第38話 学校実習の告知
その話が出た瞬間、教室の空気が少しだけ浮ついた。
「来月の校外実習について説明する」
朝のホームルーム。
担任はいつもの気怠そうな顔のまま、教卓の上の資料を軽く叩いた。
「場所は第三管理区域内の初級ダンジョン。未成年探索者としての基礎実習になる。班行動、危機管理、索敵、戦闘補助、記録提出まで含めて評価対象だ。希望進路や今後の推薦資料にも関わるから、そのつもりで参加するんだぞ」
その瞬間、教室のあちこちで小さなざわめきが広がった。
「え、マジでダンジョン入るの?」
「第三管理区域って、あそこだよな?」
「やば、ちょっと楽しそう」
「楽しそうで済むかなあ……」
期待。
緊張。
見学気分の軽さ。
それぞれが好き勝手に混ざった音だった。
こっちは逆に、少しだけ頭が痛くなった。
実習――面倒だな、と素直に思う。
ソロの方が圧倒的にやりやすい。
余計な足並みを揃える必要もないし、人間の未熟な判断に巻き込まれることもない。
危険があれば切り捨てるか、守るか、自分一人で判断できる。
だが、学校という仕組みの中ではそうもいかないらしい。
担任は、生徒たちのざわめきを軽く見回しながら説明を続ける。
「実習は必修扱いだ。正当な理由なく欠席した場合、成績評価に響く。探索者育成コース志望者は特にな。記録端末の扱いも含めて授業の一環だと思え」
「うわ、逃げられないやつじゃん」
「推薦に関わるのきつ……」
「でも探索者コース行くなら当然じゃね?」
前の方の席から、そんな声が飛ぶ。
担任は特に咎めもしない。半分くらいは毎年似たような反応なのだろう。
逃げ道が少ない言い方だった。
なるほど、と思う。
つまりこれは、ただのイベントではなく、実績作りと言う事だろう。
こちらの世界は本当に面倒くさい――強ければいいわけではなく、形式があり、評価があり、周囲の視線がある。
だが逆に言えば、それを無視して立ち回れば乃亜の立場が悪くなる。
成績。
周囲の目。
叔父宅で生活している以上、学校で余計な騒ぎを起こすのも得策ではない。
そして何より、今の俺は久城乃亜という身体を借りている。
乃亜の社会的な立場を、これ以上壊すわけにはいかなかった。
――参加は避けられない。
そう結論づけたところで、教室の前方から明るい声が上がった。
「先生、班って自由ですか?」
声を上げたのは瑠亜だった。
柔らかい笑顔、教師に向ける時の、いつもの優等生の顔だ。
担任も露骨に顔を曇らせはしない。
「基本は調整するが、希望は取る。とはいえ偏りすぎたらこっちで決める」
「分かりました」
素直で、前向きで、聞き分けがいい。
教師受けのいい返事だった。
周囲の何人かが、当然のように瑠亜の方を見る。
「瑠亜くんいる班、当たりじゃない?」
「絶対安心感あるよね」
「いいなあ」
そんな小声まで聞こえてきた。
教師の側も、瑠亜を中心に話を進めることへ何の違和感も持っていない。
逆に、こちらへ向く視線にはまだ警戒が残っていた。
問題を起こしかねない兄。
集団行動で何をするか分からない生徒。
そんな見方が、完全に消えたわけではない。
担任の目が一瞬だけこちらへ流れ――その意味は分かりやすかった。
――余計なことをするなよ。
言われなくても分かっている。
今この場で面倒を起こすつもりはない。
それでも、こういう空気の差を見せつけられると、やはりこの世界は生きづらいと思う。
それより俺は奥の方でガルルッとうなっている自分の召喚獣が教師に襲い掛かりそうで怖い。
いつも通りの顔をしつつ、汗をだらだら流すしか出来なかった。
ふと、俺は小さく息を吐いた。
実習そのものより、その前段階の人間関係の方が面倒そうだった。
俺は机に肘をついたまま、窓の外を見ていた。
校庭の向こうでは、朝の光がまだ少し白い。
教室の中では実習の話題がじわじわ広がっていて、あちこちで浮き足立った声がしている。
興味がないわけではない。
実習そのものではなくどの程度のダンジョンを学校側が安全圏として扱っているか、には少し興味がある。
この世界の人間は、何を危険と呼び、どこまでを教育の範囲と見なすのか。
それを知る意味はある。
ただ、それ以上に面倒なのが人間関係だった。
班行動。
協力。
連携。
どれも俺の好むやり方ではない。
相手が信用できるならまだしも、こちらの世界でそこまでの信頼を置ける人間などほとんどいない。
足並みを揃える必要があるというだけで、もう十分に煩わしかった。
「実習、嫌そうだね」
横から軽い声がする――花宮澪だ。
いつの間にか机の横に寄ってきて、面白がるようにこちらを見ている。
表情はいつも通り軽いが、目の奥には前より少しだけ探る色があった。
「顔に出てたか?」
「ちょっとだけ」
「……そうか」
「フフ、否定しないんだ」
花宮はくすっと笑った。
その笑い方は軽い。
けれど、軽さだけで話しかけているわけでもないのが最近は分かる。
「まあ、久城君って群れんの好きそうじゃないもんね」
「好きなわけないだろ?」
「だよねえ」
花宮はそれだけ言って、友人の方へ戻っていく。
あいつは空気を軽くするのがうまい。
だが同時に、人の反応もよく見ている。
今の会話だって、ただの雑談ではないのだろう。
少し離れたところでは、透花がこちらを見ていた。
目が合うとすぐに逸らされたが、何か言いたそうな顔だった。
声をかける勇気まではない――けれど、視線だけは止まる。
そんな中途半端な距離感が、今の透花らしかった。
朝比奈もまた、学級委員らしく実習関係のプリントを整理しながら教室全体を見ている。
以前のような露骨な警戒は薄れいるが、完全に味方の顔でもない。
あいつはあいつで、自分の中で何かを量り直しているのだろう。
――周囲は少しずつ変わり始めている。
階段の件を境に、教室の空気は以前ほど一枚岩ではなくなった。
だが、変わったからといって信用に値するわけではない。
人間は簡単に揺れるし、揺れたからといって正しくなるとも限らない。
昼休み、廊下ですれ違った瑠亜は、表向きいつもと同じだった。
「……兄さんもちゃんと参加するんだよね?」
「必修なんだろ?」
「そっか」
にこやかな顔のまま、瑠亜は続ける。
「実習って班行動だから、迷惑かけないようにしないとね」
「お前に言われる筋合いはない」
「心配してるだけだよ」
柔らかい声――だがその奥にあるものは、もう隠そうともしない。
兄が集団の中でどう扱われるか。
そこでまた削られていくか。
周囲の目の中で、前みたいに居場所をなくしていくか。
それを確かめるのを楽しみにしている顔だった。
こいつは本当に、一貫している。
表向きの優しさと、内側の歪みが矛盾なく同居している。
以前の乃亜がそれにどれだけ削られてきたのか、今なら少し分かる。
だが、前と同じにはならない。
俺は瑠亜を一瞥して、そのまま通り過ぎた。
背後で視線が刺さるのを感じる。
甘く、冷たく、粘つくような視線。だが立ち止まらない。
立ち止まる理由が、もうない。
放課後、担任が最後に告げた。
「班分けは明日発表する。希望も踏まえるが、最終的にはこっちで調整する。実習まで時間はない。勝手な行動はするなよ」
教室の空気がまた少しざわつく。
「え、明日か」
「誰と組まされるんだろ」
「最悪な班だけはやだなあ」
そんな声があちこちで上がる。
期待半分、不安半分。生徒たちにとっては、その程度の話なのだろう。
明日――その言葉を聞いた瞬間、妙に嫌な予感がした。
こういう時、こちらの都合のいい形には大抵ならない。
学校という場所はそういうものだ。個人の事情や感情より、全体の見栄えと調整を優先する。
結果として誰と組まされようと、“決まったことだから”で押し切られる。
机の上のプリントを折りたたみながら、俺は小さく息を吐いた。
実習そのものより、班の方が面倒になりそうだ。
そして、その予感は多分外れないだろう。
読んでいただきまして、本当にありがとうございます。
「面白い!」「続き読みたい!」など思った方は、ぜひブックマーク、下の評価を5つ星よろしくお願いします!
していただいたら作者のモチベーションも上がりますので、更新が早くなるかもしれません!
ぜひよろしくお願いします!




