第22話 夢の底の僕【久城乃亜視点】
暗い場所は、相変わらず暗かった。
どこまでも続いているみたいな黒で、上も下も分からない。
冷たいわけじゃないのに、ずっと体の芯が冷えているような感じがする。
ここにいると、時間の流れも曖昧になる。
少しだけ眠ったような気がして、でもずっと起きているみたいでもあって、気づけばまた膝を抱えている。
――前は、それでよかったんだ。
何も考えなくて済むから。
上にあるものを見なくて済むから。
家のことも、学校のことも、瑠亜の顔も、母さんの困ったような笑い方も、父さんのため息も、姉さんの見ないふりも、全部ここまでは届かない気がしていた。
でも最近は、少しだけ違う。
暗いままなのに、ずっとひとりじゃない気配がする。
やさしい光みたいなものが、遠くで揺れていることがある。
泣いていいと言ってくれる声や、謝らなくていいと言ってくれる声が、時々、夢の中で聞こえる。
それが怖い時もある。
でも、前みたいに全部を拒みたいわけでもない。
あの人たちは、ぼくを責めなかった。
白い髪のきれいな人。
月の光みたいに静かで、でもちゃんとぼくを見てくれる人。
セレネって名乗っていた。
それから、怖そうなのに、まっすぐな金の目をした人。
主が見捨てないなら、自分たちも見捨てないって言った人。
確か、ルクス。
ほかにもたくさんいた。
ちょっとこわい人も、口が悪い人も、変な人も。
でも誰も、ぼくを“悪い子”にしなかった。
そして、その人たちがみんな待っている“主”。
この身体に来た、知らない誰か。
――ノア、さん。
最初は怖かった。
だって、知らない誰かが自分の身体を使っているなんて、怖くないわけがない。
もう返ってこないのかもしれないって思ったし、このままぼくは消えてしまうのかもしれないって、何度も考えた。
それでも、少しずつ分かってきた。
あの人は、僕を押しのけようとしていない。
そう思えたのは、たぶん夢の中で何度か気配を感じたからだ。
遠くから、何かを探すみたいに手を伸ばしてくる気配。
でも無理やり引きずり出そうとはしない。
見つけようとして、待っている感じがする。
その違いが、僕には分かった。
今日もまた、暗い場所にひとりでいた。
膝を抱えて、何も考えないようにしていたはずなのに、ふっと空気が変わる。
やわらかい光が、暗闇の中へ差し込んできた。
顔を上げる。
そこにいたのは、やっぱりセレネさんだった。
長い白銀の髪。
淡い光をまとった白い衣。
ここに来るときの彼女は、いつも現実より少しだけやさしく見える。
多分きっと、夢の底だからだ。
「こんばんは、乃亜」
静かな声だった。
叱られたことのない声だと思う。
「……セレネ、さん」
僕が名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうに少しだけ目を細めた。
「ええ。今日は少しだけ、お客さまを連れてきたの」
「……お客さま?」
その言葉に、胸がどくりと鳴る。
分かってしまったからだ。
たぶん、その人のことだ。
セレネさんは僕のすぐ近くまでは来ない。
少し離れたところで立ち止まって、やわらかく微笑む。
「怖かったら、無理に近づかなくていいわ」
「……」
「でも、あなたが会いたいと思うなら、きっと大丈夫」
その言葉のあと、光の向こうからもう一つの気配が現れた。
見覚えがあった。
というより、感じたことがあった。
静かで、少し冷たくて、でもどこかあたたかい、そんな気配。
まっすぐにこちらを見てくる、知らない人。
ノアさんだった。
僕は思わず肩を強く抱いた。
まだ怖い。
怖くないわけじゃない。
でも前みたいに、見た瞬間に逃げたくなる感じではなかった。
ただ、どうしていいか分からないだけだった。
ノアさんもすぐには近づいてこなかった。
数歩分の距離を残して立ち止まり、少しだけ目を伏せる。
「……久しぶり、でいいのか分からないな」
その言い方が、変だった。
優しいとも違うし、慣れてるとも違う。
どう話したらいいか分からないのに、無理やり言葉を探している感じがした。
僕は何も言えず、ただ見上げる。
セレネさんは、ほんの少しだけ二人の間を見てから、静かに後ろへ下がった。
「私は向こうにいるわ」
「え……」
「大丈夫。あなたが嫌だと言えば、無理はさせない」
そう言って、セレネさんはさらに距離を取る。
光の端で待っているけれど、会話には入らない位置だ。
そこは、僕とノアさんだけになる。
暗い場所なのに、妙に息が詰まった。
すると、ノアさんが先に口を開いた。
「この前は、ちゃんと話せなかった」
「……うん」
「だから今日は、はっきり言う」
その声は落ち着いていた。
ごまかす感じがなかった。
「俺は、この身体を奪うつもりはない」
胸が少しだけ痛くなる。
それは、いちばん聞きたかった言葉の一つだった。
でも同時に、簡単に信じていい言葉でもない。
僕は手に力を入れながら、黙って聞く。
「必ずお前の体を返す」
「……」
「そのために、ダンジョンへ潜ってるいるんだ」
ダンジョン。
現実の世界の話だと分かる。
僕がもう上手く見られなくなった世界で、この人は動いている。
「今すぐは無理だ」
「……」
「でも、方法はある。お前の魂は消えてない。戻せる可能性がある」
淡々とした話し方なのに、そこだけ少しだけ熱があった。
本当にそう思っているんだって、分かるくらいには。
「だから、それまで消えないでくれ。お前の帰りを待つモノも居るから」
その一言で、喉の奥がぎゅっとなった。
――消えないで。
またその言葉だ。
セレネさんも、他の人たちも言っていた。
でも、ノアさんの口から聞くとまた少し違った。
だってこの人は、僕の身体を使っている人だ。
本来なら、僕が消えた方が楽なはずなのに。
そうすれば何も面倒がないのに。
――それなのに、消えるなと言う。
「……なんで」
気づけば、そんな声が出ていた。
ノアさんが少しだけ目を細める。
「何で、そこまで……」
「それは簡単な話だ。この身体は借り物だからだ」
すぐに返ってきた答えは、思っていたよりずっとまっすぐだった。
「俺は一度、自分の人生を奪われた」
「……」
「だからって、今度は俺が誰かの人生を奪う側に回る気はない」
その言葉は、僕には全部は分からなかった。
でも、すごく重いものなんだろうとは思った。
ノアさんの声は静かだけど、その奥にはずっと消えない傷みたいなものがある。
僕とは違う傷――でも、傷ついた人の声だっていうことだけは分かった。
「――それに」
ノアが、少しだけ視線を下げる。
「お前は、あまりにも傷つきすぎてる」
その瞬間、涙が出そうになった。
そんな風に言われたことなんて、なかったから。
みんな、僕の事を面倒な子とか、難しい子とか、気を遣う子とか、そういうふうにしか言わなかった。
傷ついてるって、言ってくれた人はいなかった。
だから、苦しいのが僕のせいじゃないかもしれないって、少しだけ思ってしまう。
それが怖くてたまらない。
「……まだ、わかんない」
声が震えてしまった。
ノアさんは急かさなかった。
ただ黙って待っている。
「信じていいのか、わかんない」
「それでいい」
「……」
「今すぐ信じなくていいから……だから――」
それも、優しい言い方じゃなかった。
でも、その方がよかったのかもしれない。
簡単に“信じてくれ”って言われるより、ずっと。
暗い場所の中で、その言葉だけが妙にはっきり残った。
――待つ。
僕、まだそんなことができるんだろうか?
戻ることなんて、本当にできるんだろうか?
またあの身体で目を開けて、また生きるなんて、そんなこと出来る?
そもそも、僕は元の世界に戻りたいと本当に思っているの?
分からない。
まだ怖い。
怖いけど――セレネさんたちがいて、ノアさんがいて、消えないでと言われて、返すと言われて。
それでも何も感じないほど、僕は壊れきっていないらしかった。
「……うん……待ってるよ、ノアさん」
自分でも驚くくらい小さな声だった。
でも、ちゃんと口から出た。
ノアの目が、ほんの少しだけ見開かれる。
それから静かに頷いた。
「――ああ」
その返事だけで、胸の奥が少し温かくなる。
セレネさんが、遠くからそっと微笑んだのが見えた。
何も言わないまま、やさしい光が広がる。
その光の中で、僕は少しだけ顔を上げる事ができた。
暗い場所はまだ暗い。
でも、前みたいに底なしじゃない気がした。
――夢が解けていく。
光も、ノアさんの姿も遠ざかる。
最後に見えたのは、セレネさんのやさしい目だった。
「少しずつでいいわ……少しずつ、馴染んでいって」
その声が、夢の外へ沈みながら聞こえる。
セレネさんに挨拶は出来なかったけど、それでも優しい光に包まれているかのように感じた。
その温かさを感じながら、僕は再び夢の中に入り込んでいった。
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