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二人でベンチに並んで、カーレオン領の話やコリンのこと、アリステアの絵の話をするうちに、アリステアはすっかりこの女性に心酔してしまった。まだ見ぬカーレオン領の田園や山河も、不思議ななつかしさを感じるほどだ。そして、カサンドラの話に頻繁に登場する弟コリンも。
カサンドラの語る、ユーモラスで自然が大好きな少年は、学校生活では天才ぶりを遺憾なく発揮し、将来を期待されていた。初めてのカブ・ハンティングで事故にあい、当初は一生歩けないと宣告された。しかしコリンは不屈の闘志で努力を重ね、今では杖の助けを借りてひとりで歩ける。中断した学歴も独学で克服し、学位を持つまでとなった。そして、今も、日々研究を重ねている。
「両親はもちろんのこと、姉も私も、コリンを誇りに思っています。彼の才能や知力はすばらしいけれど、それよりも、コリンの努力、あきらめない意志の力をこそ、誇りに思うわ」
「はい、お目にかかるのが今から楽しみです」
アリステアはふと、公園の空気があわただしく、荒れた感じがするのに気付いた。アリステア特有の「面倒事を察知し回避する」能力に、何かがひっかかったようだ。ざわめきに足音、そして子どもの泣き声がまじる。
「なにかしら」
カサンドラがさっと腰をあげる。アリステアは思わず引き留めようとした。そして、公爵夫人の言葉を思い出した。カサンドラは困った人を見つけてしまう「面倒な才能」の持ち主であると。男たちが何人も、鴨池の方に掛けていく。警邏官の制服もちらほら見えた。
「何かあったようですね。私は行ってみます。アリステアさんはここにいてください」
「そんなことできません。ごいっしょに参ります」
アリステアは厄介事の匂いがぷんぷんする鴨池の方には行きたくなかったが、カサンドラひとりを行かせるわけにはいかなかった。カサンドラは日傘を置くと、外出着のスカートの裾をからげ気味に、小走りで鴨池に向かった。意外に早いその歩調に、「田舎育ちというのはあながち出まかせではないんだな」と、アリステアは妙に感心した。そして、気が進まないながら、あとを追った。
池が見えるところまで来ると、人々が輪になって何かを取り囲んでいる。池の傍の藪に向いて、子どもが二人見える。七、八歳ほどの少年ともう少し小さい女の子。女の子は泣き顔で前に立つ少年の上着の裾を握っている。少年は両手で木の枝を突き出している。枝の先は藪の暗がりに消えている。
「何かいる」
アリステアはつぶやいた。遠目にも、少年と女の子の衣類はひどくよごれて、少年の服は破れているようだ。カサンドラは、取り囲んで固まった群衆から抜け出て、二人の子どもにゆっくり近づいた。女の子はぶるぶる震え、泣き声を堪えかねてしゃくりあげている。藪のくらがりには大きな獸らしい姿がかくれている。カサンドラは肩にかけていたストールをはずし、静かに言った。
「合図をしたら枝から手をはなしなさい」
緊張でこわばった少年の目が、ちらりとカサンドラを見、かすかにうなずいた。カサンドラはゆっくり藪に近づいた。両手でストールを広げる。
「さあ」
少年の手が枝を離すのと、カサンドラが踏み出してすばやく獸にストールをかぶせるのとがほぼ同時だった。アリステアは子どもの体をうしろに引いて、カサンドラと距離をあけさせた。
「だまって、こっちに」
ストールの中でもがく唸り声がしたが、それは思ったより弱々しかった。取り巻いていた人々が動き出し、近寄ってきた。アリステアは舌打ちした。大の男がけっこうな人数いるではないか。貴婦人がつかまえるまで、なぜ誰も獣をつかまえようとしなかったのか。
「アリステアさん、誰かにうちの侍女と従僕を呼んでこさせて。私は手を離すことができないの。そのお子さんがた、特に男の子は手に怪我をしているわ。子守女中を探してあげて」
アリステアは近くの男に、馬車泊まりに行って、カーレオン伯爵家の侍女と従僕を呼んで来てほしい、と頼んだ。従僕には馬車に積んである敷物を持ってくるように、伝言してほしいことも。改めて子どもたちの様子を見ると、たしかに男の子の腕は服が破れ、血がついている。カサンドラはあの瞬間でそこまで見わけていたのかと驚いた。少年は妹らしい女の子をぎゅっと抱きしめている。自分も怪我をしてこわかっただろうに。
「エディ様!ジーナ様!」
まだ年若い子守女中が、群衆をかき分けて転げ出て、子どもたちに駆け寄った。子どもたちはその声を聞くと、安心したのか子守にしがみついて泣き出した。
「お姉さん、助けてくれてありがとう」
「藪の中で鳴いている動物がいるって、ジーナが入って行っちゃったんだ。大きくて灰色のそいつが、ジーナにとびついて、ジーナころんで泣いちゃった。僕、助けなきゃって思って。あいつ、かみつこうとするから、枝でおどして追い払おうとしたのに、枝にかみついてぐいぐいひっぱられた」
「ごめんなさい、エディ怪我してごめんなさい」
子守女中は二人をぎゅっと抱き寄せた。
「動物が噛んだかひっかいた怪我だと説明して、すぐに医者にみせたほうがいい。二人ともこわい目にあったので、早くおうちにつれていってあげて」
アリステアが子守に説明すると、子守は何度もお辞儀をした。
「お姉さん、それから、あっちのお姉さんも。本当にありがとうございます。僕、エディ・クロフォードと言います。お姉さんのお名前聞いていいですか」
「私はアリステア・トレメインだけれど、あなたたちを本当に助けた人は、カサンドラ・アドナル様よ」
当のカサンドラは従僕の持ってきた敷物で抱えた獸をぐるぐる巻きにしていた。そして、少年の声でそちらを向き、優しい微笑みをうかべた。少年はカサンドラに深く頭を下げ、女の子も真似をしてお辞儀をした。子守は二人をつれて公園を出て行った。
カサンドラは敷物の包みを抱え、従僕に手伝わせて、馬車に運び込んだ。
「どうなさるんですか。警邏官に引き渡せばいいのでは?」
「この子も怪我をしているようなの。たぶん私たちがあまり知らないだけで、犬の一種だと思うわ。ほら、ここ。首輪をしているでしょう。きっと飼い主がいるのだわ。警邏官は子どもに怪我をさせた野犬として、殺処分にしてしまうでしょう。迷い犬が怪我をして、藪でじっとしていただけだわ」
やれやれ、うちのお嬢様ときては、一度言い出したら決して翻さない方ですからね。侍女はぶつぶつつぶやきながら、アリステアの写生道具を馬車に積み込む手伝いをした。馬車に乗せてみれば、大人一人分くらいの大きな獸だ。これでよく少年が対峙できたものだ、とアリステアは感心した。ぐるぐる巻きにされた敷物の隙間から、ストールでしっかり口元を押さえられた不安そうな目が見える。汚れて固まった泥のような色の毛、目やにのこびりついた目は、悲しそうにカサンドラを追っている。
「きれいな青い目でしょう」
言われて初めて気づいた。獸の目は真っ青な空の色だった。




