第32話 叔父の家での日常
二章入ります!よろしくお願いいたします。
叔父の家に身を寄せるようになって、三週間が過ぎた。
三週間――異世界の戦場なら、一国の情勢が変わっていてもおかしくない長さだ。
だがこちらの世界では、学校へ行き、帰り、食事をして、眠る。
その繰り返しがようやく身体に馴染み始めるくらいの時間らしい。
もっとも、完全に気を抜けるようになったわけではない。
朝、目を覚ました瞬間に周囲の気配を探る癖はまだ消えないし、扉の向こうに誰がいるのかを無意識に確かめてもいる。
それでも、久城家にいた頃とは明らかに違った。
目を開けて最初に感じるのが、責める視線ではない。
それだけで、朝の重さはかなり違う。
薄く息を吐いて上体を起こす。窓の向こうはもう明るく、部屋の空気には朝の冷えが少しだけ残っていた。
「――起きたのね、主」
静かな声がして、視線を向ける。
窓際に立っていたのはセレネだった。
長い白銀の髪が朝の光を受けて淡く光っている。
この女はいつも音もなく現れる。
「……いつからいたんだ?」
「少し前からよ」
穏やかな顔で返される。たぶん正確な時間を聞いても意味はない。
「最初に言っておくわ。乃亜の魂、昨日より落ち着いているわ」
「……そうか」
「ええ。ここは少なくとも、沈み続ける場所ではないみたい」
その言葉に、わずかに肩の力が抜けた。
乃亜の魂はまだ深いところにいる。完全に消えてはいないが、強く表へ出てこられる状態でもない。
俺がこうして身体を動かしていられるのは、あくまで仮の均衡の上だ。
だからこそ、乃亜の状態が少しでも安定しているという報告は重い。
「無理は禁物だけれどね」
「ああ、分かってる」
「本当に?」
「疑い深いな」
「それはあなたが無茶をするからよ」
セレネは柔らかく微笑んだ。
だがその目は、本気でこちらの無茶を警戒している。
異世界にいた頃からそうだ。
セレネは優しい顔で、妙に人を縛ろうとする。
それを無視するかのようにベッドから降りて制服に着替える。
支度を整えて部屋を出ると、階下から香ばしい匂いが漂ってきた。
台所では、叔父の智明がフライパンを振っていた。
卵の焼ける音と味噌汁の湯気が、妙に生活感のある朝を作っている。
「起きたか、ノア」
「ああ」
「飯できるぞ。さっさと顔洗ってこい」
それが、朝一番に投げられる言葉だった。
久城家ではあり得なかったな、と思う。
あの家で朝に向けられる声は、だいたい確認か注意かため息だった。
起きたか、ではなく、また面倒を起こさないだろうな、の方が近い。
洗面所で顔を洗って戻ると、食卓にはすでに皿が並んでいた。
簡素だが温かい朝食だ。焼き魚、卵焼き、味噌汁、白飯。
その近くの壁際には、当然のような顔をしてルクスが立っている。
銀髪の青年姿のまま、金の瞳だけがこちらと叔父を順番に見ていた。
「…………お前も食うのか?」
智明が呆れ半分に言う。
「主が食事を取る場に同席するのは当然だ」
「当然みたいな顔で言うなよ……俺、お前たちの分は準備してねぇ」
叔父は疲れたように額を押さえた。
「変なの増えても朝飯は食うんだな……」
「変なのとは失礼だね」
いつの間にか、シオンが椅子の背に寄りかかっていた。
気まぐれに現れる毒花の妖姫は、今朝も涼しい顔で人の家に馴染んでいる。
「お前は特に変だよ、ああ、かなり変だ」
「心外だね。僕は美しいものしか増やしていないよ」
「窓辺の花のこと言ってるなら、あれは増やすなよ?」
「…………主が喜ぶかもしれないだろう?」
「喜ばねえよ絶対に」
「ええ、喜ぶと思ったのぃ」
「……シオン、頼むからそういいながら尻を揉むのはやめてくれ」
むにむにと俺の尻を揉むシオンに、とりあえず注意すると、ちえっと言いながら俺から少し離れる。
同時に殺気が漏れた――ルクスの。
叔父はもう、召喚獣が食卓の近くにいること自体にはいちいち驚かなくなっていた。
諦めたとも言う。順応したとも言う。
どちらにせよ、大したものだ。
にらみ合っているルクスとシオンを無視し、俺は両手を合わせた。
「いただきます」
そう言って箸を取ると、叔父がちらりとこちらを見た。
「そこはちゃんと言うんだな」
「言わないのか?」
「いや、言うけどさ。お前、最初の頃よりだいぶ普通になったなと思って」
「普通……」
「前はもっとこう……寝てる時以外ずっと戦う前の顔してたからさ」
言われて、少しだけ手が止まる。
そう見えていたのかもしれない。
実際、この三週間でようやく久城乃亜と言う身体が慣れ始めたところだった。
叔父はそれ以上深くは言わなかった。
ただ味噌汁を口に運びながら、当たり前みたいに朝食を続ける。
その当たり前が、今の俺には妙に新鮮だった。
責められながら朝を迎えなくていい。
食卓に着くだけで空気が冷えない。
誰かが誰かを見下すために言葉を選んでいない。
ここを家だとは、まだ呼べない。
借りている場所だ。仮の避難先で、俺にとっては乃亜の身体を守るための停泊地に近い。
それでも認めざるを得なかった。
寝る場所がある。
戻っても責められない。
最低限の生活がある。
乃亜の魂にも悪くない。
ここは最低限の拠点になる。
少なくとも、今は。
「何だ、その顔」
叔父が不意に言った。
「どんな顔を、している?」
「ちょっとだけ人間っぽい顔」
「失礼だな」
「最初の頃よりはマシって意味だよ」
智明は笑いながら飯を食う。
ルクスはそんな叔父をまだ完全には信用していない顔で見ていた。
視線が露骨すぎて、むしろ隠す気がない。
「何だよ、ルクス」
「別に」
「別にじゃないだろ。お前、俺が変なことしたらすぐ噛みそうな顔してるぞ?」
「必要ならそうするが……」
「必要にするなよな!」
叔父の返しに、思わず小さく息が漏れた。
笑いに近いものだったかもしれない。
それを見て、シオンが目を細める。
「へえ。主、今ちょっと機嫌が良かったね」
「……気のせいだ」
「フフ、そういうことにしておいてあげるよ」
セレネが静かに茶を注ぎ足しながら、こちらへだけ聞こえるくらいの声で言う。
「少なくとも、悪い朝ではないのでしょう?」
「……そうだな」
それ以上は言わなかったが、それで十分だった。
学校へ行けば、まだ面倒はある。
瑠亜もいるし、教師もいる。
周囲の空気だって、完全に変わったわけじゃない。
それでも、戻る場所が久城家ではない。
それだけで戦い方は変わる。
朝食を終え、制服を整えて家を出る。
叔父はいつものように「行ってこい」とだけ言った。
ルクスは当然のように気配を寄せ、
セレネは見送るように微笑み、シオンは窓辺に毒気のある花を咲かせようとして叔父に止められていた。
騒がしい。
だが、悪くない。
▽
その夜、学校から戻って食事と風呂を済ませたあと、俺は部屋で端末の画面を見ていた。
ダンジョン配信の記録。
視聴者の推移。
切り抜きの伸び。
中ボス級ダンジョン候補の情報。
そして学校実習に関わる連絡事項。
リゼットが整理したデータは無駄がなく、見やすい。
そしてこれから進める事はただ一人――ダンジョン攻略だ。
乃亜に体を返す為に、やらなければならない。
端末を閉じる前に、最後に一度だけ窓の外を見る。
夜の向こうには、まだ見えない深層がある。
乃亜を返すために。
次に来るものへ備えるために。
俺は静かに息を吐いたのだった。
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