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【第3部6月から開始】異世界で処刑された召喚士、冷遇された少年に宿りました~最強の召喚獣たちとダンジョン配信で成り上がり、奪われた人生を取り戻す~  作者: 桜塚あお華
第02章 王虎の戦姫編

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第70話 夢の中の黒猫


 不思議だ――眠ったはずなのに、最初に感じたのは落ちていく感覚じゃなかった。

 柔らかいものに沈むような、妙にぬるい静けさを感じる。

 目を開けると、そこはいつもの夢の底より少しだけ輪郭の曖昧な場所だった。

 暗いのに、足元は夜の水面みたいに揺れていて、そして空気には微かな甘さが混じっている。

 この匂いには覚えがあった。


「……ミュール、お前か?」


 呼ぶより先に、足元へ小さな黒い影がすり寄ってくる。

 そこに居たのは黒猫――ふわふわした毛並みのわりに、目だけ妙に賢そうで何を考えているのか分からない顔をしている。

 ミュールは俺の足へ身体を押しつけるとそのままくるりと一周して、当然みたいな動きで膝の上へ飛び乗ってきた。


「んふふ、ばれた」


 猫の口で笑ったみたいな声がする。


「ノア、ねてるから、ちょっとだけおじゃま」

「ちょっと、の距離じゃないな」

「だめ?」

「そもそももう乗ってるだろう?」


 そう返すと、ミュールは満足そうに目を細めた。

 こういうところが、こいつは本当に遠慮がない。

 だが、追い払う気にもなれなかった。

 夢の中のミュールは、妙に体温がある。

 猫姿のまま喉を鳴らしながら、俺の腕に頬を押しつけてくる。

 その甘え方は露骨なのに、目の奥ではちゃんと別のことを見ているのが分かる。


「それで、何かあるんだろ?」


 俺はミュールの背を撫でながら言った。


「うん、あるよ」


 返事は早かった。

 ミュールは俺の膝の上で丸くなりかけて、それから思い出したみたいに顔を上げる。


「そと、ちょっとへん」

「外?」

「うん。にんげんのほう。びょういんも、がっこうも、そのまわりも」


 声は甘いのだが、言っている言葉は甘くないなと感じながら、ため息を吐く。

 ミュールは話を続ける。

 

「へんって、どういう意味だ?」

「みんな、しずかにしてるのに、ぜんぜんしずかじゃない」


 いつもの言い回しだ。

 曖昧で、だが感覚としては分かる。


「かくしてる?」

「うん。かくしてる。こわがってる。しらべてる。あと、こっそりのぞいてるのもいるよ」

「学校側か?」

「うーん、それだけじゃないかも」


 ミュールの尾が、俺の腕へ巻きつくみたいに揺れる。


「ダンジョンのへんだったとこ、まだちゃんとおわってない。においがのこってる」

「……そうか」


 予想はしていた。

 ヴィーシャが現れた時点で、あれを“ただの実習中の事故”として処理できるはずがない。

 予測だが、学校側は隠すだろう。

 だが、隠しきれるとも思えない。


 裂け目に異常な魔物。そして、ヴィーシャが出てきた隠しエリア。

 もう一つ、異世界側の強者がこちらへ現界した痕跡。

 どこまで掴まれているかは分からない。

 だが、何かが残っているのは間違いない。

 ミュールは俺の膝の上でくるりと向きを変えると、今度は腹を見せるみたいに寝転がった。

 さぁ撫でろ!撫でてくれ!と言わんばかりの態度だったので、黙って喉元を指先で掻く。

 すると、目を細めながらぽつりと言った。


「ノア、さいきん、べつのいみでむりしすぎてない?」


 その言葉を聞いて、少しだけ手が止まる。


「別の意味、か?」

「うん。たたかいだけじゃなくて」


 ミュールの声は柔らかい。


「がまんとか、かんがえることとか、にんげんとか」


 そのように言われて、少しだけ再度、息を吐く。

 戦うことそのものは、慣れている。

 無茶をするのも、今さらだ。

 だが、最近の疲労はそれだけじゃない。


 乃亜の身体のこと。

 魂のこと。

 学校側のこと。

 理央たち三人のこと。

 最終的には元の世界との裂け目。

 考えることが増えすぎている。

 しかも、そのどれもが一つ間違えば乃亜を削る。


「……そうかもしれないな」


 正直にそう言うと、ミュールが俺を見上げた。


「やっぱり」

「得意げだな?」

「だって、わかるもん。ノアのにおい、さいきんずっとちがう」

「どんなふうに」

「ねむいのに、ねむれてない、そんなにおい」


 それは、自分でも少し分かっていた。

 眠っていても休めていない。

 夢の底にいる間すら、頭のどこかで現実の方を切り離せていない。


「ミュール」

「なあに?」

「お前、外を見てきたのか」

「すこしだけ」

「どこまで」

「それは、ひみつ」

「言え」

「やだ」


 フフっと笑いながら答える。

 だが、耳が少しだけ揺れている。

 こいつなりに、もう少し言うか迷っている時の癖だ。


「……にんげんのゆめ、いくつか……がっこうのひととか、へんなふうにおびえてるひととか」

「余計なことはするなと言ったはずだ」

「こわさないよ、”まだ”」

「まだ?」

「ノアがだめっていうから、ゆめのはじっこをみただけ」


 言い方が嫌すぎる。

 だが、“まだ”だけで止めているあたり、こいつなりに自制はしているのだろう。


「ヴィーシャのことも、少し見えた……あれ、やだね」

「それは、同感だ」

「ノアのこと、すごくすきそうだった」

「出来れば……好き、で片づけたくない」

「でも、そんなにちがわないでしょ」

「最悪な意味でな……」


 ヴィーシャは嬉しそうだった。

 再会を喜び――そのくせ、本気で殺しにきていた。

 あいつの中では、その二つは何も矛盾しない。

 それが一番厄介だ。


「まさか、あいつが現れるとは思ってなかった」


 口にした瞬間、その言葉の重さが夢の中でもはっきり分かった。


 ヴィーシャは元の世界では宿敵だ。

 裂け目の向こうに存在している可能性は考えたことがあっても、こんな早さで、こんな形で、こっちへ干渉してくるとは思っていなかった。

 そしてもう一つ――彼女の弟がもっと厄介だ。


(……別の意味でも会いたくない)


 そんな事を考えると、ミュールが俺の手へ、顔を擦り付けてくる。


「ねえ、ノア……ダンジョンと、まえのせかい、つながってるのかな?」


 その問いに、すぐには答えなかった。

 考えないようにしていたわけじゃない。

 むしろずっと頭の隅にはあった。


 ――この世界のダンジョン、偶然で、繋がれて、そして出来過ぎているかのように。


「関係はある、と思う……少なくとも、ヴィーシャが出てきたことで、ありすぎだなぁと思ってしまった」

「やっぱり」

「あの裂け目は、召喚と少しだけ似ていた。」


 ミュールの耳がぴくりと動く。

 対し、俺は話を続ける。


「ただし、俺が開く契約の道とは違う。もっと歪で、無理やりで、偶発的だ」

「でも、つながる」

「ああ」

「やだねえ」


 ミュールは俺の膝の上で小さく丸くなった。


「ノアのいたせかいが、こっちまでくるの」

「俺も歓迎はしないな」

「ノア、またもってかれちゃうかも」

「流石に持っていかれないだろう」

「ほんと?」

「持っていかれたら、お前らがうるさいだろ?」

「うん、うるさいよ」


 少しだけ口元が緩み、そのように答えた。

 ミュールはそれを見て満足そうに目を細める。

 こいつはこういう小さな変化を拾うのが上手い。


「でも、ノア」

「何だ」

「ほんとに、むりしすぎたら、ねむりごとさらうよ」

「脅しか」

「しんぱい」


 そう言って、ミュールは俺の指へ自分の小さな前足を重ねた。


「ノアのねむり、ぼくのものだもん」


 相変わらず、言ってることは大概だ。

 だが、その声音は思ったより真面目だった。

 俺はミュールの頭をもう一度撫でる。

 柔らかい毛並みが指先に沈む。


「分かってる」

「ほんとに?」

「少しな」

「すこしじゃだめ」

「注文が多いな……流石猫」

「ノアにはいっぱいあるよ」


 甘えるみたいに言ってから、ミュールは小さく喉を鳴らした。

 夢の中の静けさが、少しだけ柔らかくなる。

 だが外ではまだ、いろいろなものが動いている。

 学校も、病院も、ダンジョンの異常も、たぶん終わっていない。


 そして、ヴィーシャが現れた以上、異世界とこの世界の繋がりも、もう見ないフリはできない。


 乃亜を戻す道は、思っていたよりずっと危険だ。

 だが、だからといって止まる気もなかった。


「ミュール」

「ん」

「もう少し、外を見ておけ」

「いいの?」

「ただし余計なことはするなよ?」

「ゆめをちょっとかじるくらいなら?」

「駄目だ」

「けち!」


 文句を言いながらも、ミュールは楽しそうだった。

 結局、こいつはこうして役目をもらうのが好きなのだろう。

 黒猫の身体が、俺の膝の上でゆっくりと溶けるみたいに薄れていく。

 夢の終わりが近いらしい。


「ノア」


 最後に、ミュールが小さく呼ぶ。


「つぎは、ちゃんとねてね、」


 その言葉だけを残して、黒い影は夜の水面へ溶けた。

 残された静けさの中で、俺は少しだけ目を閉じる。


 ――たしかに、無理はしている、戦い以外の意味でも。


 だが今は、まだ止まれない。


 ダンジョンと異世界の関係。

 ヴィーシャが来た理由。

 そして、乃亜を戻すための道。

 考えるべきことは山ほどあった。

 それでも、夢の中で撫でた黒猫の柔らかさだけは、妙に長く手に残った感じがした。

読んでいただきまして、本当にありがとうございます。

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