第72話 王虎の戦姫はもう一度牙を研ぐ【ヴィーシャ視点】
裂け目の向こうへ引き戻される感覚は、嫌いだ。
身体の輪郭がばらばらにほどけて、世界の境目に爪を立てても意味がないまま、無理やり“こちら側”へ戻される。
転移とも違うす、移動というより、世界そのものに吐き出される感じに近い。
――あたしは、それが気に入らない。
けれど今回は、それすら少し機嫌がよかった。
膝をついた先は、見慣れた地だった。
乾いた赤土に割れた岩肌、遠くに黒く尖る山の稜線。
夜の風は熱を含んでいて、鼻の奥に鉄と獣の匂いが残る。
ああ、帰ってきたなと思う。
その瞬間になっても、まだ胸の奥が熱かった。
――ノアに会った。大好きで、殺したい男に。
姿は違うし、身体も違う――匂いも混ざっていた。
でも、中身は間違いなくあいつだった。
立ち方も、あの冷えた目も、人間を守ると言う顔をしていたあの姿も、全部変わっていなかった。
嬉しくて仕方がない。
「……は」
喉の奥から笑いが漏れる。
同時に、血の味がした。
ルクスの牙と、ガルドの盾と、ノアの弾と、最後に出てきたあの竜――どれもちゃんと痛かった。
――最高だ。
生きていた。
また会えた。
しかも、今度は違う世界でだ。
「――姉貴」
ふと、後ろから声がした。
聞き慣れた声だったので振り返ると、夜の赤土の上に一人の男が立っていた。
ヴィーシャの双子の弟――ガルシア。
同じ王虎族で、同じ金の瞳。
同じく褐色の肌に、獣じみたしなやかさを持つ。
けれどこっちは姉と違って、熱を外へ撒き散らすタイプじゃない。
動きも、笑い方も、気配の殺し方も静かに感じさせるほど。
長い髪を後ろで結い、夜の中へ自然に溶け込むみたいに立っている。
その静けさの奥に、姉と同じ種類の狂気が沈んでいることを知っているのは、多分ほんの一握りだろう。
「ずいぶん楽しそうだな……それに、えらく派手に裂けて帰ってきたじゃないか」
「――うるせえな、ちょっといいもん見たんだよ」
「……まさか、ノアか?」
名前を出された瞬間、尾が機嫌よく揺れた。
それだけで答えになったんだろう。
ガルシアは細い目を少しだけ細める。
「やっぱり生きていたのか?」
「ああ、いたよ……ちゃんと生きて、立ってた。別の意味で生きていたけどな」
「……そうか」
ただ、それだけの返事だった。
でも、双子だから分かる――今のこいつも、内側ではひどく機嫌がいい。
ガルシアは姉と違って、そういう時ほど静かになる。
「どんな感じだった?」
「まぁ、一言でいうと、最高だったな」
「なんだよそれ、雑だなぁ……」
静かに呟くガルシアに対し、あたしは笑う。
「身体は違ったんだが、それでもノアだった。あの目も、あの気配も、あの嫌な戦い方も、全部そうだった」
「嫌な戦い方、ね」
「フフ、褒めてんだよ」
「姉貴の褒め言葉は、だいたい殺意と同義だからね」
「間違ってないだろ?」
「ああ、間違ってない」
そこでようやく、ガルシアの口元にも薄い笑みが乗る。
こいつの事はわかっている――ノアがどういう男か。
戦場で何度も見てきた。
殺したいほど強くて、切り裂きたいほど優しくて、守るものがある時ほど美しく壊れそうになる――あの厄介な男を。
姉弟そろって、あれに狂わされた。
あたしは王虎族として、強いものを求めた。
ガルシアも同じだ。
けれど、こいつの場合はもう少し静かに深い――噛みつくより先に、じっと喉元を見続ける獣みたいな執着をする。
……だから厄介なんだよな、こいつは。
「ノアは……姉貴を見て、どんな顔をしてた?」
その問いに、思い出した瞬間また笑ってしまう。
「最悪って顔」
「うん、ノアだ。変わらないな」
「ああ、すげえ良かった」
「それはそれで、見たかったな」
金の瞳が、静かに細くなる。
そこでようやく、こいつの内側にも確かな熱があるのが見えた。
「姉貴、僕も会いたい。ちゃんと自分の手で殺したいと思ってたから」
「だろうな……」
「処刑されたって聞いた時は、少し残念だったよ」
「少しか?」
「姉さんほど派手には暴れてないだけ」
「派手に暴れてないって……確かに暴れてないが、お前はノアを処刑した王族たちを最大まで苦しめて命を奪ったじゃないか」
「あれは…………ちょっと、イラついていたから」
そう言って笑いながら、そっぽを向く。
ノアが処刑されたと聞いた瞬間、一番殺意を抱いていたのは他でもない、目の前の双子の弟だ。
だからこそ、厄介で、タチの悪い。あたしよりも。
「――で、姉貴」
突如、ガルシアが近づいてくる。
「本当に、あっちへ行けるんだね」
「ああ、条件があれば行ける……はずだ」
「安定は?」
「まだ甘い……今回は途中で切られた」
「でも、道はあるんだな?」
「ああ」
その事実が何より大きい。
世界が違っても、裂け目は繋がる。
ノアはあっちにいる――なら、行く理由は十分にある。
ガルシアは夜空を見上げる。
星は赤く濁っていて、この世界の夜は昔から少しだけ獣の血に似ている。
「姉貴」
「何だよ?」
「次は、僕も行くからね」
「やだね」
「はぁ、独り占めする気か?」
「当然じゃん。ノアはあたしの”宿敵”だぞ?」
「そんなのずるいぞ!僕だってノアの”宿敵”なのにさ!」
そう言うガルシアの声音は穏やかなのに、目だけが笑っていない。
「ノアは姉さんだけのものじゃない」
「お前のでもないぞ?」
「そんなのわかってる」
そのように言った後、ガルシアは静かに笑う。
「だから奪うんだよ」
その言い方に、胸の奥が愉快にざわついた。
ああ、やっぱり双子だ――考えることが根本で同じすぎる。
ノアは殺したい相手で、認めている相手だ。
手に入れたい敵で、恋人みたいに狂わせてくるくせに、決して思い通りにならない。
――だから欲しい。
――だから壊したい。
――だから最後まで、自分の全部をぶつけてやりたい。
「次は逃がさねえ」
「うん、そうだな」
あたしの言葉にガルシアが頷く。
「今度はちゃんと、最後まで」
その言い方は静かに聞こえる。
でも、あたしには分かる――こいつも本気で言っている。
もし次に裂け目が開くなら。
もし次にあの世界へ手が届くなら、きっとその時は、もっとひどいことになるだろう。
あたしは牙を見せて笑った。
「――待ってろよ、ノア」
赤い夜風が吹く。
どこか遠くで、獣の咆哮が一つだけ響いた。
王虎はもう一度、牙を研ぐ。
今度こそ、逃がさないために。
第2部「王虎の戦姫編」完
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




