第31話 三枝透花は、ずっと怖かった【三枝透花視点】
久城乃亜くんが変わった、と思ったのは、多分私だけじゃない。
でも、それを“変だ”じゃなくて“何かが戻ってきた”みたいに感じたのは、たぶん私くらいだったと思う。
昔の乃亜くんは、もっとやさしい子だった。
静かで、少し引っ込み思案で、目立つタイプじゃなかったけど、ちゃんと周りを見てる子だった。
私が転んだ時も、泣く前に絆創膏を持ってきてくれたのは乃亜くんだったし、帰り道でランドセルの金具が壊れた時も、一緒に先生のところまで来てくれたのを覚えてる。
瑠亜くんも昔から人気があった。
かわいくて、愛想がよくて、すぐに大人に甘えるのが上手な子だった。
だから、小さい頃はわたしも二人を同じくらい好きだったと思う。
でも、だんだん違和感が増えていった。
はっきり「嫌だ」と思ったわけじゃない。
ただ、瑠亜くんといると、時々、息が詰まるみたいな感じがした。
たとえば、小学校の低学年の時。
わたしが乃亜くんから借りた消しゴムを返そうとしていたら、瑠亜くんが横から来て、にこにこしながら言ったことがある。
『兄さん、透花ちゃん困らせないでよ』
その時の言い方が、なんだか変だった。
乃亜くんは別に困らせてなんていなかった。
ただ貸してくれただけだし、私もありがとうって言った。
でも、瑠亜くんがそう言った瞬間、周りの子がなんとなく“乃亜くんが悪い事をした”みたいな顔をしたのを、今でも覚えてる。
その時、乃亜くんは何も言わなかった。
少しだけ困った顔をして、でも否定もしなかった。
ああいう小さいことが、何回もあった。
瑠亜くんは、べつに意地悪な顔をしない。
むしろ逆だ。
やさしそうにしてる。
泣きそうな顔をしたり、困ったように笑ったりして、でも結果的にいつも乃亜くんの方が悪く見える。
それが、少しずつ怖かった。
でも、子どものわたしにはうまく言葉にできなかったし、周りはみんな瑠亜くんの方を“いい子”だって言っていたから、多分、私の方がおかしいのかなって思ってた。
中学に入る頃には、わたしも乃亜くんと距離を置くようになった。
置いた、というより、置かされていった感じに近い。
家でも学校でも乃亜くんの悪い噂ばかり聞こえてきたし、何より本人がどんどん静かになっていったから。
話しかけても、前みたいに笑わなくなっていたし、目もどこか遠くなっていた。
助けたかった、とは簡単に言えない。
だって私は、助けなかったから。
私は、見て見ぬフリをしたんだ。
変だと思いながら、でも自分が間違ってるかもしれないって逃げた。
だから最近、乃亜くんを見ていると胸の奥がざわざわする。
朝の教室。
窓際の席に座る横顔。
前より少しだけ顔色がいい。
相変わらず静かだけど、あの沈み込むような重さが少し薄い。
それだけならちょっと元気になったのかなで終わるかもしれない。
――でも、違う。
空気が違うのだ。
前の乃亜くんは、悪く言えば、周りに押しつぶされるままの感じだった。
何か言われたら傷ついて、それを隠しきれなくて、でも反論も上手くできなくて、結局また悪いように見える。
今は違う。
傷ついていないわけじゃないと思う。
でも、前みたいにその場で全部持っていかれない。
ちゃんと自分の内側に軸があるみたいに見える。
その“軸”が、昔の乃亜くんに少し似ていた。
静かだけど、ちゃんと見てる。
人の話を聞いてないようでいて、実はちゃんと聞いてる。
必要以上に喋らないのに、目だけは前よりずっと生きてる。
だから多分、私はあの日、つい声をかけてしまったんだと思う。
廊下でプリントを落としかけた時、乃亜くんが反射みたいに手を伸ばしてくれた。
その動きが、あまりにも自然だった。
「……ありがと」
そう言うと、乃亜くんは短く「別に」と返した。
そっけないのに、冷たくはなかった。
昔もそうだった。
乃亜くんって、優しい事をしても、あんまりそれを誇らない。
その感じが懐かしくて、つい口から出た。
「今のほうが、ずっといいよ。昔みたいだった」
乃亜くんが少しだけこっちを見る。
その目に、一瞬だけ分からないものが混じった。
でも、嫌そうではなかった。
私はそれ以上何も言えなくて、そのまま逃げるみたいにその場を離れた。
だって、怖かったから。
もし本当に戻ってきているなら、私は今まで何をしてたんだろうって思ってしまう。
もし違うなら、勝手に懐かしがってるわたしが残酷だ。
でも、それでも思ってしまう。
乃亜くん、変わった。
そしてその変わり方は、ただ“強くなった”とか“性格が変わった”とか、そういう感じじゃない。
むしろ逆だ。
前よりずっと、昔の乃亜くんみたいなのだ。
そこがいちばん不思議で、いちばん気になる。
それに、瑠亜くんの反応もおかしい。
前なら、兄が何をしても余裕そうに見ていたのに、最近は違う。
笑ってるのに目が笑っていない時があるし、乃亜くんのことを見ている時間が増えた。
しかもその目が、兄を心配してる弟のものには見えない。
確かめようとしてる。
自分の知ってる“兄”からどれくらいズレたのかを、ずっと見てる。
その感じも、やっぱり少し怖い。
多分、私は昔から瑠亜くんが苦手だった。
嫌いとまでは言えない――言ったら、多分私の方が変だと思われるから。
でも、あの子は時々、人の心を触る場所をすごく自然に知ってる気がする。
泣けば助けてもらえることも。
困った顔をすれば責められにくいことも。
誰かをちょっと悪く見せる言い方も。
それを、悪意なくやってるように見せられるところが、ずっと怖かった。
私はスマホの画面を見つめる。
最近よく見る、例の召喚配信者の切り抜きだ。
戦い方が変で、静かで、でも目が離せない人。
コメント欄では“新人じゃない”とか“何かがおかしい”とか言われている。
その人を見ていると、なぜか最近の乃亜くんを思い出す。
もちろん、同じ人だなんて思ってない。
そんなの、変な想像だ。
でも、妙に似てると思ってしまう。
ちゃんと周りを見てるところ。
余計なことを言わないところ。
静かなのに、少しも押しつぶされていないところ。
それが、昔の乃亜くんと、最近の乃亜くんと、画面の向こうのその人を、変なふうに繋げてしまう。
「……何なんだろ」
一人で呟いて、スマホを伏せる。
私は多分、今さら後悔してる。
もっと早く変だって言えばよかった。
もっとちゃんと見てればよかった。
乃亜くんが完全に沈んでしまう前に、誰かに言えばよかった。
でも、今さらそんなことを思っても遅い。
遅いけど、それでも。
もし今の乃亜くんが、少しでも昔の乃亜くんに近いなら。
もし本当に、どこかで息を吸える場所を見つけたのなら。
今度こそ、見て見ぬフリはしたくないと思った。
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