第54話 乃亜は誰を守るのか
通路の奥から近づいてくる足音は、さっきまでの魔物とは明らかに違っていた。
一歩ごとに重い。
ただ巨体なだけじゃない。
周囲の空気ごと押しのけるような圧があるのが分かる。
広くもない通路の向こうで、何か大きなものがこちらを値踏みするように近づいてきていた。
「理央、前……」
「ああ、分かってる」
「透花、花宮は下がれ。壁から離れすぎるな」
三人とも、もう反論しなかった。
理央は武器を構えたまま前へ出る。
けれど、さっきまでみたいな勢い任せではない。
透花は青い顔のまま呼吸を整え、花宮は端末を胸元へ抱えながら必死に足を止めていた。
暗がりの向こうで、二つの光が開く。
目だ。
低い唸り声と共に姿を現したのは、甲殻と獣骨が無理やり混ざったような異形だった。
脚は六本、だが動きは蜘蛛というより獣に近く、前面に突き出た顎の奥には鉤のような牙が何重にも並んでいる。
背からは棘状の魔力結晶が生え、動くたびに床へ不快な音を立てた。
中級どころじゃない。
少なくとも、さっきの二体より一段階上だ。
「なんだよ、あれ……」
「理央、正面から受けるなよ」
「あ、ああ……」
「そんでもって左の柱へ寄れ。真正面を切るな」
「え、お前は!?」
「中央を見る」
魔物が一気に距離を詰める。
速い。図体の割に速すぎる。
「下がれ!」
叫ぶと同時に、理央が横へ跳んだ。
前肢の一撃が柱を砕き、石片が散る。
広間に激しい破砕音が響き、花宮が思わず身を竦めた。
「花宮、ライトだ!目じゃない、足元!」
「え、あ、うん!」
端末の光が床を走る。
その照り返しで、魔物の腹下にわずかな魔力の揺れが見えた――そこだ。
俺は急いで術式を走らせる。
床下へ潜るように魔力を送り、前脚の接地だけを一瞬遅らせ、だが完全に止めるには足りない。
しかし、理央へ呼吸ひとつ分の隙を渡すには十分だ。
「理央、下!」
理央が半歩潜り込む。
横薙ぎの一撃が魔物の腹を掠め、硬質な手応えの音が返る。
浅い――だが、効いていないわけじゃない。
魔物が怒りに似た唸りを漏らした瞬間、背の棘が発光した。
嫌な予感が走る。
「全員伏せろ!」
理央は間に合った。
透花も咄嗟にしゃがむ。
だが花宮が、一瞬遅れた。
棘から放たれた魔力の針が、扇状に広がる。
花宮は端末を抱えたまま固まり、回避の初動が止まっていた。
考えるより先に身体が動く。
花宮の肩を掴み、無理やり地面へ引き倒す。
同時に自分の身体をその上へ被せるようにずらすと同時、背中を焼くような衝撃がはしった。
「っ……!」
息が詰まる。
完全には食らっていない。
だが数本、掠めてしまった。
制服の布が裂け、皮膚に熱が走る。
「久城くん!?」
花宮の声が真下から上がる。
「無事か」
「いや、それあたしの台詞なんだけど!」
理央が怒鳴る。
「お前、なんでそこまでして庇うんだよ!」
「うるさい!前見ろ!」
怒鳴り返した瞬間、自分でも分かった。
一瞬も迷わなかった。
花宮がどういう人間かとか、信用に値するかとか、そういう理屈は何も通っていない。
ただ、間に合う位置にいたから身体が動いた。
切り捨てるという判断が、最初から頭になかった。
(……ああ、俺はやっぱり、まだ人間を切り捨てきれてないな)
その事実が、嫌になるほどはっきりした。
「……っ」
花宮が息を呑んだまま、俺を見ている。
その目には恐怖ではなく、心配している顔だ。
透花も青い顔のまま、こっちを見ていた。
あの顔は多分、何かを昔の乃亜と重ねている。
「くじょ……乃亜っ!」
理央の声で意識を戻す。
魔物が再び踏み込んでくる。
今度は真正面じゃない。
右へ回り込んで、こちらの陣形を崩しにきている。
「理央、右を切れ!花宮、ライト固定!透花は下がるな、そこで見てろ!」
俺の言葉に三人が動く。
理央の斬撃で魔物の進路がわずかに逸れ、花宮の光が壁面の影を消す。
透花は震えながらも逃げずに立ち、俺の声を追っている。
それで十分だった。
指先にもう一度、簡易召喚の術式を走らせる。
「――穿て」
今度は白銀の爪ではなく、槍のように収束した光だけを一瞬だけ呼ぶ。
契約の向こう側から伸びたそれが、魔物の棘の根元を貫いた。
嫌な音と共に結晶が砕ける。
理央がそこへ踏み込み、今度は首元へ深く刃を通した。
魔物が痙攣し、重い体を揺らして崩れ落ちる。
広間が揺れ、静寂が戻った。同時に誰もしばらく動かなかった。
荒い息だけが、妙に大きく聞こえる。
「久城くん!……無茶しすぎだよ、もう!」
花宮が、まだ床に座り込んだまま言った。
そして泣きそうな顔で俺を見ている。
「庇うとか、そういうレベルじゃなかったんだけど!」
「間に合っただけだ」
「それ、答えになってないよぉ!!」
透花が、震える声で小さく言う。
「でも……無事でよかった……」
同じように泣きそうな顔で、彼女は言った。
理央は俺を見たまま、低く吐く。
「意味分かんねえよ。信用してないくせに、なんでそこまでして庇うんだ」
「目の前で死なれる方が面倒だって言っただろう?」
「だからって……」
「……今はそれでいい」
言い切ったところで、空気が変わった。
――奥だ。
さっきまでの魔物とは比べものにならない圧が、通路のさらに深いところから流れてくる。
濃い。重い。まるで空気そのものが、何か巨大な存在を前にして縮こまるみたいに冷えていく。
理央が顔を上げる。
透花の肩が震える。
花宮も、さすがにもう冗談を言う顔ではなかった。
俺はわずかに息を乱しながら、暗がりの奥を見た。
今までとは明らかに違う。
――来る。
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