第06話 家族を捨てる日
翌日の夕方、俺はまた食卓の前に立たされていた。
呼び出したのは乃亜の父親だ。
低い声で突然言われた。
「降りてこい」
「……?」
そのように言われたので行ってみれば、家族全員が揃っている。
昨日までと同じ、見慣れた裁きの場だった。
テーブルの上には、壊れた小さな置物が置かれている。
陶器製の、安っぽい飾り物だ。
もともと大した価値があるようにも見えない。
だが問題はそこじゃないらしい。
瑠亜が目を赤くして座っていた。
泣いた直後を装う、ひどく整った顔だ。
「兄さん……どうしてあんなことしたの?」
震えた声でそう言い、俺を見る。
母がすぐに瑠亜の肩を抱いた。
「もういいの、瑠亜。この子に何を言っても……」
「――説明しろ」
「何を?」
「瑠亜の部屋の棚が壊されていた。置物も割れていた。さらに、こんなものまで送っている」
父が端末の画面をこちらへ向けた。
そこには、乃亜の名前で送られた短い文章が表示されていた。
【お前なんか消えればいい】
うわ、雑だな、と思った。
今までの乃亜なら、こういう露骨なやり方でも押し通せたのだろう。
姉が居心地悪そうに視線を逸らす。
母は困り果てたような顔をしている。
父は怒りと失望を混ぜた目で俺を見る。
誰も、俺に確認する前から結論を決めていた。
「何とか言ったらどうだ?」
父の声は冷たかった。
多分、これまでの乃亜ならここで必死に弁明したのだろう。
違う、自分じゃない、信じてほしいと。
そして信じてもらえず、最後には謝らされる。
何度も繰り返された流れが、家族の中で完成している。
――だが今日は違う。
俺は黙って壊れた置物を一瞥し、それから父を見た。
「説明しても、聞くつもりはないんだろう?」
一瞬、空気が止まった。
父の眉がぴくりと動く。
母が戸惑ったように俺を見る。
姉は目を見開き、瑠亜だけが泣き顔の奥でわずかに目を細めた。
「何だ、その言い方は」
低く押し殺した父の声。
だが俺は逸らさない。
「事実を言っただけだ」
まっすぐ、父を睨み返す。
自分でも分かるほど目に力が入っていた。
異世界で、王族や貴族どもに向けた時と同じ目だ。
言い逃れも、見苦しい正義面も、全部叩き割ってやると決めた時の目。
「あなたは最初から俺がやったと決めている。違うと言っても聞かない。証拠を出しても言い訳だと切る。そうやって今までずっと、乃亜を【問題児】にしてきた」
「乃亜!」
母が強い声を上げる。
だが俺は父から視線を外さなかった。
「あなたが見ているのは息子じゃななくて、体裁だ」
父の顔色が変わる。
怒鳴り返そうとしたのだろう。
だがその前に、俺はさらに踏み込んだ。
「瑠亜は外聞のいい息子で、乃亜は出来の悪い息子。そう決めておけば楽なんでしょう?家の中に分かりやすい失敗作が一人いれば、比べるたびに安心できる。自分はちゃんとした父親だって、そう思い込めるから」
「黙れ!」
食卓が大きく鳴った。
父が拳を叩きつけたのだ。
その音に、母が肩を揺らす。
姉もびくりとした。
けれど俺は動かなかった。
むしろ一歩も引かず、父を見据えたまま言う。
「図星か?」
「――っ」
その一瞬だけだった。
父の目が、ほんのわずかに揺れた。
怒りじゃない。
怯みだ。
今までの乃亜なら、ここで目を逸らした。
黙った。
謝った。
だが俺は違う。
睨みつけたまま、父が一瞬だけ息を詰まらせたのを、俺は見逃さなかった。
「大声を出せば黙ると思ってるのか?」
「貴様……!」
「そうやって威圧して、考えることをやめてきただけだろう」
父の口元が引きつる。
もう以前のように出来の悪い息子を叱る父親の顔ではいられなくなっていた。
俺はそのまま母へ視線を向けた。
「あなたも同じだ」
「……え」
「優しいフリをして、何もしない。庇わない。聞かない。見ない。困ったように笑って切り捨てる。それは優しさじゃなくて、放棄だ」
「そんな言い方……! 私はずっと、あなたたち二人のためを思って……」
「思っていたなら、乃亜の話を一度くらい聞いたはずだ」
俺の言葉に母が息を呑む。
何か言い返そうとして、言葉にならない。
「あなたはいつもそうだ。直接手は汚さない。責める時も、【困ってるのよ】【心配してるのよ】って顔をして切り捨てる」
母の顔から血の気が引いていく。
「一番残酷なくせに、自分だけは優しいつもりでいる」
「やめて……」
「悪いが、やめないぞ?」
ぴしゃりと言い切ってから、俺は姉へ顔を向けた。
姉の詩織は明らかに動揺していた。
視線が定まらない。呼吸も浅い。
「姉さんも同じだ」
「わ、私は……違……」
「違わない。見ないことを中立とは言わないさ」
詩織の喉がひくりと動いた。
「自分は関わっていない、自分はどちらの味方でもない。そう思ってたんだろ」
「……だって、私が何か言っても」
「言い訳するな」
「ひっ……」
「助けを求めてるのを見て見ぬふりした時点で同じ側だ」
「……私は、そんなつもりじゃ……」
「つもりじゃなくても、結果は同じだ」
詩織の目にうっすら涙が滲む。
だが、それで許す気にはなれなかった。
「乃亜がどんな目で見てたか、一度でもちゃんと見たのか」
「……っ」
「見てないだろ。見たら、自分が楽でいられなくなるから」
詩織は何も言い返せなかった。
唇を噛んで俯くことしかできない。
最後に、俺は瑠亜を見た。
あいつはまだ泣いた顔をしていた。
だがその奥の目だけは、もう涙の色をしていない。
「……兄さん、どうしちゃったの?」
甘く、柔らかい声。
だがその実、探るための声だ。
「お前が一番の元凶だな」
言葉を切ると、瑠亜の微笑みがほんの少しだけ固まった。
「兄が必要なんじゃない。見下せる相手が必要なだけだ」
「え……」
「自分より下がそばにいないと落ち着かない。自分だけが可愛がられて、自分だけが正しくて、自分だけが守られていないと気が済まない」
「何言ってるの……」
「違うか?」
瑠亜の笑みが薄くなる。
「乃亜が反論しないのをいいことに、泣いて、装って、空気を作ってきたのはお前だろう」
数秒の沈黙をしたあと、やがて瑠亜が、小さく笑った。
家族の前で見せる無垢な笑顔じゃない。
冷えた、妙に静かな笑みだった。
「……兄さん、ほんとに変だね」
背筋にぞわりとしたものが走る。
だが、もう止まらなかった。
「変わったんじゃない?」
俺は瑠亜から、家族全員へ視線を巡らせた。
「……九条乃亜は諦めたんだ。お前たちの【愛】を得ることをな」
その言葉に、母がはっとした顔をする。
父も、姉も、瑠亜でさえ一瞬だけ表情を失った。
俺はそのまま、家族全員を睨みつけた。
「お前たちに信じてもらうことを。家族として見てもらうことを。求めることを、もうとっくに諦めたんだよ」
声は驚くほど静かだった。
怒鳴るより、ずっと深く刺さる静けさだった。
「だから今さら責めるな。勝手に切り捨てておいて、都合のいい時だけ家族会議なんて形を取るな」
「乃亜……!」
母が泣きそうな声を上げる。
だが俺は冷たく言い切った。
「今さらそんな顔をするな」
そして父へ、もう一度視線を戻す。
「一番先に見捨てたのはあんただよ、父さん」
父の喉が詰まる。
言い返したいのに、俺の目を真正面から受けきれない。
ほんの一瞬、視線を逸らしかける。
それだけで十分だった。
もう遅い――その言葉は口に出さなかったが、たぶん十分伝わった。
父は怒りで顔を強張らせ、母は青ざめ、姉は俯き、瑠亜だけがじっと俺を見ていた。
あの目は、困惑でも怒りでもない。観察だ。
今までの兄とは違う何かを、値踏みするような不気味さがあった。
その夜、俺は最低限の荷物だけをまとめた。
乃亜の私物。
学生証。
スマホ。
それだけで十分だった。
この家から持ち出したいものなど他にはない。
部屋を出る前、窓際に寄りかかっていたルクスがこちらを見る。
「本当に出るのですか」
「ああ」
「戻る場所は?」
「とりあえず、乃亜の記憶では母親の弟……叔父さんが確か理解者だったはずだ。可能ならそこに居候させてもらおうと思う」
「なるほど……」
「それに、いらないさ……お前たちがいれば」
ルクスの目が、わずかに細められる。
それだけで十分だった。
俺はもう、久城家に未練はなかった。
あそこは家じゃない。
乃亜が諦め、俺が見限った場所にすぎない。
音を立てないよう玄関の扉を開け、夜の外気の中へ出る。
俺は乃亜の為に家族を捨てる――どんな理由があろうとも。
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