


 少し考えた。


 ――人には。


 ――人の助け方があろう。


 少年は。


 その言葉を。


 ちゃんと。


 受け取った。


 それから。


 黒いものが見えても。


 人には。


 黒いものが見えるとは言わなくなった。


 病院へ行け。


 点検してもらえ。


 今日はやめろ。


 別の道を通れ。


 力だけではなく。


 人の言葉で。


 人を助けることを覚えた。


      ◇


『随分とよく見ている』


 黒い狼が言う。


『氏神だからな』


『それだけか』


 白い龍は。


 少し。


 黒い狼を睨んだ。


『続けるぞ』


『うむ』


      ◇


 十五歳。


 高校受験。


『龍神様。合格する御利益とかない?』


 ――厄なら払ってやる。


『不合格は厄じゃない?』


 ――違う。


『厳しいなあ』


 ――学べ。


 友と。


 己の力で。


 勉強をした。


 四人で。


 同じ高校へ進んだ。


 高校生になる頃には。


 少年の力は。


 随分と育っていた。


 だから。


 白い龍は。


 少しずつ。


 己の力を引いた。


 ――ざあ……。


 少年が。


 厄を払う。


 さらに。


 力を減らす。


 ――ざ……。


 それでも。


 厄は消える。


 ついに。


 何も貸さない。


『いなくなれ』


 少年自身の力で。


 黒い厄が消えた。


 水音は。


 しない。


『……あれ?』


 少年は。


 不思議そうにしていた。


 そして。


 神社へ来た。


『龍神様』


 ――何だ。


『最近、水の音聞こえない』


 ――そうか。


『龍神様、弱ってる?』


 ――我を何だと思っておる。


 白い龍は。


 呆れた。


 弱るどころか。


 その頃。


 以前よりも。


 遥かに。


 忙しくなっていた。


 少年が。


 厄を払う。


 助けられた者が。


 礼を言う。


 すると。


 少年は。


 こう言う。


『龍神様のおかげ』


『厄除けなら、うちの氏神様すごいよ』


 そして。


 我が社を教える。


 人が来る。


 礼を言う。


 手を合わせる。


 家族へ話す。


 友へ話す。


 また。


 人が来る。


 信が。


 集まる。


 そして。


 神は。


 人の信によって。


 育つ。


      ◇


『なるほど』


 黒い狼が。


 静かに言った。


『それで、今のそなたか』


『そういうことになる』


『童を守った神が』


 黒い狼は。


 少し。


 面白そうに目を細める。


『その童に育てられた』


『本人にはそのつもりなどない』


『だからこそであろう』


 白い龍は。


 返事をしなかった。


 ただ。


 否定もしなかった。


      ◇


 十七歳。


 秋。


 台風。


 町全体を。


 巨大な厄が覆った。


 少年には。


 それが見えた。


 友へ連絡。


 神主へ連絡。


 神主は。


 六歳から。


 少年の「なんとなく」を知っている。


 迷わず。


 神社を。


 避難場所として開いた。


 少年の友たちも。


 動いた。


 一人が。


 昔の友へ。


 一人が。


 自分が事故を避けた経験をもとに。


 一人が。


 ハザードマップという。


 人の理を使って。


 それぞれ。


 人を動かした。


 そして。


 昔。


 少年に助けられた者たちが。


『あいつが言うなら』


 と。


 家族を連れて。


 我が社へやって来た。


 人が。


 危険な場所から離れる。


 すると。


 厄が。


 消えた。


『俺、何もしてないのに』


 少年は。


 驚いた。


『厄って、祓わなくても消えるんだ』


 そうだ。


 人自身が。


 災いを知り。


 避ければ。


 神の力など。


 必要ない厄もある。


 けれど。


 最後に。


 大きなものが残った。


『龍神様』


 少年が。


 我へ問いかける。


『俺たちで、何とかできる?』


 ――さてな。


『こんなときまでそれ?』


 ――ならば問おう。


 ――お前はどうしたい。


 少年は。


 迷わなかった。


『消したい』


 ――なぜ。


『みんながいるから』


 七歳。


 ――みんなが。


 ――ひどい目にあいませんように。


 十七歳。


 ――誰も。


 ――ひどい目に遭ってほしくない。


 十年。


 何一つ。


 変わらない。


 ――ならば。


 ――為せ。


 白い龍は。


 あえて。


 手を貸さなかった。


 少年が。


 願う。


 黒い厄が。


 崩れる。


 水音はない。


 我は。


 何もしていない。


『……俺が』


 少年が。


 ようやく。


 気づいた。


『俺が、消してる』


 そうだ。


 もう。


 この子は。


 自分で立てる。


 だが。


 最後の一塊。


 そこだけは。


 一人では。


 届かなかった。


『龍神様』


 白い龍は。


 待った。


『俺、一人じゃ無理みたい』


 少年が。


 少し。


 笑った。


『だから、手伝って』


 ――よかろう。


 今度は。


 白い龍も。


 本気で。


 力を重ねた。


 ――ざあああああっ。


 久しぶりの。


 大きな水音。


 少年が。


 我を見る。


『龍神様、大きくなってない?』


 ――誰のせいだと思っておる。


『やっぱ俺!?』


 実に。


 可笑しな顔だった。


 人と。


 神。


 二つの力で。


 厄を払った。


 台風は。


 消えない。


 風は吹く。


 雨は降る。


 川は増える。


 それは。


 自然。


 厄ではない。


 だが。


 人が避けられる災いは。


 随分と。


 減らせた。


 翌朝。


 少年は。


 町の者たちと。


 境内を掃いていた。


『龍神様が町守ってくれたよ』


 神主へ。


 そう言った。


 ――違う。


 白い龍は。


 思わず。


 口を挟んだ。


 ――昨夜。


 ――町を守ったのは。


 ――我だけではない。


 少年が。


 周囲を見る。


 父。


 母。


 友。


 神主。


 昔の友。


 町の者。


『……みんなで避けたんだ』


 ――そうだ。


 そのとき。


 白い龍は。


 はっきりと。


 理解した。


 もう。


 この少年に。


 加護は。


 必要ない。


      ◇


『それでも十八まで待ったのか』


 黒い狼が尋ねた。


『最初からそう決めておった』


『それだけか』


『……』


『答えぬなら、それでもよい』


 白い龍は。


 少しだけ。


 鼻を鳴らした。


      ◇


 十八歳。


 誕生日。


 少年は。


 いつものように。


 我が社へ来た。


『十八になったよ』


 ――知っておる。


『成人だって』


 ――人の世ではな。


 そして。


 告げた。


 ――もうよかろう。


『何が?』


 ――我が加護よ。


 あれほど。


 動揺するとは。


 思っていなかった。


『厄払えなくなるの?』


 ――払える。


『黒いのは?』


 ――見える。


『龍神様の声は?』


 ――加護とは関係ない。


『じゃあ、何がなくなるの?』


 そこで。


 初めて。


 全て教えた。


 厄を見る力は。


 生まれたときから。


 お前のもの。


 我は。


 幼いお前が。


 自分の力に呑まれぬよう。


 守っていただけ。


『……俺、ずっと龍神様の力だと思ってた』


 ――知っておる。


『知ってて黙ってたの!?』


 ――聞かれなんだからな。


『何回も聞いたよ!』


 白い龍は。


 笑った。


 そして。


 少年へ。


 初めて。


 礼を言った。


 ――こちらこそ。


『え?』


 ――よく。


 ――我が加護を。


 ――己が欲のために使わなんだ。


『そんな使い方できたの?』


 ――できたとも。


『宝くじとか?』


 ――程度による。


『株とか?』


 ――大損を避ける程度なら。


『今それ言う!?』


 十一年。


 見守ってきて。


 あれほど。


 心底。


 悔しそうな顔は。


 初めてだった。


 だが。


 やがて。


 少年は。


 笑った。


『まあ、いいや』


 ――ほう。


『金持ちになるより』


 町のほうを見る。


『みんな無事だったほうがいい』


 七歳から。


 何も。


 変わっていなかった。


      ◇


 白い龍は。


 そこで。


 一度。


 長い記憶を辿るのを止めた。


 黒い狼が。


 静かにこちらを見ている。


『よい人の子だな』


『うむ』


 今度は。


 すぐに答えた。


『随分と好いておる』


『……否定はせぬ』


 黒い狼が。


 僅かに笑った。


『今はどうしている』


『我が加護はない』


『それは聞いた』


『相変わらず、厄を払っておる』


『ほう』


『頼まれてもおらぬのにな』


『相変わらずか』


『相変わらずだ』


 少し。


 間。


『人どもからは』


 白い龍が。


 少しだけ。


 嫌そうに言う。


『“龍”などと呼ばれておる』


 黒い狼の耳が動いた。


『人の身でか』


『白い龍を耳にぶら下げておる』


『それだけでは、そう呼ばれまい』


『……厄を払うからだ』


『なるほど』


 黒い狼が。


 喉の奥で笑った。


『そなたが守った童が』


 そして。


『今度は、龍となって人を守るか』


『我が名付けたわけではない』


『だからこそ、よいのであろう』


 白い龍は。


 少しだけ。


 遠くを見る。


 己の社。


 その町。


 白い龍のピアスを。


 気に入っている青年。


 今日も。


 どこかで。


 黒いものを見つけ。


 何でもないことのように。


 払っているのだろう。


『……そなたも』


 白い龍が。


 黒い狼へ言う。


『人の子には随分と縁があるようだな』


 黒い狼は。


 少しだけ。


 目を細めた。


『さてな』


『それを我に使うか』


『何のことだ』


『知らぬふりをするな』


 黒い狼が。


 楽しそうに笑った。


 それ以上。


 白い龍は。


 何も尋ねなかった。


 黒い狼も。


 何も語らなかった。


 それで。


 十分だった。


      ◇


『ではな、龍』


『もう行くか』


『長話をしすぎた』


『ほとんど我が話しておったがな』


『それだけ話したかったのであろう』


『……余計なことを言う』


 黒い狼が。


 山の気配へ。


 少しずつ溶けていく。


『また面白い人の子がおれば、聞かせよ』


『そなたもな』


 黒い狼は。


 最後に。


 少し笑った。


『さてな』


『……気に入ったのか、それを』


 返事はなかった。


 黒い狼は。


 もう。


 消えていた。


      ◇


 白い龍は。


 一柱。


 その場へ残った。


 そして。


 遠く。


 己の社のある町へ。


 目を向ける。


 黒い狼の言葉が。


 少しだけ。


 残っていた。


 ――こちらが守ったつもりでいても。


 ――いつの間にか、こちらが何かを貰っている。


 まったく。


 その通りだ。


 七歳の童を。


 少し。


 守ってやる。


 最初は。


 それだけだった。


 それが。


 十一年。


 少年は。


 人の厄を払い続けた。


 救われた者たちは。


 我へ。


 礼を言った。


 信を寄せた。


 そして。


 我は。


 以前より。


 大きな神となった。


 我が。


 あの子を育て。


 あの子もまた。


 我を育てた。


 その子は。


 もう。


 我が手を離れた。


 そして今。


 人々から。


 龍と呼ばれている。


 もう。


 守る必要はない。


 けれど。


 見ていてはいけないということも。


 あるまい。


 我は。


 この地の氏神。


 あやつは。


 この地の氏子。


 ならば。


 時折。


 目を向けるくらい。


 何の問題があろう。


 白い龍は。


 遠い町へ。


 静かに。


 目を細めた。


『……まったく』


 そして。


 小さく。


 笑う。


『誰に似たのやら』


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