第一章 第二話 名もなき騎士
赤い警報灯が、一定の間隔で廊下を染めていた。
遠ざかっていく椎菜の背中を、神一郎はその場から動けずに見送る。
追いかけたい。
今すぐツキカゲを抜き、あの映像の中にいた男と戦いたい。
父と母が追っていた事件と関係があるのなら、なおさらだ。
だが、腹部に残る鈍い痛みが、今の自分では足手まといにしかならないと訴えている。
「……分かってるよ」
誰に言うでもなく呟く。
黒瀬祈莉との戦いで負った傷は、奈々の治癒魔力によって塞がれている。命に関わる状態ではない。
それでも、一度深く傷付いた内臓と魔力回路までは完全に回復していなかった。
無理に魔力を放出すれば、傷口が開く可能性がある。
剣を振るだけならできる。
戦うことだってできるだろう。
けれど戦えることと、任務を遂行できることは違う。
椎菜が言っていたのは、そういうことだ。
「藤崎副隊長」
背後から呼び止められ、神一郎は振り返った。
白い制服を着た医療騎士が、険しい顔で立っている。
三十代ほどの男性だった。
手にした端末には、神一郎の名前と赤く表示された警告が並んでいる。
「医療区画へ向かうよう命令が出ています」
「分かってます」
「でしたら、こちらへ」
「自分で歩けます」
「それも聞いています。中嶋隊長から、歩けなくなった場合は運ぶようにとも」
「余計なことを……」
小さく呟いてから、神一郎は医療騎士の後へ続いた。
本部内は、先ほどまでとは別の場所のように慌ただしくなっている。
騎士たちが廊下を駆け、壁面には帝都南西区の地図が浮かんでいた。
赤く点滅しているのは、商業区と居住区の境目。
中心部からは少し離れているが、人通りが少ない場所ではない。
負傷者の数が、次々に更新されていく。
先遣隊六名。
うち重傷二名。
軽傷四名。
戦闘継続不能。
表示された文字を見て、神一郎の足が止まった。
「全員、騎士ですよね」
「はい」
医療騎士が短く答える。
「所属は?」
「帝都警備隊です。全員、実戦経験があります」
「ランクは」
「藤崎副隊長」
「教えてください」
医療騎士は一瞬だけ迷った。
「最高位がAランク。残りもBランク以上です」
神一郎は再び空中の地図を見る。
一人で、六人。
魔力を持たなかった一般人が、人工的に力を与えられただけで、そこまでの騎士を倒した。
しかも映像の男は、戦い慣れているようには見えなかった。
武器の握り方も、立ち方も不安定だった。
それでも力だけで騎士を圧倒している。
「中嶋隊長なら問題ありません」
神一郎の視線に気付いたのか、医療騎士が言った。
「分かってます」
「そうは見えませんが」
「あの人が強いことは、俺が一番知ってます」
椎菜が負けるとは思っていない。
心配していないわけでもない。
だが、神一郎が気にしているのは、それだけではなかった。
映像に映っていた男の目。
焦点が合っていなかった。
怒っているようにも、怯えているようにも見えた。
騎士を倒しながら、自分が何をしているのか理解できていない。
まるで力そのものに、身体を動かされているようだった。
医療区画へ入ると、負傷した騎士たちが次々に運び込まれてきた。
血の臭い。
治癒術の白い光。
押し殺された呻き声。
神一郎は通路の端へ寄り、運ばれていく一人の騎士を見る。
鎧の胸部が大きく陥没し、右腕は不自然な方向へ曲がっていた。
ただ殴られただけではない。
魔力を一点へ集中させ、そのまま防御ごと打ち抜かれている。
「この人たちが、最初の部隊ですか」
「そうです。道を空けてください」
医療騎士に促され、神一郎は診察室へ入った。
寝台へ座るよう指示される。
上着を脱ぎ、腹部に巻かれた包帯を外すと、治療済みの傷が熱を持っていた。
「炎症が残っていますね」
女性の治癒術師が、傷へ手をかざす。
「先ほど動きましたか?」
「普通に歩いただけです」
「あなたの普通は信用しないよう、申し送りを受けています」
「誰からですか」
「中嶋隊長です」
「……本当に余計なことしかしないな、あの人」
「心配されているんですよ」
「分かってます」
白い光が腹部を包む。
傷の奥へ冷たい感覚が染み込み、痛みが少しずつ引いていく。
神一郎は寝台脇に表示された現場映像を見た。
椎菜が到着している。
普段の制服ではない。
騎士団の白い外套を翻し、崩れた通りの中央に立っていた。
向かい側には、先ほどの男がいる。
年齢は四十代ほどだろうか。
乱れた黒髪。
薄汚れた灰色の上着。
手にしている武器は、剣と呼ぶにはあまりにも無骨だった。
長い鉄棒の先端へ刃を取り付けただけのような形をしている。
正規の騎士が使う魔装具ではない。
それにもかかわらず、刃の周囲には黒い魔力が渦巻いていた。
椎菜が何かを呼びかけている。
だが映像に音声はない。
「音は出せませんか」
「機密回線です。医療区画には映像情報しか共有されていません」
「映像だけでも見せてください」
「治療中ですよ」
「見ているだけです」
「身体に力を入れないでくださいね」
返事をせず、神一郎は画面を見つめた。
椎菜はまだアグニを抜いていない。
説得を試みているのだろう。
男は首を傾げている。
椎菜の言葉が聞こえていないのか。
それとも、意味を理解できていないのか。
次の瞬間。
男が消えた。
「速い……!」
治癒術師が驚きの声を上げる。
椎菜は動かなかった。
男が一瞬で距離を詰め、鉄の刃を振り下ろす。
刃が椎菜の身体を捉えた。
そう見えた直後、椎菜の姿が揺らぐ。
斬られた身体が青白い粒子となって消滅し、男の左右と背後に三人の椎菜が現れた。
分身。
三人が同時に簪を引き抜く。
光の中で、アグニが二丁の拳銃へ姿を変えた。
乾いた銃声。
男の足元と両肩へ、魔力弾が撃ち込まれる。
殺傷力を抑えた拘束弾だ。
男の身体が後方へ吹き飛び、建物の壁へ激突した。
土煙が上がる。
普通の人間なら、それだけで動けなくなる。
だが男は、倒れなかった。
折れた左腕をだらりと下げたまま、もう一度立ち上がる。
そして右手で左腕を掴んだ。
力任せに引く。
骨が本来の位置へ戻り、黒い魔力が傷口を包んだ。
「治癒魔力……?」
「いえ」
術師が首を横へ振る。
「あれは治しているのではありません。壊れた身体を、魔力で無理やり固定しています」
男の左腕が動く。
傷が塞がったわけではない。
骨も筋肉も壊れたまま、人工魔力が身体の外側から操っている。
痛みを感じていないのか。
感じることさえ許されていないのか。
男が再び椎菜へ突進する。
今度は先ほどよりも速い。
椎菜の銃口が火を噴き、数発の魔力弾が男の脚を捉えた。
男は体勢を崩しながらも止まらない。
倒れ込む勢いのまま刃を横へ薙ぐ。
椎菜が後方へ跳ぶ。
わずかに遅れ、白い外套の裾が切り裂かれた。
神一郎は無意識に寝台から立ち上がろうとした。
「動かないでください」
「でも」
「治療中です」
術師の声が強くなる。
神一郎は奥歯を噛み、再び腰を下ろした。
映像の中で、椎菜が距離を取る。
男の胸元から放たれる魔力は、先ほどよりも明らかに増えていた。
戦えば戦うほど強くなっている。
違う。
強くなっているのではない。
制御が失われている。
人工魔力核が、宿主の限界を無視して出力を上げ続けているのだ。
現場の周囲へ避難誘導の騎士たちが展開する。
その一人が、倒れていた子どもへ駆け寄った。
崩れた露店の陰に、小さな女の子が取り残されている。
男が振り返る。
黒い魔力が膨れ上がった。
「まずい」
神一郎が立ち上がる。
男が地面を蹴った。
狙いは椎菜ではない。
女の子を抱き上げようとしている騎士へ、一直線に向かっている。
椎菜も動く。
だが距離がある。
間に合わない。
そう思った瞬間、男の身体が横から撃ち抜かれた。
魔力弾ではない。
青い光を帯びた鎖が男の胴体へ巻き付き、地面へ叩き伏せる。
別部隊が到着したらしい。
画面の端に、重装備の騎士たちが映る。
帝都騎士団の制圧部隊。
男は鎖に拘束されながら、獣のように身体を震わせている。
女の子は無事だ。
騎士に抱きかかえられ、現場から離れていく。
神一郎は息を吐いた。
だが次の瞬間。
男の胸元で、黒い光が大きく脈打った。
巻き付いていた鎖が内側から弾け飛ぶ。
周囲の建物の窓が一斉に割れた。
映像が激しく乱れ、暗転する。
「何が起きたんですか」
「分かりません。現場との通信が途絶えました」
術師が端末を操作する。
画面には赤い警告だけが表示されている。
高濃度魔力障害。
通信不能。
現場部隊の生体反応も読み取れない。
神一郎は上着へ手を伸ばした。
「どこへ行くつもりですか」
「現場です」
「許可できません」
「椎菜さんたちと連絡が取れなくなったんですよ」
「あなたが行って何になるんです。治療も終わっていません」
「ここで見ているよりはましです」
「藤崎副隊長!」
強い声に、神一郎の手が止まる。
治癒術師はまっすぐに神一郎を見ていた。
「あなた一人の命ではありません」
「分かってます」
「分かっていません。あなたが無理をして倒れれば、誰かがあなたを守らなければならない。現場の負担を増やすだけです」
椎菜と同じことを言われる。
何も言い返せない。
正しい。
正しいからこそ、腹が立つ。
自分の傷にも。
今すぐ動けない身体にも。
神一郎は上着を握ったまま、視線を落とした。
その時、医療区画の扉が開いた。
「藤崎神一郎はいるか」
低い声が響く。
入ってきたのは団長だった。
先ほどとは違い、白銀の外套を身に着けている。腰には一本の長剣。団長としてではなく、騎士としての装いだった。
「団長」
「傷の状態は」
治癒術師が端末を確認する。
「安静が必要です。戦闘行動は許可できません」
「魔力の使用は?」
「低出力なら。ただし、長時間の戦闘は危険です」
「分かった」
団長は神一郎を見る。
「現場へ行くぞ」
神一郎より先に、治癒術師が声を上げた。
「団長!」
「戦わせるためではない」
「では、なぜ」
「現場の魔力障害は、対象が発生させたものだ。通常の通信も転移術も妨害されている。制圧部隊との連絡は途絶えたままだ」
「それならなおさら、負傷者を連れていく理由にはなりません」
「ツキカゲが必要だ」
神一郎は胸ポケットへ手を当てた。
ボールペンの形をしたツキカゲが、かすかに震えている。
「俺の剣が?」
「ツキカゲには、周囲の魔力を切断する特性がある。暴走した魔力場へ通路を作るには、あれが一番適している」
「でも、ツキカゲの本来の特性は――」
「まだ完全には目覚めていない。それでも、通常の魔装具より魔力干渉への耐性が高い」
団長が一歩近付く。
「お前には後方から魔力障害を切り開いてもらう。対象との戦闘は許可しない。できるか」
神一郎は迷わなかった。
「できます」
「即答だな、傷が悪化する可能性もあるが」
「それでも、ここにいるよりはましです」
「そういう答えを聞いているんじゃない」
団長の目が細くなる。
「自分の状態を正しく判断した上で、任務を遂行できるかと聞いている」
神一郎は腹部へ手を当てる。
痛みは残っている。
全力で戦えば、長くは持たない。
だが、魔力障害を切り開くだけなら可能だ。
椎菜の足手まといにならず、自分にしかできない役割がある。
「……できます」
今度は考えてから答えた。
「戦闘には加わりません。ツキカゲで結界を切断し、現場部隊の救出を優先します」
「よし」
団長が頷く。
「五分で準備しろ」
「はい」
「固定帯を巻き直します」
治癒術師が深く息を吐いた。
「ただし、傷が熱を持ったらすぐに魔力の使用を止めてください。出血があれば、その時点で任務から外れてもらいます」
「分かりました」
「本当に分かっていますね?」
「……はい」
神一郎は上着を羽織った。
胸ポケットからツキカゲを取り出す。
使い慣れたボールペン。
静蘭との戦闘で折れた物を修復、鍛え直した。
父と母の昔話を聞いた直後に、その続きを追うことになるとは思っていなかった。
だが、もう過去の中だけに置いておくことはできない。
人工魔力核。
騎士ではない者へ、騎士の力を与えるもの。
それが母の死や奈々の魔力と繋がっているのなら、必ず確かめなければならない。
*
現場近くまで転移できたのは、帝都南西区から二つ離れた区画までだった。
その先は黒い霧のような魔力に覆われている。
神一郎は団長と数名の騎士と共に、封鎖された通りへ降り立った。
空が暗い。
まだ昼間のはずなのに、人工魔力が光を遮り、現場一帯を夕暮れのように染めている。
「これは……」
空気そのものが重い。
息を吸うたび、他人の魔力が身体の中へ入り込んでくるような不快感がある。
「長時間いると魔力回路を侵食される」
団長が周囲を見回す。
目の前には意図して作られたわけではないだろう、しかし強固な結界に近い、魔力による壁が出来ていた。
「防護術を切らすな。神一郎、いけるか」
「やります」
ツキカゲを握る。
ボールペンが白い光に包まれ、一本の刀へ姿を変えた。
鞘から刃を引き抜く。
漆黒の刀身が、黒い霧へ触れる。
耳鳴りのような音がした。
ツキカゲが、周囲の魔力へ反応している。
神一郎は呼吸を整え、刃へ自分の魔力を流した。
「――斬る」
横薙ぎに振るう。
黒い霧の壁へ、一本の白い線が走った。
一瞬遅れて魔力場が割れる。
まるで閉ざされていた扉が開くように、現場へ続く通路が現れた。
「進め!」
団長の声で、騎士たちが一斉に走り出す。
神一郎も後へ続く。
腹部がわずかに痛む。
まだ問題ない。
黒い霧は、すぐに通路を塞ごうとする。神一郎は一定の間隔でツキカゲを振るい、魔力を切断し続けた。
「右前方に生体反応!」
騎士の一人が声を上げる。
崩れた建物の陰に、制圧部隊の騎士が倒れていた。
防具は破壊されているが、まだ息がある。
「救護班、運べ!」
団長が指示を飛ばす。
「中嶋隊長は」
「反応がありません!」
神一郎は奥歯を噛む。
椎菜が簡単にやられるはずはない。
なら、どこにいる。
再びツキカゲが震えた。
左側。
崩れた通りの向こうから、強い魔力を感じる。
「団長、こっちです」
「何か分かるのか」
「ツキカゲが反応しています」
神一郎は左へ進む。
黒い霧を斬り開くたび、魔力の圧力が強くなっていく。
やがて、建物に囲まれた小さな広場へ出た。
中央に、男が立っている。
その周囲には、破壊された鎖と魔装具が散らばっていた。
そして男の前に、椎菜が片膝をついている。
「椎菜さん!」
白い外套は破れ、左肩から血を流していた。
右手にはアグニ。
左手の銃は地面に落ちている。
神一郎の声に、椎菜が顔を上げた。
「なぜ来た」
「団長の命令です」
椎菜が団長を見る。
「本当だ」
団長が答える。
「ツキカゲで魔力場を切断させた。神一郎は後方支援だ」
「……そうですか」
椎菜の声には、明らかに納得していない響きがあった。
「あとで話がある」
「今だったら流石の俺も怒ってました」
「当然だ」
男がゆっくり振り返る。
先ほど映像で見た時よりも、身体が大きく膨れ上がっていた。
皮膚の下を黒い光が走っている。
胸元では人工魔力核が脈打ち、そのたびに筋肉と骨格が変形していた。
両腕は人間のものとは思えないほど太くなり、左腕からは折れた骨が皮膚を突き破っている。
それでも血は流れていない。
傷口を黒い魔力が覆い、身体が壊れることさえ許していなかった。
「……たすけて」
男の口が動いた。
神一郎は目を見開く。
「今、何て」
「たすけ……て」
確かに言っている。
意識がないわけではない。
男は自分が何をされているのか分かっている。
分かった上で、止めることができない。
「名前は」
団長が問いかける。
「お前の名前を教えろ」
「な……まえ」
男の顔が歪む。
苦しんでいる。
何かを思い出そうとしている。
「おれ、は……」
言葉の途中で、人工魔力核が強く発光した。
男の背中が大きく反り返る。
「ぐ、あああああああああああっ!」
叫び声と共に、黒い魔力が爆発した。
「防御!」
団長が剣を地面へ突き立てる。
光の壁が展開される。
神一郎は椎菜の前へ出ようとした。
「来るな!」
椎菜の声が飛ぶ。
直後、男が団長の防壁へ拳を叩き込んだ。
一撃。
光の壁に亀裂が入る。
二撃目。
防壁が砕け散った。
団長が剣で拳を受け流す。
衝撃だけで地面が陥没し、周囲の瓦礫が吹き飛んだ。
「出力だけならSランク相当だ!」
団長が叫ぶ。
「ただし、身体が追い付いていない。長くは持たない!」
「長く持たないって……」
神一郎は男を見る。
右拳を振るうたび、腕の筋肉が裂けている。
脚を踏み込むたび、骨が砕けている。
それでも人工魔力核は動きを止めない。
このまま戦わせ続ければ、男は死ぬ。
「核を止めるしかない」
椎菜が立ち上がる。
落ちていたアグニを拾い、両手に構えた。
「胸部中央。あの黒い光が核だ」
「破壊したら、あの人は」
「分からない」
「そんな」
「だが、このままでも死ぬ」
椎菜は迷わず男へ銃口を向けた。
冷たく見える。
だが、その指は引き金に触れたまま動いていない。
椎菜も分かっている。
敵ではない。
少なくとも、自分の意思で戦っているわけではない。
男が団長を弾き飛ばし、こちらへ顔を向けた。
濁った瞳が神一郎を捉える。
人工魔力核が反応する。
「下がれ、神一郎!」
椎菜が叫ぶ。
男が地面を蹴った。
避けられない。
そう判断するより早く、神一郎はツキカゲを構えていた。
戦闘へ加わるな。
命令は分かっている。
だが、背後には負傷した騎士たちがいる。
避ければ、次に狙われる。
「ツキカゲ!」
男の刃とツキカゲが衝突する。
凄まじい衝撃が腕を駆け抜けた。
足元の地面が割れる。
「ぐっ……!」
腹部の傷が熱を持つ。
それでも神一郎は退かなかった。
力では勝てない。
まともに受ければ押し切られる。
男の魔力を、ツキカゲで切る。
神一郎は刃をわずかに傾けた。
真正面から受けていた力を横へ流し、男の刃にまとわりついていた黒い魔力を斬り払う。
魔力を失った武器が軌道を逸らした。
男の身体が前へ流れる。
その側頭部へ、椎菜の魔力弾が撃ち込まれた。
男が横へ吹き飛ぶ。
「戦うなと言ったはずだ」
「避けたら、後ろの人たちがやられてました」
「ならば最初から後方にいろ!」
「ここまで来たのは椎菜さんを探すためです!」
「口答えをするな!」
「無事だったんだからいいじゃないですか!」
「どこが無事に見える!」
怒鳴りながらも、椎菜は神一郎の前へ立った。
男が起き上がる。
人工魔力核はさらに出力を上げている。
「神一郎」
椎菜が男を見たまま言う。
「申し訳ないがあと何回、ツキカゲを振れる」
「いくらでも」
「正直に答えろ」
「……全力なら三回です」
「なら十分だ」
椎菜が二丁のアグニを構える。
「私が動きを止める。お前は核と身体を繋いでいる魔力だけを斬れ」
「そんなことができるんですか」
「できるかどうかを聞いている時間はない」
「失敗したら」
「私が核を撃ち抜く」
椎菜の声は静かだった。
「そうなる前に成功させろ」
「無茶言いますね」
「誰の上官だと思っている」
「俺の上官ですよ」
「なら、命令に従え」
「了解」
男が咆哮する。
黒い魔力が全身から噴き出し、広場を覆った。
視界が消える。
神一郎は目を閉じた。
見るのではない。
感じる。
周囲に満ちた人工魔力。
男の胸で脈打つ核。
そこから身体の各部へ伸びている、無数の黒い糸。
普通の騎士の魔力回路とは違う。
外から無理やり身体へ根を張り、神経と筋肉を操っている。
「右から来る!」
椎菜の声。
神一郎は反射的にツキカゲを上げた。
刃がぶつかる寸前、椎菜の幻影が二人の間へ飛び込んだ。
男の攻撃が幻影を切り裂く。
青白い粒子が弾け、視界を奪う。
その隙に、本物の椎菜が男の背後へ回り込んでいた。
二丁のアグニを、男の両脚へ向ける。
「伏せろ!」
連続する銃声。
魔力弾が膝と足首を正確に撃ち抜いた。
男の身体が崩れる。
それでも両腕を地面へ突き、無理やり前へ進もうとする。
椎菜がさらに両肩を撃つ。
腕が地面から離れ、男の身体が仰向けに倒れた。
胸元の核が露出する。
「神一郎!」
走る。
一歩ごとに腹部が痛む。
固定帯の内側に熱いものが滲む。
傷が開いた。
それでも止まれない。
男の胸元へ迫る。
人工魔力核から伸びる糸。
細い。
複雑に絡み合い、身体の奥まで入り込んでいる。
核そのものを斬れば、男の心臓まで傷付ける。
斬るべきなのは核ではない。
核と身体の境界。
「ツキカゲ――!」
男が顔を上げた。
焦点の合わなかった瞳が、一瞬だけ神一郎を見る。
「……むす、め」
その言葉が耳に届いた。
神一郎の刃が止まりかける。
男にも家族がいる。
帰りを待っている者がいる。
その事実が、腕を鈍らせる。
「神一郎!」
椎菜の声が響く。
「信じろ!」
誰を。
椎菜を。
ツキカゲを。
そして、自分を。
神一郎は刃を振り抜いた。
白い軌跡が、男の胸元を通り抜ける。
肉も。
骨も。
人工魔力核も斬っていない。
ツキカゲが切断したのは、核から全身へ伸びていた黒い魔力だけだった。
一瞬の静寂。
男の身体から力が抜ける。
黒い霧が消えていく。
変形していた腕と脚が、音を立てながら元の大きさへ戻っていった。
「やった……?」
神一郎の視界が揺れる。
腹部から血が流れていた。
力が抜け、身体が傾く。
地面へ倒れる前に、椎菜が腕を掴んだ。
「馬鹿者」
「成功したんだから、いいじゃないですか」
「よくない」
「椎菜さんも同じようなことするでしょう」
「私はお前より強い」
「そういう問題ですか」
「そういう問題だ」
椎菜に支えられながら、神一郎は男を見る。
男は動かない。
胸元には黒い人工魔力核が残っている。先ほどまでの激しい脈動はなく、弱い光を一定の間隔で繰り返していた。
団長が男の首へ指を当てる。
「脈はある」
「助かるんですか」
「分からない。身体の損傷がひどすぎる」
救護班が駆け寄る。
男の身体を担架へ乗せ、治癒術を開始した。
神一郎も別の術師に腹部を押さえられる。
「出血しています。すぐに横になってください」
「このくらいなら」
「医療騎士の前でその言葉を使わないでください」
先ほどと同じようなことを言われ、神一郎は抵抗を諦めた。
担架へ座らされる。
椎菜も左肩の治療を受けていた。
「そういえば」
神一郎が椎菜を見る。
「信じろって、何をですか」
「何の話だ」
「とぼけないでください。最後に言ったでしょう」
「覚えていないな」
「絶対覚えてるじゃないですか」
「出血しているなら黙っていろ」
「関係ないでしょう」
「ある。うるさい」
「ひどいな……」
言いながら、神一郎は少しだけ笑った。
椎菜も無事だった。
男もまだ生きている。
完璧ではない。
それでも、最悪の結末だけは避けられた。
「団長!」
人工魔力核を調べていた騎士が声を上げる。
「対象の身元が判明しました」
団長が振り返る。
「誰だ」
「帝都南西区に住む一般人です。名前はカイル・ウェーバー。四十二歳。妻と娘が一人。騎士団への所属歴も、訓練を受けた記録もありません」
「犯罪歴は」
「ありません。職業は機械工。三日前から行方不明になっていました」
神一郎は担架の上で男を見る。
カイル・ウェーバー。
ようやく名前を知った。
正体不明の敵でも。
未登録の騎士でもない。
家族のいる、ただの人間だった。
「三日前……」
椎菜が呟く。
「その間に人工魔力核を移植されたということか」
「おそらくは」
「自分から受けた可能性は?」
「現時点では不明です。ただ、首の後ろに薬物を投与された痕跡があります」
「連れ去られたのか」
神一郎の声に、騎士が頷く。
「その可能性が高いかと」
カイルを乗せた担架が運ばれていく。
壊れた左腕が力なく揺れる。
その手首に、小さな輪が巻かれていた。
色の褪せた糸を編んだ腕輪。
子どもが作ったものだろう。
神一郎の耳に、先ほどの言葉が蘇る。
むすめ。
暴走する魔力の中でも、カイルは娘のことを思い出そうとしていた。
力に身体を奪われても。
名前を失いかけても。
最後まで、完全に人間ではなくなったわけではない。
「騎士って、何なんでしょうね」
神一郎が呟く。
椎菜が隣へ立つ。
「急にどうした」
「あの人は騎士じゃない。訓練も受けていないし、自分で戦うことを選んだわけでもない。でも力だけなら、ほとんどの騎士より強かった」
「力があるだけで騎士になれるなら、騎士団など必要ない」
「じゃあ、騎士を騎士にするものって何ですか」
椎菜はすぐには答えなかった。
崩れた広場を見る。
負傷者を運ぶ者。
周囲の安全を確認する者。
怯えている住民へ声をかける者。
それぞれが、自分の役割を果たしている。
「少なくとも」
椎菜が口を開く。
「誰かに与えられた力だけではないだろうな」
「与えられた力……」
神一郎はツキカゲを見る。
この剣も両親から託されたものだ。
今の立場も、母や父の存在と無関係ではない。
自分の力だと思っていたものの中に、どれほど他人から与えられたものがあるのだろう。
奈々も同じだ。
沙耶から治癒魔力を与えられ、その力と共に生きている。
だが、奈々とカイルは違う。
何が違う。
誰が選んだのか。
何のために与えられたのか。
それとも、与えられた後にどう生きるかが違うのか。
「今は答えを出すな」
椎菜が言う。
「え?」
「分からないことを、分からないまま覚えておけ。急いで出した答えは、見たいものしか見えなくする」
「団長と似たようなこと言いますね」
「一緒にするな」
「そこまで嫌がらなくても」
団長が二人の方を見る。
「聞こえているぞ」
「聞かせています」
「椎菜さん、強いな……」
団長は呆れたように息を吐き、人工魔力核へ視線を戻した。
黒い核は、封印術を施された透明な容器へ収められている。
カイルの身体から取り外されたものではない。
救命処置のため、胸部から切断された一部の外装だけが回収されていた。
それだけでも、周囲の魔力を吸い寄せるように弱く脈打っている。
「この技術を作った者がいる」
団長の声が低くなる。
「そして、一般人を攫い、実験体として帝都へ放った者がいる」
「目的は何でしょうか」
椎菜が尋ねる。
「人工魔力核の試験か。騎士団の戦力調査か。それとも、ただ事件を起こしたかったのか」
「今はまだ分からない」
団長が神一郎を見る。
「ただし、ひとつだけ確かなことがある」
「何ですか」
「これは偶発的な事件ではない」
遠くで救護車両の扉が閉まる。
カイルを乗せた車両が、医療区画へ向けて走り出した。
「誰かが意図的に、騎士ではない者へ力を与えた。そして騎士団の目に触れる場所へ送り込んだ」
「俺たちに見せるために?」
「その可能性もある」
神一郎は周囲を見回す。
崩れた建物。
傷付いた騎士たち。
逃げ惑った住民。
これだけの被害を出してまで、誰かが騎士団へ見せたかったもの。
人工的に作られた騎士。
与えられた力。
「挑戦状、ということですか」
「もしそうなら」
団長は容器の中の黒い欠片を見つめる。
「これは始まりにすぎない」
◇
同じ頃。
帝都から遠く離れた薄暗い部屋で、一人の男が映像を見ていた。
画面に映っているのは、神一郎がツキカゲを振るった瞬間。
人工魔力核とカイルの身体を繋いでいた魔力だけが、白い斬撃によって切断される。
男は映像を止めた。
「藤崎神一郎」
机の上には、複数の資料が並んでいる。
藤崎総一郎。
藤崎沙耶。
黒瀬祈莉。
赤坂奈々。
そして、その一番上に神一郎の写真が置かれていた。
「母親に似たのか。それとも、父親に似たのか」
男は楽しそうに呟く。
背後の暗闇に、もう一人の人影が立っている。
「第一検体は騎士団に回収されました」
「構わない」
「人工魔力核の情報が、騎士団へ渡ります」
「そのために送り込んだ」
人影がわずかに顔を上げる。
「では、試験は成功と?」
「失敗だよ」
男は笑った。
「出力の上昇に肉体が耐えられない。人格の崩壊も早すぎる。あれでは兵器として使い物にならない」
「処分しますか」
「必要ない。もう長くは生きられない」
何の感情もない声だった。
画面には、娘の腕輪を付けたまま運ばれていくカイルの姿が映っている。
男は興味を失ったように映像を閉じた。
「次の検体を準備しろ」
「すでに候補者を確保しています」
「今度は、もう少し若い者がいい。適応率の変化を見たい」
「承知しました」
人影が部屋から出ていく。
扉が閉まる直前、少女のものと思われる細い腕が見えた。
手首には、拘束具が巻かれている。
助けを求める声はしなかった。
声を上げる力さえ、すでに薬で奪われている。
男は別の資料を手に取った。
赤坂奈々。
その身体に定着した、藤崎沙耶の治癒魔力。
人工魔力核とは異なり、十年以上にわたって宿主を生かし続けている奇跡の回路。
「もうすぐだ」
男の指が、奈々の写真をなぞる。
「君がいれば、人造騎士は完成する」
机の隅で、二つ目の人工魔力核が脈打った。
その光に呼応するように、暗闇の中で誰かの瞳が開く。
まだ名を呼ばれていない少女。
次に騎士へ変えられる者。
騎士になることを望んだことなど、一度もない少女だった。
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