27
「君には本当にひどいことをした。せっかく見舞いに来てくれたのに、本を投げつけた。君が額に傷を負ったと、父からも母からもきつく叱責されたよ。そうでなくとも君が出て行ったあと、僕は大泣きしていたんだ。自分の人生はすべて終わってしまったと思いこんで、ね」
「無気力な毎日を抜け出すきっかけをくれたのは、心臓発作を起こして領地に戻った父だったけれど、その前から今にいたるまで、ずっと支えてくれたのは下の姉なんだ。僕は歩けなくなったことで甘えていた。自分だけが悲劇の主人公だと思っていた。上の姉が最初の子どもを亡くし、僕が怪我をし、父が発作を起こして仕事を退き、母が僕の看護に全力投入の間、王都で伯爵代理を勤めていたのは下の姉なんだ。上の姉に手紙をもらうまで、僕は気づかなかった。カシー姉は、ミリー姉に付き添った時まだ十七歳だった。僕が怪我をした時は十八歳だ。それから父が発作を起こし、それ以来カシー姉は事実上伯爵代理の仕事を担って来た。婿を取ってこれでやっと重責が軽くなるかと思ったのに、半年後に婚姻無効になった。自分だって傷ついただろうに。下の姉はずっとひとりで、領地の仕事をしてうちの家族全員を支えて来てくれた。僕が歩く努力をするくらい、ぜんぜん足りないんだよ」
「姉上は控えめな方だから、外の人間は皆気づかないのだね。僕も……」
「あの人はそういう人なんだって、上の姉はいつも心配している。心配なんだけれど、いざという時一番頼りになるのもあの人だし、実際カシー姉は「困った人を見つけてしまう」才能があるそうだよ。上の姉の言だけれどね」
コリンは杖をつきながら、ゆっくりあたりを案内した。モリスはコリンの明るい顔色をながめて、感慨深いものがあった。アラン兄の見る目こそ本物を見極めていたのかもしれない、と反省しながら。
「来てくれてうれしかった。また友だちになってくれてありがとう。僕は遠出はできないけれど、よかったらいつでもまた遊びに来てくれ。うちの領主館が気になるんだろう」
コリンが笑顔で手を振るのに応え、モリスは満たされた気持ちでカーレオン領をあとにした。
帰宅するとやはりアランが待ち構えていた。矢継ぎ早に尋ねられたのは、カサンドラの様子だ。悲しんでいないか。傷ついていないか。セントクレアに心を残している様子だったか。モリスは予想以上の追及にあきれてため息をついた。
「そんなに心配なら訪問して直接聞いたらいい」
「お、お前!そんなことできるか」
アランは真っ赤になってうろたえた。冷静が表看板のグレンフィールド侯爵家の次男がこんな顔を見せるのは、家族しか知らない。こんな顔になるのはカーレオンの令嬢の話題だけだ。
「婚姻無効になったのですから、兄上が求婚したらどうですか」
兄は沸騰した薬缶のように湯気を吹いた。口をぱくぱくさせて言葉も出ない。モリスはやれやれと思った。父と長兄に手紙を書こう。母にも別に書こう。コリンは歩けるようになり、自分の道を見つけた。伯爵位を継ぐ気持ちも体力もないが、領地のために姉を補佐する気十分だ。モリスの「図像院」勤務も喜んでくれたし、はげましてもくれた。また友だちになろう、と言ってくれた。いつでも遊びに来い、とも。
モリスは気づいた。彼のカーレオン訪問はカサンドラの根回しの賜物だということを。穏やかな田園、ゆったり静養できる伯爵と夫人、小麦や果樹の品種改良に勤しむコリン、それはカサンドラが伯爵代理の職務を担ってきたからこそだ、ということを。静かで穏やかで、そこに居ても誰も気に留めない、まるで背景のようなかの女性は、困った人を見つける才能があるのだそうだ。つまり、困った人に救いの手を差し出すのだ。貴族の老人たち、周りから頑固で偏屈だと煙たがられ、昔話か愚痴しか言わないと避けられている老人たちには、カサンドラは自分たちに寄り添い、話を聞いてくれ、微笑ませてくれる大切な存在なのだろう。
そんな人が平凡なわけがない。
どうか兄の想いが届きますように。
だが、どうしてこの件になったら、兄は弱腰なのだろう。本当にさっさと求婚すればいいではないか。どうせ「今は婚姻無効になって間がないのだから、前の夫のことをまだ思っているかもしれないから、傷心につけ込みたくない、前のようにフラれたら」とか、くよくよいじいじしているだけなのだ。思い切ってどーんとぶつからなければ、令嬢の方から結婚しましょう、と言ってくれるはずもないのだし。いい年をしてもじもじしている兄が少し気持ち悪い。
父にはコリンの足が良くなった話をして安心してもらおう。長兄にはアラン兄のうじうじをどやしてもらおう。母にはカサンドラ嬢のことを話そう。モリスはそこまで考えると、気持ちよい眠りに身をゆだねた。まさか兄がカサンドラ嬢に再会するまで、これからまだ何年も先のことにになるとは思いもしないで。




