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エピローグ.厄除けの龍

 その界隈では。


 少しだけ、有名な話がある。


 心霊スポットへ行ってから体調が戻らない。


 引っ越した家で妙なことが続く。


 事故ばかり起きる。


 病院へ行っても原因が分からない。


 祈祷を受けても、御守りを持っても。


 どうにもならない。


 そんな、本当に困ったとき。


 ――龍を探せ。


 そう言う者がいる。


 もちろん。


 龍といっても、空を飛ぶ伝説の生き物ではない。


 人間だ。


 二十歳前後の若い男。


 霊能者を名乗っているわけではない。


 看板も出していない。


 ウェブサイトもない。


 料金表もない。


 そもそも本人が、依頼を募集していない。


 ただ。


 どういうわけか、本当に困っている人間の話が、人から人へ伝わって。


 いつか彼のところへ届く。


 そして。


 もし彼が来てくれたなら。


 妙なことは、それで終わる。


 白い龍のピアスをつけた青年。


 誰が呼び始めたのか。


 いつしか彼は。


 ――龍。


 そう呼ばれるようになっていた。


     ◇


「なあ、お前こういうの信じる?」


 昼休み。


 地元からそう遠くない会社で働く青年は、先輩から唐突にそう聞かれた。


「どういうのです?」


「オカルト」


「……内容によりますね」


 青年は缶コーヒーを開ける。


 鞄につけた赤い龍の飾りが、小さく揺れた。


「この辺にさ、“龍”って呼ばれてるやつがいるらしいぞ」


「龍?」


「若い男らしい。変なことが続いてる人とか、事故に遭いそうな人とか。そういうのを何とかしてくれるんだと」


「へえ」


「しかも金取らないらしい」


「変なやつですね」


「だろ?」


 先輩は面白そうに続ける。


「白い龍のピアスしてるから“龍”なんじゃないかって話でさ」


「……」


 青年は缶コーヒーを口元へ運びながら、わずかに俯いた。


 口元が緩むのを隠すためだった。


「どうした?」


「いや」


 脳裏に浮かぶ。


 昔から妙にカンがよく。


 危ない場所へ行こうとすれば止め。


 自転車が壊れる前には乗るなと言い。


 町全体が危ないとなれば、本気で人を避難させた。


 そして高校を卒業した日。


 白い龍を選んだ、あの友人。


「そんなやつ、いるんすね」


「お前、なんかニヤニヤしてない?」


「してないですよ」


 していた。


 心の中では。


 ――とうとう噂になってんじゃん。


 と、盛大に笑っていた。


     ◇


「地元って、あの辺なんですよね?」


「うん」


 都会の大学。


 講義の合間。


 青い龍のネックレスをつけた女子学生は、知り合ったばかりのオカルト研究部員から声をかけられていた。


「じゃあ、“龍”って人知りません?」


「……龍?」


「はい!」


 相手の目が輝く。


「地元のオカルト界隈でちょっと有名らしくて。若い男の人なんですけど」


「へえ」


「厄とか祓えるらしいんですよ」


「厄」


「あと白い龍のピアスしてるって」


「ああ……」


 思わず声が漏れた。


「知ってます!?」


「いや」


 女子学生は笑った。


「思い当たる人がいるだけ」


「えっ、本人知ってるんですか?」


「さあ」


「教えてくださいよ!」


「本人、そういうの有名になるの嫌がると思うから」


「いるんじゃないですか!」


 それ以上は答えなかった。


 ただ。


 青い龍へ、そっと指を触れる。


 中学二年の頃。


 好きでもない男子から突然、


『君に黒いものがついてる』


 などと言われた。


 あのときは本当に怖かった。


 そのくせ。


 翌日になって事故を避けられたと分かり。


 礼を言った。


 恋にはならなかった。


 でも。


 気づけば、高校卒業までずっと一緒にいた。


「……相変わらずなんだ」


 小さく呟く。


「何がです?」


「何でもない」


 離れた町で。


 彼がまだ誰かのために動いていることが。


 少しだけ嬉しかった。


     ◇


「友達の友達から聞いたんだけどさ」


 別の大学。


 黄色い龍を鞄につけた女子学生は、食堂で友人の話を聞いていた。


「何?」


「なんか、“龍”って呼ばれてる霊能力者がいるらしいよ」


「ふーん」


「反応薄っ」


「そういうのあんまり信じないから」


「厄を祓うんだって」


「へえ」


「白い龍のピアスしてる若い男らしい」


「……」


 一瞬だけ。


 箸が止まった。


「どうしたの?」


「別に」


「絶対何か知ってる顔じゃん」


「知らない知らない」


「怪しい」


 女子学生は平然と昼食を続ける。


「こういう噂って、だいたい尾ひれついて広がるから」


「でも本当に助かった人がいるって」


「まあ、そういうこともあるんじゃない?」


「信じてないんじゃなかったの?」


「オカルトはね」


 そう答えて。


 心の中で。


 ――噂の元凶の一人でゴメンネ。


 と謝った。


 台風の夜。


 自分は、かなり多くの人へ連絡した。


 ハザードマップを送り。


 危険区域を説明し。


『霊感がどうとかは信じなくていい。でも、あいつが危ないと言う場所と災害警戒区域が一致してるから避難して』


 と。


 その後も。


 友達に聞かれれば。


『昔、妙に勘が当たる友達がいて』


 くらいの話は何度かした。


 自分がオカルトを信じていないからこそ。


 かえって話に信憑性が出ていたのかもしれない。


「……まあ」


 黄色い龍をちらりと見る。


「本当にいる可能性は、あるかもね」


「やっぱ知ってるじゃん!」


「知らないって」


     ◇


 その頃。


 噂の本人は。


「……結構でかいな」


 若い女性の肩を見ながら、少し困っていた。


「何がですか?」


「いや。こっちの話です」


 駅前の喫茶店。


 知人の知人から相談を受けた。


 最近、妙に事故が続く。


 家の電気設備にも異常が出た。


 階段から落ちた。


 車にも轢かれかけた。


 病院へ行っても身体に問題はない。


 そんな女性の全身を。


 濃い黒いモヤが覆っていた。


「あの」


「はい」


「あなたが、“龍”さん?」


 青年は。


 心底嫌そうな顔をした。


「その呼び方、誰から聞きました?」


「知り合いの知り合いです」


「またか……」


「違うんですか?」


「本名ありますからね、俺にも」


 女性の視線が。


 青年の左耳で止まる。


 白い龍。


 小さなピアスが揺れている。


「あ」


「何です?」


「龍」


「ああ」


 青年は耳元へ触れた。


「高校卒業したときに友達と買ったんです」


「それで龍って呼ばれてるんですか?」


「多分、それもあるんでしょうね」


 青年はもう一度。


 黒いものを見る。


「病院は行きました?」


「はい」


「家の電気は?」


「電気屋さんに直してもらいました」


「じゃあ大丈夫」


「何がです?」


「現実に直せるところは直ってるってことです」


 青年は。


 昔から。


 そこだけは変わらない。


 病気なら医者へ。


 壊れたものなら専門家へ。


 黒いモヤが見えるからといって。


 何でも怪異のせいにはしない。


「じゃあ」


 残ったものだけ。


 自分がやればいい。


「ちょっとじっとしててください」


「何するんですか?」


「何もしません」


「え?」


 青年は。


 黒いモヤを見る。


 七歳の頃なら。


 触れて。


 願った。


 よくなりますように。


 そのたびに。


 大きな水の音がした。


 今は。


 もう必要ない。


「いなくなれ」


 静かに。


 それだけ言った。


 音はしない。


 風も吹かない。


 光ることもない。


 ただ。


 青年の目には。


 黒いモヤが。


 水に溶けるように消えていく。


「はい」


 青年は笑った。


「もう大丈夫です」


「……今ので?」


「今ので」


「本当に?」


「多分」


「多分!?」


「絶対って言うと嘘になるので」


 女性は。


 しばらく呆気に取られていた。


「お金は?」


「いりません」


「でも」


「本当にいらないです」


「何かお礼を」


 青年は少し考える。


「じゃあ」


 ある神社の名前を教えた。


「近くへ行くことがあったら、お参りしてください」


「神社?」


「俺の氏神様です」


「そこに何かあるんですか?」


 青年は笑った。


「厄除けで有名な、龍神様がいます」


     ◇


 その日の夜。


 四人のグループチャットが。


 久しぶりに妙な盛り上がりを見せた。


『お前』


 赤。


『最近、“龍”って呼ばれてるらしいな』


『なんで知ってんの?』


『会社の先輩から聞いた』


『白い龍のピアスした若いやつだって』


『笑い堪えるの大変だった』


『笑うな』


 そこへ。


 青。


『私も聞いたよ』


『なんで!?』


『大学のオカルト研究部』


『都会まで行ってんの!?』


『地元に“龍さん”って有名な人いますかって聞かれた』


『やめてくれ』


 そして。


 黄。


『私も友達の友達から聞いた』


『おかしくない!?』


『まあ』


 少し間。


『噂の元凶の一人かもしれない』


『ゴメンネ』


『お前かよ!』


『台風のとき結構いろんな人に話したし』


『俺も』


 赤。


『私も事故の話したことある』


 青。


『お前ら全員じゃねえか!』


 スマートフォンを見ながら。


 青年は頭を抱えた。


『でもさ』


 赤。


『お前、昔からそうだったじゃん』


『何が』


『人助け』


『大げさ』


『大げさじゃないでしょ』


 青。


『私、一回助けられてるし』


『俺は何回も』


 赤。


『私は直接助けられた記憶ないけど、台風のとき町ごと助けられた』


 黄。


『そういう言い方やめろ』


『照れてる』


『照れてるね』


『照れてるな』


『お前らうるさい』


 それから。


 少しだけ。


 会話が途切れた。


『そういえば』


 青。


『今も白い龍つけてるんだ』


『気に入ってるから』


『俺も赤持ってるぞ』


 赤。


『会社の鍵についてる』


『私はネックレス』


 青。


『黄色はバッグ』


 黄。


 青年は。


 左耳へ触れた。


『じゃあ全員まだ持ってるんだな』


『当たり前じゃん』


 青から。


 すぐに返事が来た。


『次いつ集まる?』


 黄。


『盆』


 赤。


『帰省する』


 青。


『俺はいつでも』


『地元だもんな』


『悪いか』


『龍神様大好き大学生』


『うるさい』


 青年は笑った。


 離れ離れになった。


 毎日会うこともなくなった。


 それでも。


 赤。


 青。


 黄。


 そして。


 白。


 四匹の龍は。


 まだ。


 ちゃんと繋がっていた。


     ◇


 数日後。


 青年は。


 いつもの龍神社へ来ていた。


「おう、龍」


 社務所から神主が声をかける。


「神主さんまでやめてよ!」


「最近そう呼ばれてるんだろ?」


「どこから聞いたの?」


「参拝客」


「最悪だ……」


「この前、『龍という方はこちらにいらっしゃいますか』って聞かれたぞ」


「個人情報教えてないよね?」


「教えるか」


「よかった」


 神主は。


 青年の耳を見る。


「でも、お前も悪いぞ」


「何で?」


「白い龍のピアスつけて、人の厄を払って」


「うん」


「礼を言われたら龍神社を紹介して」


「うん」


「龍って呼ばれる要素しかない」


「……」


 青年は少し考える。


「確かに」


「今気づいたのか」


「まあいいや」


「いいのか」


「今さら止まらなさそうだし」


 青年は笑って。


 拝殿へ向かった。


 賽銭。


 二礼。


 二拍手。


 手を合わせる。


「龍神様」


 ――何だ。


「最近俺、“龍”って呼ばれてるんだけど」


 ――知っておる。


「知ってるんだ」


 ――うむ。


「止めてよ」


 ――なぜ我が。


「龍神様のせいでもあるじゃん」


 ――白い龍を耳につけたのはお前であろう。


「それはそうだけど」


 くつくつと。


 笑い声。


「絶対面白がってるよね」


 ――少しな。


「神様のくせに」


 ――神にも愉快なものはある。


 青年はため息をつく。


「まあ」


 白い龍へ触れた。


「嫌いじゃないけど」


 ――何がだ。


「龍って名前」


 少し。


 間。


「助けた人たちが、そう呼ぶようになったんだろ?」


 ――そうであろうな。


「なら」


 青年は。


 境内を見る。


 遊ぶ子ども。


 お参りする老人。


 御守りを並べる神主。


 昔と変わらない。


 ただ。


 少しだけ参拝客が増えた。


 この町の氏神様。


「悪くない」


 返事はなかった。


 ただ。


 風が吹いた。


「じゃあ帰る」


 ――うむ。


「あ」


 青年は振り返る。


「また俺じゃ無理なやつ来たら、手伝ってね」


 少し。


 間。


 ――さてな。


「やっぱそれか」


 笑いながら。


 石段を下りる。


 途中。


 一人の女性とすれ違った。


 先日。


 厄を払った女性だった。


「あ」


「こんにちは」


「こんにちは」


 女性は。


 少し照れくさそうに笑う。


「お参りに来ました」


「そうですか」


「ありがとうございました」


 青年は首を振る。


「俺じゃなくて」


 鳥居の向こう。


 社殿を指す。


「龍神様に言ってください」


「はい」


 女性は笑った。


 青年とすれ違う。


 その背中を見送る。


 白い龍が。


 耳元で小さく揺れている。


 以前。


 彼について。


 こう聞いた。


 ――龍のような力で、人の厄を払う青年。


 だから。


 龍。


 そう呼ばれるのだと。


 けれど。


 女性は。


 何となく思った。


 少し違う。


 龍のような力を持っているから。


 そう呼ばれているのではない。


 誰かの厄を見つければ。


 見返りも求めず。


 ただ。


 その人が。


 酷い目に遭わないようにと願う。


 そんな人だから。


 きっと。


 人は。


 彼を。


 そう呼ぶのだ。


 石段の下。


 青年がスマートフォンを取り出した。


『盆、神社集合でいい?』


 赤。


『仕事終わりなら』


 青。


『帰るよ』


 黄。


『麦茶ある?』


 白。


『神主さんに聞いとく』


 すぐに。


 三人から。


『お前んちじゃないだろ』


 ほとんど同時に返ってきた。


「……何だよ」


 青年が笑う。


 その左耳で。


 白い龍が。


 小さく揺れた。


 この町には。


 昔から。


 厄除けの龍がいる。


 一柱は。


 神社に。


 そして。


 もう一人は。


 今日も。


 誰かの厄を見つけては。


 何でもないことのように。


 それを払っている。


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