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グレンフォード侯爵が次男の経歴書を宰相府に提出した時、居合わせた内務卿から、王家の選考基準がかなり厳しい、と聞かされた。
「ご次男にはマイナス点が少ないので、選考に残ると思われますが。なにしろ、カーレオンは農業が主要産業の田舎です。婿とはいえ、ご不例でもう無理ができない伯爵に代わって、即刻代理を勤められる能力が必要です。その上、あまり社交的ではない夫人を支えて、不自由の身になった嫡男をも養護しなくてはなりません。野心家には向かない。無能な者は論外。それなのに、王室の覚えめでたい姻戚の一翼。カーレオン伯爵は大過なく領地経営をしてこられた優良貴族です。この人選は極めて難しい。まあ、面食いの軽薄子では、そちらから辞退するでしょうね」
内務卿クラレンドン伯爵は眉宇をくもらせてから、一転面白そうな表情を浮かべた。
「特にライモンド公爵を軽視して読み違えては、候補者は脱落するだけでしょうね。ああ、次女のカサンドラ嬢は、うちの母にもたいそう評価が高い令嬢です。たぶん、我々の親世代には絶大な知名度と信用がある。そこはお忘れなきよう」
内務卿は人の悪い笑顔を向けた。
グレンフォード侯爵家にカーレオン伯爵の婿が決定した知らせが来たのは、それからしばらく後のこと。最終選定に残った五人の一人だったアランは選ばれず、アドナルの一族から財務局に勤めるセントクレア青年に決まったとのことだった。候補者の家にはすべて連絡がされたようだ。
実は、それ以前に、カーレオン伯爵から丁重な手紙が届いていた。それには「コリンの奇禍にこれ以上責任をお感じになりませんよう。そのために、ご次男を我が家に差し出すような、過分のお心遣いはご無用に頂きますよう」とあり、事実上の辞退を受けていた。この手紙を読んだ長男が、「見ようによっては、カーレオンの嗣子の奇禍に我が家が付け入って、次男に爵位を受けさせようと画策した、と謗る者が出ないよう、という伯爵のご配慮でしょう」と言ったので、侯爵は目から鱗の落ちる気持ちがした。
選定結果を知った次男が肩を落とし、しばらく元気がなかったのを、家族全員そっと見守った。アラン・フィッツジェラルドはその後気を取り直し、カーレオン後嗣となったセントクレアとカサンドラ夫婦を見守ることにした。
弟のモリスは「建築構造を研究したい」という希望で専門大学へ進み、卒業と同時に王室の研究機関である「図像院」に勤めた。一人ぐらいは王宮勤めの文官もよかろう、と父侯爵が許したため、モリスは王都のグレンフォード邸の管理も兼ねることとなった。
「図像院」は王国の主要な建築物の建築図面を保管、研究する独立機関だ。その中には王宮を始め、各貴族家の居住館の構造を明記した極秘資料も含まれるので、勤務する者は厳しく選ばれ、勤務中も退職後も守秘義務を負う。貴族家の系譜を管理する「紋章院」と並んで、王国の貴族社会を管理、保証し、歴史資料を保管する重要な機関である。モリスはそこに勤務し、仕事ぶりも高く評価を受けている。
所要で王都のグレンフォード邸に滞在した兄アランに、モリスがセントクレアの噂を耳に入れた。部署違いとはいえど、同じ王宮勤め。書類を届けるなどの際に見かけたり、噂を聞いたりすることもある。モリスとしても、友人だったコリンの実家であるので、つい耳敏くなっていた。それによると、セントクレアは財務局に勤務を続けつつ、伯爵領の経営を学び、代理業務に携わって、一年後を目途に伯爵位を譲り受ける予定だそうだ。もともと社交的な性格だったセントクレアは、それまでの男爵家子弟の立場より上位の伯爵家後嗣として、上流貴族の夜会などに招待されて、精力的に参加している。あいかわらず引っ込み思案の夫人は同伴しないことが多い。衣装なども格段に上質で流行の物を纏うようになってきた。贅沢になっているのだ、と。
「あれほど頻繁に園遊会や夜会に出席して、伯爵位を継ぐ勉強もあり、財務局の勤務もある。どうやって時間を都合しているのか不思議だ、と財務局勤めの友人が言っていました。財務局は決算期ごとに戦場に例えられるほどの多忙な職場です。セントクレア殿は『領経営の勉強がある』という理由で、しばしば特別休暇が認められるそうです」
「確かに不思議だね。セントクレア殿はどのような人柄なのだ」
「いかにも文官らしい落ち着きのある人でしたが、局内の評価は真面目だが能力はほどほど、だそうです。伯爵後嗣になってから急に洗練され、少し浮ついた様子が見えると、これはやっかみも半分あるでしょうが、部署を問わず文官たちの評判ですね」
「夫人は社交界には出てこないのか」
「もともと社交が苦手な方だったでしょう。姉君の公爵家には訪問されるそうですが。そうそう、先代オーウェン侯爵夫人の園遊会には、ご夫君だけ出席されたそうで、前侯爵夫人ががっかりなさったそうです。不参加のお手紙もなかったそうで。その他にも、内務卿の母君のお茶会も、招待状に何のお返事もなかったと。礼儀正しいカサンドラ様にしてはおかしい、と老人方の間で噂になっています」
モリスは少し考え込んでから、思い決したように小声で話し出した。
「実は、セントクレア殿が従えている従僕なのですが。黒髪と明るい色の髪と二人いて、日替わりで職場に伴っています。その明るい髪色の小柄な従僕が、実は女なのではないか、ともっぱらの噂です」
「そんなはずはなかろう。職場に伴う許可は取っているのだから、正規の侍従だろう」
うーん、とモリスは人差し指で蟀谷を掻いた。
「少年という年齢でもないようですが、まず背が低い。肩幅がないし服がだぶついている。声もわざと低くしているように聞こえる。一番「おかしい」とささやかれているのが、二人の距離が近すぎる、ということです。他人がいない所で、従僕がセントクレア殿の袖を握って寄り添っていた、とか、見た者があるそうです。黒髪の方は他家の従僕たちと話をしますが、うわさの従僕は誰とも口をきかないそうです。それこそ用件があっても、ほとんどだんまりで」
アランは心底から火のような怒りが込み上げて来た。
「それが本当なら、仕事を何だと心得ているのだ、その男は!職場に女連れでやってくるなど、論外であろう。ましてやセントクレアは婿入りの身だぞ!」
「あ、兄上……噂ですので、どうか……」
モリスはおろおろと兄を宥めた。いつも冷静で抑制のきいた言動をする下の兄が、まるで別人のように激高している。やはりカサンドラ様を思いきれずにいるのだろうか。かくいう自分も、コリンと友人でなくなってしまったことを、今でも寂しく思っている。友でさえそうなのだから、まして恋ならば。
憤懣やるかたない兄を酒で潰して、モリスは苦しそうな寝顔の兄を気の毒に思った。兄はまだ誰とも結婚する気になれないようだ。たしかにコリンの姉上たちはりっぱな淑女に違いないだろうが、下の姉上は容貌も知性も平凡だと思う。この兄が恋着するほどの女性だろうか。思い込みというのは恐ろしい。自分もコリンのことは忘れてしまったほうがいいのだ、とモリスは寂しく思う。最後に会った時の、コリンの絶望に染まり苦痛にひしがれた顔。投げつけられた本はモリスが一生懸命選んだ見舞いの品だった。アドナルの姉弟は人を魅了して離さない魔性の人々なのだろうか。
それからしばらくたった頃、カーレオン伯爵の後継セントクレアが、計画的ではないが結果として爵位の簒奪を図ったとして裁かれ、夫妻の婚姻は無効になったと公表された。それによると、くだんの従僕はやはり女だった。セントクレアとその女は、伯爵位を継承したのち夫人との離婚を計画していたと判明した。これらが白日の下にさらされたについては、すべてライモンド公爵の介入があったと目される。アラン・フィッツジェラルドが公報を握りしめて、痛恨の叫び声を上げたのを、侯爵家の皆は痛ましく見守ることとなった。
ところがほどなく、カサンドラ・アドナル本人から、モリス・フィッツジェラルドに手紙が届いた。たまたま王都に出てきていたアランがそれを受け取ったのは、偶然の神の悪戯だろうか。使者は確かに「モリス様にお渡し下さい」と言って手紙を置いていった。表書きはモリス宛。裏返すとのびやかな筆跡でカサンドラの署名がある。アランは何度も手紙をひっくり返した。
「兄上、宛名は僕なんでしょう。下さい」
アランは恨めしそうな顔でいやいや手紙を弟に手渡した。どこまで囚われているんだ、とモリスは兄を不甲斐なく思った。かなり八つ当たり気味に、ぞんざいに封を切って手紙を取り出す。と、広げて目を通すと、手紙を持ち直した。立ったままの姿勢から椅子にすわる。
「何と?」
「コリンが歩けるようになったそうです。杖をついてはいますが。植物学会に論文を提出して学位を取ったことも。あと、専門の書籍や苗木を欲しがっていて、カサンドラ様が苗木をカーレオン領にお届けになると。よかったら僕にも一緒に来ないかと」
手紙を広げたまま、モリスはあとからあとから止めどなく涙が流れた。コリンが歩ける。二度と歩けない、おそらく一生寝たきりと言われたコリンが。
「もちろん行くんだろう」
兄の声にモリスは何度もうなずいた。




