第009話 兄の渋面
兄は、リュカの顔を見てから足元の草を見た。
土をかぶせた葉先は黒く、リュカの指にはまだ焦げた匂いが残っていた。
リュカは木箱を持ち直し、兄が口を開くのを待った。
兄は肩にかついでいた木剣を下ろし、先を地面のすぐ上で止めた。
「家に戻れ」
兄はそれだけ言って、先に館へ戻っていった。
リュカはすぐには後を追えず、物置の前に立ち尽くした。
怒鳴られると思って身構えていたので、何も聞かれずに帰るよう言われたことに戸惑った。
どこから見られていたのだろう。
兄が現れた時には、もう火を消していた。
焦げた草とマッチの箱だけなら、火遊びをしていたように見えたはずだった。
それなら、危ないからやめろと言われる方がまだ分かる。
リュカは焦げた葉と使い終えたマッチを一か所に寄せ、土を重ねて靴で押さえた。
木切れも離してから箱の蓋を開けると、未使用のマッチが二本残っていた。
アニタには一本だけと言われたのに、三本も使ってしまった。
兄が父に話せば、そのことまで聞かれるだろう。
リュカは兄に何を言われるのか気にしながら、館へ戻った。
◇ ◇ ◇
その夜、リュカは兄の部屋へ呼ばれた。
マッチの木箱は自分の部屋の机に置き、両手を空にして廊下を歩いた。
夕食の間、兄は昼間のことを口にしなかった。
父にも母にも呼び止められなかったが、兄がまだ話していないだけかもしれない。
リュカが扉を叩くと、中から兄の短い返事が聞こえた。
リュカは冷えた取っ手を両手で回して部屋へ入った。
兄は机に向かって座っていて、燭台の火が片頬を照らしていた。
昼間の木剣は壁に立てかけてあった。
兄はリュカが入ると立ち上がり、扉を閉めた。
「手を見せろ」
リュカが両手を差し出すと、兄は燭台の近くへ持っていった。
兄は指先を見てからリュカの手を裏返し、爪の周りまで確かめた。
「痛いところは」
「ないよ」
兄の指が離れると、リュカは両手を下ろした。
火傷をしていないか見られたのだと分かっても、叱られずに済むとは思えなかった。
「物置で何をしていた」
「草に火がつくか、見てた」
「マッチでか」
「うん、最初は」
兄は椅子へ戻りかけて足を止めた。
「最初は?」
「そのあと、自分でもつけたんだ」
兄はリュカの手をもう一度見た。
「魔法を使ったのか」
リュカがうなずくと、兄は椅子に腰を下ろしたが、背もたれには寄りかからなかった。
「誰に教わった」
「誰にも」
兄は膝の上で、ゆっくりと手を握った。
草の置き方も、火を消したことも話しておいた方がよさそうだった。
小さな火しか出していないと伝えれば、安心してもらえるだろう。
「小さい火だよ」
リュカは親指と人差し指を近づけた。
「マッチの半分でよかったんだ」
「半分?」
「火の大きさが、それくらいでよかったの」
兄の眉間の皺が、もう一段深くなった。
リュカは指を下ろした。
小さかったと言えば安心してもらえるはずなのに、兄はさっきより険しい顔をしていた。
「燃える草はあったから、きっかけだけあげれば——」
「リュカ」
声は大きくなかったが、リュカの説明はそこで止まった。
兄は閉めた扉を一度見て、それからリュカへ向き直った。
「その言い方は神父様の前ではするな」
リュカは口を開けたまま兄を見た。
火をつけた場所でも、マッチの本数でもなく、言い方を注意されるとは思っていなかった。
「半分っていうのが、だめなの?」
「今みたいな話をするなということだ」
「でも、本当に小さくて」
「聞いた」
兄は膝に置いた手を開き、また握った。
リュカが返事を待っても、兄はそれ以上説明しなかった。
兄が気にしているのは、火の大きさではないらしい。
「父さんには、言う?」
「お前がまた一人で火を使うなら言う」
リュカは足元へ目を落とした。
明日も確かめたいと思っていたことが、顔に出たかもしれなかった。
「もう火は消したよ」
「見た」
短い返事に、リュカは顔を上げた。
兄は立ち上がって扉を開け、廊下を確かめるように顔を出した。
「外で、今の話をするなよ」
「……うん」
兄の脇を通る時、リュカはもう一度その顔を見上げた。
兄は目を合わせず、リュカが廊下に出るまで取っ手を握っていた。
◇ ◇ ◇
翌朝、食堂で向かいに座った兄は、いつもと同じように背筋を伸ばしていた。
リュカはパンをちぎりながら、皿の向こうの顔を盗み見た。
兄は食事を止めて父の話を聞き、問われたことに短く答えていた。
リュカが顔を上げても、目は合わなかった。
まだ怒っているのだろうかと考えかけ、リュカは自分の指を見た。
昨夜、兄は何をしたか聞く前に、この手に火傷がないか調べていた。
怒るだけでなく、怪我を心配していたのだろうか。
リュカはちぎったパンを皿へ置いた。
昨日の自分は、兄の前でどんな顔をしていただろう。
草に火をつけられたのがうれしくて、体もあまり冷えなかったので、うまくいったとしか考えていなかった。
けれど兄が見たのは、物置の陰で草を焦がし、マッチの箱を持って立っている五歳の弟だった。
誰にも教わらず火をつけたと言い、その小ささまで得意そうに説明した。
草の置き方を説明すれば、兄も安全だとうなずいてくれると思っていた。
兄が心配するとしたら、大きな火を出すことだと決めつけていたのだ。
だが兄は、「半分でいい」という言い方を聞いて険しい顔をした。
なぜ神父様の前ではだめなのか、まだ分からなかった。
同じ説明を続けても、兄を安心させられないことは分かった。
兄が食卓の端にあったパンの皿をリュカの方へ押し、リュカは顔を上げた。
「食べないのか」
「食べるよ」
リュカは皿の上に置きっぱなしだった一切れを口へ運んだ。
食べる手が止まっていたことにも、兄は気づいていたらしい。
火傷を探した兄の手を思い出しながら、リュカはゆっくりパンを噛んだ。




