↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
時間調整庁 三雲しおり 〜下町オールドクロック スピンオフ〜  作者: イシマ ヒロ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
5/6

第5話 終わらせないために  

 終わらせないために私達がいる。


 結城さんはそう言った。

 その言葉の意味を、私はすぐには理解できなかった。


 世界が終わる。

 空が割れる。

 建物が消える。

 人が忘れる。


 そんな状況で、役所の人が何をできるのか…正直分からなかった。


 ◇


 商業ビルの前には人が集まっていた。


 7階から10階だけが無かった。切り取られたみたいに。


 そこだけ存在していない。


 でも、周囲の人達は騒いでいなかった。


「老朽化か?」


「施工ミスじゃない?」


「危ないね」


 そんな声だけが聞こえた。


 違う。


 そんなはずがない。

 建物の途中だけが消えるなんて、普通じゃない。

 私はそう思っているのに誰もそう思っていなかった。


「結城さん」


「何ですか」


「みんな、何であんなに普通なんですか」


「普通だと思わされてるから」


 結城さんは短く答えた。


「誰にですか」


「時間に」


 意味が分からなかった。


 でも、それ以上は聞けなかった。


 結城さんの顔が、あまりにも疲れていたから。


 ◇


 結城さんは規制線の内側へ入った。


 警察官が一度止めようとしたけれど、結城さんが身分証を見せると黙って道を空けた。


 私も後に続こうとした。


「あなたは外で待っていてください」


「嫌です」


 自分でも驚くくらい即答だった。


 結城さんが振り返る。


「危険です」


「外にいても危険ですよね」


「まあ」


「じゃあ同じです」


「同じではありません」


 結城さんはため息をついた。


 それでも私は引かなかった。


 知りたかった。

 何が起きているのか。

 私だけが覚えている理由を。

 世界が壊れかけているのに、誰も怖がらない理由を。


「……絶対に触らないでください」


 結城さんはそう言った。


「何にですか」


「欠けている部分に」


 私はビルを見上げた。


 欠けている部分。

 そこには何も無い。


 でも、何も無いはずなのに、そこだけ空気が重かった。

 見ているだけで気分が悪くなる。

 目を逸らしたくなる。


「見過ぎない方がいいです」


 結城さんが言った。


「気分が悪くなります」


「もう悪いです」


「でしょうね」


 結城さんは平然としていた。


 平然としているように見えた。

 でも、よく見ると違った。


 指先が震えていた。


 ◇


 規制線を越えると欠けたビルの下に、別の人達がいた。


 黒や紺のスーツを着た大人達。

 工事関係者ではない。

 警察でもない。


 全員、首から身分証を下げている。

 結城さんと同じものだった。


 時間調整庁。


 その文字を見た瞬間、胸の奥がざわついた。

 本当にいる。


 結城さんだけじゃない。

 この異常を知っている人達が。


「観測値は」


 結城さんが尋ねる。

 近くにいた男性が端末を見ながら答えた。


「第7層から第10層まで完全欠落。物理崩壊ではありません」


「残存記録は」


「周辺住民の認識は改変済み。建物所有者の記録も書き換わっています」


「元の情報は」


「本部に一部だけ残っています。ただし劣化が早いです」


 私は会話の半分も分からなかった。

 でも、一つだけ分かった。

 この人達は慌てていない。


 いや。


 慌てている暇が無いのだ。

 全員が、次に何をするかだけを考えて動いていた。


 ◇


「民間人ですか」


 男性が私を見た。


 結城さんが短く答える。


「この子、記憶保持があるの」


 その場の空気が変わった。

 数人が一斉に私を見る。


 怖かった。


 さっきまでビルを見ていた人達が。

 今度は私を見ている。


 「年齢は」


 「17歳です。」


 「保護対象ですか?」


 「まだ判断前」


 「上に報告は」


 「これから」


 何の話をしているのか分からない。

 でも、私のことを話しているのは分かった。


 「記憶保持って何ですか」


 私は聞いた。

 誰もすぐには答えなかった。


 結城さんだけが私を見た。


「普通は忘れます」


「何をですか」


「無かったことになったものを」


 心臓が冷たくなった。


 コンビニ。

 公園。

 写真。

 友達の電話。


 全部が一つに繋がる。


「でも、あなたは覚えている」


「それって変なんですか」


「かなり」


 変…私は変なのか。

 その言葉が胸に刺さった。


「私、おかしいんですか」


「おかしいのは世界です」


 結城さんは即答した。


 その声だけは、今までで一番はっきりしていた。


「あなたは、たまたま覚えているだけ」


「たまたま」


「そういうことにしておきましょう」


 少し雑だった。

 でも、不思議と救われた。


 ◇


 また、空が鳴った。


 ゴォン。


 鐘のような音。

 遠くからではない。

 上からでもない。


 世界の内側から響いているような音だった。

 周囲の人達が一斉に空を見上げる。

 調整庁の人達だけが。


 通行人は誰も見上げない。

 誰も気付いていない。

 空の亀裂が、昨日より更に広がっていた。


 黒い線ではなかった。

 もう、裂け目だった。


 空の向こうに、何も無い場所が見える。

 見ていると、自分の体までそこへ引っ張られそうになる。

 私は思わず目を閉じた。


 「見ないで」


 結城さんの声がした。

 腕を掴まれる。


 「見続けると持っていかれます」


 「何にですか」


 「向こう側に」


 私は目を開けられなかった。


 怖かった。

 でも、結城さんの手だけは現実だった。

 冷たい手だった。

 震えている手だった。


 ◇


 「第二欠落、来ます!」


 誰かが叫んだ。


 次の瞬間。

 人混みの中から悲鳴が上がった。

 私は反射的に目を開ける。

 広場の一角。


 バス停が消えていた。

 バス停だけじゃない。


 そこに並んでいた人達のうち、数人が消えていた。


 「え……」


 さっきまでいた。

 見ていた。


 確かにいた。

 鞄を持った会社員。

 ベビーカーを押していた女性。

 制服姿の男子高校生。


 消えた。


 最初からいなかったみたいに。

 なのに。

 周りの人達は一瞬だけ立ち止まって、すぐに歩き出した。


 誰も探さない。

 誰も名前を呼ばない。

 誰も泣かない。

 私は息ができなくなった。


 「今、人が」


 「見ましたか」


 「見ました!」


 「何人」


 「三人……たぶん三人」


 「覚えていますか」


 「覚えてます」


 「特徴は」


 「会社員の男の人、ベビーカーの女の人、男子高校生」


 結城さんが端末へ向かって早口で伝える。


 「民間記憶保持者より欠落対象三名確認。周辺記録照合急いで」


 私は震えていた。

 人が消えた。


 それなのに、世界は何事も無かったように続いている。


 歩行者信号は動いていない。

 車は渋滞している。

 誰かが電話をしている。

 誰かが文句を言っている。

 誰も、消えた三人を覚えていない。


 「何で」


 声が震えた。


 「何でみんな忘れるんですか」


 結城さんは答えない。


 「さっきまでいたのに」


 涙が出た。


 「いたんです」


 「はい」


 「いたんですよ」


 「はい」


 結城さんは短く頷いた。

 それだけだった。


 でも、その「はい」に。


 私はしがみついた。

 初めてだった。

 私が見たものを、誰かが否定しなかったのは。


 ◇


 調整庁の人達が動き始めた。

 消えたバス停の周囲に機材が置かれる。


 端末の画面には読めない文字と数字が並んでいた。

 誰かが電話で怒鳴っている。

 誰かが本部という言葉を口にしている。


 誰かが「保たない」と言った。

 世界が終わりかけている。

 それでも彼らは走っていた。


 泣く暇も。

 叫ぶ暇も。


 絶望する暇も無いみたいに。


 「結城主任」


 若い職員が駆け寄ってきた。


 「本部からです。観測点を移すようにと」


 「ここを捨てるの?」


 「優先順位が変わりました」


 「人が消えたばかりですよ」


 「分かっています」


 「分かってない」


 結城さんの声が少しだけ低くなった。

 初めて怒っているように見えた。

 若い職員は何も言えなくなった。

 でも、結城さんもそれ以上は言わなかった。


 言えなかったのだと思う。

 他にも消えそうな場所がある。


 ここだけじゃない。

 駅前だけじゃない。


 世界中で、同じことが起きている。

 そのことが、言葉にならなくても分かった。


 ◇


 「あなたは安全な場所へ避難してください」


 結城さんが言った。

 

「どこにですか…あるんですか」


 結城さんは黙った。

 それが答えだった。


「私、見ました」


「はい」


「消えた人達を覚えてます」

 

「はい」


「だったら、私にも何かできるんじゃないですか?」


「ありません」


 即答だった。


「でも」


「ありません」


 結城さんは私を見た。

 疲れた目だった。

 でも、そこだけは譲らない目だった。


「あなたは民間人です」


「でも覚えてます」


「だから危ないんです」


 その言葉の意味は分からなかった。


 でも、結城さんが本気で私を遠ざけようとしているのは分かった。


「帰ってください」


「嫌です」


「帰りなさい」


「嫌です」


 結城さんは深いため息を吐いた。


「17歳って、全員こうなんですか」


「知りません」


「でしょうね」


 少しだけ、変な会話だった。

 世界が終わりかけているのに。

 その一瞬だけ、普通の大人と高校生みたいだった。


 ◇


 また端末が鳴った。


 結城さんが応答する。

 短いやり取り。

 表情が変わって私の方を見る。


「分かりました」


 通話を切る。

 さっきまでの迷いが消えていたようだった。


「保護します」


「え?」


「あなたを本部へ連れて行きます」


「本部?」


「時間調整庁の」


 私は何も言えなかった。


「理由は二つ」


 結城さんは指を二本立てた。


「あなたが記憶保持者であること」


 一本目。


「そして、今この場で消えた人達を覚えていること」


 二本目。


「それが何になるんですか」


「分かりません」


「また分からないんですか」


「分からないことだらけです」


 結城さんは少しだけ笑った。

 疲れた笑いだった。


「でも、分からないものを記録するのが仕事です」


 その言葉が、なぜか胸に残った。

 分からないものを記録する。

 消えたものを覚えている。

 誰も知らないことを、誰かが残す。


 ◇


 私はもう一度、空を見上げた。

 裂は広がり続けている。

 街は少しずつ欠けている。


 人は消えている。


 それでも、誰かが記録している。


 誰かが走っている。

 誰かが終わらせないようにしている。


 私はその時初めて世界を救うという言葉が、きれいなものではないと知った。


 それは多分…

 泣きながらでも。

 眠れなくても。

 誰にも知られなくても。


 目の前の消えた誰かを、消えたままにしないために動くことだと思った。


 ◇


「行きますよ」


 結城さんが言った。


「はい」


 私は頷いた。


 怖かった。


 本当は今すぐ家に帰りたかった。


 お母さんに会いたかった。

 友達に電話したかった。


 でも…帰っても、きっと誰も覚えていない。


 私が見たものを。

 消えた人達を。

 空の亀裂を。


 だから私は歩き出した。

 時間調整庁へ向かって。


 その時の私はまだ知らなかった。

 その場所で、私の人生が変わることを。


 そして…

 結城真琴という人が世界を救うために、少しずつ壊れていく姿を。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。