ベースボールは太平洋へ
「魔球投げますよ!クワトロフォーク!」
「いやあん」
僕のセクシーな声が響き渡る。
真白さんが投げた魔球は僕の体を直撃した。というか、クワトロフォークとは、ただ単に4つのボールでフォークを投げただけだった。人差し指と中指で左右それぞれ2つ、それに中指と薬指でそれぞれ2つ、ボールを挟んで一気に投げてきた。
その4つのボールのどれもが僕のすねを直撃した。いやあん、というエッチな声は僕のものではなくシンギュラリティさんの声だ。
僕は声を上げることもできずに、ただただすねを手で押さえながら地面をゴロゴロと転がるだけだった。
理不尽な世の中。
「ジャスティスさん早く立ちあがってください。まだキャッチボールは続いてるんですよ」
「そのまえに1つ聞いていいですか」
「クアトロフォークを取れたらいいですよ」
グローブは1人1つしかつけれないのに一度に4つのボールを取れると思ってるのか?僕の嫁は。
そもそも、ボールを4つ投げることができるのもビックリ超人間という感じだ。
夫もビックリ。
「私も手伝いますかぃ」
そんな語尾をだらしなく垂らしていた声の持ち主であるシンギュラリティさんがいる、と、思ったのだが、声は聞こえるだけで姿は見えない。
ぐるりぐるりと地上を見渡し、ぐるぐるぐるりと上空を見渡し、念のためにグローブの中やズボンの裾をチェックしてみたがやっぱりいなかった。
困ったので真白さんへと視線を傾ける。
真白さんは無言でサムズアップをしたまま、その手を下に向けた。
俗に言う、死ね!地獄に落ちろ!のハンドサインだった。
僕は泣いた。
「ああ、違います。間違えました。下を見てくださいっていう意味です」
真白さんはわちゃわちゃとしながら弁明する。僕に駆け寄ってきて、そのまま僕の涙をハンカチで吹きながら、下ですよ、下!と話している。
僕は乱れた呼吸を整えて、下を向く。
そこには、更地の中から顔を出しているシンギュラリティさんがいた。
顔を出している、というよりは地面と顔が置換されているという感じだろうか。盛り上がっているのではなく、地表と同じ平面に顔があった。
なんとも説明しにくい状況だった。なんせ、こんな状況の大人をみたのは今日が初めてだったからだ。
酷い落とし穴に埋まった、と表現すればいいのだろうか。
落とし穴に埋まって、その結果として、ちょうど自分の慎重にピッタリと合致する深さだったため、スッポリと収まったのだろうか。
それにしても、今の今まで地面に埋まっていたシンギュラリティさんに気がつかなかった。確認ポイントとしては、鼻が若干、地面から浮き出ていることに気がつくかどうかだろう。しかしそれも石ころと同じサイズなので尚のこと気がつきにくい。
もう普通に登場してくれよ……。
なにも楽しくない。ただただ危ないだけだ。これは心を鬼にして一喝しなければいけないのかもしれない。
「コラッ!」
「え!?」
僕は地面から顔を出しているシンギュラリティさんにむかって、全体重を込めた渾身の教育的パンチをくらわした。
バコン!という鈍い音が世界中に響き渡った。
「ウケますね」
真白さんは僕達の惨状を見て、表情には出ていないものの、しかし確実に笑っていた。
僕も大概だが真白さんも真白さんで大概だな……。
「最悪の夫婦だ!」
シンギュラリティさんは地面から出てきて僕達に叫ぶ。
地面から出て砂埃をポソポソとはたいてから、僕に向かってズンズンと歩いてくる。あと数十センチというところでシンギュラリティさんは歩みを止める。
僕とシンギュラリティさんは目が合う。
?
シンギュラリティさんは僕の顔、襟首に向かって手をゆっくりと伸ばす。
?
そのままシンギュラリティさんは僕の襟首を持って、左の脇下に手を伸ばして服を持ち、僕を思いっきり地面に叩きつけた。
レスリングでいうところの、首投げをするような状態だ。というか、早い話が首投げをされた。
僕は満足に受け身も取れずに無様に地面に衝突する。砂埃が舞い、地面に頭を打つ。
「うわああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
痛さからの叫び、というよりも驚きからの叫びという方が適切だろう。まさか華奢な女の子が見事な首投げをするとは。
僕の視界は砂埃が舞っていて鮮明に見えるものはあまりなかったが、ただ1つ、いつのまにか視界に入っていた真白さんが、
「ウケますね」
と言ったことだけが分かった。
……もっと夫を大切にしてはくれないのか。
いや、全国の妻というものは夫のことを大切にしていないのだから、僕がこうやって冷たい態度を 受けているのも仕方がないのだろうか。
うん、仕方がない。
僕はそっと目をつむった。
少し眠ろう……
と思ったのだが、やはりその願いは叶わない。主人公の宿命だ。
僕は唇になにか柔らかいものが当たったのを感じた。
これは紛れもなく、唇だった。
「ん!!!!!!!!」
僕は瞳孔を開いて視界から情報を取り入れようとするが、視界は一面、肌色がかった景色だった。 僕の視界は誰かの手で隠されていた。
僕がジタバタしてみると、唇はそっと僕から離れて、視界は再び光を取り戻して眩しく光っている。
てっきり僕は真白さんにキスされたのかと思ったが、しかし予想は外れてシンギュラリティさんの口づけだった。
嫁がいる前で夫にキスをするなよ……。
「なんでキスしたんですか」
僕はなぜか紅潮しているシンギュラリティさんに聞く。
「お姫様を目覚めさせるには王子様のキスしかないでしょ?」
「かっこいい……」
いつのまにか僕はお姫様になっていたようだし、そもそもお姫様が眠る原因を作ったのは王子様の首投げだということに訂正を入れたかったのだが、どうせ訂正を入れたところで種々雑多な暴言を浴びせられることは目に見えていたので、僕は諦めざるをえなかった。
そんなことよりも野球しましょうよ。野球。
真白さんはそう言いながら僕とシンギュラリティさんの頭をポカリッ!と叩いた。
「痛!!!!!」
ポカリッ!という音からは想像もできないほどに本気で殴られた。登場人物全員、力の加減ができていなかった。
「ほらほら、早く起きあがってくださいよ。なんのために我が家のはじにある野球場まで来たと思ってるんですか」
僕は真白さんの右手を支えにして起き上がる。それにしても、と僕は背中についていた砂を落としながら真白さんに話しかける。
「敷地内に野球場なんてあったんですね」
「あたりまえですよ。きっとジャスティスさんは日本の基準で考えているんで予想外の連続なんですよ。ここは日本じゃなくて、アメリカはコロラド州、デンバーですよ?もっとデンバー基準で考えないとだめですよ」
「そうですか」
そうだったそうだった。ここは日本じゃなくてアメリカはコロラド州、デンバーだった。
え?ここってアメリカなの?
プロポーズをしてからしばらくは僕の実家で一緒に暮らしていたが、新居ができました。と、いつのまにか真白さんが新居を建てていて、いつのまにかプライベートジェットで我が家へと来てしまったのだから、ここが日本なのかどうかすらも分かっていなかった。まあ、空を飛んでいた時間からして、近場ではないだろうとは思っていたが。
「日照時間とかで気がつかなかったんですか?」
真白さんは柔軟体操をしながら話しかける。
「うーん、僕って日中はいつも眠たいんで、別に朝でも昼でも夜でも眠たいんですよね」
「だらしない夫だ!」
「僕って仕事柄、日中でも夜でも忙しい時は忙しいですし。仕方ないんですよ」
「仕事してたんですね……」
呆れたようにして真白さんは呟く。
「逆に夫が仕事していないと思ってたんですか?」
「はい、私のお金目当てで結婚したのかと思ってました」
…………。
ある意味でなによりも屈辱だった。
「そんなことよりもジャスティスさん」
「なんですか」
「次回はいよいよ野球編ですよ」




