第64話 また来るぞ
ヴィーシャの最後の一撃は、まともに受ければ骨ごと持っていかれる重さだった。
衝突の瞬間――肺の中の空気が全部押し出される。
防壁術式を重ね、踏ん張り、なお足元の床が砕ける。
背中にまで衝撃が抜けて、視界が一瞬だけ白く飛んだ。
「っ……!」
だが、倒れない。
倒れてはいけないんだ。
倒れてしまったら、終わってしまう。
後ろにいる三人へ、目を向けられてしまう。
歯を食いしばって押し返すと、ヴィーシャは目の前で笑った。
近い。吐息がかかるほど近い位置でヴィーシャは嬉しそうに、心底楽しそうに笑っていた。
「――いい顔だ」
金の瞳が、まっすぐ俺を映す。
「そうやって、最後まで立ってるお前が好きだぜ」
その輪郭が、そこでわずかに揺らいだ。
肩口から先がノイズみたいにぶれ、裂け目の向こう側の光が透ける――接続限界だ。
リゼットの警告がもう聞こえるまでもなかった。
ヴィーシャ自身の存在が、この世界へ留まりきれなくなっている。
それでもあいつは、最後まで俺から目を逸らさなかった。
「……時間だな」
「ああ……そうみたいだな」
悔しがる顔でもなく、負けを認めている顔もしていない。
今回は終わりだと言うのを、受け入れている顔――同時にまるで楽しみがなくなってしまったかのような顔をしていた。
ヴィーシャの身体が、少しずつ裂け目の方へ引かれ始める。
尾が揺れ、金髪が後ろへ流れ、褐色の肌の輪郭が不安定に滲む。
それでも、足を止めたまま、最後の最後までこっちを見る。
「次は逃がさねえ」
笑ったまま、ヴィーシャが言う。
「今度はちゃんと殺し合おうぜ、ノア」
「嫌だ」
「ハハ!嫌がるなよ!」
あっさり返すと、ヴィーシャはいっそう嬉しそうに目を細めた。
「そのちっせえ身体でも、お前はお前……それが分かっただけで今日は十分だな」
その言葉を聞いて、三人は驚いた。
同時に、目の前に居る”久城乃亜”が知っている人物ではないと言う事。
そして、別人だと言う事だ。
その全部が一つに重なったのかもしれない。
ふと、ヴィーシャがふいに一歩踏み込んだ。
警戒より先に、輪郭の揺らぎが強くなる。
もう長くは留まれない――それでも、あいつは最後の最後まで自分のやりたいことを優先する。
「なに――」
言い切る前に、ヴィーシャが俺の目の前に立った。
近い。今度こそ、本当にすぐ目の前だ。
金の瞳が細められる。
その中にあるのは歓喜で、執着で、獣じみた独占欲みたいなものだった。
「これは先約だ」
意味の分からないことを言って、ヴィーシャは笑う。
そして次の瞬間、軽く触れるだけの口づけを落とした。
「……っ!」
何をされたか理解した時には、もう遅かった。
ヴィーシャは満足そうに笑う。
最悪だ――まさかそのような事をされるとは思わなかった。
「また来る」
その一言だけを残して、王虎の戦姫の身体は裂け目へ引かれるように崩れていく。
「次は、ちゃんと最後まであたしの相手しろよ、ノアーーじゃあな、我が”宿敵”」
金の尾が最後に揺れ、褐色の輪郭が光の粒へほどける。
それでも最後まで、その瞳だけは俺を見ていた。
やがて裂け目が音もなく収縮し、黒い亀裂はゆっくりと閉じる。
空間を走っていたノイズも、揺らぎも、少しずつ消えていった。
――静寂が落ちていく。
さっきまでの戦闘が嘘みたいに、広間は急に静かになった。
壊れた床、裂けた壁、散った血の匂いだけが、ここで何が起きていたかを示している。
俺は静かに、息を何度も吐いた。
息が荒い。
身体の芯が焼けるみたいに痛む。
バハムートの負荷と、最後の一撃を受けた反動がまとめて返ってきていた。
それでも倒れてはいけない――今はまだ。
ふと、理央が最初に、掠れた声を漏らす。
「……何だよ、今の」
その問いに俺は答えない。
透花は唇を震わせたまま、じっと俺を見る。
怖いのに、その目の奥には別の感情も混じっている。
戸惑い、衝撃、そして、昔知っていたはずの乃亜とはまるで違う何かを見たという理解。
花宮は端末を抱き締めたまま、小さく息を呑んだ。
「久城くん……」
言いかけて、止まる。
それ以上、手を伸ばす事が出来なかった。
(……ダンジョンで前の世界につながった、のか?もしかして、繋がっているのか?)
ヴィーシャが来たことで、もうはっきりした。
この世界のダンジョンは、俺が居た世界と繋がっているのではないか?
召喚獣だけじゃない。俺の世界側の強者も、条件次第ではこちらへ来られるのかのかもしれない。
それはつまり、乃亜を戻す道が俺の想像よりずっと危険だということだ。
ダンジョンの深層にあるかもしれない核。
そこへ至る前に、こういう裂け目や、こういう異物がいくらでも挟まる可能性がある。
甘く見ていたわけではない。
だが、想定はまだ足りなかった。
俺は静かに息を吐いたと同時に、後ろに居る三人にどのように説明すればいいだろうかと考えるしかなかった。
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