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(十一)変身

(十一)変身

 護摩の炎が揺れている。熱風を浴びて、滝の汗を滴らせ、衣をぐっしょり濡らした了雲は、首に巻いた竜次がぐったりしていることに気づいているが、素知らぬ顔で行を続けている。

 主力はごっそりと小田原へ行った。残された三千はとても精鋭とは言い難い。敵は五万であるという。武蔵野一の堅城といわれる八王子城ではあるけれど、いったいどうすれば十五倍以上の敵を撃退することが出来るのというのだろうか。

 竜次は命懸けの行に挑んでいる。息子を救ってくれた北条家のために。親を殺した上杉の軍勢を迎え撃つために。

「十に一つも成功しない。十中八九、命を落とすだろう」

「もとより覚悟の上だ。一度死んで閻魔に送り込まれたこの命、三宝寺と直江を倒すまでは、何度死んでも怖くはない」

 竜次は鎌首をもたげ、舌を大きく出して了雲に訴えた。上杉の大軍を倒すためには、人間同士の尋常な手段ではどうにもならない。自分がこれをやる以外には勝つ方法がない。竜次の思いは、日に日に高まるばかりだった。

「閻魔大王からもらった二つ目のこの命、使うところで使わねば意味がない。命とは、事をなすための道具にすぎない」

竜次がこの行にあたって、了雲に語った言葉である。

 了雲は何も言わない。だが眼には好意以上の気持ちが込められていた。

  ※

 行が全て終わった。

「竜次殿。やり遂げましたな」

「ああ。やった。ついにやったぞ」

 十日を超える荒行に、了雲と竜次は目がくらむ思いだったが、なんとか最後まで行を終えることができた。

「うううっ」

行を終えたばかりの竜次の肉体に、今まで経験のない激しい痛みが襲った。

「ぐぐっ。ううっ」

危うく気を失いそうになりながらも、なんとか激痛に耐えた竜次の肉体に、急激な変化が起こり始めた。この肉体の変化こそ、竜次が待ち望んだものだった。

竜次の身体は大きく変化した。望んだ肉体を命懸けで手に入れた竜次は、深夜になってから高尾山を下り、浅川に身を潜めた。上杉の軍を迎え討つためである。

  ※

戦国期の甲冑には、奇抜な意匠の物も多い。大きく文字をあしらった直江兼続の兜などは、その代表例であろう。兜の文字は「愛」。愛染明王を表しているという。

その兼続は朝から苛立ちを隠せない。物見が一人も帰って来ないからだ。それだけではない。先鋒の部将からの使番も、ぷっつりと来なくなってしまった。

「弛んでいる」と、初めは怒り心頭だった兼続だが、ここまで何の知らせもないと、前線で何かが起こっているとしか思えない。悪い予感がする。

しかし使番や忍びさえも戻れないほどの負け戦さになど、なろうはずがない。たとえ奇襲にあって手痛い目にあわされたとしても、こっちは圧倒的な大軍なのである。

(いったい何が起こっているのだ)

兼続はありとあらゆる可能性を考えた。だが、何一つ思いつくことができなかった。

「三宝寺。物見が戻って来ぬのは何故だと思う」

「それがしも気になっておりました。一人残らず捕らえられたか、討ち取られたとしか思えませぬ」

「物見衆のすべてが残らず討ち取られたと、な。一人も逃さずに、か」

「御意」

「北条の兵は小田原に出払っておるのに、如何に」

「おそらく、少数ながら百発百中の鉄砲名人、弓の名手が街道沿いの林にでも潜んでいるものとしか思えませぬ」

 いくら名人でも、そんな事が出来るだろうか。兼続はとても信じられなかった。が、同時にそれを信じる以外に今の戦局を説明することは出来ないし、それを信じればすべてが納得できる。

(容易ならざる敵だ)

 名門上杉の武威を轟かせ、関白の威光で地を埋め尽くす大軍を動員したお味方が、苦戦などするはずがない。たとえ局地戦で小さな負けがあろうとも、物見が全滅するとは、敵はいったいどんな戦術を使っているのだろうか。今までに見たこともない武器、罠を駆使しているのかもしれない。

(横地とは、いったい何者なのだ)

 敵将の横地監物の事を、兼続は調べ上げたうえでこの戦さに臨んでいる。兼続のもとに挙げられた監物の経歴には、取りたてて人目を驚かす情報はなく、平凡な武将という印象しかない。

(解らぬ)

兼続の胃袋が、きりきりと鋭い痛みを発して朝餉の粥が喉元まで上がってきた。人前で吐き出す事だけは何とか耐えて、口の中の粥を再び飲み込むと妙に苦い味がした。逆流した胃液が混じっていたのかもしれない。

「ご家老、いかがなされますか」

「行くしかあるまい。敵の姿が分からないなら、この目で見に行くまでのことよ。幸いお味方は大軍だ。ひた押しに押して行けばよい。ただし、兵を分かつでない。少人数に分かれて動くことを堅く禁ぜよ。気を引き締めて周囲に気を配り、少しでも怪しいものを見たら、勝手に動くなと、諸将に徹底させよ」

「ははっ」

 豊臣傘下の上杉の大軍は、八王子城を踏み潰すべく粛々と進軍をしていく。青葉の隙間からさす初夏の日差しが槍の穂先を光らせる。兵たちは「楽な戦さになるだろう」という安堵感からか、気楽な足取りで歩を進めていく。

だが、直江と三宝寺だけは、異常な緊張感と、言い知れぬ恐怖を心に秘めながら、物見が全滅した地へと駒を進めていく。

やがて犬目(いぬめ)という村に着いた。兼続は当初、この地に陣を張って総攻撃に備えるつもりであった。が、物見の件が気になり、先を急いだ。

強い日差しを浴びながら、行軍は続いていく。犬目村から八王子城へ進撃するためには、川を渡らなければならない。浅川という川で、上流では北浅川と南浅川に分かれている。今、上杉勢がいるのは、北浅川の手前であった。

それほど大きな川ではない。戦さ馴れした上杉兵たちは、誰も気にもかけることはなかった。

北浅川の河川敷に着いた。

その光景は異常だった。おびただしい数の死体が散乱している。先鋒と忍びは、この地で全て(むくろ)となっていた。戦場慣れした兼続も三宝寺も、そこにいる兵たちのすべてが、この異様で凄惨な光景に、思わず息を忘れて目をみはった。

大きく息を吐いてようやく平常心を取り戻した兼続が、冷静な目で死体を検分する。

「三宝寺。この傷をどう思う」

「はて、槍でもなければ薙刀でもござらぬな。何やら獣に噛まれたような」

「そうじゃ。これは獣の牙としか思えぬ。それも、とてつもなく大きな獣」

「熊だとしても、猪だとしても、噛み跡の大きさからみて、尋常ではござらぬ。しかも先陣の軍勢が一人残らずやられるなど、考えられぬ」

「このあたりに、そのような獣が棲んでいるとは、聞いたことがござらぬ」

その時、大きな水音がして、川の流れが変わった。白い水しぶきが突然高く跳ね上がる。川の中ほどに巨大な水柱がそそり立った。水柱の上には、巨大な蛇の頭があった。長い舌をうごめかせながら、上杉の兵たちを上から見下ろしている。その眼は爛々と光り、敵意を宿している。

巨木のような大蛇は、大きく口を広げると、目にも止まらぬ速さで岸に向かって泳いで来て、あっという間に上陸した。

悲鳴をあげる暇さえなかった。矢を番えることもできなかった。人間の体の十倍ものマムシは、三宝寺の軍勢をあっという間に蹴散らした。尻尾でなぎ倒し、牙で切り裂いた。誰も止めることは出来ない。

河原のあちらこちらに死体の山が築かれた。

命懸けの行をやり遂げて、巨大な肉体を手に入れた竜次の、宿敵上杉への復讐戦が始まった。


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