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異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第03章 月影の吸血姫編

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第92話 月が歪む夜

 ――あの日の夜、月影の巫霊は俺の召喚獣になった。


 過去の記憶は、そこで一度途切れる。


 薄暗い宿の一室。

 月光に照らされた白銀の髪。

 涙を流しながら、それでも初めて少しだけ生きようとしていたセレネの顔。

 そして、契約陣が閉じる直前に聞こえた、彼女の静かな声。


 ――はい、我が主……私のご主人様


 あの時の声は、今でもはっきり覚えている。

 セレネはいつも穏やかに笑う。

 俺や乃亜の魂を支えてくれたり、召喚獣たちの中でもっとも静かに、もっとも優しく、そして一番怖い場所に立っている――だからこそ時々忘れそうになる。

 彼女もまた、救われた側だったのだと。

 そして同時に彼女は、救えなかったものを背負い続けているのだと。


「……ご主人様(ノア)?」


 小さな声で呼ばれて、意識が現在へ戻った。

 意識を戻すとそこは祖父母の家の縁側だった。

 夜の空気は冷たく、静かで、月の光が庭へ白く落ちており、隣にはセレネが座っていた。

 長い白銀髪を夜風に揺らし、淡い紫の瞳でこちらを見て、そして静かに笑っている。

 俺はいつの間にか無意識に、彼女の髪へ触れていたらしく、指先に滑るような感触が残っている。


「……悪い。昔のことを思い出していた」

「ふふ。ノアは、時々そういう顔をなさいますね」

「どんな顔だよ」

「少しだけ、遠くを……別の世界を見ている感じに」


 セレネはそう言って、薄く笑った。

 その笑みはいつも通り穏やかだ。

 だが、昨夜から感じているモノはどうやら消えていないらしい。

 過去を思い出したことで少し楽になったのかと思ったが、どうやらそう単純な話ではないらしい。

 寧ろ、輪郭がはっきりしてしまった分だけ、彼女は警戒を強めているように見えた。


「セレネ」

「はい?」

「……もしかして、そろそろ来るのか?」


 それを聞くと、セレネはすぐには答えなかった。

 ただ、庭の向こう――夜空に浮かぶ月を見上げる。


 ――月は白い、そう見えるはずだった。


 だが、よく見ると違う。

 端の方が、ほんのわずかに赤い。

 血が薄く水に溶けたような、目を凝らさなければ分からない程度の赤みだった。

 それを見た瞬間、胸の奥が冷えた。


「……色が変わっているな」

「ええ、そのようです」


 セレネの声は静かだった。

 静かすぎて、逆に緊張が分かる。

 そう、まるで待っていたかのように。


「昨夜よりも、近いですね」

「近い、か」

「はい。月の下を辿って、こちらへ近づいています」


 その言葉と同時に、風が止んだ。

 それまで庭木を揺らしていた夜風が、不自然なほどぴたりと消える。

 葉擦れの音が途切れ、庭が一瞬で絵の中に閉じ込められたようになった。

 虫の声もない。

 さっきまで聞こえていたはずの小さな音が、一つずつ消えていく。

 残ったのは、家の柱がわずかに軋む音と、俺たちの呼吸だけだった。


「――主、セレネ」

「あら、ルクス?どうやら鼻だけはいいようですね?」

「何を言ってる……お前の客だろう、セレネ?」

「……ええ、そうみたいですね」


 縁側の影から、ルクスの声がしたので笑顔で返事を返すセレネに対し、ルクスは嫌そうな顔で彼女の向かって答えた。。

 同時に淡い金の瞳が細くなっていた。


「匂います」

「血か?」

「ええ、血です。ですが、生き物の血ではないようですね……」

「そうか……」


 ルクスがそこまで言ったところで、家の奥から足音が聞こえた。


「……おい、何だ?何かあったのか?」


 そこに現れたのは眠そうな顔をしている智明だった。

 寝間着に上着を羽織っただけの姿で、廊下の奥からこちらへ向かってきた。

 そして、嫌そうな顔をしながら俺たちに目を向けている。

 

「おい……なんか、急に変だぞ。外の音が消えた」

「気づいたのか?」

「気づくわ、こんなの」


 そのまま、智明は縁側まで来て、庭に視線を向ける。

 そして、すぐに顔をしかめる。


「……月、赤くないか?」

「少しな」

「おい!少しで済ませるなよ!」


 智明は俺たちに向かって叫ぶと、その声に反応したのか、さらに奥の部屋から襖が開く音がした。

 理央がまず顔を出し、続いて透花と澪も現れる。

 三人とも眠っていたはずだが、表情は硬い。


「何かあったのか?」


 理央が声をかける。だが、どうやら警戒している顔をしていた。

 俺は、静かに笑いながら答える事しか出来ない。


「……まだ分からない」

「わからないのか?」

「ああ、俺も予想外の事が起きている感じ、だからな……」


 静かに笑いながら答える俺に対し、理央は庭と空を見比べる。

 透花は縁側の近くで立ち止まり、両手を胸の前で握っており――顔色が少し悪い。


「……怖い……なんか、寒気を感じるのだけど……乃亜くんは感じないの?」

「そうだな……何度も体験しているから慣れた感じだ」


 透花の言葉に、俺はそのように返事をする事しか出来ない。

 前の世界ではよく経験した事なので、気にしていなかったのだが――普通なら気にする事なのかもしれない。

 ふと、花宮は窓の外をじっと見ていた。


「……音、吸われてるみたいだね」

「吸われてる?」

「うん。静かなだけじゃなくて、周りの音がどこかに持っていかれてる感じ」


 その言い方に、セレネがわずかに目を細めた。


「鋭いですね」

「え、褒められてる?」

「ええ。今の表現は、近いですよ」


 花宮は冗談を返そうとして、途中でやめた。

 それほど、今の空気には軽口が馴染まなかった。


 その時、廊下の奥から祖父が姿を見せた。

 祖母はまだ奥にいるらしい。

 祖父は寝起きとは思えないほど静かな顔で、縁側まで歩いてくる。


「……庭の空気が変わったな」

「分かるのか?」


 智明が言うと、祖父は短く頷いた。


「長くここに住んでいるからな…・…風が止まっただけなら分かる。だが、これは違う」


 そのまま、祖父は庭の土を見た。

 その目が、すぐに細くなる。


「地面の下だ」

「……」


 俺も視線を落とす。

 言われて、初めてはっきり分かった。

 庭の土の下、もっと深い場所で、何かが脈打っている。


 ――どくん。


 音でなければ、振動でもない。

 だが、確かに感じる――大地の奥に心臓のようなものが一つ埋まっていて、それがゆっくり目覚めようとしているような感覚だった。


「もしかして……いや、まさか、ダンジョンか?」


 智明が驚いた顔をしながら答える。


「ですが、普通ではありませんね」


 答えたのはセレネだった。

 その顔は、もう完全に張りつめている。

 普段の穏やかさを保ってはいるが、指先がわずかに握られていた。


「確かにダンジョンが発生したのかもしれないです……しかし、、これは自然発生ではない」

「じゃあ何だ」

「……どうやら、わたしのせいかもしれないですね」


 セレネの声が落ち、そして俺に目を向ける。

 まるで、あの時のような顔を見せているかのように。


「――場所を。時間を。そして、私を……そう、”姫”が私に手を伸ばしているのでしょう」


 その言葉に、全員の視線がセレネへ向いた。

 俺は彼女を見る。

 月影の巫霊(セレネ)――嘗て、血に堕ちた”姫”を封じた女。

 そして今、月の下から何かが彼女を探している。


「セレネ」

「はい」

「相手は、その”姫”って奴か?」

「正直、まだ断定はできません……ですが、限りなく近いと、思います」


 セレネは再度、庭の方に視線を向けた瞬間、庭の向こうで闇が濃くなる。

 月光の赤みが、ほんの少し強くなり、白かった庭石が、薄い血色を帯びる。

 草の影が伸び、まるで何かが、空間の奥でこちらを見ているような感覚があった。

 ルクスが一歩前へ出る。


「主、下がってください」

「断る」

「でしょうね、そういうと思ってました」

「分かってるなら言うな」


 短いやり取りをしながら、俺は縁側から庭へ降りた。

 身体はまだ本調子ではない。

 バハムート召喚の反動も完全には抜けていないが、ここで寝ていられる状況ではないことくらい分かる。


「乃亜」


 祖父が呼んだ。

 俺は視線を向ける。


「何が起きるんだ?」

「まだ分かりません」

「危険か?」

「多分、かなり危険だと思います」

「そうか」


 祖父はそれだけ聞いて、すぐに智明へ目を向けた。


「母さんを起こして起こして避難をする……智明たちも行動を開始しなさい」

「ああ、わかった」


 祖父の言葉に、智明は苦い顔で頷いた。

 理解は追いついていない――だが、動くべきだという判断はできている。

 そのまま、理央が俺たちの所に行こうと靴を履こうとするが、俺は声をかける。


「理央、お前たちは避難するんだ」

「ならお前も――」

「だめだ……これは、彼女の戦いだから……彼女の傍にいるのが、主の役目だ」


 睨みつけるように、理央に向けて答える。

 一瞬、身体が反応したのだが、理央は周りを見回した後、透花と花宮に声をかける。


「透花、花宮、お前たちも避難するぞ!」

「わかった!ほら、透花も!」

「え、でも……乃亜くん!」


 透花が何かを言おうと俺に視線を向けるが、俺はそのまま背を向けたまま視線をセレネたちに戻す。

 どんどんと、庭が形を成していくかのように。

 俺はポケットから携帯を取り出した。


「……圏外。さっきまで普通に入っていたんだがな……」


 俺は庭の奥を睨む。

 これは事故でも何でもない。

 異常が起きて、たまたま祖父母宅の近くに発生したわけではない。


 ――選んでいるんだ。


 セレネ、そして、おそらく俺たちを。

 その時だった。

 遠くで、何かが裂ける音がした。

 硝子を爪で引っかいたような、薄く、冷たい音。

 けれど耳ではなく、骨の奥に響くような音だった。


 ――息を止める。


 庭の向こうにある、林のさらに先――月光の赤が、そこだけ濃く滲んでいた。

 セレネが静かに立ち上がる。


「……来ました」


 その声は穏やかだった。

 だが、俺には分かった。

 彼女は今、過去を見ている。

 そしてその世界が今度はこの世界の夜に、裂け目を開こうとしていた。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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