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「アリステアは鼻がきく」
それは女学校でよく言われた彼女の評判だ。面倒な場面、面倒な相手を察知しては、本能的に回避していく不思議な知覚能力がある、という意味。たとえば、次の教室に向かう時、「こちらから行きましょう」と言われて、厳しいシスターが別の女生徒にお小言を言っている場所を避けられた、などということ。偶然も重なれば必然となる。
アリステアは、よく言えば「質実剛健」悪く言えば「ケチで融通が利かない時代遅れ」の典型的北方貴族の家に生まれてしまった。生まれる先ばかりは「鼻がきく」能力を発揮できなかった。家父長的で頑固な祖父、保守的な父親、従順な母親、後嗣の兄、姉が二人、弟が一人。姉二人は学校へも行かせてもらえず、家で家庭教師を付けられている。アリステアの味方は祖母だけだ。祖母は王都の公爵家の出身で、今の王妃様の伯母に当たる人。中央貴族の身ごなしと会話術を体得して、厳めしい祖父が唯一頭の上がらない人だ。祖母は上手に祖父を立てつつ、自分の意思を通していく。
「学校へ行ってもっといろいろなことを知りたい」
末娘のお願いを真剣に受け止めて実現してくれたのも、その祖母あってこそだ。本当は王都の学校へ行きたかったけれど、父親がどうしても「家から通う」ことにこだわったので、今の修道院付女学校に入学した。アリステアはここで「ボタニカルアート」に出会った。
シスター・リベカの植物学の講義で、生まれて初めて『植物図鑑』を見た時の感動は、いつでもアリステアの胸の奥に大切にしまわれている。壁に飾られる風景画や先祖の肖像画とはまったく違う、水彩で精密に描かれた葉や茎や花の数々。美しくも知的でそっけないまで正確。
シスター・エセルの絵画の講義では、「描く対象を見極める」写生の重要性を知った。アリステアは素直に校庭の花壇に座り込んで、間近に雑草を観察した。他の女生徒はみな花壇の花を写生している間中。
「ボタニカルアートの勉強がしたい。絵の学校へ行きたい」
女学校卒業を待たずに、アリステアは祖母に泣きついた。絵の学校は中央にしかない。しかもそこは貴族の教養としての「絵画」ではなく、職業画家を育てる場所だ。さすがの祖母も、アリステアが「図鑑の画家になりたい」という願いを通すことはできなかった。貴族の令嬢が職業を持つことは、保守的な北方では許されなかった。アリステアは父親から「女学校を卒業したらしかるべき家に嫁がせる」と宣言され、衝動的に家を飛び出して、ライモンド公爵家に駆け込んだのだ。姉二人ともいつの間にか縁談が決まってしまっていた。
「北方は今でも男尊女卑なのです。祖父は父の意見しか尋ねないし、父は嗣子である兄にしか口を出させません。母や娘たちには決定したことを命じるだけです」
「結婚すれば、父が夫に代わるだけです。私はそんな人生なんてまっぴらです」
アリステアはミレディアとカサンドラに対峙して、うつむいたまま両手を膝の上で握りしめた。
「貴族の女に生まれたくて生まれたんじゃない」
ミレディアとカサンドラは顔を見合わせた。
「中央貴族の公爵夫人には、北のことはご理解いただけないでしょうね」
「あら、私は田舎領地のカーレオンの出身よ。だだっ広い畑地や森や山ばかりの」
「そうですねえ。郵便は驢馬が運ぶし、馬車の通れる道はたくさんはないので、農家の荷車は牛が輓くことが多いですしね。村によっては、犬や猫や山羊や鶏の数の方が、人より多いかもしれません」
「王都に来るのも馬車で五、六日かかるし」
「何か注文したら、届くのにひと月は待ちますね」
「そういえば、コリンの本は発注できたの?」
「大丈夫です。『食用植物大全』は予約出版だったので、ちょっとあわてましたけど。公爵様が予約してくださっていました」
「あー、名前呼びしないとまずいわよ。どこで聞いているか」
「オスカー義兄様」
典型的な中央貴族夫人と思っていた姉妹の会話は、アリステアの顔をあげさせた。
「あら、アリステアさんは力のあるよい眼ね」
「眉もくっきりして素敵でしょう」
「私のようなぼんやり顔にはうらやましい」
二人の洗練された大人の貴族夫人、華やかな絶世の美貌と、理知的な思慮深い顔。その二人がにこにこと自分の田舎娘顔を覗き込んでいるので、アリステアはどぎまぎした。
「ホークウッド領は羊を育てていませんでした?」
「は、はあ」
またいきなり話題が飛んだ。アリステアはまばたきした。とりとめないようでいて、このお二人の会話には別の意図がありそうな。ああ、これが貴族の話術なんだ。
「コリンの羊毛洗浄剤、カーレオンでの工場が完成しましたの。オスカー義兄様のお陰ですわ。農家の女性にも現金収入の選択肢が増えました」
「あら、オスカーはしっかり頒布権を頂いているのよ。逆にお礼を言わなくては」
「あの、羊毛洗浄剤って?」
アリステアは首を傾げた。
「羊の毛はいろいろ汚れているでしょう?」
「はい。羊はあちこちでねころがったり、藪に潜り込んだりするし、草も食べ散らかすから、首まわりに食べ残しの枯れ葉がくっつくんです。それに、あのお尻のほうも……」
「うふふ、そうよね。カーレオンでは、これまでの洗剤だと、汚れは落ちても羊毛の油分も落としてしまって、乾くとごわごわぱさぱさになってしまっていたの」
「ホークウッドでも同じだと思います。洗って広げて乾いた羊毛は固まってしまって、それを梳くのが重労働だって。それに、枯れ葉とか、ごみもけっこう残ってしまって」
真剣な目で語るアリステアに笑顔を向けたカサンドラ。
「そうなの?」
「お姉様は作業工程のくわしいことはご存じないですものね。アリステアさんのおっしゃる通りなの」
未知の話題に目を輝かせる姉にうなずいてから、カサンドラはアリステアの方に体ごと向き合った。
「コリンの改良した洗浄剤は二段階で使うものなのです。第一液では外側の汚れや混ざりこんだ異物を洗い流す。第二液で羊毛自体の細かい汚れを洗うのです」
「第二液は人の髪にも使えるくらいなのよ」
ミレディアもうれしそうにアストリアに説明する。
「油分を取り過ぎず、毛束を柔らかくしますから。工場の女性たちは第二液をもらいうけて、そこに好みのハーブオイルをまぜて洗髪しているそうです。庶民向けの洗髪料も開発できそうですね」
「す、すばらしい、です」
「洗浄は横に長い水槽の中央に目の細かい格子を入れて、右から左、左から右、と何度も水槽を傾けています。洗浄剤と羊毛が混ざり合って格子を何度も通過するので、ごみもとれやすく、毛束もほぐれて、筵に広げて干してからも扱いが楽なのよ」
この婦人はなんと手作業の工程まで熟知している。牧羊農家の作業の苦労もわかったうえで、画期的な改良を思いついた。
「その洗浄剤は、公爵家にお願いすれば売っていただけるんですか?そんなすばらしい新製品なら高価なんでしょうけど」
「そうでもないの。コリン、あ、コリンは私たちの弟なのですけれど。牧羊農家の負担を減らして、羊毛生産をもっと効率化したい、と考えていて、洗浄剤改良もその一歩なのよ。洗浄液の原料はカーレオンではありふれた植物がほとんどですし、費用はあまりかからないの。むしろ加工に手間がかかるので、工賃が半分、というところかしら」
「コリンは洗浄液の製作を独占するつもりはないので、希望すれば作り方や組成は教えてもらえるでしょう。牧羊をしている地方で、それぞれに作って使ってもらえればいい、と思っているの」
「そんな、そんな方がいるんですか」
アリステアは貴族令息がなぜそれほどの公徳心を持っているのか、と驚いた。
「え、でも、原料の植物がないのだ、とオスカーから聞いたのだけれど」
「ええ、第一液に使う『ベニバナエニシダ』、第二液に必要な『アワフキソウ』と『センダンアオイ』ですね。さきほどもお話したように、カーレオンには普通に野山に生えている雑草なのですが、この三種の植物はほかの土地で見つけられないの」
「植物図鑑にもないのよね、たしか。コリンは外国の図鑑もたくさん調べたのに」
「アワフキソウはカーレオンの西ではシャボン草と呼ばれているから、他の土地でも別の名前で知られているのかもしれない、とコリンは思っているの」




