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時間調整庁 三雲しおり 〜下町オールドクロック スピンオフ〜  作者: イシマ ヒロ


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第3話 残っている人

「なんで残ってるの」


 その言葉の意味が分からなかった。


 私は立ち尽くしたまま、その女性を見ていた。


 黒いスーツ。


 首から下げた見慣れない身分証。


 目の下の濃い隈。


 何日も眠っていないような顔。


 でも。


 初めてだった。


 私以外で世界の異常を異常として見ている人を見たのは。



「待ってください」


 女性は歩き出そうとしていた。


 私は慌てて追い掛ける。


「待ってください!」


 女性が止まる。


 少し迷惑そうな顔だった。


 正直、その反応に少し安心した。


 普通だったから。


 世界が終わりそうなのに。

 その人だけは妙に現実的だった。


「何ですか」


 声も疲れていた。


「何が起きてるんですか」


「分かりません」


 即答だった。


「え?」


「分かってたら苦労してません」


 そう言って女性は缶コーヒーを一口飲んだ。


 私は言葉に詰まる。

 もっとこう…何か知っている人だと思ったからだ。



「でも」


 私は食い下がった。


「コンビニが消えたんです」


 女性は黙っていた。


「公園も消えました」


 反応は無い。


「誰も覚えてないんです」


 そこで初めて女性の視線が私へ向いた。



「コンビニ」


「はい」


「駅前の?」


「そうです」


「青い看板?」


「そうです!」


 私は思わず声を上げた。


 女性は小さく目を閉じた。


「やっぱりか」


「知ってるんですか!?」


「知ってます」


 短い返事だった。


 その一言だけで。


 私は泣きそうになった。


 初めてだった。信じてもらえたのが。



「私がおかしくなったんじゃないんですね」


 女性は答えなかった。


 少しだけ困った顔をした。


「それは何とも言えません」


「何でですか」


「この状況で正気を保証できる人間なんていません」


 もっともだった。



 駅前広場の時計は止まっていた。


 午後5時42分。


 私は思わず見上げる。


「その時間」


 女性が言った。


「気付きましたか」


「最初に時計が止まって見えた時間です」


 女性は少し驚いた顔をした。


「覚えてるんだ」


「はい」


「そう」


 それだけだった。


 でも、その一言が妙に重かった。



「あなた誰なんですか」


 私が聞く。


 女性は少しだけ考えた。

 答えるべきか迷っているようだった。

 それから観念したようにため息を吐く。


「結城真琴」


 それが名前だった。


「公務員です」


「公務員?」


「はい」


「何のですか」


「今は説明しても信じてもらえません」


 失礼な人だと思った。


 でも、少しだけ安心した。

 やっと会話ができたから。



「世界は終わるんですか」


 気付けば聞いていた。

 聞かずにはいられなかった。

 結城さんは少し黙った。


 遠くの空を見る。

 誰もいない駅前を見る。

 止まった時計を見る。


 それから…


「分かりません」


 そう答えた。


「でも」


 その声は静かだった。


「終わらせないために働いてる人達はいます」



 私は初めて、この世界で少しだけ希望を見た気がした。

 世界が壊れている。

 たぶんそれは本当だ。

 でも、何もしないで見ている人ばかりじゃない。


 この人みたいに。

 眠らずに。

 疲れ切って。

 それでも立っている人がいる。



「どうして私だけ覚えてるんですか?」


 結城さんは首を横に振った。


「それを調べてるのが私達です」


「私達?」


 結城さんは少し黙った。

 そして首から下げていた身分証を外す。


 私へ向ける。


 見慣れない紋章。

 見慣れない組織名。

 そこに書かれていた文字を私は一生忘れないと思った。


 「時間調整庁」



 結城さんは私を見る。

 疲れた目だった。

 でも少しだけ安心したようにも見えた。


「良かった」


「何がですか」


「一人じゃなかった」


 その意味は分からなかった。


 ただ。


 結城真琴という人もまた、何かと戦っているのだと。


 そんな気がした。


 空を見上げると亀裂は少しずつ広がっていた。


 誰も見ていない空で。


 静かに。

 確実に。


 まさに世界は終わりへ向かっているように見えていた。


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