第79話 ルクスとセレネ
証明はできる――そう口にしたあと、居間の空気はさらに静かになった。
そのままミュールが膝の上に乗ったのを角印した後、俺はゆっくりと目を閉じる。
俺は目を閉じる。
深く呼吸を整えるほどの必要はない。
今呼ぶのはバハムートのような大出力ではないし、身体の負荷も比較にならない。だが、それでも今の俺はまだ本調子ではない。乃亜の身体の内側には鈍い重さが残っていて、無理に魔力を巡らせればすぐ分かる程度には不安定だった。
それでも、これくらいなら問題ない。
「来い」
短く呼ぶと同時に床へ淡い光が滲んだ。
居間の空気がわずかに変わり、祖母が息を呑み、花宮が目を見開くのが気配で分かった。
最初に現れたのは、白銀だった。
薄く揺れる光の中から、人の形が輪郭を持ち始めた。
肩口までの銀髪。淡い金の瞳。長身で、鋭く、感情をほとんど表へ出さない青年姿だった。
白銀狼王――ルクス。
完全顕現に近い形で現れたルクスは、足元の光が消えるより早く一歩だけ前へ出た。
その動きに迷いはなく、現れた瞬間からこの場の全員を冷たく見ていた――空気が一段張る。
理央たちは、そんな彼の姿を息を呑むほど見つめており、同時に寒気を覚えていたのかもしれない。
青ざめた顔をしながら、ルクスを見ている。
一方、ルクスは俺の斜め後ろへ立った。
誰の横でもなく、まるで当然みたいに俺の近くへ位置を取ったのである――おい、もしかして嫉妬しているのか?と感じながら。
ルクスのその立ち方そのものが、何より分かりやすい証明だった。
「……これが、俺の召喚獣の一体であるルクスです」
花宮が小さく、けれどはっきりと息を吸う。
「……やっぱり、配信のあの召喚士って久城君だったんだね」
花宮はそのように呟きながら、俺たちに言った。
しかし、俺はその件については何も言わなかった。
ルクスはそんな三人を一瞥し、それから祖父母へ視線を移した。
露骨な敵意は出していない――だが、信用の欠片もない目だ。
まるで主のそばにいる人間を“確認している”目をしていた。
そして、もう一つ。
柔らかな月の気配が、部屋の中へ静かに広がる。
今度の顕現は、ルクスとは違って音も圧も薄い。
淡い光が空気に溶けるように集まり、その中心に白い衣の女性が姿を結ぶ。
長い白銀髪、淡い紫を宿した瞳、そして足元に薄く散る月光の粒――セレネだった。
彼女は現れた瞬間、まず俺を見る。
そのまま小さく一礼し、それから静かに全体を見渡した。
ルクスが鋭い刃なら、セレネは静かな夜そのものに近い。
けれど、その穏やかさに油断できないことは、召喚獣たちを知る俺が一番よく分かっていた。
祖母がはっきりと目を見開く。
「……本当に」
祖母の言葉がそこまでしか続かない。
祖父も、さすがに今度は完全に現実として受け止めた顔をしていた。
少し驚きは抑えているが、理解しようとする速度が目に見えて増している。
召喚したルクス、そしてセレネの姿を見て、智明はため息を吐きながらルクスたちに視線を向ける。
「今さらだが、毎回見ても妙な気分になるな」
「……慣れていないだけです。俺は主以外、どうでも良い」
「あらあら、相変わらずですね、ルクス」
「ノア、具合は大丈夫ですか?」
「ああ、大丈夫だ……だからその顔やめてくれ、セレネ。まだ怒っているのか?」
「ええ、怒っていますよ?」
「そもそもどうしてガルドとルクスなのです。私も召喚してくれなければ意味がないでしょう?セレネ、泣いてしまいますよ?」
「…………白々しいな」
「何かおっしゃいましたか? ルクス?」
「いでででっ!」
笑顔のまま足を踏みつけているセレネの姿を、俺は見つめることしかできない。
ルクスはどんなことがあってもセレネには勝てない。昔からそうだ。
だが、その小さなやり取りのおかげで、張りつめていた空気がほんの少しだけ緩んだのも事実だった。
そしてセレネは、何事もなかったように足をどけると、改めて理央たちと祖父母の方へ向き直った。
白い衣の裾を静かに整え、月光の粒をまとったまま、穏やかに一礼する。
「申し遅れました」
セレネは柔らかく微笑んだ。
「わたくしはセレネ。月影の巫霊、セレネと言います……主――ノアに仕える召喚獣の一体です」
その声は穏やかで、よく通った。
だが、ただ優しいだけではない、不思議と背筋を伸ばさせる響きが聞こえた。
そんな彼女の姿を周りの人間たちは静かに見つめている。
「驚かせてしまったでしょうが、どうかご安心ください……少なくとも、今この場で皆さまへ危害を加えるつもりはありません」
「“少なくとも今この場では”って言い方、ちょっと怖いんだけど」
「花宮」
理央がすぐにたしなめる。
花宮も少しやばいと思ったのか、口を塞ぐ。
「ふふ」
しかし、セレネは口元へ薄く笑みを乗せたまま、澪へ視線を向ける。
「率直な方なのですね」
「え、あ、どうも……?」
「褒めているのかどうか分かんねえ返しだな」
「あら、叔父様はそのように考えていたのですね、フフ」
「なんだろう、乃亜、急に寒気がしたんだが……」
「……今のセレネは怒ってるから、ある意味刺激するなよ」
セレネはそれには答えず、今度は祖父母へ向かってもう一度だけ丁寧に頭を下げた。
「突然このような形でお目にかかることになり、失礼いたしました」
「……礼儀正しいのね」
祖母が少し戸惑いながら言う。
「……そう見えるだけだ」
ルクスが低く呟いてしまう。
「ルクス?」
「いや、なんでもない」
即座に口を閉ざしたルクスへ、セレネがまた笑顔を向ける。
その笑顔の意味を知っている身としては、あまり長く続けない方がいい。
俺は小さく息を吐いた。
セレネは普段、穏やかで柔らかい――だが、その穏やかさの奥にあるものを知らない人間にとっては、今の姿はひどく安心できるものに見えるのだろう。
実際、透花の肩からは少しだけ力が抜けていた。
祖母も、さっきまでよりはわずかに表情を和らげている。
理央だけは、まだ簡単には飲み込まない顔だったが、それでも露骨な敵意までは向けていない。
俺は静かに息を吐いた後、彼らに目を向けた。
「これで、証明が出来ただろうか?」
「……ああ、そうだな」
祖父が静かに呟き、そして納得してくれた。
そしてそのままが次の問いを投げる。
「――では」
その一言で、部屋の全員がまた少しだけ息を詰めた。
「これからどうするつもりなんだ?」
それは確認ではなく、次の段階へ進むための問いだったのかもしれない。
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