第98話 吸血鬼姫
赤い月光が、玉座へ落ちていると同時に、大広間はとても静かだった。
広すぎる空間に、俺たちの気配だけが不自然に浮いている。
左右に並ぶ燭台の白い炎は揺れず、壁一面の血色のステンドグラスは月光を受けて床に赤と白の影を落としていた。
その影が、ゆっくりと伸びている。
まるで俺たちの足元まで這い寄り、逃がさないように絡みつこうとしているみたいにも見えた。
玉座の前には白い石の棺があり、蓋は半ば開きかけており、赤黒い薔薇が絡みついている。
棺からこぼれる薄い霧は、床へ落ちる前に月光へ溶けて消えていく。
その奥に、月光の差す玉座に誰かが座っていた。
最初は人形かと思ってしまった。それほどまでに、動きがなかったから。
そこの居たのは十代半ばほどの少女。
淡い金にも、銀白にも見える長い髪が、玉座の背に沿って流れている。
肌は白く、ただ白いのではなく長い時間を月の下に置かれ続けた花のような、血の気配を失ったかのように見える。
着ている服装は黒と赤を基調にしたドレス。
派手ではなく、寧ろ余計な装飾は少なかった。
だが、首元や袖、裾に施された薔薇の刺繍が血のように深い赤で浮かび上がっている。
ただ、普通の少女のようにも見える――美しいと言われるぐらいの。
だが、違う。
少女は玉座に座っているだけで、この大広間の空気すべてを支配していた。
こちらを見ていないのに、もう見られている。
言葉を発していないのに、何かに銘じているかのように。
そんな錯覚を起こさせるほど、彼女の存在は静かで、重い。
――ヴィーシャとは違う。
あいつは熱だった。
牙を剥き、笑い、喜びを隠さず、こちらへ真っ直ぐぶつかってくる嵐のような存在だった。
だが、目の前の少女は違う。
冷たく、静かで、優雅で、眠たげで。
感情を奥底に押し込めたまま、それでも底の方に濁った執着だけが沈んでいる。
赤い月の下で、少女がゆっくりと瞼を上げた。
彼女の瞳は綺麗な深紅の瞳だった。
その目を見た瞬間、背筋に冷たいものが走った。
敵意は薄く、殺気もまだない――だが、それが逆に恐ろしい。
この少女は、俺たちを今すぐ殺そうとしているわけではない。
ただ、必要なら殺す、その程度の温度でこちらを見ているだけだ。
そして、その視線は俺でもルクスでもなかった。
最初から、もうずっとセレネだけを見ていた。
「……また、あなたなのね」
声は低く、静かに。
少女の見た目に反して、妙に大人びた響きを持っている。
けれど、どこか眠たげで、気怠い――長い夢から無理やり起こされた感じの姿で、セレネを見ていた。今でもずっと。
「――月影の巫霊」
セレネの肩が、ほんのわずかに強張る。その反応を見てた。
彼女は少し唇を震わせながら、呟いた。
「……”姫”」
セレネが小さく呼んだ。
その声には、普段の穏やかさが残っている。
だが、完全ではなかった――何かが残るかのような、そんな声のようにも聞こえた。
玉座の少女は、ほんの少しだけ首を傾げた。
「……その呼び方、まだ覚えていたの?」
唇が僅かに動き、少女が笑ったようにも見えた。
だが、(笑)というには冷たすぎる。
「忘れてしまえばよかったのに……あなたは、そういうことが得意でしょう?」
「……忘れたことはありません」
「へぇ、そうなの」
姫は気怠そうに瞼を伏せる。
まるでその返事に興味がないように――けれど、指先だけが玉座の肘掛けを軽く叩いた。
一度、そして二度。
その音が、やけに大広間へ響いた。
「――忘れていないのに、来なかったのね?」
少女の言葉に、セレネは答えない。
その沈黙を見て、姫の深紅の瞳が細くなる。
「ずっと、月の底で待っていたのに」
その声に怒りもなければ、恨みすらも言葉に出す事はなかったが、だからこそ重い”何か”を含んでいる。
静かに、ルクスが半歩前に出る。
ルクスは俺とセレネを守るように広がった。
それに気づいた姫が、初めてルクスを見た。
「狼」
ただ一言。
それだけで、空気が少し沈んだ。
ルクスの尾が静かに膨らむと同時に、明らかに不快感を示していた。
「主に害意を向けるなら、斬ります」
「あなたには話していないわ」
姫はそう返し、すぐに視線をセレネへ戻す。
本当に興味がないのだろう――ルクスという強い存在を前にしても、彼女の優先順位は変わらない。
次に、深紅の瞳が俺へ向いた。
見られた瞬間、胸の奥が少しだけ冷えてしまった。
別に何かを奪われてしまった、と言う事ではない。
ただ、存在の輪郭をなぞられたような感覚。
「あなたが、彼女の主?」
「そうらしいな」
「そう」
吸血鬼姫は薄く瞬きをした。
「月影の巫霊は、また誰かの隣にいるのね」
「不満か?」
「不満……」
少女はその言葉を口の中で転がすように呟き――それから、ほんの少しだけ笑う。
「いいえ。そんな軽いものではないわ」
”軽いものではない”。
その一言で、ここにあるものの重さが分かった。
彼女にとって、セレネと少女との”線”が深く、重く感じるモノなのかもしれない。
しかし、そんな事は俺にはどうでもいい事であり、そして目の前にいる少女は俺にとっては敵――だからこそ、同じだ。
セレネが向き合うべき相手なら、俺も背を向けるわけにはいかない。
「ノア……大丈夫です。まだ、戦うべき時ではありません」
「分かってる」
俺は黒星と白雨を下ろさないまま答える。
それを見ていた姫が静かに目を細くした。
「仲がいいのね?」
淡々とした声だった。
「妬いているのか?」
俺が言うと、ルクスが横で小さく息を呑み、何を言っているんだこの男はと言う顔で俺を見る。
セレネも同じような顔をしながら、俺を見ていた。
え、余計な事を言っただろうかと言う顔をしているかもしれない、今の俺。
姫は、しばらく俺を見て、そしてゆっくりと口元を上げた。
「あなた、嫌いだわ」
「それはどうも」
「でも、今はどうでもいいわね」
彼女は玉座の肘掛けに頬杖をつき、姿勢は気怠げだ――だが、その視線だけは鋭い。
「私が用があるのは、あなたではないもの」
深紅の瞳が、再びセレネを射抜く。
「ねえ、月影の巫霊」
「――なんでしょう、”姫”」
「私、今度こそあなたを逃がさないわ」
次の瞬間、大広間の月光が、赤く濃くなった。玉座の背後にある高窓から差し込む光が、まるで血の幕のように広がる。
そして、床の薔薇紋が脈打ち、棺に絡む赤黒い花がゆっくり開いていく。
それでも姫は、声を荒げない、叫ばない、静かに言葉を落とす。
「――あなたに奪われた”モノ”を、返してもらいに来たの」
その言葉で、大広間の空気が完全に凍った。
セレネは何も言わなかった。
ただ、ゆっくりと、ほんの少しだけ目を伏せた。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




