トリトンは寿司屋
「いきますよ!ドラゴンスクリュー!」
「はあ……」
ガガガドン!という鈍い音と共に僕はグルグルと回転して地面へと叩きつけられる。ドラゴンスクリューはプロレス技だ。
僕はシンギュラリティさんに左足を掴まれたので、なにかがくるのだろうとは思っていたが、まさかドラゴンスクリューだとは思わなかった。
もうため息しか出ない。
グラウンドにいるのにプロレス技をかけるのは辞めてほしい。床は固いから僕も大ダメージだし、シンギュラリティさんもダメージだ。というか僕の右手には野球のグローブが装備されていたのでまともに受け身を取れずに地面と激突する。
「ジャスティスさんキャッチボールしませんか?」
真白さんは地面で虚しく敗北者となった僕を気にする素振りもなく話しかけてくる。
「いいですけど少し待ってくれませんか」
「分かりました。3、2、1」
僕は真白さんのカウントダウンの間に地面から起き上がり、砂を払い、ドラゴンスクリューによって負傷した右肩にテーピングをした。
「準備完了しました」
「ふむ」
まんざらでもない表情の真白さん。
僕は真白さんと向かい合いながらゆっくりと後ろに下がって距離を取る。十分な距離を取ってしまえば真白さんとて恐れることはない。ただの童顔お金持ちへとなり下がるのだ。
かれこれ百メートルは離れただろうか。ここまできてしまえば真白さんの魔球が僕のすねを直撃することはないし、真白さんの声すらも聞こえない。
真白さんがグルグルと大きく腕を回しながら、空に向かって高々とボールを投げあげた。僕は上空に高々と揚がっているボールを見ようとするが、太陽とボールが重なってしまって、見失った。
「ええと……ええと……」
僕は視線を右往左往しながら白球を探してみるが、この広大な空の中でたった1つのボールを探すのは簡単なことではなく、僕はもう諦めて家の中に帰ることにした。
「いやいやいや!ちょっと待ってくださいよ」
という声が聞こえたが、きっと幻聴か何かだろう。
僕はできるだけ日陰を通りながら帰路についている。
「あーなんで歩みを止めないんですか!無駄に向上心のある若者ですか!ニートの癖に!ああ、ボールが落ちるからボールも追わなくちゃいけない!あージャスティスさんも止めなくちゃいけないしボールも取りにいかなくちゃいけないし!」
ついに真白さんの誘惑に負けて振り向いてみたら、ボールを追いかけながら僕の方に左手をつきだして、“ちょっと待って”のハンドサインをしていた。
少し愛おしかったので歩みを少し緩めながらも、見てくれでは変化していないような速度で歩くことにした。
「こっち向いたなら止まってくださいよ!ガン無視決めるならまだしも!なんでチラッと見てから何事もなかったかのように歩きだすんですか!」
真白さんはボールをキャッチするためにドンドン僕から離れていったため、最後の方はもう何て言っているのか聞き取れなかった。
というか真白さん、この距離を走りながらボールを見失わないようにしていたのか。あふれでる運動センスだ。
「ナイスキャッチ!」
真白さんはそう言いながらボールを取ったのを、僕は窓ガラス越しに確認した。
その途端、僕は走りだした。
「あーなんで走るんですか!」
真白さんが走りながら追いかけてくる。
しかし僕も脚力には自信がある。僕は足をチャカチャカと回しながら走る、走る。しかし無情にも真白さんとの距離は詰まっていく。
そうだった、僕が自信を持っているのは脚力じゃなくて脚線美だった。
男でも女に張り合えるほどのスラリとした足は、元々の美しさに加えて、きっちりとムダ毛の処理をしたりと日々の努力も怠っていない。
男のためか、容易に筋肉がついてゴツゴツとしてしまうため、ランニングはあまりしていない。
つまりこの鬼ごっこ、僕にとって圧倒的に不利である。
ああ、もうだめだ。そう思ったが、しかし1つだけ、僕は最高に幸運だった。
「あ!自転車に乗るのは反則ですよ!」
僕の目の前には自転車があった。できるだけタイムロスが無いように自転車に乗りこみ、その自慢の足を活かしてガシャガシャと自転車を漕いだ。
「そんなことするなら、こっちだって反則技出しちゃいますよ!」
真白さんの掛け声に返答することもなく、僕は自転車を漕ぐ、漕ぐ。
「シンギュラリティさん!お願いします!」
ああ、そういえばそんな人もいたなぁ、と思ったのも束の間、僕の後方からけたたましいエンジン音と地面を勢いよく擦る音が聞こえてきた。
僕は思わず、後ろを振り向く。
そこには、ジープを運転するシンギュラリティさんがいた。
「ええ……」
ゴーカートならまだ弁明する余地があったのかもしれない。「ゴーカートなんて追いつかれるに決まってるじゃないですか!」と、つっこみながら和気藹々と、意気揚々よ話し合えたのかもしれない。そうじゃないにしても、普通の自動車、例えば軽自動車なら冗談でも済んだのかもしれない。「この家に軽自動車なんてあったんですね」「あたりまえでしょう、私はお金持ちですよ」なんて会話もできたのかもしれない。
しかしそうではなかった。
ジープって。
ガチの車じゃねえか。車の中でも割と強い方の車じゃねえか。
なんだそれ。
しかし僕は自転車を漕ぐ足を止めようとはしない。それは真白さんに対する意地でもプライドなどでもない。
100キロ以上の速さで走るジープから逃げなくてはいけないためだ。
ジープは僕に向かって真っすぐに進んでいて、止まるような気配は一切ない。なんなら喜んで轢いてやろうという勢いすらも感じられる。
やり方が横暴だ。
これ本当に轢かれたらどうするのだろうか。警察沙汰だぞ。
ということを考えてみるのも、まったくもって、一切合切、すべてまとめてしまうことにしてしまうならば、結果から言って、杞憂だった。
僕はジープに轢かれた。
その、速度を抑えることをせずに進んできたジープは、僕の乗っていた自転車を気にせずに力よく衝突して、止まった。
僕はあがくことすらもできずに、自転車ごと吹っ飛んでしまった。
僕は宇宙の藻屑となった。
完
次回、宇宙編!




