第83話 透花の願い
理央との会話を終えた数時間後、縁側は、昼の光をやわらかく受け止めていた。
庭の草は風に揺れ、遠くで鳥の声がする。
家の中のざわめきから少し離れたこの場所は、不思議と落ち着く空気があった。
俺は柱にもたれかかるようにして座り、ぼんやりと庭を見ていた。
正直のところ、まだ身体は本調子じゃないため、だるさは抜けきらず、無理に動けばすぐに反動が来る。
だから、こうして何もせずにいる時間が増える。
目を閉じて、のんびりするのも良いなと考えていたその時だった。
「……乃亜くん」
小さな声がした。
振り向くと、透花が少し距離を取った位置に立っている。
手には布巾――どうやら台所の手伝いをしていたのだろうか?
「――何だ?」
俺は短く返答した。
透花は少しだけ迷ったあと、縁側の端に腰を下ろした。
完全に隣ではないのだが、離れすぎてもいない距離だった。
その中途半端さが、今の関係をよく表していた。
「その、えっと……少しだけ、いい?」
「好きにしろ」
そう言うと、透花は小さく頷いた。
少しの沈黙――風が吹く音だけが、間を埋める。
「……あの、ね、乃亜くんって、呼んでも大丈夫?」
「ああ、本来の名前も”ノア”だからな」
「そうなんだ……あの、じゃあ、ノアくん、私ね、まだちょっと……怖いんだ」
「怖い?」
「あ、ううん、けど、逃げたいとかじゃなくて、知らないモノがそこにあるって感じで、それを見て、どうしたらいいのかわからないって言うか……」
「……」
「――でも、あなたは私たちを助けてくれた事は、本当の事だから」
ダンジョンでヴィーシャとの戦いの中で、俺は透花たちに視線が向かないように、牙を出さないようにしながら戦った。
結局は最後の方で倒れてしまって支えられてしまったのだ。
拳を強く握りしめながら答える透花に対し、俺は静かに言う。
「だが、それは朝にも聞いた」
「……それだけじゃない。気になるのは……乃亜くんの事、沈んでるって意味……本当に、乃亜くんは元に戻るの?」
「ああ、必ず……俺がそうさせる」
「……信じて、良い?」
「ああ」
「だけど……絶対じゃないんだよね?」
その言葉に対し、俺は何も言えなかった。
確かに、絶対ではない――そもそもどのように助ける事が出来るのか、俺でもわからない。
しかし、それでも俺は乃亜にこの身体を返さなければならない。
何が何でも。
言葉が出なかった俺に対し、それに気づいた透花が慌てるようにしながら声をかける。
「あ、ご、ごめんなさい!変な事言って……」
「いや……だが、確かに絶対ではないな」
「……そっか」
「だが、可能性はないわけじゃない……俺は必ず、乃亜を戻す」
――俺自身が、どうなろうとも。
既に俺は処刑された身だ。
だからこそ、俺がどうなろうと構わない。
ただ、これは乃亜にも、そして召喚獣たちにも言えない言葉だ。
「わたしも、理央くんたちと同じ……気づいていたのに、気づかないふりをした。自分が怖くて……見てみるフリをしていた」
「……」
「私も、同罪なんだ……乃亜くんを追い詰めたのも、私」
「透花、乃亜は――」
「――今度は、ちゃんと見て、手を伸ばして、助けたい」
透花はそのように言った後、顔を上げる。
その目は、弱いままじゃなかった。
「乃亜くんも、ノアくんも」
少しだけ、言い慣れていない名前を口にする。
だが、はっきりと。
「どっちも、困っていたら、絶対に助ける……私が出来る範囲で」
それが、透花が出した答えなのだろう。
俺は静かに見つめた後、呟いた。
「……そうか」
それ以上、何も言う事はないので、短く返す。
その時――膝の上に、軽い重みが落ちる。
「にゃぁ」
「……お前か」
黒い塊、ふわりとした毛並みと、妙に賢そうな金の目――ミュールだった。
いつの間に現れたのか、気配がなかった。
当然のように俺の膝に乗り、くるりと丸くなる。
「ねえノア、ぼくをよばないなんてひどくない?」
猫の姿のまま、頭の中に直接声が響く。
「呼んでないのに来ただろうが」
「よばれなくてもくるよ?ノアのちかくはぼくのばしょだし」
相変わらず、変わらないミュールだ。
透花はその様子を見て、きょとんとする。
ミュールが、ゆっくりと顔を上げた。
金の瞳が、透花をまっすぐに見る。
「――ぼく、まだゆるしてないからね」
「……え」
「きみたちのこと」
透花の表情が固まる。
「ノアをなかせたにんげんたち、きらいなんだ……ぼくはちゃんとおぼえてる」
その言葉には、温度がなかった。
ただ事実として、淡々と。
「ゆめのなかでこわしてあげてもいいかなっておもってたし」
「ミュール!」
俺が短く制する。
ミュールは一瞬だけこちらを見て、すぐに笑った。
「わかってる、やらないよ……ノアがいやがるからね」
それが全てだと言わんばかりに。
透花は息を呑んだまま、ミュールを見ている。
怖いはずだ――それでも、目を逸らさない。
「……でも」
透花が、小さく口を開く。
「それでも、ここにいていいの?」
「え?」
「私たち」
微かに、震えている。
だが、言葉ははっきりしている。
例え、敵意を向けられたとしても、透花は真っすぐとミュールを見ていた。
「嫌われてても」
「……」
「それでも、そばにいていいの?」
ミュールは少しだけ目を細めた。
観察するように、静かに見つめた後、再度欠伸をしながら答えた。
「ふみゃぁ~……へんなの……ふつう、こわがってにげるでしょ?」
「逃げないよ」
透花は拳を握り、真っ直ぐと見た。
「今度は、見て見ぬフリはしないって決めたんだ」
その言葉に、ミュールの尾がぴたりと止まる。
静かだが、確かな声だった。
ミュールはしばらく何も言わなかった。
ただ、じっと透花を見ている。
「……ほんとうに?」
「うん、本当」
ミュールの言葉に、透花は頷いた。
そのやり取りを、俺は黙って見ていた。
ミュールはやがて、ふっと息を吐くように力を抜いた。
「……まあ、いいや」
「ミュール?」
「ノアがいいっていうなら、ぼくもがまんする」
完全に許したわけではない、だが、拒絶もしない。
その中間にミュールは立っている。
しかし、それでも最後の言葉は忘れない。
「でも、おぼえているからね……きみたちが、のあになにかしたのか」
「……うん」
ミュールは最後に釘をさし、それに対し透花は逃げずに頷いた。
黒猫はそれ以上は何も言わず、再び俺の膝の上で丸くなった。
まるで何もなかったかのように。
風が吹く、さっきと同じ感じに。
しかし、少しだけ空気が変わっていた。
透花は静かに庭を見つめる。
その横顔は、まだ不安も迷いも残している。
(……今度こそ)
それでも、心の中ではっきりと繰り返す。
(見て見ぬふりはしない)
その決意だけは、揺れていなかった。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




