(二十一)怒涛
(二十一)怒涛
法螺貝が聞こえる。おびただしい数の、上杉と前田の旗が風になびき、こちらに向かって来る。
降伏の軍使に対して、返事がない。今、こちらに向かってくる大軍勢の動きが、返事であった。
ならば戦う以外に、道は残されていないではないか。
「来たか」
横地監物は兜をかぶり、愛馬に騎乗した。
「死ぬも生きるも、この一戦。敵は大軍なれど恐るるに足らず。我が故郷は、誰にも譲らぬ。皆の者、持ち場に着け。敵が来れば、もはや下知を待たずに戦ってよい」
兵たちから歓声があがった。ついにこの時が来た。来てしまった。
鉄砲の音が鳴り始めた。弓の弦音も聞こえる。数限りない戦さを経験してきた部将たちも、これほど大量の発射音を同時に耳にした事はなかった。
雲霞のごとく押し寄せる敵兵の群れは、びっしりと黒い塊が迫って来るようにも見えた。
敵の数、五万だという。五万とは、いったいどれほどの数なのか、部将たちは実際に自分の目で遠望して、改めて天下人の実力を思い知らされた。
白兵戦が始まった。長槍が振り回され、足軽たちが走り回る。旗指物は乱舞し、騎馬武者が駆ける。
北条兵もよく戦った。しかし圧倒的な数の力は如何ともし難い。寄せ手は、曲輪を次々に攻略していった。討たれた城兵の首級は二百五十を超えた。
椿丸も槍を持って駆けた。地を埋め尽くすほどの敵兵の中、懸命に槍を振るい、悪鬼羅刹の如く夢中で暴れ回った。
ふと見ると、奇抜な兜が視界に入った。
(あれは、直江兼続)
「愛」の文字を前立にした有名な兜は、椿丸も噂に聞いている。
その時、椿丸は全てを思い出した。閻魔大王の呪力によって封印されていた記憶であったが、この極限状態が、閻魔の呪力を超えて解き放った。
越後で過ごした少年時代。祖父母との思い出。その死。兼続によって首を刎ねられ、閻魔大王に対面した事。
一瞬で、今までの人生が、鮮やかによみがえった。
目の前には、仇の直江兼続がいる。少し走れば届きそうな所にいる。
(閻魔に会って、直接掛け合え)
あの時の言葉が耳に突き刺さる。人を愚弄するにもほどがある。椿丸は敵の群れをかき分けるように走った。
「椿丸、戻れ」
監物の声が聞こえた。だが、椿丸は戻らない。目の前に親の仇がいる。どうしても槍を着けてやりたい。そうでなければ、今まで何のために監物の屋敷で養われてきたというのだ。
しかし、家老の兼続は多くの従者に守られている。
「椿丸、戻れ」
再び監物の声が聞こえた。
「そなたは生きよ。生き延びよ」
かつての父と同じ言葉を、監物は言った。
椿丸は目を見開いて、うなり声をあげた。兼続を守る人数の壁は、一人では到底突破できない、一太刀も浴びせられない。一目見れば分かる。
「椿丸、戻れ」
涙が止まらない。鉄筋の鉢巻きの下の顔を涙でぐしゃぐしゃに濡らしながら、椿丸は足を止めた。
(無念だ)
椿丸は、泣きながら反転し、主の言葉に従った。仇に後ろを見せて、監物の側へと走り戻った。
※
「戦さは数ではない」と、古来からよく言われてきた。
だが、その言葉は、常識に対して「時には常識外もあり得る」という意味であり、「戦さは数である、という常識」を踏まえた上での言葉である。
北条方はよく戦った。だが時が経つにつれて死傷者が増えていく。関東一の山城である八王子城も、圧倒的な数の力によって、拠点を次々に失っていった。
寄せ手はついに御主殿へと迫った。
比佐は白鉢巻を締め、甲冑を着て、薙刀を手にしている。侍女たちも同じ姿だ。
「降伏は許されませんでした。敵は我らを皆殺しにするつもりです。男衆と一緒に私たちも戦いましょう。戦って、一人でも多くの敵を討ち取って、死にましょう」
「はい。お方様となら、地獄までもお供いたします」
(御屋形様。お先に行きます。あの世でお会いしましょう)
比佐は大きく目を見開いて、侍女たちとともに御殿を出た。もうすぐそこまで敵が迫っている。
あちらこちらで火の手があがり、比佐の頬を赤く照らした。紅蓮の炎が広がっている。比佐の薙刀が大きく旋回し、上杉兵の首が転がった。




