第81話 朝食の空気
「――はい、できたわよ」
祖母の声と同時に、居間の空気が少しだけ動いた。
さっきまで話していた内容を思えば、あまりにも場違いな一言だ。
異世界だの、魂だの、召喚獣だの――そんな話の直後に出てくる言葉ではなく、まるで日常がもどったかのように。
祖母は気にする事なく笑顔で言った。
「まずは食べましょう!」
祖母はそう言って、迷いなく食卓へ皿を並べていく。
湯気の立つ味噌汁。焼き魚。小鉢に入った煮物。卵焼き。
白い湯気と一緒に、柔らかい匂いが部屋に広がる。
ほんの少し前まで張りつめていた空気が、強引に“生活”へ引き戻される。
「ほら、座って座って」
「……はい」
透花が少し戸惑いながらも返事をする。
理央も無言で席についた。澪は一瞬だけ俺の方を見てから、軽く肩をすくめて座る。
智明は慣れた様子で腰を下ろしながら言った。
「母さん、相変わらず容赦ねえな」
「え、何が?」
「この流れで普通に飯出すところが」
「普通に生活するのが一番大事でしょ?」
「まあ、そうだけどな……お、俺の好物も入れてくれたのか?」
「好きでしょ?ネギ入れた卵焼き」
フフっと笑いながら、智明と会話をし、そして気にした様子もなく、最後の皿を置いた。
「はい、いただきましょう」
誰かが号令をかけたわけでもないのに、自然と手が揃う。
「いただきます」
声は揃っていないが、そのばらつきが妙に現実的に感じた。
俺は箸を取る。
視界の端では、理央たちがまだどこかぎこちない動きで同じように箸を持っている。
昨日までと違う、そんな雰囲気だからなのかもしれない。
それでも、腹は減るんだ。
俺も、実は少しだけ空腹状態だ。
入院中はあまり食べる事も出来なかったし、乃亜の身体なのだから何か食べなきゃいけないとは思っていたのだが、あまり食べる事が出来なかったのでうれしい。
昨日の夕食も美味しかったが、朝食はどうだろうか?
俺は最初に味噌汁に口をつけた。
――ああ。
思わず、少しだけ息が抜ける。
温かい――塩気がやわらかくて、出汁がきちんと効いていて、身体の奥にゆっくり染みていく。
智明の家でも食事は出ていた。あれはあれで問題はなかったのだが――これは違う。
――美味しい。
いつも感じた事のない、美味しさだった。
久城家に居た時よりも、温かみがある食べ物――味の濃さではなく、作る側の手のかかり方が違う。
焼き魚を少し崩して口に運ぶ――これも同じだ。派手さはないが、妙に落ち着く味がする。
「……どう?」
祖母がこちらを見ていた。
「あ、えっと、問題ないです」
「まぁ、そうじゃなくて、美味しい?」
祖母のその言葉を聞いて一瞬だけ言葉に詰まってしまった。
しかし、ちゃんと感謝を言わなければならない。
少し頬を赤く染めながら、俺は答えた。
「…………美味しい」
「そう。よかった」
それだけで満足したように、祖母は自分の食事へ戻った。
理央たちはというと――食べてはいるのだが、どこかぎこちない。
箸は動いている。料理も減っている。
けれど、味わっているような顔はしていなかった。
頭の中がまだ整理しきれていないのだろう。
対し、三人は話を続けていた。
「普通に、美味しい」
「そうだよね、めっちゃおいしい!」
「うん……美味しいよね……」
理央、花宮、透花の三人はそのように答えつつも、笑っている姿はぎごちない。
ふと、疑問に思って呟いた。
「…………ねぇ、花宮さん、理央くん……乃亜くんの事、なんだけど」
「「……」」
透花の言葉に、二人は何も言わない。
ただ、わかっていたのかもしれない。
――乃亜の魂が沈んでしまったと言う”意味”を。
それから、透花と理央、花宮の三人は小声で話しながら食事をとっている。
俺は何も言わず、ただ目の前の食事を食べていた。
祖父も同様、そんなやり取りしている姿を黙って見ていた。
何も言わない――ただ、全員の様子を静かに見ている。
観察しているのか、考えているのか、その両方なのか。
俺はもう一度味噌汁に口をつける。
身体の奥に残っていた違和感が、少しずつほどけていく気がした。
完全に回復しているわけではないのだが、こういう“普通”の光景は、何処か落ち着く。
ふと、視線の端に白い気配が揺れた。
(……セレネ?)
完全には姿を出していないが、柱の影に薄く立っている。
その目は、やはり外を見ており、また何かを気にしているかのように。
だけど、彼女は何も言わない――多分、朝食の空気を壊す必要はないと判断しているのだろう。
ルクスも同じように気配を潜めている。
こちらは完全に沈黙しているが、警戒は解いていない。
ふと、食卓の上では、会話が少しずつ増えていく。
大した内容ではない。
料理の話。道中の話。祖母の昔話に近い何か。
――だが、それでいいんだ。
正直、あの話をして、落ち着いている自分自身がいる。
そして、そのズレが逆にこの場を現実へ引き戻している。
数十分後、食事が終わった。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
透花、そして花宮も続く。
理央は小さく頭を下げた。
食器の音が重なり、朝の時間が一段落する。
そのタイミングで――
「く……いいや、乃亜」
理央が声をかけてきたので、思わず顔をあげる。
「悪い……少し話せるか」
まっすぐな目を、していた。
その目を見て、俺は一瞬だけ考えてから、答える。
「ああ、構わない」
俺は理央の言葉に、静かに頷いたのだった。
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