第03話 誰も信じない
学校という場所は、どこの世界でも息苦しい空気を作るのがうまいらしい。
久城家を出て、瑠亜と並んで歩きながら、俺はそう思った。
朝の街には同じ制服を着た子どもたちが溢れていて、誰もが当たり前のように笑ったり、急いだり、誰かと会話を交わしたりしている。
その中で、俺だけが明確に異物だった。
正確には、俺ではない。
この身体の持ち主――久城乃亜が、だ。
校門をくぐった瞬間に分かった。
向けられる視線が、露骨だった。
無視するようでいて、見ている。
興味がないふりをしながら、何か面白いものでも見るようにちらちらと目を寄越してくる。
それは敵意というより、すでに悪評のついた相手を見る時の視線だった。
――ああ、ここでもか。
横を歩く瑠亜は、そんな空気の中心にいるとは思えないほど自然に、周囲から声をかけられていた。
「おはよう、瑠亜くん」
「昨日のダンジョン講習、すごかったって聞いた!」
「ほんと将来有望だよねぇ」
瑠亜は柔らかく笑って、その一つ一つに感じよく返していく。
その姿だけ見れば、誰もが好感を持つだろう。
実際、俺の横を通り過ぎる生徒たちの多くは、俺を避けて瑠亜にだけ話しかけていた。
「兄さん」
瑠亜がわざわざ俺を呼ぶのは、周囲に聞かせるためだろう。
仲のいい弟を演じるには、ちょうどいい一言だ。
俺は答えず、靴を履き替えた。
その瞬間、すぐ近くで女子のひそひそ声がした。
「ねえ、無視したよアイツ」
「ほんと感じ悪……」
「瑠亜くん可哀想」
聞こえるように言っている。
だが誰も、陰口を言っている自覚はない顔をしていた。
教室に入ると、視線の数はさらに増えた。
ざわめきが一瞬だけ止み、すぐに再開する。
俺が来たこと自体が小さな話題になったのが分かる。
席に着いた途端、前の方から一人の少年がこちらを振り返った。
「久城」
真面目そうな顔立ちをした少年がこちらに向かってきた。
姿勢が良く、机の上も綺麗に整っている――学級委員の札が見えた。
「今日は、ちゃんと落ち着いて過ごせるよな?」
言い方は穏やかだった。
だが内容は、最初から俺を問題のある人間だと決めつけている。
「――お前は」
「朝比奈湊……まさか俺の名前忘れてないよな?」
名乗ってから、朝比奈はほんの少しだけ眉を寄せた。
腕の腕章からするに、どうやら学級委員らしい。
「別に喧嘩したいわけじゃない。ただ……昨日みたいなことは、もうやめた方がいい。みんなも困るし、瑠亜も」
また瑠亜か――どうやらこの学校でも、中心にいるのはあの弟らしい。
俺は朝比奈の目を見た。
そこに悪意は薄い、だが信頼もない。
正そうとしているつもりの人間の目に似ている。
手を差し伸べているのではない。
監視して、逸脱したら止めようとしている。
「……昨日、何があった?」
そう聞くと、朝比奈は露骨に困った顔をした。
「……そういうの、やめろよ」
「質問に答えろ」
「自覚ないフリしても意味ないだろ」
それで会話は終わった。
結局、こいつも何があったかのかを説明する気はない。
ただ、俺が悪いという結論だけをすでに持っている。
隣の列から、今度は女子の声が飛んできた。
「でもちょっと気になるかも」
明るい声音だった。
振り向くと、肩口で揺れる髪を指でいじりながら、こちらを面白そうに見ている少女がいた。
「ね、久城くん。ほんとに昨日、瑠亜くんのロッカー蹴ったの?」
「花宮!」
朝比奈がたしなめるように名を呼ぶ。
花宮と呼ばれた少女は、悪びれもせず肩をすくめた。
「だって気になるじゃん。本人に聞くのが一番早いし。噂ばっかでよく分かんないしさ」
軽い――だが、その軽さが厄介だ。
敵意で責めてくる相手より、面白がって消費する相手の方が、人を簡単に追い詰める。
「――知らない」
短く返すと、花宮は「へえ」とだけ言った。
本気で信じたわけではない。
ただ反応を見たかったのだろう。
やがて教師が教室に入り、授業が始まった。
中年の男が名簿を見ながら出席を取り、俺の名前のところだけわずかに声の温度が下がる。
「久城乃亜」
「……はい」
「返事はちゃんとしろ」
――今、しただろう。
そう言う気にもなれず、俺は口を閉ざした。
授業中も、居心地の悪さは消えなかった。
教師が質問を飛ばせば、俺だけ妙に探るような目を向ける。
周囲の生徒も、俺が何か失敗しないか待っている空気を隠そうとしない。
そして休み時間になると、それはもっと露骨な形になった。
机の横を通る時に、わざと肩がぶつかる。
通路に立たれて、出にくくされる。
筆箱が床に落ちても、誰も拾わない。
だがどれも些細で、露骨な暴力ではない。
――だからこそ厄介だ。
「おっと、悪い」
わざとらしく笑いながら、男子生徒が俺の机を揺らした。
机の端に置いていた消し具が落ちる。
そいつは俺より少し背が高く、態度だけは大きかった。
後ろには同じような顔つきの連中が二人いる。
「真田、やめろって」
取り巻きの一人が口だけでそう言う。
止める気はない声だ。
真田――たしかそんな名だったか。
こいつらは多分、瑠亜の周囲にいる連中なのだろう。
教室に入った時からあいつが俺を見るたびに、同じ方向から空気が動いていた。
「別に何もしてねえよな?」
「そうそう、勝手に被害者ぶられても困るし」
「兄弟でここまで違うと大変だよなあ」
笑い声が小さく弾ける。
それを聞いても、周囲は止めない。
見て見ぬふり。
知らないふり。
関わらなければ自分は加害者じゃないという顔。
俺は落ちた消し具を拾い上げ、何も言わず席に戻した。
ここで怒っても、都合よく「ほらやっぱり」と言われるだけだ。
その時、教室の後ろで女子たちに囲まれていた瑠亜と目が合った。
あいつはやわらかく笑って、ほんの少しだけ首を傾げた。
それはまるで、どうするの、とでも言っているようだった。
昼前、俺は一度だけ試すことにした。
廊下を歩いていた教師を呼び止める。
朝の担任と同じ男だ。
「先生」
教師は露骨にうんざりした顔を隠しもせず振り返った。
「何だ、久城」
「確認したいことがあります」
「手短にしろ」
俺は数秒だけ迷ってから、まっすぐに言った。
「――先生は、俺の話を聞くつもりがありますか」
教師の眉がぴくりと動く。
それだけで十分だった。だが俺は続けた。
「俺が何をしたのか、誰から聞いたのかは知りません。でも、最初から決めつけているなら――」
「まずお前は自分の態度を改めろ」
ぴしゃりと、言葉を突然切られてしまった。
それを見て、俺は思わず驚く。
「周囲がどうこうの前に自分の言動を省みるのが先だ。皆がお前に注意するのは、それだけ問題があるからだろう」
「だから、その“問題”が何かを」
「言い訳をするな」
教師はもう、話を終えた顔をしていた。
「瑠亜みたいに少しは素直になれ。家でも学校でも揉め事ばかり起こして、何も思わないのか?」
「……」
そこで、頭の奥に古い音が蘇った。
――罪人・ノア。
――慎む必要があるのはどっちだ。
――口を慎め。
――その必要はない。
異世界の法廷。
顔を逸らした貴族たち。
弁明を聞く気のない声。
――ああ、同じだ。
場所が違うだけで、何も変わらない。
人は真実を見たいわけじゃない。
自分が安心できる答えを見たいだけだ。
分かりやすい悪者がいてくれた方が都合がいい。
そいつを責めれば、自分は正しい側に立てるから。
「失礼します」
俺はそれだけ言って踵を返した。
教師はなお何か言っていたが、もう聞く気になれなかった。
教室へ戻る途中、窓ガラスに映った自分の顔が見えた。
見知らぬ少年の顔――だがその目だけは、処刑台の上にいた俺と同じように冷えている。
――ああ、もういい。
この世界でも、誰も信じない。
放課後になるまで、俺は誰ともまともに話さなかった。
話す価値がないと知ったからだ。
帰ろうと靴箱を開けた時、何かが落ちた。
くしゃりと丸められた紙だった。
泥のついた靴先に触れ、そこで止まる。
拾って開くと、乱暴な字で一言だけ書かれていた。
――次は階段で落ちろ
俺はしばらく、その紙を黙って見つめた。
怒りはなく。
驚きも、もう薄い。
ただ、妙に納得してしまう自分がいた。
やはりここも同じだ。
家庭でも、学校でも、この世界でも。
――誰も、信じない。
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