第一章 第一話 父と母の昔話
第一章 騎士ではない者
第一話 父と母の昔話
団長の背中を追い、神一郎たちは本部の奥へ進んだ。
騎士たちが行き交う吹き抜けを抜け、青白い光の走る廊下を二度曲がる。辿り着いたのは、団長室よりもずっと狭い部屋だった。
窓はない。
中央に円卓がひとつ。
壁には何の装飾もなく、扉が閉まると外の足音まできれいに消えた。
「ここなら話が漏れることはない」
団長――新谷悠斗が円卓の奥へ腰を下ろす。
椎菜は迷わずその正面を選び、優子が隣へ座った。奈々も続こうとして、ふと足を止める。
「神一郎?」
呼ばれた神一郎は、まだ扉の前に立っていた。
「……いや。何でもない」
そう答えてから椅子を引く。
胸ポケットのツキカゲが、わずかに重くなったような気がした。
母――藤崎沙耶。
父――藤崎総一郎。
どちらも神一郎にとっては、昔話の登場人物ではない。
母はもういない。
父も長い間、家へ帰っていない。
けれど二人が何をしていたのか、神一郎はほとんど知らなかった。
「最初に確認しておく」
団長の声から、いつもの軽さが消える。
「これから話す内容は、騎士団でも限られた者しか知らない。記録の一部は今も封印指定だ。ここで聞いたことを許可なく口外するな」
「はい」
椎菜が最初に答え、優子も姿勢を正す。
奈々は一瞬だけ神一郎を見たあと、小さく頷いた。
「分かりました」
「神一郎、お前もだ」
「……俺も?」
「当事者の息子だからといって、何をしてもいいわけではない」
「分かってます」
少しだけ刺のある返事になった。
団長は咎めなかった。
「藤崎沙耶が騎士団に所属していたことは、すでに知っているな」
「治癒系魔力の高位術者だったことまでは」
椎菜が答える。
「通常記録に残っていたのはそこまでです。死亡直前の任務名、同行者、魔力消費量の詳細は閲覧できませんでした」
「当然だ。あれは、最初から騎士団の正規任務ではなかった」
部屋の空気が止まった。
神一郎は団長を見る。
「どういうことですか」
「言葉どおりだ。沙耶は騎士だった。だが、あの日に彼女が動いた理由は、騎士団からの命令ではない」
「じゃあ、誰の命令で……」
「誰の命令でもない」
団長は静かに言った。
「沙耶は、後方支援でありながら自分の意思で前線に向かった」
奈々の肩が小さく揺れた。
胸元へ手を当てる。その奥には、沙耶から受け継いだ白い魔力がある。
「私を……助けるために?」
「結果としてはそうなった。だが、沙耶が最初から君の存在を知っていたわけではない」
「え……?」
「あの日、人間界で起きていたのは、君が巻き込まれた事故だけではなかった」
団長が円卓へ手を置く。
淡い光が広がり、古い記録映像が空中へ浮かんだ。
夜の研究施設。
崩れた壁。
床を走る赤い警告灯。
映像はひどく乱れ、人物の顔までは分からない。それでも、白衣を着た者たちが何かを運び出そうとしていることは見えた。
「十年以上前、魔力に関する違法研究を行っていた組織があった。目的も規模も不明。構成員の多くは、事件の直後に姿を消している」
「違法研究……」
優子が低く繰り返した。
いつもの明るさはない。中国の施設で育てられた彼女にとって、その言葉は他人事ではなかった。
「総一郎はその組織を追っていた」
神一郎の指が止まる。
「父さんが?」
「ああ。藤崎総一郎は騎士ではない。少なくとも、剣を持って正面から戦う人間ではなかった」
「それくらいは知ってます。父さんは……」
そこまで言って、神一郎は口を閉じた。
父親の仕事。
幼い頃は、海外を飛び回る会社員のようなものだと思っていた。
少し大きくなってからは、アトランテス政府に関わる仕事だとだけ聞かされた。
それ以上を尋ねても、総一郎はいつも笑って誤魔化した。
『知らない方がいいこともある』
あの言葉が嫌いだった。
何も知らない子どもとして、話の外へ置かれるから。
「父さんは何者なんですか」
「諜報員だ」
短い答えだった。
神一郎はすぐに言葉を返せなかった。
「表に出ない事件を調べ、必要なら国境も世界も越える。総一郎はそういう場所で働いていた。沙耶は治癒術者として、何度か彼の任務に協力している」
「夫婦で、ですか?」
奈々の問いに団長が頷く。
「二人が出会ったのも任務の途中だったと聞いている。総一郎は疑うことが仕事で、沙耶は信じることをやめられない人だった。よく衝突していたよ」
「……想像できる気がします」
優子が小さく言う。
「神一郎君のお母さん、たぶん神一郎君より頑固だったんじゃない?」
「俺を基準にしないでくれないか?」
「否定しないんだ」
「今そこ?」
ほんの少しだけ空気が緩む。
だが椎菜は団長から目を逸らさなかった。
「その違法研究組織と、奈々くんの事故にどのような関係が?」
「まだ断定はできない」
「十年前の事件なのに?」
「十年経っても、だ」
団長の言葉は重かった。
「総一郎が掴んだ研究施設のひとつが、人間界にあった。施設が閉鎖される直前、大規模な魔力反応が発生した。魔力兵器の回収任務という体で数多くの騎士が動いた。一般人を巻き込むことを恐れて事前に一般人を非難させた。しかし実際は複数の負傷者が出た。その中のひとりが赤坂奈々だ」
奈々の顔から血の気が引く。
「私の事故は……本当は事故じゃなかったんですか」
「少なくとも、ただの事故ではない」
神一郎の中で何かが冷えていく。
奈々の入院記録が消えていた理由。
母の任務名が空白だった理由。
二つは別々に隠されたのではない。
同じ事件を消すために、まとめて消されたのだ。
「総一郎は施沙耶には入るな伝えていたらしい」
「でも、母さんは行った」
「そうだ」
団長は一度だけ目を伏せた。
「施設内にあった魔力炉が暴走し、周辺の人間へ影響が出たと聞かされたからだ。沙耶は負傷者の治療へ向かった。しかしそこには赤坂奈々しかいなかった」
奈々の胸元から、淡い白い光が滲んだ。
感情で魔力が揺さぶられる。
「奈々」
神一郎が呼ぶ。
「大丈夫。……ううん、大丈夫じゃないけど、聞く」
震えながらも、奈々は目を逸らさなかった。
その言葉に神一郎は何も言えなくなる。
守ることと、何も知らせないことは違う。
奈々はもう、それを黒瀬祈莉との一件で神一郎たちに突きつけた。
「沙耶は奈々くんの傷を治療した」
団長が続ける。
「ただし、通常の治癒術では助けられなかった。魔力を持たない人間の身体が、暴走した魔力に内側から壊されていたからだ」
「それで母さんは、自分の魔力を奈々に定着させた」
「ああ。自分の魔力回路の一部を切り離し、奈々くんの身体へ移した。それによって壊れかけた身体を内側から支えた」
椎菜の目が細くなる。
「魔力回路の移植など、理論上も不可能に近い」
「沙耶は成功させたのだろう」
「代償は?」
団長は答えなかった。
答えなくても分かった。
奈々が唇を噛む。
神一郎は円卓の下で拳を握った。
「母さんの命」
「……そうだ」
静かな肯定だった。
胸の奥で何かが軋む。
もう知っていた事実のはずなのに、知らなかった形で突きつけられると痛みは別のものになる。
母は任務で死んだのではない。
命令に従った結果でもない。
自分で選び、自分の魔力を奈々へ託した。
それを正しいと言い切ることはできない。
神一郎は母に生きていてほしかった。
たとえ誰かを見捨ててでも帰ってきてほしかったと、思わないわけではない。
けれど、奈々に死んでほしかったわけでもない。
「ごめん」
奈々の声が落ちた。
神一郎は顔を上げる。
「それは言わない約束だろ」
「でも……」
「奈々が謝ったら、母さんが間違えたことになる」
「神一郎」
「俺はまだ、母さんの選択を全部受け入れられたわけじゃない」
自分でも驚くほど、言葉は素直に出た。
「今でも生きていてほしかった。でも、だからって奈々にいなくなってほしいとは思わない。そこは別だ」
奈々は泣きそうな顔で神一郎を見る。
やがて、ほんの少しだけ頷いた。
「……うん」
優子が何も言わず、奈々の手へ自分の手を重ねる。
椎菜はそれを見届けてから団長へ視線を戻した。
「総一郎さんは、その後どうしたんですか」
「事件に関わった者の追跡を続けた」
「沙耶さんを失ったあとも?」
「失ったからこそ、だろう」
団長は記録映像を消した。
「組織は壊滅していなかった。研究者も資料も、一部は事件前に持ち出されていた。総一郎はその行方を追い、人間界へ残った」
「それが、父さんが家に帰らなかった理由……」
「理由のひとつだ」
「ひとつ?」
問い返した瞬間、団長は黙った。
その沈黙が答えだった。
まだ話していないことがある。
「団長」
神一郎が低く呼ぶ。
「父さんは今、どこにいるんですか」
「分からない」
「連絡は?」
「最後の定期連絡から、すでに半年以上途絶えている」
神一郎の椅子が音を立てた。
立ち上がりかけた身体を、腹部の痛みが止める。
「っ……」
「神一郎!」
奈々が反射的に腰を浮かせる。
椎菜の声が飛んだ。
「座れ。傷が開くぞ」
「でも、半年って……なんで今まで俺に」
「総一郎本人の希望だ」
「またそれですか」
声が冷たくなる。
「知らない方がいい。巻き込みたくない。全部勝手に決めて、あとからいなくなる。父さんも母さんも、それで――」
言葉が続かなかった。
腹が痛い。
けれど、それよりも胸の奥の方がずっと痛かった。
「神一郎」
奈々の声が近くで聞こえる。
「お前は怒っていい」
団長は静かに言った。
「総一郎にも、沙耶にもな。ただし、今すぐ答えを決める必要はない」
「……ずるい言い方ですね」
「団長だからな」
「そういうところですよ」
神一郎は息を吐き、椅子へ深く座り直した。
父が何を追っていたのか。
母が何を見つけたのか。
なぜ十年前の事件は記録から消されたのか。
何も終わっていない。
黒瀬祈莉を倒し、奈々を守った。
長い夜を越えたつもりでいた。
けれど夜明けの先には、自分が知らなかった父と母の足跡が続いている。
「今日はここまでだ」
団長が立ち上がる。
「奈々と優子は人間界へ戻れ。訓練生としての正式な手続きは、後日こちらから連絡する」
「分かりました」
奈々は立ち上がり、神一郎を見る。
「神一郎は?」
「傷が治るまでは本部で経過観察だ」
「え」
「何か不満か?」
椎菜に見られ、神一郎はすぐに視線を逸らした。
「……ないです」
「嘘をつけ。顔に書いてある」
「椎菜さん、神一郎君のことお願いします」
優子がわざとらしく頭を下げる。
「朝倉さん、俺を何だと思ってるの?」
「“世話の焼ける”怪我人」
「正解だ」
椎菜の即答に、優子が笑う。
奈々も少しだけ笑った。
重かった部屋の空気が、ようやくわずかにほどける。
「また来るから」
奈々が言う。
「学校があるだろ」
「放課後」
「訓練もまだ始まってないだろ」
「顔を見るだけ」
「……分かった、けど一般の騎士、しかも訓練生なんか尚更自由に行き来出来ないからな?専門の騎士がいるくらいだし」
「それを先に言いなさいよ…」
「はいはい」
「はいは一回」
「…はい」
「そういうところ、ほんと神一郎だよね」
「どういうところ?」
奈々は答えず、少しだけ笑った。
その笑顔に、胸の奥の固さがほんの少しだけほどける。
やがて奈々と優子が転移ゲートへ向かい、団長も別の会議のため部屋を出た。
残ったのは神一郎と椎菜だけだった。
「歩けるか?」
「誰に聞いてるんですか」
「重傷者にだ」
「……歩けます」
「なら医療区画へ行くぞ。途中で倒れたら運ぶ」
「それだけは嫌です」
「では倒れるな」
椎菜が扉を開ける。
神一郎も腹部を庇いながら、その後へ続いた。
廊下へ出た瞬間だった。
赤い光が壁を走る。
低い警報音。
行き交っていた騎士たちが一斉に足を止め、空中へ展開された緊急表示を見る。
『帝都南西区にて、高出力魔力反応を確認』
神一郎の表情が変わる。
『現場部隊と交戦中。対象は騎士登録情報に該当なし。繰り返す。対象は騎士登録情報に該当なし』
「未登録の騎士?」
椎菜が端末を開く。
表示された映像には、崩れた道路と数人の負傷した騎士が映っていた。
その中央に、ひとりの男が立っている。
武器を持っている。
全身から魔力を放っている。
だが、その魔力の流れはひどく不自然だった。
身体の中へ無理やり押し込まれた力が、出口を探して暴れている。
神一郎は知らない。
その男が何者なのか。
なぜ魔力を持たないはずの人間が、騎士を倒せるほどの力を得たのか。
ただひとつだけ分かった。
父と母の昔話は、過去だけの話ではなかった。
「神一郎」
椎菜の声が低くなる。
「医療区画へ行け」
「椎菜さんは?」
「現場へ出る」
即答だった。
「待ってください。俺も――」
「その身体で何ができる」
言葉に詰まる。
椎菜は神一郎を見た。
冷静で、厳しくて、それでも神一郎が何を考えているのか分かった上で止めている目だった。
「守ることと、無茶を許すことは違う。お前が今回の任務で学んだことだろう」
「……分かってます」
椎菜はアグニの簪へ手を触れた。
「今度は私を信じろ」
神一郎は拳を握る。
追いかけたい。
戦いたい。
自分の目で確かめたい。
けれど、今の自分が行けば椎菜の足を引っ張る。
それが分からないほど子どもではない。
「……了解」
「いい判断だ」
椎菜が踵を返す。
赤い警報灯の下、その背中が遠ざかっていく。
空中の映像では、男の胸元で黒い何かが脈打っていた。
心臓ではない。
けれど心臓のように、一定の間隔で魔力を送り出している。
それはまだ、誰にも名前を知られていない。
魔力を持たない人間へ、力を与えるための核。
人工魔力核。
騎士ではない者が、騎士を超えるために埋め込まれた禁断の力だった。
―――――




