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貴族院に出席するために王都に来ていたグレンフィールド侯爵は、書斎に二番目の息子を呼びつけた。侯爵は内心のにやにやをごまかすために、日ごろはあまり喫しないパイプに火をつけた。息子が前に座ると咳払いをした。
「逃げ出した犬が見つかったそうだね。無事連れ戻したと聞いたが」
「はい、保護してくれた方がきちんと世話をしてくださっていたので」
「公園で子どもに怪我をさせた、とも聞いた」
「はい。クロフォード家のエドワードという七歳の少年で、腕を少し噛んでしまったそうです。知ってすぐに謝罪に上がり、子どもの怪我も大したことがなく、治療費の名目で金子を渡しました」
「うまく話がついてよかったな。犬も怪我をしていたということだが」
「逃げ出して公園に隠れるまで、放浪中に犬同士の喧嘩で噛まれたようでした。中には人間に棒でなぐられたような傷もありました。幸い骨折はなく、傷口の化膿もなかったそうです」
「そうです?」
「引き取りに行った時には、怪我はすべて完治していましたので」
「で、どなたがうちの犬を助けてくれたのかね」
息子はうつむいて赤くなった。こやつがこんな顔をするのは、例の令嬢がらみの時だけだ。侯爵はエスカッシャンの問い合わせで、ライモンド公爵から手紙を受け取っていたので、息子の答えはわかっていた。わかった上で本人の口から言わせようというのだ。
「カーレオン伯爵家のカサンドラ様が」
侯爵はにやにや笑いをこらえきれなかった。
「なるほど。それで、今後どうするつもりかな。もちろん礼をしなければならないだろう。それほどお世話になったのであれば」
「はい。そう、ですね」
「今月、うちで開く夜会にご招待するくらいは当然だな」
「え?夜会の予定、ありましたか」
「お前の母が思い立ってな。急に決めたのだ。招待状を出すので、是非ご来席頂けるように、お前が自分で届けなさい」
「は?」
「よいな。ご令嬢は奥ゆかしくもご遠慮なさるような方だ。お前が心を込めてご招待しなければならん」
侯爵は厳しい顔を作って息子に申し付けた。
「ああ、それと。例のウルフスピッツは、どうも猟犬には向いてないようだ。りっぱな体格で頭もいいのに、闘争心が乏しい。残念だが仕方がないね。そうだな、牧羊犬なら向いているかもしれないな」
グレンフィールドにも牧羊農家はあるが、さほど盛んではない。カーレオンなら牧羊犬の需要は高そうだ。息子と一緒に引き取ってもらおうか、と侯爵は考えた。持参金替わりとすれば悪くない。
息子はなんとか無事にカーレオンの令嬢に夜会の招待状を渡し、出席の約束を取り付けたようだ。夜会という名目ではあるが、出席している人々全員が、この再会を後押ししている者ばかり。ライモンド公爵夫妻、カーレオン伯爵夫妻と珍しくコリンが、ホークウッド子爵令嬢アリステアを伴っている。宰相エセックス侯爵夫人は令息令嬢を連れている。宰相は多忙のため失礼すると口上付きだ。内務卿クラレンドン伯爵夫妻とご母堂。加えて、先のオーウェン侯爵夫人を筆頭にカサンドラ応援団の老貴族の面々。主催者であるグレンフィールド侯爵家は総出で出迎えだ。
アランがカサンドラをエスコートして扉を入ると、全員が満面の笑みで二人を迎えた。うろたえたのはカサンドラだ。何がなにやら。あたりを見回すもよく知った人々ばかりだ。
「あなたのための会なのですよ。カサンドラ様」
グレンフィールド侯爵が微笑んだ。
「あなたのご両親も弟君も、時間をかけて来てくださいました。ここに集まった人々は皆、あなたに会いたくて来ているのですよ。どうかお心安く、お楽しみ頂ければ幸いです」
カサンドラは目をぱちぱちさせた。ミレディアが片目をつむって見せた。会場の隅では四重奏が始まる。円舞曲だ。アランは礼をして手を差し出す。カサンドラはダンスが不得手だ。うろたえると、視界の隅でコリンが杖を立てかけている。「練習の成果を見せなくちゃね」アリステアが「ちゃんと杖替わりを勤めますよ」と応えている。いつの間にそこまで信頼を深めていたのだろう。オスカー義兄がミレディアの手を取って、二人はなめらかに踊り出した。アランの兄夫婦、エセックス侯爵のご兄妹は、カサンドラ応援団の付き添いで来ている孫世代の令息令嬢と、それぞれ思い思いに踊っている。カサンドラもアランに手を引かれてワルツを踊った。
夢を見ているようだった。シャンパンの泡のはじけるように、シャンデリアの水晶がきらめくように、音楽は夜を流れ、話し声も笑い声も、遠いせせらぎのようだった。
「お疲れになりましたか」
アランはカサンドラを庭に面した入口の前の椅子に導いた。開いた硝子扉は藍色の闇を溶かし、咲き乱れる花の香りを運んでくる。
「お願いがございます」
「え、何でしょう。私にできることであれば」
「フレイファクシを覚えておいででしょうか。あの白い犬です」
「もちろんです。元気にしていますか」
「フレイは毎日鳴いて、私たちではどうしても慰めることができません。フレイはあなたを慕ってすっかり元気をなくしてしまいました」
「まあ……」
「父から、ウルフスピッツは猟犬としては不適格、牧羊犬ならできるだろう、と言われました。どうか、フレイとその一族をもらっていただけませんか」
「あの、私の一存では」
「あなたが諾と言ってくだされば、カーレオン伯爵のお許しはすでに頂いてあります」
「フレイと共に、私もおそばに置いて頂けませんか」
カサンドラはあまりに驚いたので、アランの顔をまじまじと見つめた。
「はい。私もあなたをお慕いして、毎日悲しい思いでした。あなたが最初の結婚をなさってからずっと」
「私とフレイは同じ人を想い、恋い慕って病に落ちそうです。どうか、助けると思召して、私たちをおそばに置いて頂けないでしょうか」
カサンドラは気が遠くなりそうだ。
「あ、あの、私が?」
「はい、カサンドラ様が」
「私、私を望んで下さる。カーレオンの婿でなくて」
「はい。どうか諾とおっしゃってください」
「はい……」
アランは赤くなってぎゅっと目を閉じたカサンドラを、笑いながら抱きしめた。




