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異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第03章 月影の吸血姫編

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第95話 セレネの動揺

 扉の隙間から漏れ出した気配は、冷たいのだが、冷たいだけではない。

 肌を刺すような寒気の奥に、血のような生ぬるさが混じっている感覚がしてしまった。

 月光に濡れた刃を、ゆっくり首筋へ押し当てられているような感覚――俺は扉を見たまま、短く息を吐く。

 黒い鉄と赤黒い薔薇で飾られた大扉。

 その向こうに何があるのかは、まだ見えない。

 けれど、そこから漏れてくる魔力の質は、明らかにここまでの回廊とは違っていた。

 薄く漂っていた血の匂いが、少しだけ濃くなる。

 床に刻まれた月の紋様が、淡く赤く脈打った。


「ルクス」

「はい」

「中にいるか?」

「複数の気配があります。ただ……」


 ルクスの声が、珍しく少し曇る。


「先ほど同様に捉えにくい、色々な匂いがして正直気持ち悪い感じです」

「……嫌だな、それ」

「私も嫌ですよ」


 ルクスはそう答えながらも、視線を一瞬だけセレネへ向け、俺もそちらを見る。

 セレネは扉を見ている――いつものように穏やかな表情を保ってはいる。

 だが、明らかにおかしい。

 呼吸が浅い。

 指先が袖の内側で小さく震えており、何より、普段なら真っ先に周囲の魔力を読み取り、危険の種類を整理して伝えるはずの彼女が、何も言わない。

 

 ――ただ、見ている。

 

 扉の向こうから漏れる月血の気配を、まるで目を逸らせないもののように。


「セレネ」


 呼ぶと、彼女はわずかに遅れてこちらを向いた。


「……はい、ノア」


 振り向いて、声をかけたが表情が明らかにおかしい。

 セレネが揺れている、ように見える。

 

「……大丈夫か?」


 俺は一応聞いてみると、彼女はすぐに笑った。

 いつものように、柔らかく、静かに。

 だが、その笑みは薄い氷の上に乗っているように見えた。

 

「……ええ、問題ありません」

「嘘だな」

「……ノア?」

「お前が問題ない時はもっと色々と話をしてくるだろう?今日は全然じゃないか」


 俺の言葉に対し、セレネは言葉を止めた。

 ルクスが何も言わずに周囲を警戒している。

 だが、耳だけはこちらへ向いていた――こいつも気づいているのだろう、セレネが普段とは違うことに。


「遅れてるぞ、セレネ」

「……」

「月の紋様に反応しているし、血の匂いにも……あの変な扉を見てから、呼吸も浅い」

「よく……見ていますね」

「普段、お前に散々見られてるからな」


 俺がそう返すと、セレネは一瞬だけ困ったように笑った。

 けれど、すぐに目を伏せる。


「……申し訳ありません」

「謝れとは言ってない」

「ですが、私は本来、あなたを支える側です。このような場所で、私が揺れていては――」

「支える側だから揺てしまう、なんて決まりはないだろ?」

 

 言うと、セレネの瞳がわずかに見開かれた。

 俺は扉から目を離さず、続ける。


「お前は俺の仲間で、俺の家族で、召喚獣だ……お前は俺の道具じゃない」

「……」

「怖いなら怖いでいい。嫌なら嫌でいい。動けないなら、俺が動くぞ」

 

 自分で言っていて、少し妙な気分になった。

 いつもは逆、俺が無茶をして、セレネが止める。

 俺が傷つき、セレネが癒す。

 俺が人間不信の底へ沈みそうになるたび、彼女は静かに隣へ立ち、沈みすぎないように支えてきた。


 ――だが今は違う。

 

 セレネが今、過去に引きずられそうになっている。

 なら、今度はこちらが支える番なのだろう。


「……ノアは……本当に、ずるい男ですね」

「何がだ?」

「そういうことを、当然のように言うところが、ずるいです」

「それは……当然だろ?」

「ええ、だからずるいのですよノア」

 

 そのように言った後、セレネは少しだけ笑った。

 だが、その笑みにはまだ陰がある。

 次の瞬間、扉の向こうで何かが動いた。

 石の床を爪で撫でるような音、布が擦れるような音、そして遠い場所で誰かが笑ったような、微かな気配。

 ルクスも腰を低く落とした。


「来るか?」

「いいえ」


 今度は、セレネが先に答えた。

 その声はまだ硬いが、少しだけ戻っている。


「誘っていますね」

「誘っている?」

「ええ。この先へ来い、と。逃げるな、と言っている感じがするのです」

「うわ、性格が悪いな」

「…………昔から、そういう子でしたから」

 

 その言葉に、俺はセレネを見る。

 セレネは自分で言ってから、わずかに目を細めた。

 懐かしさもなければ、怒りでもない。

 もっと複雑なものなのかもしれない。

 そして俺は、そのセレネを知らない。

 後悔していたのかもしれない。

 痛みがあるのかもしれない。

 そして、消え残った情があるのかもしれない。


 その全部が、ほんの一瞬だけ彼女の横顔に滲んだ。


「……”姫”、か」

「まだ、あの子本人とは限りません」

「それでも、近いんだろう?」

「……はい、そうですね」

 

 俺の言葉に対し、セレネは頷き、認めた。

 その瞬間、床の月紋がさらに赤く光った。

 回廊の壁に絡む薔薇が、音もなく開いていき、そのまま赤黒い花弁の内側から、血の雫に似た魔力が垂れた。

 地面へ落ちる前にそれは霧になり、薄く広がり、そこから甘い匂いがした。

 

 花の香りに似ている。

 だが、嗅いだ瞬間に喉の奥がざらつく。

 血と香料を混ぜ、長い年月を腐らせずに閉じ込めたような匂いだった。


「主、吸わないでください」

「ああ、分かってる」


 俺は袖で口元を押さえる。

 ルクスが風を起こし、周囲の霧を払った。

 だが、霧は完全には消えず、床を這うように残る。

 セレネが一歩前へ出た。


「セレネ」

「大丈夫です、だって――」


 彼女は俺に視線を向け、静かに笑った。


「――あなたが、そばにいてくれるのでしょう?ご主人様(ノア)


 何処か苦しそうな顔をしながら、彼女は笑っていたのだ。

 白い指先が月光を掬うように動き、淡い光が彼女の手の中に集まり、霧の一部を浄化していく。

 赤黒い霧は白い光に触れると、じゅ、と小さな音を立てて消えた。

 しかし、その瞬間、セレネの肩がわずかに跳ねる。


「……っ」

「セレネ!」

「だ、大丈夫……問題、ありません」

「問題ない奴の反応じゃないぞ!」

 

 俺は彼女の腕を掴んだ。

 冷たい――まるで冷えたような体温だ。

 

「下がれ」

「ですが――」

「命令だ」


 短く言うと、セレネは息を呑んだ。

 彼女は俺を見る――驚きと、少しの迷い。

 それから、ほんのわずかな安堵。


 ――本当に、珍しい顔だ。


「……はい」


 セレネは一歩だけ下がった。

 だが、俺の横に並ぶのではなく、半歩後ろへ。

 その位置が、今の彼女の限界なのだろう。


「ルクス」

「承知」


 俺の言葉を理解したかのように、ルクスが俺の隣へ出る。

 白銀の気配が広がり、血の霧を押し返し、俺は扉へ向けて歩き出した。

 そのまま俺とセレネ、そしてルクスの三人は大扉の前に立つ。

 扉は、触れる前からゆっくりと開き始めた。

 重い音はしない。黒鉄の扉が、まるで来客を迎えるように静かに左右へ割れていく。

 その奥には、さらに長い回廊が続いていた。

 先ほどよりも広く、天井も高い。

 壁には赤い燭台。

 床には月と薔薇の紋様。

 そして、その奥から漂う気配は、先ほどよりも明確だった。

 

 ――ねえ、おいでよ。


 誰かが、そのように呟いた声が聞こえた。

 その声に反応したのは、セレネだ。

 彼女は小さく息を呑み、そして珍しく感情を滲ませた声で、ぽつりと呟く。


「……嫌な子です」


 その言葉には、怒りだけではない。

 痛みと、懐かしさと、どうしようもない後悔が混じっていた。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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