第69話 親権を取る【篠宮智明視点】
病院を出てから、そのまままっすぐ家へ戻る気にはなれなかった。
必要な荷物を取りに行くにしても、頭の中が少し散らかりすぎている。
乃亜の顔色と、病室の匂い。そして瑠亜の青ざめた顔と、姉貴と義兄さんのどこかずれた反応。
考え出すと、ろくでもない方向へばかり転がりそうだった。
だから、とりあえず少し座れる場所へ入ることにした。
病院から何駅か離れたところにある、二十四時間営業のファミレス。
夜の中途半端な時間帯で、客はまばらだった。
店へ入って案内された席に座る。
水を置かれて、ようやく一度だけ深く息を吐いた。
(俺、多分、いや、間違いなく疲れているなぁ……)
いや、疲れているで済む話でもないかもしれないなーと思いながらメニューに目を落としたところで、不意に足音が止まった。
「……智明?」
声がしたので、顔を上げる。
そこに立っていたのは、本条美玲だった。
黒髪を後ろでまとめた、細身の女性。
きっちりしたスーツ姿のままなのに、妙に立ち方が軽い。
目つきは鋭いが、こちらを見る時だけ少し柔らかくなる。
ダンジョン関連の調査会社に勤めている、俺の恋人だった。
「何してんの、こんな時間に」
「それはこっちの台詞だぞ、お前は?」
「仕事帰り。アンタは?」
「……病院帰り」
「……は?」
その一言で、美玲の顔つきが変わった。
「誰が?」
「乃亜が病院に運ばれてな……」
「乃亜くんが?」
向かいの席へ座るより先に聞いてくる。
ああ、こいつもそういうタイプだ。
必要なところは遠慮なく詰めてくる。
元々美玲には乃亜の件や家族の事などは伝えていた。
乃亜の体の中に別の人物が入っていて、それが異世界から来た人間だと言う事は伏せているが。
「座れよ」
「まぁ、座るけど」
美玲は鞄を脇に置いて腰を下ろす。
店員が水を置きに来るまで黙っていたが、その間もこっちの顔を見ている。
かなり悪い顔をしているのだろう、今の俺は。
「で」
店員が離れたあと、美玲が言う。
「何があったの?」
俺は短く事情を話した。
学校のダンジョン実習と乃亜の班が一時戻ってこなかったこと。
帰還したあと、乃亜が血を吐いて倒れたこと。
今は点滴を受けて病院で眠っていること。
話しているうちに、美玲の顔はどんどん険しくなっていく。
「ちょっと待って……班が戻ってこなかった、ってどのくらい?」
「詳しい時間はまだ聞いてない」
「でも学校側が騒ぐ程度には見失ったんでしょ?」
「そうらしいな」
「最悪じゃない」
美玲はぴしゃりと言い切る。
感想としては、まったく同感だった。
「しかも血を吐いて倒れた?」
「ああ」
「……それ、実習の範囲超えてるわよ」
美玲は腕を組み、少しだけ視線を落とす――何か考えている顔だ。
「どうした?」
「いや」
そこで一度だけ周囲を見てから、少し声を落とす。
「こっちも少し情報が回ってきてるの、実は」
「何の?」
「今日の実習ダンジョン」
その返しに、思わず顔を上げた。
美玲はダンジョン関係の会社にいる。
現場調査、異常反応の分析、企業向け安全管理――表向きはそういう仕事だが、実際には学校や自治体より少し早く異変の話が流れてくることもあるらしい。
「何が出ているのか?」
「まだ断片的だけど、実習ダンジョンで異常な地形変動があったって話は聞いたわ」
「地形変動……」
「それも、ただの崩落とかじゃなくて、隠しエリアの発動を疑ってる」
「隠しエリア……」
その単語を聞いた瞬間、病院での乃亜の顔が頭に浮かぶ。
隠しエリアーーそんな言葉で済むのか、あれが。
「四班はその影響で閉じ込められた可能性が高い、って……まだ学校側も表に出してないけど、内部じゃかなり混乱してるはず」
「だろうな」
「ダンジョン実習で隠しエリアなんて、普通ならあり得ないもの」
「普通なら、な」
思わずそう返すと、美玲がじっとこっちを見る。
「……アンタ、何か知ってる顔してる」
「知ってるわけじゃないが……うん、知らない」
「ちょっと、本当に何か隠してるの!?」
「……」
それに対しては何も言えない。
多分、ノアが大丈夫だったら話しても良いが――こいつは変に踏み込むべきじゃない線も分かっている。
だから今は、それ以上追及してこなかった。
代わりに、美玲は水を一口飲んでから言う。
「で、病院には家族いたの?」
「ああ、いたな」
「どうだった?」
「いつも通りだ」
「最悪って意味で?」
「そういう意味で、だ」
美玲がため息をつく。
「乃亜くんの親、ほんとブレないわね」
「嬉しくない意味でな……」
「で、アンタ今、何考えてんの」
その問いには、少し間を置いた。
考えてることは多い――学校のこと。病院のこと。乃亜の身体のこと。ノアのこと。
でも、芯にあるものはひとつだった。
「乃亜を、あの家に任せる気はない」
「……」
「可能なら俺が引き取りたい」
言葉にすると、逆にすっとした。
やはり、もうそのつもりなのだ。
美玲は驚かず、少しだけ目を細めただけだ。
「やっぱり、そこまで行っちゃったか」
「まぁな」
「親権まで考えてる?」
「それを聞こうと思ってた……」
俺はテーブルに肘をつき、額を押さえ、ため息を吐く
「親権って、どうやったらもらえるんだ?」
「ずいぶん直球ね、それ……そしてそれを私に聞く?」
「回りくどいこと言ってる場合じゃないぞ」
「まあ、そうだけどねぇ……」
美玲は苦笑する。
静かに笑いながら、話を続けた。
「未成年を引き取るなら、基本は親権者の同意か、かなり重い事情が必要ね」
「重い事情なら山ほどある」
「証明が必要なのよ、そういうのは」
「面倒だな」
「すごく、面倒よ……ただ」
そこで少しだけ表情を緩める。
「アンタが本気でやるなら、手段は探せるわ」
「……」
「学校側の実習事故、家庭環境、本人の意思。使える材料がゼロじゃない」
本人の意思。
乃亜――いや、今の状態ならノアも含めてか。
あいつがどこまで表で話す気があるかはまだ分からない。
だが少なくとも、久城家へ戻りたがっていないのは明白だ。
「姉貴は絶対面倒を起こすな」
「でしょうね」
「義兄さんも、たぶん体裁を優先する」
「まぁ、そうね」
「でも、もう任せられないんだよ、マジで」
「うん」
そこで美玲は、少しだけ椅子にもたれた。
「じゃあ、アンタの好きにやったらいい」
「……いいのかよ、それで?」
「いいも何も、止めたところでやる顔してるし……でしょ?」
「そうか……」
「それに、私は会った事はないし、話を聞いただけだけど、乃亜くんがあの家でまともだったことなんて、多分一回もないんでしょ」
「……ああ」
「だったら、今さら綺麗事言って元の場所へ返す方が無責任よ」
美玲のその言い方が、妙にありがたいと感じてしまった。
少なくとも“やりすぎだ”とは言われなかったから、安心する。
「アンタの好きにやったらいい」
美玲はもう一度言う。
笑いながら答える美玲の姿に、俺は何処か安心した。
そしてそのまま、真顔になり、話を続ける。
「資料いるなら集めるわ。それと、今日のダンジョン異変の件も、表に出ない範囲で拾えるだけ拾う」
「助かるよ」
「貸し一つよ?」
「高くつきそうだな」
「恋人料金でまけといてあげるわ」
そのように言いながら笑う美玲に対し、ようやく少しだけいつもの調子に戻る。
その軽さに救われる時もある。
俺は水を一口飲んで、長く息を吐いた。
――乃亜は、あの家に任せられない。
そのために動く、ただそれだけだ。
美玲がメニューを閉じながら言った。
「で、とりあえず何食べる?」
「は?」
「何も食べてないでしょ?」
「ああ」
「だったら食べなさい」
そう言われて初めて、まともに何も腹へ入れていないことに気づいた。
まあ、そういうことなら、少し食ってから動くか。
まだできる準備の時間はまだいくらでもあるのだから。
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